#22 野菜嫌いの主張
車を滑り込ませた瞬間、空が割れたような猛烈な黒雨のスコールが一気に港町に降り注ぐ。
町中でみせた驚異のドラテクとは打って変わり、穏やかな運転で車を滑り込ませたのはプレハブを改装したような武骨な平屋の店舗だった。
大通りから少しだけ入った路地沿いにある、看板がなく、警報のせいか客もいない。
完全な無人の飲食店だった。
「ふぅ、間一髪! あのまま外にいたら、今頃揃って真っ黒になって鉛みたいに固まってたわよ!」
「ええ。しかし、まさかこんな隠れ家のような無人の店を選ぶとは。下手なホテルよりもよっぽど警察の目をごまかすには好都合な空間だ。
……サキ、壁のあれを見てください」
コンクリートで打ちっぱなしの店内には、店員どころか券売機すらない。代わりに壁一面に並んでいたのは、重厚なロッカー型の自動販売機の群れだった。
透明なアクリル窓の向こうには、スーパーで見ないような雑多な魚介類や、形の不揃いな規格外の地場野菜が保管されている。
市場のルートに乗らない訳アリ品だからなのか、私たちの少ない小銭でも十分に足りるほど、お安い価格設定だった。
さらに店内の奥には、ステンレスの壁一面に横一列に並んだ無数の蛇口があった。しょうゆ、ポン酢、秘伝のタレ、カレーやトマトといった変わり種まで揃っている。
脇にはコインの投入口が設置されており、お金を払えば一定時間、蛇口から好きなものを好きなだけ出せる完全セルフシステムとなっていた。
「ちょっとなにこれ最高! 完全セルフの浜焼きの店じゃないの!
……ねえ、あんたはどれにする? お安いし、アンタの分まで私が奢ってあげるわよ!」
お財布を見せながら笑顔で尋ねると、彼女はスッと視線を逸らして不愛想に小さく首を振る。
「……私はいい。お金がないから返せる当てがない」
「――あはは! そんな水臭い遠慮はしなくていいってば! 一緒に死にかけながらカーチェイスした仲間じゃないの。
ほら、食べたいものを指差しなさい!」
私に肩をポンと叩かれると、彼女は驚いたように黒い瞳を瞬かせ、それからおずおずと大きな二枚貝と白身の切り身が詰まったロッカーを指差した。
「よーし、貝と魚ね! あとはエビと……スタミナ補給を考えて、野菜もいっちゃいましょう! 玉ねぎ、カボチャ、ナスにねぎ、ジャガイモ、人参――あ、米のパックもある! あそこのレンジでチンしろってことね」
「結構揃っているものですね……。
飲み物の自販機もあるのか、こちらもいくつか確保しておきましょう」
小気味いい音を立ててロッカーのロックが次々と外れる。私たちはこれでもかと両手一杯に買い込んだ。
店内の隅にある共同の備え付けキッチンがあったので、纏めて食材を置くと調理器具を探した。
「包丁が置いてある……。無人の店にこんなもの置いておいて平気なのか?」
「あれ、知らない? これ食材専用の包丁よ」
首をかしげる彼女は「つまり刃物だろ?」と不思議そうに尋ねる。
「文字通り食材しか切ることができないんですよ。これは少し、いいものですね。登録したものだけを切ることができるように設定をいじれるようになっています。つまりこの店のロッカーに入れられた食材だけということですね」
包丁の黒い柄には内側からデジタル調の文字が青く光っており、それをしげしげとセンジさんは眺めた。
「こんなプレハブ店にしては意外と管理に金を掛けてるな」と感心する彼を横目に私は別の包丁を握る。
「刃物の扱いはハンターの基本、どんどんぶった斬っていくわよ!」
「――ちょっと、大きすぎないか……?」
「彼女の言う通りです、サキ。君の手元を見ていると、野菜の調理というよりスポイラーの解体をしているようにしか見えません。
カボチャなんて装甲板レベルでしょう、火が通るわけがない!」
