監査官の過保護な労働基準法。胃弱なエリートは、手料理とお風呂で私を甘やかしてきます
監査官の過保護な労働基準法。胃弱なエリートは、手料理とお風呂で私を甘やかしてきます
トントン、シャリシャリ、ゴリゴリ……。
すっかり日の落ちたポポロ村。静まり返った『セリア薬局』の奥にある調剤室では、心地よい作業音が響いていた。
「よしっ、陽薬草の抽出液と、月見大根のすりおろしエキスを……【ドラッグストア工房】で出した栄養タブレットと錬金して、と!」
セリアは白衣の袖をまくり上げ、額に滲んだ汗を拭いながら、目の前の乳鉢と格闘していた。
ニャングルが立ち上げた『三か国向け弁当宅配サービス』の特大ヒットにより、セリアの薬局には連日、山のような注文が舞い込んでいる。
前世のブラック薬局での過酷な労働とは違い、今は「自分が作った薬で、確実に誰かが健康になっている」という実感があるため、セリアは疲れを忘れて没頭していた。
「あともう少しだけ……明日のルナミス軍への納品分、徹夜で作っちゃおうかな。うふふ、なんだか楽しくなってきたわ!」
前世の社畜根性が変な方向に火を吹き、セリアが徹夜作業へのブーストを掛けようとした、その時だった。
「——却下です。今すぐその乳棒を置きなさい」
調剤室の入り口から、絶対零度のような冷ややかな声が降ってきた。
ビクッと肩を揺らして振り返ると、そこには腕を組んでこちらを睨み下ろすクロードの姿があった。
いつものように整ったプラチナブロンドの髪。だが、パリッとしたシャツとスラックス姿の彼のお腹には、なぜか可愛らしい『フリルのついたエプロン』が結ばれていた。
「えっ……ク、クロード様? そのエプロン、どうしたんですか?」
「タローマートで買ってきました。そんなことより、セリア嬢。現在の時刻をご存知ですか? 夜の23時です」
クロードはツカツカと歩み寄ると、セリアの手から乳棒と薬草を容赦なく没収した。
「ああっ! ダメですよクロード様、あと少しで明日の納品分が……!」
「納期調整はコンサルタントの仕事だと言ったはずです。ちなみに、あの強欲な猫耳商人は『労働基準法違反でこの村から永久追放する』と脅したら、大人しく算盤を抱えて帰りましたよ」
「ええっ、ニャングルさんを脅したんですか!?」
クロードは「はぁ」と深く、とても深いため息をついた。
「帝国労働基準法、第32条。労働時間は1日8時間を超えてはならない。あなたは今朝の8時から、休憩もまともに取らずに15時間もここで作業を続けている。これは明らかな法令違反であり、極めて悪質なブラック労働です。法務省の監察官として、これ以上の違法操業は決して見過ごせません」
淡々と法律を読み上げるクロードだが、その声には微かな怒りと、隠しきれない心配の色が滲んでいた。
「でも、お薬を待っている患者様や兵士さんたちが……」
「患者を救う前に、あなたが倒れてどうするんですか!」
ピシャリと放たれた強い言葉に、セリアは目を丸くした。
クロードは気まずそうに視線を逸らすと、片手でそっと胃の辺りを押さえた。
「……あなたが過労で倒れたりしたら、本国へ提出する始末書や報告書の作成で、私の胃に穴が開くのです。それに……その、なんだ。目の前で無茶をされると、非常に、気分が悪い」
後半の言葉はゴニョゴニョと小さく濁されたが、彼の耳の先がほんのりと赤く染まっているのを、セリアは見逃さなかった。
(クロード様……私のこと、すごく心配してくれてるんだ)
前世では、どれだけ残業しても「もっと働け」としか言われなかった。強制的に仕事を止められ、休むように叱られることなんて、一度もなかったのだ。
「……ごめんなさい、クロード様。私、少し夢中になりすぎていたみたいです」
セリアが素直に謝ると、クロードは少しだけ表情を和らげた。
「分かればいいんです。さぁ、手を洗って二階の居住スペースへ来なさい。夕食の準備ができています」
「えっ? 夕食って……クロード様が作ってくださったんですか!?」
「他に誰がいるんですか。さっさと来なさい」
促されるまま二階のダイニングへ向かうと、テーブルの上には湯気を立てる美味しそうな料理が並べられていた。
