#31 潜入ミッション、始動
「……何よ、この場所」
シヨウがカスタムカーの速度を滑らかに落とした。
いつの間にか燃え盛る赤は鳴りを潜め、辺りはまるで海のような深い闇に包まれている。
私たちは逆探知のログデータを頼りに、ついに彩流市の最外殻――濁都の境界エリア付近に到着していた。
見えてきたのは、まるで刑務所のように錆びついた金網で周囲をぐるりと囲んだ物々しい施設だった。人の気配はなく、大型トラックの群れの姿も見えない。
「サキ、AIのログにズレはありませんか? 周囲に車両の気配はありませんが……」
「AI、再スキャンを要請!」
『――了解。コンテナ倉庫から発車したトラックの熱源反応、この施設の敷地内部で完全に消失。
……解析によると、トラックはこの施設の中へと入っていった可能性は100%です』
金網の向こうに佇む巨大なプレハブ倉庫のような施設。
スコールのような激しさは落ち着いたものの、外ではまだしとしとと雨が降り続いており、施設を照らすわずかな外灯の光から見える黒い雨が、この場所の不気味さをより一層際立たせていた。
「……まだ雨が降ってる。隠れられそうなものもないし――」
フロントガラスを濡らす黒い水滴を見つめ、シヨウが冷静に周囲を観察しながらこぼす。
このプレハブ施設の周りは完全に開けた更地になっており、正面から不用意に金網を越えれば一発で中の連中に見つかる危険性があった。
「私が一人で行こうか? 私ならこの雨は関係ないし」
カーチェイスの際、後部座席に置いたままだったウォーターガンを見ながら、当たり前のように淡々と提案してくる。
しかし、センジがすぐにそれを制するように、後部座席から鋭い声を響かせた。
「いえ、それは危険すぎます。君の言う通り、その黒雨が効かないのだとしても、私たちはまだそれを実際に目で見たわけじゃない。それに――」
瞳を険しく細め、黒い滴を睨み据えた。
「仮に本当に効かないのだとしても、そんな危険な代物、当たらないに越したことはない。中の状況が全く見えない以上、単独で遮蔽物のない更地を突き進むのも自殺行為だ。
別の方法で潜入することを考えましょう」
「そうよ。黒服どもがどんな監視カメラや兵器を仕掛けてるか分かったもんじゃないわ。ハンターの特権機能を使って、もっと安全に金網をバイパスできる潜入経路を炙り出すから、ちょっと待ってなさい」
サキはセンターコンソールのタッチパネルを叩き、カスタムカーのステルス索敵機能を最大出力へと引き上げた。
『――警告。【隠密索敵機能】より緊急報告。……敷地内、金網の向こう側に複数のスポイラー反応を察知。
……熱源多数、こちらを包囲するように展開中』
「う、嘘でしょ……!?」
「一回下がる」
警告と同時にシヨウは迷いなくギアを叩き込み、バックにシフトチェンジした。
車はヘッドライトを完全に消したまま、音もなく後退し、金網の敷地からしっかりと距離を取った物陰の暗がりで、一度車をピタリと止めた。
「……シヨウ、ナイス判断です。これだけの反応、正面から突っ込めばそれこそハチの巣だった。――しかしおかしいですね亅
センジは身を乗り出し、遮蔽物のないガラスの向こうの闇を凝視した。
外灯の薄暗い光が、しとしとと降り続く黒い雨を照らし出している 。これだけレーダーの光点が近くに密集しているなら、とっくにその姿が見えていなければおかしい。
「――視認できない。影も形も、どこにも見当たらない。事前に索敵で察知していなければ、完全に罠に嵌まっていた」
「どういうことよッ? レーダー上ではもう、あの金網のエリア全体を埋め尽くすくらい、うじゃうじゃ迫ってきてるのよ?」
シヨウはハンドルに凭れながら、黒い眼球を上下に動かす。
「……上か、下か」
『――索敵ログを修正、対象は地上ではありません。上空です』
AIの報告を受け、サキはシートの背もたれから身を乗り出し、窓の外の漆黒の夜空をじっと見つめた。
「……あ、待って。見えないんじゃないわ。ただ、猛烈に『見にくい』だけ」
「見にくい?」
「雨を浴びたせいで、奴らの身体が真っ黒に染まってるのよ。
元々の夜の闇と、降ってくる黒雨、そして沈色した奴らの身体が完璧に同化して蠢いているんだわ」
「……レーダーの光点が酷くぼやけていて、反応が安定しないのはそのためか――。
……ですが、合点がいきませんね。
黒だけを取り込めば、暴走してしまう。その割には動きに統率性を感じる」
「……ごめん、ちょっと疑問」
謎の群れに二人で考察を進めていると、彼女がハンドルに凭れたままラフに挙手した。
猫ほどではないとはいえ、様々な色を宿す私たちの瞳は暗闇の中でほんのりとその存在を主張する。私のブラウンに散った薄い煌めきも、センジのクロムイェローの瞳も。
――しかし、暗い車内で見た彼女の瞳はどこまでも黒く、黒く、――黒い 。
「黒い雨を吸い過ぎると、スポイラーにとってまずいの?
