#66 医師と二人の愚患者
Collarというのは基本、他色を上塗りして染め上げることによって効力を発揮する。
「……で、結局あの先生との関係は?」
「えっ」
何事もなかったかのようにすっと、ミカンを口に放り込んできた。
そのあまりに鮮やかな切り替えに、サキは目を丸くして唖然とする。
「……あんた、しれっと何事もなかったみたいに戻ったわね?」
直後──、可笑しそうに吹き出した。
「切り替え早過ぎっ!
さっきまで珍しくネガティブ全開で、迷子の子猫みたいに途方に暮れてたクセに!」
シヨウはベッド横の椅子に深く腰掛け、剥いた白い筋を食べてしまう。
そして「ふぅ~」と息を吐き出し、不敵な笑みを浮かべた。
「実のところ、私の隣もよく揺れる。特に急カーブがきつい。
……どうする? 降りるか?」
挑発的な言葉。
サキは呆気に取られた──が、ニヤリと狂暴な笑みでやり返す。
「言うじゃない? それでこそ、私の相棒よ。
むしろこっちが振り落としてやるくらいに暴れてやるから、死ぬ気で私についてきなさい」
「はいはい。了解した、相棒」
二人の間に、もう迷いも壁もなかった。
サキは放り込まれたミカンの粒から溢れる酸味を味わいながら、天井を仰ぎ見る。
「──で、アトレス先生との関係だったわね。
……あれは、私がまだハンターになる前の話。
さっき言った、クソ医者どもに囲まれた時のこと」
遠い日の記憶を紐解くように、ぽつりぽつりと語り出した。
「黒雨って、普通は浴びると彩色体に染み込んで、身体が麻痺しちゃうのよ。
放っておけば内臓まで機能が停止して、最悪死んじゃうこともある。
でも私のCollarは、その沈色を中和できちゃうわけ。
医学会の偉いお医者様からすれば、喉から手が出るほど欲しい研究対象なんでしょうね」
自嘲気味に語る姿に、シヨウは今度こそ口を挟まず傾聴する。
「その時に『無色のクセにハンターになんかなれる訳がないんだから、人様に貢献ぐらいしたらどうなんだ』って、散々ボロボロに叩かれてね。
それで当時まだ研修医だったあいつ──、アトレス先生が強引に割って入って私を助けてくれたの」
この時点で、シヨウは粗方察した。
いち研修医が、医界の権力者に牙を剥いてタダで済む筈が無い、と。
「だけど、そのせいで彼は紛争が絶えない医療の最前線に送られちゃって……。
そこでスポイラーに右目を傷つけられて、Colorを奪われたの。
能力が半減したことを、ハンターになってからこの病院でお世話になった時、本人と会って知ったわ。
『使い勝手の良い手段が一つ減っただけだ。能力ありきで医者の勉強をしている奴なんていない』って言ってたけど……。
あれから私は変な連中に絡まれないように、怪我した時はあいつに見てもらって半分主治医みたいな感じになってるの。
その辺の借りも含めて、能力が必要なときは構わず呼べって言ってるのよ。
私の能力ならColorをブーストできるから」
「その中央のお医者さん達は、色盲か何かに罹ってんの?」
「え?」
サキは予想外のキレ味のツッコミに、今度こそ本気で驚愕した。
当時の不条理と恩の歴史をシリアスに語った筈が、間髪入れずに斬って捨てられてしまったのだから。
「ホログラムのどこが無色なんだか。
水面の飛沫、シャボンの薄膜、雪原の乱反射、ミラーボール、硝子に盛られたかき氷。
そういう一概に何色とも言えないキラキラが、サキの色なんじゃないのか?