「網焼きよ? 放っておけばいつか通るわ。切って焼く男飯のポテンシャルを舐めない事ね」
「またそんな暴論を言って……」と呆れ果てながら、サキよりかは幾分かまともな薄切りを切り出していく。
粗方切り終えるとそれを食材が乗っていた厚めの紙皿に盛り、カトラリーやトングを持って食事テーブルに運んだ。
テーブルの真ん中に据えられた焼き網のコンロをカチッっと火を点け、片っ端から焼き始める。
「うーん、美味しいっ! 浜焼きなんていつぶりかしら?」
「見たことない魚介が混じってますが、美味しいですね。しかもこの量であの値段とは……」
黒髪の彼女は開かれた二枚貝にショウユを垂らして口に運ぶ。
何も言わないがそのほころんだ顔で十分満足していることを物語っている。
「さっきから魚介と米ばかりですね、野菜も食べなさい。サキの薪のようなカボチャは論外ですが、私の薄切りであれば、まだしっかり火が通っていてマシです」
「……私はいい。本当にいい」
「何言ってるのよ。さっきはお金がないって遠慮して、今度は食べるのを遠慮するなんて、案外おとなしい性格なのね、あんた」
「好き嫌いは良くないですよ、いつまでたっても大きくなれません」
「年齢的にもうこれ以上大きくなりようがない――」
「ほら、あーんしなさい! 男は度胸、女は愛嬌、男飯は勢いよ!」
抵抗する間もなく「ングッ……!」とサキの手によって、網でじっくり焼かれた巨大な玉ねぎの塊が小さな口へ無理やり突っ込まれた。
真っ青になった彼女は、涙目を浮かべながらも必死に咀嚼するが、あまりの巨大さ。何度も噛み続けることで玉ねぎの青臭さが口いっぱいに広がり、しまいには胃液が込み上げ涙目になる。
「ンぐ、ふ……っ!!」
大慌てでペットボトルのお茶を乱暴に引っ掴むと、キャップを外して一気に喉へ流し込んだ。
ゴボゴボッと音を立てて、野菜を文字通り丸呑みにして胃に流し込む。
ブハッ!と激しく咳込み、ペットボトルをテーブルに叩きつけた彼女は、自分の喉を押さえながら怒りと苦しみの混ざった怨嗟の声で怒鳴った。
「ゲホッ、ゴホッ……!! ――人を殺す気か、お前らはッ!!!???」
「ちょっと、何よその大げさなリアクション! オーバーキルされたスポイラーみたいな顔して!
ただの網焼きの野菜じゃない、アニメのポイズン料理じゃないんだから、美味しいわよ?」
「そうですよ。濃い目のタレを掛ければ問題ないでしょう?
食わず嫌いは良くない」
「私は食わず嫌いじゃない! 野菜嫌いだッ!!」
心外だと言わんばかりに反論してくる。
「いや、どっちも変わらないでしょ!」
「全く持って違う!!
いいか、私だって野菜を入れなきゃ料理が美味しくならないことくらい理解している!!
だからこそ、自分が食べる時は色々と工夫をしてるんだ!!!」
「……工夫?」
決死の訴えに耳を傾けざる負えなくなった私たちは、顔を見合わせる。
センジが思わず問いかけた。
「ああぁ、そうだ! これでも美味しいのもを食べるのは好きだ!
だからこそ、嫌いな野菜の旨味だけを味わうために色々手を掛ける。そのために、今までどれだけ自炊を重ねてきたと思ってる!?
玉ねぎなんて細かくみじん切りにして飴色になるまで炒め潰すのは当たり前。他の野菜だってすりおろす、ミキサーにかける、くたくたになるまで煮る……、食わず嫌いでただ残してる連中と一緒にしないでもらいたい!!」
「うわぁ、何その偏食故の涙ぐましい努力と執念……!!
料理スキルの背景が重すぎるわよ!!」
「野菜に対して容赦ないな、親でも殺されたんですか?」
「私が許せないのは親が殺されたことじゃない。あの食感だっ!
噛んだ瞬間の『シャキッ』、『グニュッ』、『ドロッ』とした食感とぬめり、素材そのものの圧倒的な青臭い風味――ッ!
