#49 異世界トリップのリアル
あまりにも重苦しい沈黙の中、ずぶ濡れのシヨウはただ無言のまま俯く。
「……怖かった」
ドームを叩く黒雨の音の隙間。小さな声がぽつり、と耳を打つ。
センジの黒く固まりかけた両の手が、彼女の細い肩の上でわずかに強張る。
彼女の脳裏に、あの酷い記憶が蘇った。
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あの日――知らない風景が目に飛び込んだ。
知らない街だった。
知らないもの、知らない人、そして理解できない知らない言葉。
誰も信じられない、どこかも分からない、暴力的な量の未知に圧し潰されそうになった。
そんな時、異世界の街の片隅で一人絶望し立ち尽くしていた自分に、にこやかな笑みを浮かべて近づいてきたのがあの男たちだった。
初めは何を言っているのか、全く分からなかった。
だが、男が懐からパッチのようなものを取り出して喉に貼り付けた瞬間、漏れ聞こえたのは故郷の言葉だった。
――言葉が通じるっ! 片言とはいえ、その事実だけで心から安堵した。
これで何とかなる、助けてもらえるかもしれない――、と。
だが――
男たちは表情を崩さず、安心させるような優しいフレーズを紡ぎ続けていた。
目だけはこれっぽっちも笑わず――。
瞳の奥に宿る、底知れない不穏の色。
包囲網を狭めるように一人、二人と増えていく男たちの人数。
本能的な恐怖に襲われて逃げ出そうと一歩足を引く。
すると彼らは豹変して一斉に襲いかかり、喉へとパッチを無理やり貼り付けてきた。
――ッ!? 声が出ない――ッ!? 助けが呼べない――ッ!?
そう理解しても、必死に『助けて』を繰り返した。
音にならない絶望に恐怖する間もなく、今度はパッチを通じて脳を直接かき回されるような電流が走る。
訳が分からないまま、なす術もなく捕らえられ、もがいて、あがいて、必死に足掻き続けた末――――
ポツ、ポツ……
――黒い雨が降った。
肌は黒く染まり、身体が麻痺して硬直する。この世界では死の雨と恐れる【天災】。
だが、彩色体もColorも持たない彼女にとっては、男たちの動きを止め、足止めをする【救いの雨】に他ならなかった。
あいつらは追ってこられない。
過酷なこの世界から隠し、孤独な自分を唯一守ってくれる。
――それこそが、あの日、この世界で一番最初に学んだことだった。
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「……わけが分かりませんでした。
自分の部屋で寝ていたわけじゃない。トラックに轢かれたわけでも、誰かに背中から襲われたわけでもない。
……本当に、ある日いきなり、理由も分からずこの世界に迷い込んだ」
丁寧な言葉遣いのなかに、震えるような一般人の本音が混じる。
「誰のせいなのかは分からない、何のせいなのかも分からない。
原因が何一つ分からないから……私は、何に怒ればいいのかすら分からなかった」
「……」
「そうしたら、今度は大勢の男たちにいきなり襲われて、喉を焼かれて連れていかれそうになった。
……私は運が良かった。運よく雨が降ってくれたから、私はあの路地から逃げ出すことができた」
シヨウは自分の肩をどす黒く染めながら掴んでいる彼の手を今度は拒絶するためではなく、その冷たい硬化を温めほぐすように、小さな手でそっと包み込んだ。
「私が今こうして五体満足でこの場に立てているのは……黒い雨が降ったからです。私にとっては救いの雨だった。
この雨は私を守ってくれる。
……それが、あの日、私がこの世界で一番最初に学んだことでした」
黒い滴を顔に伝わせながら、黒い瞳孔を弱弱しく揺らす。
「この世界の技術や道具は、確かに異世界の……様々な世界からやって来た私たちの力や持ち物で出来ているのでしょう。
勝手に実験されて、勝手に奪われた。……そう、勝手に」
ここで、シヨウが顔を上げ雰囲気を変えた。
「だから私はあいつらにクレームを言いに来た。『勝手にやるな』――って」
『……は?』と、その場にいるいないに関わらず全員の思考が完全にフリーズした。
センジも、あまりの斜め上の言葉に目を丸くする。
「別に私たちの技術や知識を利用するのはいい。その世界、その国、その土地にいる以上、社会に対して大なり小なり寄与するのは、人として当前のこと。
それは仕事だったり、募金だったり、片手間のちょっとした気遣いだったり色々だけど、そこは異世界人だって例外じゃない」