無色だからハンターになれないとか、全くもって意味が分からない」
「──────」
────絶句。ただ絶句。
今でこそ使い勝手がいいと思ってはいるが、幼い頃から多少なりともコンプレックスだった色味の無い己のColor。
なのに、さっきまで落ち込んでいた相棒は、恐ろしいほど鮮やかに実例を挙げてみせたのだ。
「────よくそんなにポンポン思いつくわね……」
「私の国は四季がはっきりしてるから、そういう情緒を重んじるノリで生きてるんだよ。
そのお偉方は揃いも揃って無粋にも程がある。
貢献っていうのは自発的に行うからこそ質も上がるのであって、強要する時点で碌なことにならない」
――何が格好つけだ。何がなぞり芝居だ、完全に素でしょうが。
昨日──、否、5日前に共に戦った女と何も変わっていない。
同情とは少し味付けが異なる、美しい言い回しで雑に寄越してくる彼女なりの事実解釈に、気落ちするのも馬鹿らしくなる。
この気持ちのいい相棒の太鼓の音だけ聞いてればいいと苦笑いした。
「あの車の時からそうだけど、ほんっとにこっちにとって都合の良いことしか言わないわね?」
「そう思うなら、私にとっても都合の良い相棒でいてくれ。
私、こっちじゃまだ0歳児なんだよ? きっちり面倒を見てもらわなきゃ困る」
相棒は我が意得たりと、当然の見返りを要求してくる。
「任せなさい! それで、あんたは?
そっちも怪我とかしてたでしょ、大丈夫なわけ?」
「大したことない。ちょちょっと包帯巻いて終わり。
彩色体が無いからそもそも沈色なんてしてないし、間違いなく今回の一件で一番の軽傷者」
シヨウが笑った。
まさにその時――、すぐ傍から冷や水を掛けられる。
「――重傷だ」
低く、冷たく、硬い声。
二人揃ってビクッと身体が跳ね、病室の温かな空気は凍り付く。
若々しい緑色の髪に、端正な顔立ち。
痛々しい古傷が刻まれた右目からは赤みの強いオレンジが失われ、薄いグレーになっている。
深い青の内着に白衣を纏った男は、いつの間か病室に入って来ていた。
その鋭い両眼は、どうしようもない大ホラ吹きにお灸を据える為、圧を放つ。
「おはようございます先生、これはその――」
シヨウは再び立ち上がり、物腰の柔らかい丁寧な喋り方に切り替えた。
だが、アトレスはそれを小さく制す。
「――もういい、シヨウさん」
「……っ」
「ドクターやナース達には、注意をしておいた。
……患者に余計な気を使わせ、コミュニケーションの努力をさせるなど、医療従事者としてなっていないと。
すまなかった――。本来なら、こちらが先に対処するべきだった」
アトレスは頭を下げた。
怪我の痛みに耐えながらも、円滑な治療の為に笑みを絶やさず場に馴染もうとしていたシヨウに向け、医師として誠実な謝罪をする。
「とはいえ……貴方がその髪と眼の色を気にして努力を重ねたおかげで、彼らの説得もしやすかった。
そこは感謝しておく」
手元のカルテへと目を落とし、冷淡なトーンが続く。
「だがそれはそれとして、貴方は重傷だ。
右腕もそうだが戦闘で浴びた複数の銃創、激しい冷気による凍傷、無数の切傷に打撲痕、さらに強力な薬品による化学熱傷……。
彩色体が存在しないが故に、一部の治療法もColor能力も貴方の肉体には適用できなかった」
アトレスは一歩、音もなくシヨウの前へと歩を進めた。
その絶対的な医者としての凄みに、実は真面目が売りのシヨウは何も言えない。
「私はこの五日間、貴方に医者として純粋な力量を試されているのか? とケンカを売られた気分になったぞ」
絶対的な医学的事実と、毒を孕んだ医者としての言い分。
事実という苦味に甘く盛ったシヨウの嘘を、彼は容赦なく取り上げる。
「彼女に心配をかけさせまいとする配慮だと想像に難くないが、そこまで甘く事実を見積もられては、寝る間を惜しんで貴方の身体を縫合し、処置した私の苦労が無意味と言わんばかりだ。
……それはどうかと思うが?」
それを聞いた瞬間、ベッドの上のサキの顔が怒りで真っ赤に染まった。
「シヨウ――ッ!!!!
