#87 一皿と一杯
「……あ、しまった。車で来てるからアルコールは飲めない」
別に手渡された冊子のメニューを開き、ドリンクリストを眺めながらふと気づく。
重大な失念に、シヨウは思わず額を押さえた。
「げっ、完全に忘れてたわ……。
しかもお酒を飲んだハンターが深夜に子供たちを親元に連れていくなんて、心象悪すぎるじゃない……っ」
サキも今後の展開を想像して頭を抱える。
飲酒の有無によって、子供たちの引き渡しイベントの難易度が大きく変動することは目に見えていた。
「すみません、私たちもノンアルでお願いします」
「あらま、それは残念。
……ならさ、お酒を効かせたティラミスなんてどう?」
「へぇ! そんなものもあるのね。
なら私の分は、規定に引っかからない程度の一番キツいやつをちょうだい」
「サキ、いける口?」「まあね」と、まるで飲み会の確認のような会話。
そつのないやり取りを聞いて、本当に大人なんだと納得のいった子供たちを他所に、シヨウは己のアルコール耐性について審議していた。
「そっちはどうなのよ?」
「酔うほど飲んだことがないからなぁ……。
まぁ、弱くはないと思う。ウチで作ってたジントニックは、いつも強いって言われるし。
あっ、私はオレンジリキュールがあればそれで」
「はいよ。強めの酒にオレンジね、粋な注文。
……で、そっちのお客クン達はどうする?」
三人はメニューを覗き込みながら、各々の好みを挙げていく。
「私はピスタチオ。ナッツの風味が一番ティラミスに合うはずよ」
「俺はキャラメル。失敗はないだろうし」
「ボクはイチゴがいいなぁ〜!
赤くて可愛いイチゴが乗ってたら画面映えも最高だろうしねっ、えへへ!」
バーテンダーとしてお客様にお応えするため、カウンターテーブルという境界線の向こう側に移動した店主。
シンクで手を洗い、必要な材料を取り揃えていきながら、店として一番重要な飲み物のオーダーをとる。
「ピスタチオ、キャラメル、イチゴね。じゃあ、合わせる飲み物はどうする?
何かリクエストはあるかい?」
「飲み物って言われても……どれが何なのか全然分からない」
「シンデレラは母さんが見てたドラマとかで聞いたことはあるけど、そもそもどんな味なんだ?」
「ボクも全然わかんないよぉ〜! 文字を読んでるだけで、目が回りそぉ」
本格的な大人の店のメニューにフリーズしてしまい、口々に困惑の声を漏らした。
「はいはい、難しく考えなくていいのよ。
――甘いの、酸っぱいの、苦いの、スパイシーなの、どれがいいわけ?」
サキが仕方がないようにカウンターに肘をついて、笑う。
そして、できるだけ分かりやすく噛み砕いて選択肢を並べた。味の系統さえ選んでしまえば、食通の彼女なら提案は容易だった。
「……私は、さっぱりしたもの」
ニイナは少し照れながらも、それをできるだけこの大人たちに揶揄われないようにすました顔でボソッと呟く。
「さっぱりねぇ……」と目を瞑り、逡巡する――。
とはいえ、然程悩みもしなかった。初めてのモクテルなら、王道が無難だろう。
「ミントは平気?」
「大丈夫」
「なら、ヴァージンモヒートね。さっぱりだし、ライムの風味が爽やかでいいと思うわよ」
「お酒、詳しいの?」
シヨウが隣で感心するとサキはニヤリと笑い、いつの間にかしまっておいた愛銃のホルダーを叩いて見せた。
「当然でしょ。仕事終わりの料理をより美味しく味わうなら、飲み物にも拘らないとね」
「おおー」と相棒の小さな拍手に、彼女は「もっと心を込めて叩きなさいよ!」とツッコむ。
そんなやり取りを横目で見ていたアックスは、焦ったようにメニューを突き返した。
「……ふ、ふん、俺だって……。別に甘ければ何でもいいなんて思わない。
……苦いやつ、で」
多少どもりながら、ニイナをチラッと意識する。
マスターは同じ男として、そんな少年の健気な見栄をなんとなく察したらしい。
夜の社交場の支配人として、客に恥をかかせぬようにさり気無く提案する。
「苦いやつね。
……でも、君の頼んだティラミスは少し苦めのやつだからさ。合わせる飲み物は甘めの方が合うと思うよ?
