第五十三話 とある王国
新しく始まった生活に、俺はどうしても慣れずにいた。それもそのはずだ。出来上がったばかりの小屋には、壁すらまともに存在しない。隙間から入り込む風は容赦なく、夜の冷気は骨の奥まで染み込んでくる。地面は硬く、寝返りを打つたびに体が軋む。こんな場所で、悠々自適な生活など送れるはずもない。
「……はあ」思わず深く息を吐く。これから先の現実を思えば、ため息の一つも出る。忙しくなる――そんな言葉では足りない。生きるために、俺たちはこの過酷な環境の中で戦い続けなければならないのだから。
ふと視線を横に向けると、隣で眠るソウの姿があった。小さな胸が規則正しく上下し、無防備な寝顔を晒している。その幼さに、胸の奥がわずかに痛む。この子が、これからの俺の力になる。だが同時に理解している。この子に甘さだけを与えていては、生き残れない。これから先、俺はソウに厳しく接していかなければならないだろう。時には突き放し、時には容赦なく叩き込む。それが、生きるということだ。
それでも――「本当に、俺にできるのか……」自分自身への疑念は、どうしても拭えなかった。
――サァ……
風が、静かに吹いた。木々が揺れ、葉と葉が擦れ合う音が、耳に優しく届く。その音はどこか懐かしく、心の奥に染み込んでくるようだった。
「……リン」
自然と、その名が零れる。亡くなったはずの存在。それなのに、今もどこかで見守っているような気がしてならない。この大地では、不思議なことが起こると言われている。理では説明できない現象が、確かに存在する。そしてあの儀式の後からだ。俺の中で何かが変わった。言葉では説明できないが、確かに“感じ取れる”ようになった。気配、意思、存在――目には見えない何かを。
「お前……そこにいるんだろ」
風が再び吹く。それはまるで応えるかのようだった。
「見ててくれ……俺たちが、生きるところを」
静かに目を閉じ、心の中でそう誓う。失ったものは戻らない。だが、それでも前に進むしかない。この命が続く限り。
◇
時は少し遡る。ガニメデがリザードマンに担がれ、逃亡したその先に広がっていたのは、常識を逸脱した巨大な王国だった。奇妙としか言いようのないその国家は、バイオスフィア文明と呼ばれる異質な技術によって成り立っている。
微生物群を自在に操り、建築物を“育てる”ように構築し、食料すら生成する。生命と技術の境界は曖昧であり、この国においてはすべてが“生きている”と言っても過言ではない。
そもそも村とは、人の集まりに過ぎない。二人、三人と集まり、小さな群れとなり、それが集落へと発展し、やがて村となる。さらに人口が増え、生活基盤や社会構造が整えば街へと昇華する。そして思想、人口、制度――そのすべてが拡大したとき、国が生まれる。しかし本質は変わらない。どれも集団であり、個の集合体だ。そして集団とは、個を束ねると同時に、個を殺す存在でもある。
思想は統制され、意思は一つにまとめられる。極論すれば、それは支配だ。だが、それを成立させるには圧倒的なカリスマと、それを支える構造が必要となる。この国には、それを容易に成し遂げる存在がいた。
その名は、レー神王。このバイオスフィア文明を築き上げた原初の一人にして、この国――"ジーザ王国"の絶対的支配者である。
玉座の間は静寂に包まれていた。壁は微かに脈動し、生物の内側にいるかのような錯覚を与える。天井からは器官のようなものが垂れ下がり、淡い光を放っている。その中心に、彼は座していた。
煌びやかな装飾が施された王座に深く腰掛け、足を組み、頬杖をついて臣下を見下ろす。その顔は黒く、まるで神話に語られるアヌビスを彷彿とさせる風貌だった。金色のアイシャドウが妖しく輝き、目の下には涙とも血とも取れる入墨が刻まれている。
生と死の境界に立つ者――それがレー神王だった。
「報告の通りであります。レー神王様」
一人の臣下が片膝をつき、頭を垂れながらも顔だけを上げる。視線の先にいる王の存在に圧倒され、冷や汗が頬を伝う。
「ほう……そうか」
レー神王はわずかに口角を上げた。
「ついに見つけたか。追放された者どもの残党を。毎度のことながら、ゴキブリのように増えおる。実に気色が悪い」
「この国の汚点だ。すべて抹消せねば、気になって仕方がない」
静かな声だったが、その言葉には絶対的な冷酷さが宿っていた。
「……で、ガニメデはどうした」
問いかけに、臣下は一瞬言葉を失う。
「はっ……ガニメデ様は、リザードマンにより救出されましたが……四肢を失った状態で搬送されました。到着時には意識を失っておりました」
その報告が終わった瞬間、空気が凍りつく。
「……ほう?」
レー神王の目が細められる。
「四肢を、失っただと?」
低く響く声に、臣下の体が強張る。
「は、はい……!」
数秒の沈黙。やがて――
「くく……愚かな」
押し殺した笑いが漏れた。
「せっかく拾ってやった命だというのに、我との交渉も果たせず、その有様とはな。滑稽よ」
その声音には怒りではなく、純粋な嘲りが込められていた。レー神王はゆっくりと視線を玉座の間へと巡らせる。その虚無の瞳に何が映っているのか、誰にも分からない。ただ一つ確かなのは、この場にいる誰もが理解しているということ。この男こそが、この国の絶対であるという事実だった。
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