10-14 馬鹿と小切手と再会
祐樹からのメールでコートだけ引っかけて鞄をつかんで家を出る。
車は佐久間家に置いてきてしまったからとヒールの高い靴のまま走り駅まで行った。
来た電車に飛び乗りそこで初めて余裕が出来て祈った。
涼ちゃんが生きてますように、と。
あれからほとんど寝ていないのに眠気は無かった。
祐樹に呼ばれたからじゃない。
私が涼ちゃんの側に居たかった。
生きているのか死んでいるのか分からないけどとにかく居たかった。
「おい、行き先が変わった」
とユウキが居る方角へ行くように命じてどっかりと座りなおせば眠り姫がお目覚めだった。
んんっと小さく呻いてから目を開け見知らぬスーツにひどく驚いてから離れようとして顔を歪めて体を丸める。
「おい、おろしてやんな」
そう声を掛ければへいっと返事をしそっと奴の隣へと座らせる。
趣味がいいとは言えない朱赤の半袖のワンピースはミニ丈で薄いストッキング越しに痣がよく見える。
腕ももちろんだ。
その上下着をつけていない。
「……あの、どちらへ向かってらっしゃるんですか」
目が上手く開かないようで瞬きを繰り返しながら聞かれ抵抗されるのも面倒で何も言わずにいると彼女は俯いてそれっきり大人しくなった。
ユウキが居るのは彼の上司の会社だ。
その上司の元へこの姿で彼女を帰すのは酷だ。
とてもこの小さな体じゃ耐えられないだろう。
あの腐った明という男と彼女の間に何があったのかは分からないが、あいつはやっちゃいけないタブーを侵したんだ。
こっちの世界でもそうそうやらないような事を平気でやってのけた。
しかも彼女の様子を見るにこれが初めてじゃないんだろう。
初めてならもっと発狂せんばかりに泣き叫ぶはずだ。
「下衆野郎」
小さく呟けば彼女の顔が上がり直視出来なくて視線を窓の外へと逃がした。
すっかり日が明けたそとはいい天気だった。
「億?」
そう男が言いわざと驚いた顔をしてみせる。
そんなものでいいのかとひどく同情的にしてみれば彼は書くように命じてそれに丸を一つ付け加えた。
「これ以上は無理だな」
それをそっと差し出せばひったくるような勢いで受け取る。
穴があきそうなほど見つめて桁を数えているその姿に笑い出しそうになった。
これだから貧乏人の馬鹿は始末に負えないんだよ。
小切手っていうのは手書きの時は漢数字じゃないとだめなんだ。
俺の署名も無いそれは法的に何の力も持たない。
「……確かに受け取った。今日中にはあんたの所まで送っていくよ。忙しいのに悪かったな」
彼が立ちあがり俺の元を去ろうとする。
しかしそれはドアの少し手前で止まり振り返った。
「この辺で一番近い銀行ってさ、どこっすか」
それに駅の前にあると答えればそうか駅の前ねと呟いて笑顔を浮かべた。
それから思い出したように口を開く。
「あんたもう涼を抱いた?あいつ良い体してんだろ?オレが作ったんだぜ、もうオレは抱けねぇけど、返品はいつでもいいからさ。あいつ嫌がってたのに最後は自分から腰振ってたぜ」
その言葉は俺の導火線に間違いなく着火した。
そう、と一言呟いて動かなくなった俺にようやく失言したと気付いたのか彼はそそくさと出ていく。
「クソがっ!!!」
ドアが閉まるのを確認してから机に向かい座る前に両手で上に置いてある物を薙ぎ払った。
何度も何度もすべてが落ちるまでそうして書類も印鑑もボールペンも付箋紙も全部床に落ちてぐちゃぐちゃに絡まりあう。
それから椅子に座り胸元からあの白い封筒を出して片手で握りつぶした。
ノックの音がして送って行った祐樹が戻ってきて手に持っていた小切手を見たのだろう戻ってきてその惨状に目を丸くした。
ふらふらと歩いてきて何も言わずにそれを拾い始める。
そんな彼の姿すら気に障り吐き捨てるように言う。
「涼はどこだ?分かってないならそれで構わない。知ってるなら言え。今の俺は短気だからな、怒らせるなよ。お前まで殴りたくない」
手を止め机に物を戻しながら彼がぼそぼそと呟く。
「俺のダチが今連れてここに向かってる。お前には言ってなかったけどそういう奴と繋がりがあるんだ、俺。昔の仲間だ」
それを聞き少し安心して頬杖をつきその上に顎を乗せて目を閉じた。
それから祐樹の向こうを睨みつけるように目を開く。
「そうか。なら良い。駅前の銀行に一応電話しておいてくれ馬鹿が行くけどあしらってくれと丁寧に言っとけよ。他の事は全部お前に任せる。俺に電話繋ぐなよ、仕事なんてしてられるか、クソが。分かったら早く行けよ、俺は今短気だって言っただろ」
彼はそれを聞いて出て行った。
涼がここに来る。
仕事なんてもうどうでもいい。
ここに居ればどうにかあとは祐樹がやってくれる。
それより、どうしたら、良いんだろうか。
近づく景色に見覚えがあって窓の外と目の前の男の顔を何度も往復した。
ここは、嫌だ。
ここは、来たくない。
会いたくない、見られたくない。
「降ろしてください、お願いします。車止めて」
そう告げても誰も何も言わない。
だから目の前の黒いスーツの男に手を伸ばした。
けれど睨まれそれは直前で止まる。
そうか、汚い私が触ったらこの人も汚くなる。
「何言われたって止めねぇよ。こっちだってビジネスで動いてるからな。お前さんの我儘じゃどうにもなんねぇよ」
絶望的だ。
涙が溢れ俯けばミニスカートから出た太ももに落ちる。
車が止まって運転手をしていた男が後部座席のドアを開けた。
さきに私が掴まっていた男が出て黒いスーツの男が出て、私が引っ張りだされた。
久しぶりの外の空気が冷たくて半袖の腕を抱きしめるようにすれば黒いスーツの男はコートを脱いで私に着せてくれる。
大きなそれは地面に裾がついた。
それからマフラーを取り私の頭に縦に一度掛けてから顔を隠すように巻いてくれた。
この人はこんな事をしてるけれどきっとすごく優しいんだ。
「これでちったぁマシだろ。さて、ユウキに電話するか」
彼が携帯を取り出して掛けようとしたその瞬間高いヒールの音が右手から響いて一度立ち止まってから走ってきた。
その音に全員が振り向く。
「涼ちゃん!!」
コートにジーパン、高いヒールの靴を素足で履いて、すっぴんの由香里さんがそこに居て足が勝手に動いた。
歩くのも痛く、靴を履いていない私はそのわずかな距離でも足がもつれ転びそうになる。
不意打ちのようなその行動に男達は動けなく私の体はもつれたまま彼女の腕の中に入った。
甘い優しい匂いがする。
胸の中で顔を埋めれば彼女はしっかりと私を抱きしめた。
「由香里さん、どこか連れて行って。礼が居ないどこかに」
呟けば男達が私を追い彼女と彼らは睨みあって動かなくなった。