「っ、だがシヨウ、君は自分の意志でこの世界に来たわけではないだろう……!」
車での会話を彷彿とさせるような空気にセンジは戸惑ったが、彼女は構わず肩をすくめて言い放った。
「転勤族の子供」
予測外な単語が飛び出し現場も支部も『……え?』と、今度こそ完全に置いてけぼりにされて口を開ける。
「転勤の多い家に生まれた子供は、親の都合で、問答無用に次の引っ越し先に巻き込まれる。自分の意思なんて関係なく、いきなり知らない土地に放り込まれるなんて、さして珍しい事じゃない。
まぁ……、流石に文字通り世界を股に掛ける転勤族はいないと思うけど――」
シヨウはいつの間にか穂を収納していたランスの尻で地面をトントンと鳴らす。
「ともかく、私たちから血を取るのは構わない、献血のようなものだから。
私たちの持ち物を調べるのも構わない、使い終わったらちゃんと元通りの状態で返してくれるなら。
百歩譲って体に変な薬を打ち込むのもいい、治験のバイトのみたいものだと思えばいいから。
――ただし、お金は貰う」
『お金ッッッ!?!?!?!? (でござるか!?)』
シリアスな深い罪悪感に沈んでいた中、いきなり俗っぽすぎる『お金』というワードを突きつけられ、現場も支部も全員が完全に唖然として言葉を失った。
「そうだよ、お金だよッ!! 悪いか!? 新天地で新しく暮らしていくにあたって、何をするにしてもお金がかかるんだよ!!
社会人の皆さまに置かれましてはッ、今更言われなくても身に覚えがあり過ぎるのではッ!?」
彼女はセンジに掴まれた腕を強引に外して、ギャラリーにペン先を突きつけた。
虹色に照らされたドームの中に避難してきたハンターたちへ向け、ブチ切れんばかりの大きな声で問いかける。
「家電!! 寝具!! カーテン!! 調理器具!! 収納ケース!!
――初めての一人暮らしに調子に乗って、自分好みに部屋をカスタムしまくった結果、給料日前に引くほど軽くなった自分の財布を見て絶望したあの日々を忘れたとは言わせないッ!!」
「うっ……!!!! 【※胸を押さえるハンターその1】」
「思い当たる節がありすぎる……っ! 俺、最初の月、オシャレな間接照明買いすぎてパンの耳しか食えなかった……っ!! 【※頭を押さえるハンターその2】」
『拙者も……っ、オーディオの配線にこだわりすぎて、初月のガス代が払えず冬場に冷水シャワーを浴びた悪夢が……っ!! 【※遠い目をしたオタク】』
あまりにも生々しい生活感に満ちた問い掛けに、心当たりのあるハンターやラボの面々が一斉に顔をしかめ、古傷を抉られたように呻き声をあげた。
そんな最中、シヨウは黒い柄をギュッと握り直して刃を下ろす。
「私は家に帰りたい……。
だけど、いつか帰るその『いつか』が、一体いつになるのかなんて誰にも分からない」
――誰も、何も言えなかった。
直ぐに帰れると、心配することは無いと、誰も知らない彼女の故郷にどうやって帰すかなど、最新のAIにだって尋ねたところで答えが返ってくるわけがないのだから。
「その日まで私は、いや『私たち異世界人』はこの世界で嫌でも生きて、暮らしていかなきゃならない。そして、社会の中で人が健全に暮らしていくには、どうしてもお金がいる。
だけど、私たちの世界のお金なんて、この世界のレジで使えるわけがないじゃんかッ!!」
異世界トリッパーの剥き出しの現実が響き渡る。
「じゃあどうする? 食べなきゃ死ぬんだから、手っ取り早くどこかから盗む?
――いや、それはまずい普通に警察に捕まる。
なら、真面目に汗水垂らして働く?
――ハッ、常識も戸籍も身分証もない人間を雇ってくれるまともな職場なんて、どこにある!?」
「戸籍……身分証……」
「ここがね! ファンタジーアニメや小説でありがちな、法整備もろくに整っていないような『中世の時代』だったら、まだやりようはいくらでもあった!!
適当な森で木の実でも摘んで、クマや鹿や鳥や魚を狩れば、誰にも文句を言われずに生きられた。
子供のいない優しい老夫婦とか辺境の庶民貴族が都合よく拾ってくれて、そのまま家に居着かせてくれたかもしれない。
それかギルドみたいな場所があって、そこで簡単に書類を一枚書けば身分証代わりのギルドカードとか貰ってすぐに働けたかもしれない!!」
シヨウは怒りに肩を震わせ、さらに声のボリュームを上げる。
「ゆくゆくは『黒のなんたら』みたいな格好いい二つ名が付いて、カードの色が豪華になったり、ランクがAとかSとかになって、チヤホヤされてたかもしれない!!
