逃がさない
レキが懲罰房に落とされて死にかけてから三週間ほどが経った。ライラの部屋でしばらく動けないでいたが、レキはようやく少し起き上がって外に出てみようかという気になった。落ち込むことが多いので気分を変えるために伸ばし放題の髪も久々にライラに切ってもらったが、かえって落ち着かないだけであった。
「でも、本当に俺なんか外に出ていいのかな……」
部屋の窓から外を見ると、冷たい風は吹いていたが日差しは暖かそうであった。昔はこんな日にも公開稽古をしたな、という淡い思い出が蘇ってきてレキはますます外に出ようと思った。
「出たいなら出ればいいじゃない。でも、本当に大丈夫なの?」
ライラにそう問われると、レキはまた怖くなった。
「わからない……もう何もしないほうがいいんだと思う。やっぱり俺が生きてるとみんな不幸になるから」
「そんなこと言わないの。すぐくよくよするんだから、もう少し休んだほうがいいって」
「うん……」
そう言ってライラは養生を勧める。しかし、レキもずっと横になっているだけの生活に疑問を持っていた。ライラは三週間も自分のベッドをレキに明け渡して、自分は椅子に座って休んでいる。少しでも動けるようになった今なら、すぐにでも何かをして彼女に恩を返さなければならないとレキは思った。
「俺、ちゃんと働いたりしたほうがいいかな」
「何言ってるの、その調子じゃ無理でしょ」
「そうじゃなくて、この後一緒に暮らすなら、そうしないと……」
「あら、何の仕事をするの?」
そう言われて、レキは黙ってしまった。能力だけなら、人並みに何でも出来る自信はあった。しかし、どうしても「真っ当な人」の中に入ることだけは出来ない自信もあった。レキの考える「真っ当な人」とは、朝起きて工場や役所に出かけ、一日中働いて夜は帰ってきて家族と夕飯を囲むような人々であった。一般兵時代に散々嫌な思いをした経験から、もう「真っ当な人」に馴染むことは諦めていた。
それではまた剣を使った仕事ができるかというと、リィアに住んでいる以上それは叶いそうになかった。キオンと放浪生活をしていた時のように詐欺行為で金を得ることなどは問題外である。
「……わかんない」
かつて「付属品」と陰口を叩かれた記憶も蘇ってきた。真面目にやっているつもりでも空回って失敗したり、何か言われると間違ったことをしているのではないかと身体が動かなくなったりするのが怖かった。
「それじゃあ、もう少し考えたら。いつまでもここにいていいから」
「そんな、悪いよ」
「いいの。今まで苦労してきたんだから、少しくらい休みなさい。また泣いてるし」
「……そう?」
慌てて頬に手をやると、確かに濡れていた。自分で泣いている感覚が一切ないのがレキは不気味で、ますます自分なんかやっぱり死んだ方がいいのではないかと思えてきた。
「ごめん、本当にごめん。もう俺はダメなんだ。いつまでも君の世話になんかなれないし、やっぱりひとりで消えた方がいいんだ」
「またそんなこと言って……だから外に出てほしくないの、わかる?」
「あ、ごめん……」
「また謝った。もう、謝るの禁止」
「わかった、もう無闇に謝らないから。頑張って、ちゃんとした人間になるから」
「もう、頑張らなくてもいいのに」
ライラは目に涙を浮かべているレキを抱きしめた。
「今までたくさん頑張ってきたんでしょう、だから、もう頑張らない。何とかなるから、大丈夫だから」
ライラに抱きしめられながら、レキはもう自分はまともに戻れないのではないかと不安になった。そう思うとまた泣けてきて、ライラに「泣かないで」と頭を撫でてもらった。そうして、やっぱり外には行かなくていいかもしれないと思うようになった。
***
それから間もなく、今度はシェールではなくセラスがライラの部屋を訪ねてきた。
「えっと……レキさん! いい加減待ちくたびれました! さあ早く行きますよ!」
扉の向こうのセラスの勢いに気圧されて、青い顔のレキが扉を開けてセラスの前に出るとセラスはその腕をすぐに掴んだ。
「何だよ、もう逃げないってのに」
「どの口がそれを言うんですか? 今日はもう逃がさないですよ」
セラスがレキを引っ張り出そうとしているのを、ライラは止めようとした。
「あの、無理には……」
「大丈夫ですって! この人が元気ないのは手合わせしていないからです!」
「でも、まだ具合悪そうで……」
「そんなの唾吐いとけば治ります! さあ行きますよ! 心配だったらライラさんも着いてきてください!」
そして、かなり強引な形でレキはセラスに引っ張り出された。セラスが借りた修練場へ行くと聞いていたが、そこに着くまで周囲からの視線が怖くて仕方なかった。警備小隊長の制服を着たセラスはとても目立ち、そのセラスに連行されているレキは一見すると犯罪者に見えた。
「なあ、また今度って訳には……」
「ダメです! この機会を逃したら次はいつになるかわかりません!」
「あのさあ、それじゃあ何で隊服なんだよ……非番なら平服だろ……」
「あなたが逃げても取り押さえられるようにです!」
セラスは帯刀している真剣をレキに見せつけた。セラスの本気を感じ、レキはその重さに地面にのめり込むかと思った。
「あ、ライラさんは普通に見学していていいですし、途中で帰ってもいいですよ。ダメになっても私が連れて帰りますから」
「ありがとう、セラスちゃん」
半ばセラスに引っ張られているレキの後ろをライラは淡々と歩いていた。そしてセラスが借りていると言っていた小さな修練場に辿り着いた。
「さあ、着きました。他の人は誰もいないんで、安心して鍛錬できますよ」
「でも、今はまだその気分に……」
セラスに背中を押されて修練場に入ると、途端にレキの背筋が伸びた。まるで知らない修練場であったが、どこか懐かしく自分を迎えてくれているような気がした。
「さあさあ、中に入って。逃げちゃダメですよ」
渋々レキは奥へ進み、そして歩みをぴたりと止めた。
「久しぶりだな、ティロ……いや、ジェイドと呼んだ方がいいか? 今はレキと名乗っているらしいが?」
そこに待ち構えていたのは、元リィア上級騎士隊隊長ゼノス・ミルスであった。レキの頭の中は途端に「帰りたい」で満ち、後ろを振り返るとセラスが真剣を抜いていた。
「さっき逃げないって言ったのは、誰ですか?」
丸腰であったが、セラスひとりなら何とかなるかもしれないとレキが本格的に逃げることだけを考えていると修練場にもう一人入ってくる者があった。
「全く勝手にいなくなって……今度は始末書じゃすまないからな」
次に現れたのは元リィア上級騎士隊筆頭代理ラディオ・ストローマであった。流石に、セラスとラディオ、そして後方のゼノスも相手にしてこの場から逃げるのは不可能であった。
「……どうすればいいんだ!」
レキは思わずその場で頭を抱えて倒れ込んでしまった。
「どうもこうもあるか、馬鹿野郎」
その場でレキはゼノスに模擬刀で頭を小突かれた。もう逃げ場はどこにもなかった。