僕的にはクランベリーアールグレイなんておすすめ。キャラメルと紅茶は昔からの定番だから」
「……じゃあ……それで」
背伸びよりも舌の安全性をとったのか、無理に反抗もせずに同意した。
「ボクはね、ボクはねっ、甘いのがいいなぁ〜!」
オーディーが丸いお腹を揺らして身を乗り出す。
シヨウは飲むよりも食べる方が好きであるため、酒の知識は殆ど無かった。頭の隅に溜まっていたなけなしの記憶をかき集め、スマートに提案してみたい。
ハンターとしての力量は兎も角として、大人の立ち振る舞いでバディに後れを取るなど……普通に悔しい。
「……カルーアミルクは?」
「カルーアミルク? ノンアルならただのコーヒー牛乳じゃない」
「まぁ、そうだけど。メープルシロップとかシナモンを入れたらそれっぽくなるかなぁと」
「それがいい! ボク、それが絶対にいいんだからねっ、えへへ!」
当人が喜んでいるので、後は店側の力量を信じてぶん投げることにしたシヨウだった。
「というわけで、どうにかできますか?」
「オッケー、それくらいならお安い御用。
……で、肝心のアダルト組はどうする?」
クモたちの姿はいつの間にか消え、夕日の残り火に照らされたような薄暗い店内。
背後には別照明でライトアップされたボトルがずらりと並べられている。様々な色に輝くそれらが納まる棚は、竜の宝物庫と言われても遜色はない。
「おすすめは?」
「お姉さんのティラミスは、栗のリキュールに熱を入れて軽く飛ばすつもりだから……すっきりしたアップルジンジャーなんてのはどう? 」
いくつかボトルを選び取りながら、今宵の一杯を共に導き出す。
「いいわね、それに決まりよ」
サキは艶やかなやり取りでスピーディーに注文を決めてしまった。
しかし――
「シヨウ、いつまでメニューと睨めっこしてるわけ? あんまり子供たちを待たせるんじゃないわよ」
メニューとずっと睨めっこを続ける成人女性が一人いた。
揶揄われるシヨウは、僅かばかり眉をひそめて文字を追い続ける。
「お酒はそんなに詳しくないんだよ……」
お酒なら普段の飲み慣れているジントニックかモスコミュールだが、モクテルはそもそも飲まない。
だったら普通のジュースの方が良いと言うのが、シヨウの言い分だった。
自分もお任せにしようかと思いながら視線を下に滑らせた瞬間、目を丸くする。
先程の東洋風の飯処では奇しくもドリンクメニューに載っていたあのお茶の名が、そこに鎮座していたのだ。
「――ここにも緑茶とほうじ茶が置いてあるんですか?」
「へぇ、そこに目が留まるんだ……。
趣味で東洋のお茶もいくつか取り揃えてるんだけども、正直あんまり頼まれないんだよねぇ」
「あの渋いお茶、カクテルにも使えるのね?」
サキは新しい発見をしたと思いながら、そのまま何気ない調子で感想を続ける。
「あのお店で初めて飲んだとき、砂糖もミルクも出てこないから、びっくりしたわよ」
「緑茶に砂糖なんか入れたら、ぶっ飛ばす」
「「「「――っ!?」」」」
背筋が凍った――。
殺気と共に飛んできた鋭い眼差しには、一切の温度も光も無い。
「怖っ!? 人でも殺す気!?」
「あはは……。随分と過激なことで……」
丁寧な話し方で気配り上手に見えた彼女は、個性を前面に押し出すサキに比べてパッとはしなかった。
良くも悪くも普通の女性というのが、彼らの印象。
そんな彼女のあまりの豹変ぶりに、一斉に顔が引きつる。
これは地雷が少ない分、踏んだらヤバい事になるタイプの人間だと……。
「コーヒー、紅茶は嗜好品。緑茶やほうじ茶は飲料水。水に砂糖や牛乳を入れる阿保が何処にいるんだ。
春夏冬だとメニューに載ってたけど、普通はお冷と同じで無料提供なの。
抹茶とかフレーバーものとか、グレードが高くなると話が変わってくるし、ラテにする時もあるけれど、ああなったらもうお茶じゃなくてスイーツだから。お茶とは言わないから、オーケー!?」
「はいはい、分かったわよ。変に拘りが強いんだから……」
サキが両手を上げて降伏のポーズを取る。
「……ニイナといい勝負かもな、あの偏屈さ」
「拘りが強いのは良い事だよ。その方がキャラの個性が出やすいし!」
「ちょっと、あんなお茶狂いと一緒にしないでよ!」
いい加減、早く決めないとつまらない火種でボヤ騒ぎが起きかねない。
ツッコみたい欲求を抑えながら、シヨウは二つのドリンクをキョロキョロ見比べる。
緑茶にするべきか、ほうじ茶にするべきか。
短い逡巡の末――
「ほうじ茶トニックをお願いします」
「ほうじ茶トニックね。
――普段作らないようなものばかりで、本当に楽しい注文だよ」
マスターは楽しげに笑うと、リキュールと東洋の茶葉を鮮やかに並べ始めた。




