28-64 喧嘩は先に売った者勝ちですから。
礼と涼さんの関係を見ていたからこそ私の口からその言葉は自然に出たのだろう。周囲が驚く中、ごくりと喉を通っていく日本酒が辛くて気持ちが良い。
「あ、あなたっ?!」
百合子が小さく悲鳴を上げるのを目をそっと閉じてからお猪口を膳に置き、目を開けて視線を送る。
「百合子。お前が反対するのは構わない。今の私の言葉も佐久間の当主としてではなく、一個人としての言葉だ。……今更口にしなくとも、この場にいる全員が分かって居るだろう。血が左右するのだと言う事くらい」
皮肉でも何でもない。ただ先代に百合子との結婚を言い出し、礼が生まれても、ずっとそうだった事実を言えば百合子は唇を噛み締め目を大きく見開いた。このまま何も言わなければ百合子は騒ぎ立てるだろう。親戚や涼さんが居る事も忘れて金切声を上げるに違いない。
「つまり、何も変わらないんだよ、百合子。……好きなだけ反対しなさい。私は……」
百合子が口を開く前に言葉を続け、けれど、最後は飲み込んでしまった。
とても言えなかった。
私は礼を信じたいんだよ、とは。
亘さんも中々大胆だ、と、思う。ごくんっと飲み込んだ日本酒は思ったより辛口で喉がピリピリする。顔を下げれば皆さんの視線がすごく痛い。
さあ、御正室様。
いつ仕掛けましょうか。
お猪口を静かに膳に置いてから小さく息を吐く。日本酒を飲んだ時特有のむわっとしたアルコール臭。そして時が止まったままの礼を含む佐久間の方々。
今、かな。
もう一度溜息を吐いて顔を少し上げる。それから広間に通るようにお腹に力を込めた。
「御納得いただけませんよね」
え?え?え?と、疑問の声が次々に上がる。目の前の皆さんから、老若男女関係なく。それから、私の隣からも。
「当たり前、ですよね。……皆さんがご覧になった写真も、お聞きになったお話も、全て事実、ですから」
言い切ってからふふっと笑んで見せれば隣からカランと音が聞こえ、ちらりと見れば礼はお猪口を手滑り落とし、上等なスーツのパンツに染みを作っていた。
「でも、とても残念なんですが、ここに居る『私』も、事実なんです」
中途半端に止まった手がどうしたら良いのか宙をさまよっている。そして奥様は信じられないくらい怖い、般若のような顔で私を睨みつけていて、襲い掛かってこないのは亘さんが奥様の手を握っていてくれているからだろう。
「皆さんも雛子さんの方がよろしいですよね?あんな過去がある小娘に本家の嫁という立場、取られたくありませんよね。……私も皆さまと同じ立場だったら、そう思います。だから、分かります」
どんなに素行が良くても、礼儀正しくても、過去は消えない。
でも、それは雛子さんだって同じだ。
本当は言いたくないけれど、言わないといけない。
「でも、本当に雛子さんの方が良いですか?……佐久間の名前に負けて、逃げてしまった雛子さんの方が私よりふさわしいですか?」
礼の膳にあるお銚子を勝手に取り、手酌でお猪口に日本酒を注ぐ。
視線が痛い。
それも礼からの視線が一番痛かった。
涼が何をしても止めないとは言ったけれど、これは、と身体が震えた。
喧嘩を売るにしても程がある。その証拠に涼の後ろに控える晴れ着姿の大宮だって驚いて目を開けたままだ。じわりとパンツの太もも辺りが冷たいけれど、誰も何もしに来ないのがこの状況の異様さをよく物語っている。
「それに」
俺の膳からお銚子を取り勝手に注いでまたグイッと一気に杯を空けた涼は、落ち着いた顔をして笑みを浮かべている。
「礼さんの、いえ、礼の気持ちはどうなるんですか?そちらのまだ小学生とお見受けする子を嫁に?何度も会った事のないそちらのお嬢さんをですか?それとも……男を愛せないと分かって居るのに、雛子さんを連れ戻して無理矢理結婚させますか?……まるで種馬のようですね、それでは」
涼の最後の言葉にざわっと場が騒がしくなり、母は父の手を振り払って涼に飛びかかりそうになる。思わず身体の向きを変え、涼の盾になるように塞がってみせる。
「どなたも何もおっしゃらないんですか?……佐久間の嫁でもなければ、まだ正式な正室でもありませんよ、私は。……香里さん。皆様に御菓子をお出しするようお願いしてください。品川さんのではなく、私が持ってきた方を先に、と。それから……皆様の唇を湿らせるために温かい御茶も」
主導権はあっという間に移った。大宮はひとつ頷くと立ち上がり、俺達の背後を通って部屋に居た女中と共に消えていった。
涼はそれを見送るでもなくただまっすぐと前を向き、姿勢を崩す事なく、まるで何も起こしていないように座っている。
ここに入る前に玲子さんと明さんには連絡をしてある。だから今頃、玲子さんと明さんは外で落ち合ってくれているだろう。
それまでは私が作った御菓子を皆さんに召しあがって頂いて、それでもきっと奥様は納得されないから。
だから、計画通りに事を運ぼうと思う。
ここまで言っても、奥様は、私に襲い掛かろうとした。
そして佐久間の方々も何も言わず、動きもしない。
つまり、それが奥様の答えで、佐久間の方々の答えなんだ。
ひとつだけはっきりしている事がある。
私は礼を諦めない、絶対に。
涼さんからのメールで外に出れば外車にスモークガラスのいかにもな車が佐久間の屋敷の壁に横づけされており、私の姿をみて後部座席のドアが開いた。
「……あんたが玲子さん?」
中から出てきた少し背の高い男性は低い声でぼそりと呟き、それに小さく頷いて見せる。男は一瞬で纏っていた警戒心を解き、にやっと冷ややかに笑って見せた。
「なるほど、お姫様が信頼してるのが良く分かるような聡明な顔立ちだ。……お姫様から聞いてるだろ?トオル、だ。お互いそれ以上の詮索は無しにしましょうや」
手を差し出す事もしないのは、あっちの世界とこっちの世界が違うという事と、きっと私が男が思っていた人物より『有名人』だったからだろう。そういう噂が立てば、私の立場が危うくなることをよく分かって居てくれる。
「それは……とてもありがたいわ。それで、私は何を預かればいいの?」
「ああ、ちょっとまってな。……これ、だよ」
自然と腕組みをして目を細めれば、トオルと名乗った男は、後部座席から『これ』と言いながら涼さんに頼まれそれをひっぱりだしてきて、私はそれに目を疑った。ぐっと唇を噛み締めて、それからゆっくりとそれに近づいた。




