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私と彼の新しい生活  作者: 竹野きひめ
第二十八話 佐久間の大事な三日間
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28-63 敵?味方?

障子が開いたその時、わたくしは信じられない物を見た。礼さんに手を引かれ伏し目がちに入って来るあの女の姿。公の場だと言うのにわたくしはあまりに動揺し、柳箸が手から転がった事すら気づかなかった。その後に続く何かの器が零れ落ちた後。背後に控える女中の一人が小さな悲鳴を上げてわたくしに近づいてきても、わたくしはあの女から目を離せなかった。


「奥様、御召し物がっ」


大変です、と小声で言いながら女中はわたくしの膝の上をおしぼりで一生懸命拭いている。何をしているの、と思わず声が漏れそうだった。


だって、わたくしの着物なんかどうでもいいわ。

そんな事よりあの女が分家も本家も集うこの場にのこのこと顔を出した事の方がよっぽど問題じゃないの。その証拠に辺りは静まり返ってしまったと、言うのに。


「中座して申し訳ない。紹介したい人が居て、ね」


礼さんはそう告げると、さっ、とあの女の手を繋いだまま満面の笑みを浮かべた後に前へと少し追い出して見せる。


「突然の御訪問で申し訳ありません。佐久間礼さんとお付き合いさせて頂いている笹川涼と申します。皆様、以後お見知りおきをどうぞよろしくお願い致します」


はい、という真面目ぶった小さな返事の後、絡げていた手を離し、その場に姿勢よく正座して三つ指を付いて頭を深々と下げればあの女の頭にはいつか見た櫛が刺さっている。


「あ、れはっ」


ぐっと思わず握りこぶしを作らないわけにいかない。あれは、わたくしと礼さんで雛子さん贈ったものだと言うのに、どうしてあの女の頭にあるというの。それも最初からそこにあるべきだとでも言わんばかりに。


「……噂で聞いているのとはだいぶ違って驚いてるんだろう?写真だけだと伝わらない事も多いから、ね。連れてきたんだよ」


礼さんはわたくしを見つめながら顔をもう一度緩め、それからあの女に手を貸して立たせれば、自分の席の方へと連れて行く。


「……に、を」


声が勝手に漏れてしまう。佐久間家の人間としてここは耐えなければならないのに、漏れてしまう。大晦日の夜の事と相まって、声が漏れる。


「何をっ、考えて、いらっしゃるのっ!」


ダンっと振り下ろした拳は先ほどまで料理が入っていた器をひっくり返し、わたくしの着物には新しい染みがいくつも出来てしまった。けれど、そんな事文字通り眼中になかった。







ガシャンと派手な音がして腹を抱えて笑いそうになった。涼が居なかったら嫌味のひとつでも言ってただろう。


「礼さんっ!」


母は食器をひっくり返し真っ赤になって怒鳴っている。一度離し、再び握った涼の手に力が入る。それに応えるように握り返しながらまっすぐに母を見つめる。


「何ですか、母さん」


僕は次期当主ですよ、と喉まで出かかっていたそれを辛うじて引っ込めながら言えば、予想通り、何ですかじゃありません、と来る。父はそんな母の言葉に我に返ったのか、止めないかと声を荒げる。


何だ、何もしなくても、混乱するじゃないか。

いや、これだけすれば充分ではあるんだけど。


父になおも反論しようとすればくいっとスーツの上着の背中側を引かれ、ちらりと目線だけやれば涼がにっこりと小さく微笑んでいた。


「礼さん、御義理母様がお怒りになるのも当然です。突然やってきたのは私の方、なんですから。本当に申し訳ありません」


そう言いながら頭を深く下げる姿と言葉に辺りが静まり、それから周囲は視線を逸らしはじめる。


さあ、この一戦、どっちに軍配があがるんだろう。







奥様が掴みかかって来てくれればよかったのに、とさえ思う。頭を下げながら辺りを窺えばどうやら佐久間の方々はどちらの味方もし辛いらしい。隣に立つ礼と現当主、甲乙つけがたいのかもしれない。

そもそも私は佐久間の方々はおろか、礼の両親にすら正式には認められてない。

今の所、使用人の皆さんが味方になって下さってるだけだ。


じゃあ、どうする?