今までの話の流れだと、むしろ強くなって都合がいいんじゃ?」
「いえ、確かに一時的な戦闘能力は爆発的に跳ね上がります。ですが、それは色彩のポテンシャルが崩れ、存在の輪郭そのものがぼやけて制御を失い暴走しているだけに過ぎない。
あえて黒だけを取り込もうとする個体なんて、ほとんど存在しないのですよ」
「そういうことよ、基本的にはその個体にあった色彩を周囲から吸収して安定するの。
黒だけを限界以上に吸ったら、自分の境界線を維持できなくなる」
理解したのか直ぐに頷いた。そして、ぽとりと言葉を落とす。
「なら、あのパッチか……?」
センジはハッとしたのか、目を見開き天を仰ぐ。
「――ッ!? そうか、これほど存在がぼやけて暴走しかかっている個体の群れだというのに、奴らの動きはまるで一つの軍隊であるかのような規則正しい。
……あの男たちが持っていたという、不法なパッチの能力で無理やりコントロールされている可能性が極めて高くなりましたね」
「暴走状態の個体を、パッチの力で操ってるってこと!?
クロム社、本当にろくでもない実地テストをこんな境界エリアでやってるじゃないの」
サキも空を睨み、悪態をついた。
「何にせよ奴らは上空を完全に包囲している。
ここからどう対応するか、一度冷静に作戦を組み立てましょう」
「それならさ、車載兵器で一斉掃射して上空を一網打尽にするのはどう?」
「却下です。そんな派手な音を出せば、潜入する前に施設の中の連中に私たちの存在を教えてやるようなものです。
――敷地外の電柱のトランスを私のCollarで負荷をかけ、周囲一帯を過電流による強制停電に追い込む。暗闇に紛れて侵入するというのは?」
「はい却下! それをやったら、こっちのエリア全体の防衛センサーが異常を検知して、中央の警察にアラームが飛んでブッキングするわよ! そもそも漏電の火花が目立ちすぎるっての!」
「では、あえて金網に高圧電流を逆流させ、上空の連中の注意を地上のフェンスへと誘導した隙に、その裏の死角から――」
「だから、その電流のスパークが夜の更地じゃド派手に目立つんだってば! 却下却下!」
二人のハンターがあれこれと独自の異なるアプローチを提案しては却下を繰り返す凸凹なやり取りを、シヨウはぼーっと見つめていた。
「……相手がなんなのか分からない以上、対応の仕方も考えようがないんだけどなぁ……」
彼女の冷静な指摘に、サキは低く息を吐き、手のひらをフロントガラスの向こうの夜空へと静かに向けた。
「それもそうね。相手が何者で、どれくらいいるのか……まずは私の光で、静かに索敵して暴き出してあげるわ。
――『幽鬼補足』」
サキのColor能力は、実体としての固有色を持たない光の干渉像を自在に操る――『虚光幻像』
彼女が低く呟くと同時に、掌から放たれた目立たない純白のホログラム光の波長が、外灯の届かない上空へと、周囲に悟られないよう静かに波紋のように広がっていった。その特殊な干渉光を浴びた瞬間、夜の闇と黒雨の中に紛れ込んでいた、全身真っ黒な飛行型スポイラーたちの輪郭に光の粒子が吸着し、その姿をビンぼけした空間からほんのりと煌びやかに輝かせ始めた。
『――可視化データを解析。対象の生体インデックスを特定しました。
……生物種、コウモリ型と判定。熱源反応、計50』
「……っ、50ゥゥッ!?」
「何それ、すごっ!? 魔法みたい!