――けど、この世界はどうだッ!?
スポイラーなんてモンスターがいて、それを狩るハンターなんてファンタジックな連中がいるくせに、紙っぺら一枚で身分証が発行できない!! 森はない!! 金はない!! 空き部屋をタダで貸してくれる都合の良い貴族も老夫婦もいない!!
無駄に文明がしっかり発達してる、ゴリッゴリの現代社会!!」
柄を地面にガンッ!! と叩きつけ、止めを刺すように怒号が爆発する。
「ふざけるなッ!!!!
身分証も社会保障もない異世界の不法滞在者に、一体どうしろっていうんだッッッ!!??」
あまりにも手前勝手な、しかしあまりにも世知辛い現実。
異世界転移した一般人の、涙を禁じ得ない悲しき生存権の叫びが中央公園に轟き渡った。
「――――いや、そんなこと言われても……【※ハンター一同】」
『そんなこと言われても、こっちの行政機関のシステムだって、そう簡単に他世界の人間を登録できるようには作られてねえよ……【※支援部一部】』
『そんなこと言われても知るかァッ!!
ウチはハンター組織だ、ハローワークじゃねえんだよッ!!』
『そんなこと言われても……拙者らに、中世ファンタジーのギルド運営のルールを求められても困るでござるっ!!』
異世界人の放った理不尽で、かつ身も蓋もない自分たちが住まう現代社会へのクレームに対し、現場も、通信の向こうの面々もツッコむしかなかった。
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管制室では、重苦しい沈黙を破って各々の言い分を述べ続けていた。
「……そんなこと言われても、二つ名なんて近代国家の官僚制度の前には1ミリも通用しない……。
これが『異世界転移の過酷なリアル』だというのか……っ!?」
「――ええ、そんなこと申し上げられても……。
私も特殊調達のプロを自負しておりますが、流石に空き部屋をタダで貸していただける都合の良い貴族の方や老夫婦を秘密裏にご紹介することまでは不可能です……。
実に美学に欠ける現実ですね……」
誰もが自分たちの生きる近代社会のどうしようもない現実に答えを窮していた。
――――キングロードの脳裏にはあの時の問い掛けに対する答えがよぎっていた。
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『キングロードさんの言う通り、はっきりいって今回の一件に命懸けで首を突っ込む義理も理由もありません』
『……けれど、元の世界に帰るためこの世界で生きると決めたのなら、話は変わってきます』
『今さら、縁もゆかりもない別の街へ行くなんて考えられませんし……最初にこの街に落ちてきたのなら、元の世界に帰れるのも、もしかしたらこの場所からかもしれません。逆もまた真なりと言いますし。
なので、彩流市に壊滅されると困るんです』
『つきましては……キングロードさん。
出来ればで構わないのですが一つ、お願いがあります』
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すべてを怨嗟を呑み込んだ上で、こちらの罪悪感を不法滞在者のリアルな初期費用というチープな現実で殴り飛ばして空気をひっくり返した。
そんなシヨウの言葉に、彼は静かに感想を述べる。
「フッ、素晴らしい解釈一致だ。俺の愛する至高のファンタジーに生きるためにはまず、この冷徹な『現実』を掌握しなければならない……。
俺は彼女の泥臭い気骨から、その真理を深く思い知らされた」
普段から非現実的なファンタジー武器や中二病設定へのこだわりを語っている彼が、いつになく真剣なトーンで現実の重要性を厳かに噛み締めている。
そんな様を、そのすぐ隣で画面を見ていた近代兵器志向のソムリエが、心底ドン引きしながらキングロードを凝視した。
「……キングロード、貴方、一体どうしてしまったのですか?
あれほど実用性のないファンタジーばかりに固執している貴方が、急にリアルの重要性に理解を示すなんて……。
――もしや昼食のカレーに、何か悪いものでも入っていたのではありませんか? 」
「黙れッ、夢も欠片もない合理の悪魔が!! 俺は至極まともだ!!
異なる世界の現実という巨悪をねじ伏せるため奮闘するあの姿に俺の美学の根源が宿っていると言っている!!」
命懸けの最終決戦の裏側で、真逆の美学の喧嘩を始めるオタクどもに管制室の支援部員たちが一斉に『この緊急事態に何言い合ってんだよ!』と突っ込みを入れる。




