28-66 誰を信じて誰を選ぶ?
流石に、これ以上は、と息を飲んでしまった。涼は握りつぶした饅頭を見つめ瞬きひとつしない。常日頃からあんなに跡取りなのだから、次期当主なのだから、と口では言っているのに、俺は今動けなくなっている。
「どうして出会ってまだ間もない私の方が、礼を叱っているんでしょう。怒って、一緒に泣いて、笑って、喜んで。……いえ、人生を共に歩もうと、雛子さんよりも強く選ばれているんでしょう」
握り締めた手を開く事無く顔を上げ、俺が今までに聞いた中でも一二を争うほど冷たい声で涼が言う。場は静まり返り、誰も口を開く事が出来ない。
「佐久間の名前を持つ皆様は、どうして礼と距離を取っていらっしゃるんですか。なぜ礼に距離を置かれているんでしょう。……それも実の両親に、まで」
涼の顔がからくり人形のように俺の方を向き、その大きく綺麗な目は、俺の後ろに居る両親を捉えて離さない。背後から「ひっ」と、母の息を飲む音が聞こえた。けれど、俺はその瞬間、涼の顔を見てごくりと喉を鳴らす。
涼は、もしかして、あの、事を。
それは、駄目だと、手を伸ばそうとしているのに体が動かない。まるで涼自身が神話に出てくるメデューサにでもなったようだ。いや、違う。石にする力を持っているのはその瞳じゃない。口だ。涼の口から発せられる言葉だ。
「その理由を皆様、御存知なんでしょう?……奥様が流行り病の患者のように礼を扱い、礼との距離をおく、その理由を皆様、御存知なんでしょう?」
そう言いながら涼の目は俺の両親から、いや母から離れない。困惑したような父の息遣いが聞こえる。そして荒くした母の息遣いも。
ただ、他の音は、何一つ、声すらもどこからも響かなかった。
もし、誰かひとりでも言い当ててくれたら、言わないでおこうと思った。玲子さんに頼んだあの『者』も必要とせず、ただ帰そうと。いくらかのお金を渡してなかった事にしてもらおうと。それがどんなに汚いやり方でも、どんなに奥様と似通っていたとしても、礼の事をひとりでも分かってくれているなら、良いと思った。
でも、誰も分かっていなかった。
どうして礼が私を選ぶのか、さえ、分かっていなかった。
それでいて、私を批難しているのか、と呆れた。
本当はこんなやり方バカげているし、卑怯だし、卑劣だし、私らしくない。何より礼を苦しめる事になると分かって居る。もしかしたらほんの少しの猜疑心を礼に持たす事になるのかもしれない事もわかっている。
でもこの御屋敷に来て、礼の扱いをほんの少しだけ垣間見て、苦しかった。切なくて悲しくてどうしようもなく悔しかった。
「……流行り、病?」
私以外の声がようやく響いて、それは礼の背後すぐから聞こえた。それにようやく私は瞬きをしながら、頷く。そうです、流行り病のように礼は皆様から距離を置かれたんです、亘さん。
「はい、奥様はまた同じことをしようとなさってます、亘さん。他者に要らぬことを吹き込み、礼を貶めているんです。実の母親、なのに」
戸惑ったその声に濁る感情は一切入れずにきっぱりと告げる。ちゃんと亘さんを見つめれば、彼の顔は困惑を隠しきれず、心なし唇も乾いているように見える。その隣に座る奥様は、もう真っ青だ。
「それ、は……どう、言う。礼?……百合子?」
いくら婚約者と言えど私から『真実』を聞きたくなかったんだろう。亘さんは私から目を離さないようにしながらちらりちらりと二人を見比べている。それは佐久間の当主としては大正解だけれど、きっと答えは貰えない。
礼は話せるわけが、ない。
奥様はもっと話せない、だろう。
「二人とも何も無いのか?それなら……涼さんが嘘をついている事になるが。いや、二人だけじゃない。みんなも、何も知らないのか?」
ようやく亘さんは私から目を離し、礼や奥様からも目を離して、目の前に居るたくさんの佐久間の人々を見た。子供はともかく、大人は知っているはずなのだから、皆一様に気まずそうにその視線から逃れようとする。
さあ、どう見ますか。
佐久間の現当主の佐久間亘は。
長年連れ添ったもののヒステリックで何も答えない妻と、
婚期が遅れ、貴方に反抗し続けるたった一人の跡取りと、
上辺だけ擦り寄ってきて真実を告げなかった親戚と、
跡取りが唯一連れてきたが黒い過去がある婚約者の、
どれを、信じますか。
どのカードを切ってロイヤルストレートフラッシュに、しますか。
私は静かな空間の中、そっと視線を外し、帯に挟んでいた携帯を取り出し、素早く玲子さんからの連絡をチェックした。
切り札であるジョーカーは無事に到着したらしい。
誰を選んでも亘さんはこれで勝てる。
私もこれでようやく亘さんの本当の気持ちを知る事が出来る。
ただひとつだけ怖いのは、亘さんが礼の父親にちゃんとなってくれるか、だけだ。