あんなものを美味いとか抜かしてるやつは人間じゃないっ!!」
「食感と私達に対して風評被害が過ぎる!
――――はぁ、少し落ち着きなさい、今さらっと親御さんが殺されましたよ。
貴方のご両親についてはよく知りませんが、流石に野菜に殺されたなどありえないでしょう?」
「アレルギーとか喉に詰まらせたとかで死んだかもしれないじゃんか!!??」
「そういうことじゃないッ!! というか、その話し方なら生きてるんだな!? 紛らわしい!!」
「あはははっ! 何よそれ、貴方相当の野菜嫌いね!
学校の給食の時間とか絶対居残りさせられたクチでしょ」
「……ああ、それが何か?」
嵐のような激昂が一気に静かになった。まるで台風の目の中に入ったような静寂の訪れ。
トタン屋根に染み入るスコールの音が一層、静けさを強調する。
――――すると、彼女は歴戦の軍人の如く淡々と語り出した。
「私が大人しく居残りになるような状況を許すわけないだろ? 担任の過酷なチェックを潜り抜けるため、戦術的にあらゆる手を尽くした。
大柄の生徒やチェックを潜り抜けたお残しの生徒の陰に隠れて残飯入れの青バケツに放り込んだり――」
「給食の時間に隠密工作をするなっ……!」
「瞬時に捨てられるように汁物の椀からスープだけを飲み干して、嫌いの具材を固めてまとめたり――」
「無駄に工作精度が高い! 執念が怖いわよ!」
「水で流せるタイプのティッシュに包んだり、口の中に隠してトイレに吐き出したり――」
「毒物を盛られたスパイか、貴方は!?」
「それでもどうしても、ど~うしても隠し切れず、昼休みに居残りさせされ何度見せに行っても突き返される始末。職員室に戻った先生にわざわざ見せに持っていって、それでもダメ出しをくらって……。絶望しながら教室に持ち帰った時、
――奇跡が起きた」
「奇跡?」
「教室の後ろでフラフープで遊んでいた女の子達のフープが皿に当たった。皿は割れて野菜も全部床に散らばった。
……あの時思った『神様って、いるとこにはいるんだな』と」
「まさかのアクシデント落ち!? 運でトラブルを切り抜ける凄腕スパイかってのっ!?」
「その日の帰りの会で先生が言った。『フラフープは教室のような狭いところではやらないようにしましょう』って、私を見ながら。
……そもそも、あの先生が無理やり食べさせようと私を帰さなければあんな惨事は起きなかったし、女の子達にも迷惑が掛かったりしなかった」
「いや、そもそも貴方が大人しく食べていれば何も問題はなかったでしょう?」
「そもそも食べられるなら苦労はしていないッ!!!」
「――それは、そうですがね……」
普段から問題児や各方面のフォローに回り胃を痛めつつ、規律を重んじるセンジさんがそっと諭してみるものの、速攻の逆ギレをくらい、思わず一瞬だけ同情の視線を向けて言葉を詰まらせた。
「ちょっとセンジ、何納得しちゃってんのよ! 規律を重んじるハンターはどこ行ったの!」
「――そして極めつけは、家庭科の実習……」
「まだあるのっ!!??」
「クリームシチューを作る実習だった。
黒板には『玉ねぎを薄切りに』と書いてあったけど、食べられるわけがない。だからこっそりみじん切りにした」
「指示を無視するな!」
「他の班員はみんな料理に興味がなかったから、誰も私の手元なんて気にしてなかった。だから玉ねぎだけは誰にも渡さず、先生の目を盗んで切って、炒めて、ホワイトソースに混ぜた。確認してきた先生が『玉ねぎは?』と聞かれて『入れました』と答えると、『もう少し大きく切った方がよかったわね』と言って去っていった。
――わざとだ、ざまぁみさらせ」
「貴方は調理実習の最中に一体何と戦っているんだ……!?