あんた、大したことないなんて言っておいて、そんなボロッボロだったわけ!?
何がちょちょっと包帯巻いて終わりよ、このバカッッ!!!!」
「あぁーあぁーあぁーッ!!!! 聞こえない、聞こえないっ!!!!
盛ったことは謝りますが先生、サキよりはいくらかマシなのは確かでしょう?」
ベットで吠える猟犬を指さしながら訴えるシヨウに、アトレスはそれもまた事実だとあっさり肯定する。
「それは認めよう。
誰かと違って医者の言うことを素直に聞いて、大人しく安静にしているからな。
この病院の他のどんな不良患者と比べても、貴方の回復の見込みが早いのは確かだ」
「先生ッ、そこは私じゃなくてこの嘘つきを怒るところじゃないの!?」
主治医と相棒の軽快なラリーに、ジタバタと悔しそうに暴れた。
そんなこんなで病室の空気が一気に賑やかになると――、
ガラッ、とドアが小さく開いた。
「ねぇ〜、お姉ちゃんまだー?」
ひょっこりと顔を出したのは、小さな子供の患者だった。
子供は目を輝かせながら、ベッド横のシヨウの服の裾をぎゅっと引っ張る。
「リク、朝ご飯は?」
「もう皆食べ終わったよ! 早く来て、一緒に遊ぼう!!」
「分かった。すぐ行くから、先に行ってて」
シヨウは子供の目線に合わせてしゃがみ込むと、そっと頭を撫でてやった。
子供は「早くねー!」と嬉しそうに廊下へとパタパタと走っていく。
「……今度は何?」
看護婦相手とはまた違う、心の柔らかい部分でそっと寄り添うような笑みだった。
彼女はすっと立ち上がり、ジレの裾ふわりと揺らす。
「イメージアップ戦略の一環」
そう笑って言い捨てると、アトレスに「失礼します」と頭を軽く下げ、子供の後を追って病室を出て行ってしまった。
パタンとドアが閉まり、残されたのは二人だけ。
サキは不思議そうに彼を見上げる。
「……ねえ、アトレス先生。
あいつ、一体何をしに行ったの?」
ドアの向こうを見つめていたアトレスは、目線をこっちに寄越した。
どこか呆れたような、けれど僅かに感心が混じった低い声で説明する。
「……小児科の子供たちの面倒を見ている。
今回のクロム社の一件で、数え切れないほどの患者が担ぎ込まれた。
医療スタッフ総出で対処にあたることになり、とても子供達の相手を出来る状況ではなかったんだが……。
――それを、彼女が引き受けた」
「あいつが、小児科の面倒を……?」
「ああ。自分も重症だと言うのに随分なお人好しだと思ったが――。
彼女の言う地位の確立の為というのなら、あの必死さも納得がいく」
オッドアイの瞳を細めながら腑に落ちる彼を見て、気恥ずかしさが一気に込み上げた。
「……っ、先生!? あんた、いつから聞いてたのよ!?」
ガタッと身を乗り出し、顔を引きつらせながら尋ねる。
シヨウとの話合いや、先生自身の過去の重い話をどこまで聞かれていたのかと、背中に冷たい汗が伝う。
だが、当の本人は表情ひとつ変えず、淡々と言い返した。
「初めからだ。
ナースに呼ばれて医師が患者を待たせる訳がないだろう」
「何で居るって言わないのよっ!!」
「空気も読まずに割って入り、職務をさっさと全うした方が良かったのか?
……勝手に盛り上がって部屋で騒いでいたのはお前達だ」
「う、うぐっ……」
相変わらず無情にして一点の隙もない大人の振る舞い。
容赦ない舌鋒に、サキはぐうの音も出ずにシーツへと沈み込んだ。
アトレスはサキの満身創痍の身体を一瞥すると、冷たく言葉を続ける。
「そのまま大人しくしていろ、診察だ。
――致命傷は数日耐えられるものへ、スライドしてある。
多少痛むだろうが……文句なら、完治してから受付カウンターのリクエスト紙にでも書いておけ」
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