そんなの決まってる。

ここに居る佐久間の方々を味方に付けるだけだ。

そのための準備は昨日したじゃないか。

それなのに、身体が小刻みに震えて仕方ない。礼にそれが伝わってるのかどうか分からないけど、心臓はバクバク音を立てているし、実際にこの場に立つと物凄く怖い。


礼は、雛子さんは、この重圧にずっと耐えていたんだ。

それも生まれた時からずっと。



「もし御赦し頂けるのなら、せめてこの宴が終わるまで御一緒させていただけませんでしょうか。……皆さまともお二人とも縁深い関係になれたらと思っているのですが」


挑発しないように、でも挑発して。ここに居ても良いでしょう?と、頭を上げてほほ笑みながら言えば、奥様が何か言う前に亘さんが口を開いてくれた。


「礼は相変わらずだ。去年もアンリさんを連れてきて、今年はそちらのお嬢さん。……ようこそ、笹川さん」


笑みを浮かべた顔にこちらも笑みをもう一度浮かべ頭を少しだけ下げれば、隣に立つ礼の小さな溜息が聞こえた。






やっぱり父が動いたか、と感心する。例え血が一滴も入っていないとしても佐久間の当主という自覚はあるのだろう。ここで涼を追い返したりなんかしたら、親戚共から各界に噂が及んでしまうのを重々分かっているらしい。


「誰か涼の席を用意してあげて。俺の隣にお願い」


そう控えている女中に告げれば予め知っていたにも関わらず、まるで慌てたように返事をして部屋を後にしてくれる。これが佐久間の躾けなのか涼が作り上げた物なのかと問われれば、後者だと言わざるを得ない。


さあ、行こうか。と、涼の手を引いて上座の俺の席へ向かう。両親の隣の席。そこに戻ってきた女中がささっと座布団を一枚敷き、膳にお猪口や箸やグラスを用意し、涼は当たり前のように一言挨拶をしてから完璧な振舞いでそこに座った。

並び方はちょうど奥から父、母、俺、涼の順番になり、当然ながら俺達の前に向かい合わせの二列がふたつの親戚はこちらを見ている。ある者は心配そうに、ある者はちらちらと、そして大半は興味深々で。

 

「父さん、料理はどこまで進みました?そろそろデザート、でしょうか」


さて、と、足を崩し、胡坐をかけばきっかけを与えられた父はほっとしたような顔を浮かべる。


「ああ、そうだな。……笹川さんは何も食べなくて平気かな?いや、その前に乾杯をしようか」

「乾杯?」


思わずそう尋ねれば、父がふっと笑みを浮かべる。


「ああ、わざわざ訪ねてきてくれたのに乾杯もしないのは失礼だろう。さあ」


父はそう言いながらお銚子を涼の方へ差し出し、涼は少し驚きながらも伏せてあったお猪口を手にする。


「ありがとうございます。いただきます」


涼の小さな手が持つ小さなお猪口が透明な酒で満たされ、は次に俺に向けてきた。親戚は父の言葉に慌ててお互いに注ぎ合っている。


「……いただきます」


残っていた日本酒を飲み干し新たに注いでもらい、その父には当然のように母が注ぎ、俺が母に注ぎ、静かになった所で父がお猪口を少し掲げて口を開く。


「……礼の婚約者の笹川さんに。乾杯」


現当主の口から発せられた言葉にその場に居たほぼ全員が固まった。俺でさえ耳を疑い父が杯を空けるのを見ていたというのに、涼はにこにことしながら父と同じように杯を空けていた。

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