めちゃくちゃ、かっこいい!!」
「えッ!? ――あっ、ありがとう……。急にそんな素直に褒められると、調子が狂うわね……」
シヨウの純粋なリスペクトの眼差しに、サキは少し顔を赤くして照れくさそうに頭をかいた。
彼女は普通の色と違い、分かりやすいものではない。今でこそ腕を認められているが、地味で無色のCollarと能力に口さがない連中がいた。そんな連中を黙らせるために素の戦闘技術を磨いたといってもいい。
だからこそ、純粋に褒めるシヨウの賛辞は面映ゆいものがある。ましてや、この世の生命を塗りつぶし否定する黒を宿す瞳が、キラキラに光って自分の色を肯定するなど、ちょっとした優越感がある。
「それにしても、50って呆れた数ね……。いくら小さいと言っても限度があるでしょ」
光に照らされ輪郭を暴かれた真っ黒なコウモリの群れと、その中心に赤く拍動するニブの正確な位置が、助手席のコンソールに映し出された。
「やはり不法パッチによる人為的な命令コードが絶えず送られているのでしょう。奴らはその電波の秩序に従って、あの施設の防空網として機能している」
「うーん、そうなると、やっぱり力技で一体ずつ叩き落とすしかないのかなぁ」
「コウモリねぇ……。
――なら、基本的な習性もコウモリに似ているかもしれない。仮に連中が意図的に統率しているなら、アレに何かあれば出てくるかも」
シヨウはダッシュボードに表示された敵の正体と座標をじっと見つめた。
そして、私たちに向くようにシートに座り直しながら作戦を口にする。
「例えば、雷みたいな派手な光で一瞬だけ光らせて群れを散らせば、外の様子を見に出てくるかも。その時に開いた場所によっては、そのまま車で敷地内に入れる」
「なるほど。敵の警戒網を撹乱しつつ、同時に侵入経路をあぶり出すのですね。……よし、派手な光なら私の出番だ」
後部座席で、センジが少し身を乗り出す。
前方の空中に向けて、その大きな手のひらを軽く三角に振った。
「――『警告喚起の黄鉛符号』」
低く呟いた瞬間、はるか前方の暗黒の夜空に最も強い警戒色として機能するクロムイェローの巨大な警告マークが、眩い光の干渉像として突如現出した。
ズバァァァァァン!!!
次の瞬間、彼の放った警告符号がまるで本物の雷撃かのような強烈な黄色の閃光を放って大炸裂した。
「すごッ! センジさんも派手でいい! 」
さっきまで冷静に策を考えていたシヨウが、暗黒を染める鮮やかな黄色を前に、完全に目を輝かせて子供のように大喜びし始めた。
「……ッ、ご、誤解しないでいただきたいのですが、これはあくまでハンターの術理のの干渉現象であって、決してあなたの言うような、オタク文化のファンタジーなどでは―― ああもうっ」
不意打ちの無邪気な称賛をまともに浴び、彼はこれまでにないほど激しく動揺して早口で言い訳を並べ、顔を真っ赤にして視線を泳がせまくった。
一方上空では、雷のような強烈な光をダイレクトに浴びたスポイラーたちが、一斉にパニックを起こして統率を乱し、四方八方へと次々と散り散りに逃げ去っていく。
それと同時に、施設の奥で異変を察知したのか、ゲートが外の様子を窺うようにして内側から静かに開き始めた。
運がいいことに雨のせいで連中も車を使用するらしく、ゲートは大きく口を開けた。
センジがすぐにプロの表情に戻り、コンソールへと声を張り上げる。
「今ですAI! この隙に突っ込みます!」
『――了解。【隠密迷彩】をアクティブ。車体を周囲と完全同化させます。
……併せて【形状記憶流体駆動】を起動。完全隠蔽モードへと移行します』
カスタムカーのエンジン音が極限まで消音され、車体が景色の中に滑らかに溶け込んでいく。すると、カスタムカーの四輪のタイヤのゴムが生き物のように滑らかに変形し、コンクリートの地面から数センチメートルほど、音もなく完全に浮き上がった。
「――え!? ちょっと待って、タイヤが変形して浮いたわよ!?」
「聞いてはいたけど、そんなことまでできるのか……。 この車、一体どうなってんの?」
これには最新AIを使いこなしていたはずのシヨウも含めて、私とニ人で同時に唖然として声をあげてしまった。
「ともかくゲートが開いたわ! 今よ、シヨウ!」
「了解。
……ところで、私もあの技名とか言いながら突入したいんだけど『ステルスドライブ』――みたいな!!」
「ちょっとシヨウ、何ノリノリでハンドル握りながら子供みたいにワチャワチャはしゃいでんのよ!?
技名言うの恥ずかしいに決まってるでしょ!!」
「お前には魔改造の水鉄砲があるでしょうが!! 変なオリジナル必殺技を捏造して遊んでいる暇はありません、いいから運転に集中しなさい!!」
「ニ人は魔法が使えるからそんなこと言えるんだ!! 私の銃はいくら魔改造したところで所詮おもちゃだもん! 私も技名言ってカッコいい魔法とか使いたい!! 私だけ仲間外れじゃん!!!」
「「魔法じゃねえって言ってるでしょォォォッッッ!!!!」」
そんな最高に不謹慎で賑やかなワチャワチャ劇を車内で炸裂させながら、隠密機能をまとって静かに浮上したカスタムカーは進んで行く。
車は開いたゲートの隙間から、悪事が眠る刑務所のような施設内部へと滑らかに滑り込んでいくのだった――。