まるで毒でも盛ろうとしている犯人そのものですよ!?」
「失礼な。むしろ盛るどころか、有害物質の無毒化を試みたんだ」
「有害物質のことを玉ねぎっていうの止めなさいよ!?」
「サキ、逆逆、君も一旦落ち着け。
……しかし、そこまで調理に手慣れているのなら、何故さっきの共同キッチンで自分で切らなかったんですか?」
彼の鋭い追及に、彼女は当然だと言わんばかりに平然と言い放った。
「お金を払ってもらって食べさせてもらう身で、そんな勝手なマネできるわけないだろうに。
出されたものをそのままいただくのが、奢られる側の最低限のマナーだ」
「ちょっと待って、海岸でトチ狂った不倫の狂言寸劇をやっておいて、変に常識的なのは何なのよ!?」
「皮肉ったらしさと過剰な礼儀正しさのギャップで寒くなってきたんですが……」
胃を押さえながら萎びていくセンジと、私のツッコミを他所に、彼女は腕を組んでさらに続ける。
「世の中のテレビ番組も、嘘と綺麗ごとと小賢しいアドバイスばかりで気に入らない。
『自分達で育てた野菜は美味しいですよ』だのと言って、自称野菜嫌いの子供が美味しいって食べる画を写したり――」
「それは実際、愛着という名のメンタルバフが湧くからでは……」
「気のせいだ、嫌いなものは嫌いに決まってる。
『油をまわせば苦みが抑えられますよ』だの――」
「あ、それは科学的に一理あるってテレビで言ってたわよ?」
「前提としてあれだけはっきり原形が残ってる時点で意味がない。
『お肉を詰めればピーマンだって~』だの全部くだらない、肉の邪魔だそのまま食わせろっ。
挙句の果てには『細かくみじん切りにすれば、お子さんでも美味しく食べられますよ』って…………」
雷光の音と共に彼女の黒い瞳が、激しい怒りの色に染まった。
組んだ腕を解いて拳を強く、強く握りしめた。
「刻みが甘いんだよォッ!!! 5ミリ以上はもう【異物】なんだよ、人間の舌を舐めるなッ!!! あんな中途半端な細かさで食える奴は、元々食べられるんだよ!! そんなの『真の野菜嫌い』じゃない!!」
「プロレベルのソフリットを求めちゃ可哀想でしょ……」
「何に対する敵対心だそれは!? 全フードコーディネーターが泣くぞ!!」
すくっと無言で立ち上がると、彼女はそのまま店の扉へと歩き出した。
「え、ちょっとどこ行くのよ!? 外はスコールで危険よ!」
「――車」
彼女は振り返りもせず、短くそれだけ言い残して去っていった。
「……サキ、君のせいですよ。いくら同じ24とは言え、少し揶揄い過ぎです。
彼女のトラウマの領域にデリカシーなく踏み込むなんて、些か不作法が過ぎた」
「何よ、センジだってノリノリでツッコんでたじゃない!
……でもさ、人の揚げ足ばかり取る性格の悪い女かと思ってたけど、結構面白いじゃない。全然嫌いじゃないわよ、私」
「ええ、まあ……確かに。謝罪の件と言い、奢られる人間としての立場の弁え方といい、頭の固い上の連中に比べれば、よっぽど礼儀正しく退屈しない相手ではありますね。
――はぁ…………、戻ってきたらちゃんと謝らないとなぁ……」
二人で身を寄せ合ってヒソヒソと反省会を開いていると、自動ドアが再びウィーンッと開いた。
戻ってきた彼女の両手には何故か、ピッカピカの大きな深底の調理鍋と、そこに突っ込まれた分厚いフライパンの2つの調理器具が抱えられていた。
「はぁ!?
ちょっと待って、どっから持ってきたのよその鍋とフライパンは!?」
「――車」
「車にそんな大鍋やフライパンまで積んであるわけがないでしょう!!
あいつら、車を四次元ポケットかなにかと勘違いしているんじゃないのかっ!?」
私たちの驚愕のツッコミを完全に無視し、網の上でじりじりと焼かれていた巨大な野菜たちや、魚、エビ、貝などをトングで容赦なく回収していった。
「真の野菜嫌いの料理ってのを見せてやる。――10フィル、ちょうだい」