村の特産品である『ハニーかぼちゃ』と『肉椎茸』をふんだんに使った、濃厚で甘みのあるシチュー。そして、ふっくらと焼き上げられたパン。
「すごい……! クロード様、お料理できるんですね!」
「これくらい、一人暮らしの文官なら誰でもできます。あなたの栄養状態を改善し、明日の労働生産性を高めるための合理的な処置に過ぎません。さぁ、冷めないうちにどうぞ」
椅子を引かれ、セリアは一口シチューを口に運んだ。
「……っ! 美味しい……!」
ハニーかぼちゃの優しい甘さと、肉椎茸の深い旨味が、疲れた体に染み渡っていく。あまりの美味しさと温かさに、セリアの瞳からポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「なっ!? なぜ泣くんですか!? しまった、塩加減を間違えましたか!? ああ、胃がキリキリしてきた……!」
「ふふっ、違いますよ。あまりにも美味しくて、嬉しかっただけです。誰かが私のために温かいご飯を作って待っていてくれるなんて、本当に久しぶりだったので」
セリアが涙を拭いながら微笑むと、クロードは動きを止め、少し乱暴に頭を掻いた。
「……大げさな人だ。そんなに美味いなら、明日からも私が作りますよ。あなたに料理までさせたら、それこそ過労死しかねませんからね」
「いいんですか? 嬉しいです!」
食事が終わると、クロードはさらに信じられない言葉を口にした。
「浴室にお湯を張ってあります。温度は疲労回復に最適な40度に設定しました。昨日あなたが錬金した『極楽・入浴剤』も入れてありますから、ゆっくり浸かって筋肉の張りをほぐしてきなさい」
「お風呂の準備まで……!? クロード様、なんだか私のお母さんみたいですね!」
「誰が母親ですか! 雇用者の健康管理は法務の……もういいですから、早く入ってきなさい!」
顔を真っ赤にして怒るクロードに背中を押され、セリアは浴室へと向かった。
温かいお湯と、メントールとハーブの香りが漂う浴室は、まさに天国だった。
(クロード様ったら、いつも『法務のため』とか『胃が痛いから』って理屈をつけて、結局私のことを一番に甘やかしてくれているわ……)
湯船の中で、セリアは自分の頬が熱を帯びていくのを感じた。それは決して、お湯の温度のせいだけではない。
お風呂から上がり、パジャマ姿でリビングに戻ると、暖炉の前で本を読んでいたクロードが顔を上げた。彼はすぐに立ち上がり、温かいカモミールティーをセリアに手渡す。
「さぁ、飲んだらベッドに入りなさい。明日の営業開始は10時です。1分でも早く起きて仕事をしようとしたら、公務執行妨害で逮捕しますからね」
「ふふっ、はい。分かりました。……おやすみなさい、クロード様。今日は本当に、ありがとうございました」
セリアが満面の笑みを向けると、クロードは小さく咳払いをして、本で顔の半分を隠した。
「……おやすみなさい、セリア嬢。良い夢を」
ぽかぽかとした体と心でベッドに潜り込んだセリアは、泥のように、けれどこの上なく幸せな眠りについた。
追放された辺境の村で待っていたのは、過酷な生活などではなく。
少し不器用で、ひどく胃弱で、けれど誰よりも過保護なエリート監査官による、甘すぎる『労働基準法』に守られた至福の日常だった。
第6話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回はバチバチのバトルやざまぁはお休みして、クロードの「超過保護なオカン属性(エプロン姿)」が炸裂する日常回をお届けしました!
「帝国労働基準法」と「始末書による胃痛」を盾にして、ひたすらセリアに温かいご飯を食べさせ、お風呂に入れさせ、無理やり休ませるヒーロー。
前世でブラック企業に搾取されていたセリアにとって、これ以上の溺愛はありませんね(笑)。
少しずつ二人の距離が近づき、甘い雰囲気が漂ってきましたが……
次回、いよいよ王都側がポポロ村の異常な繁栄に気付き、不穏な動きを見せ始めます!
「クロードのエプロン姿、最高!」「こんな過保護なヒーローに甘やかされたい!」「王太子側の自滅が待ちきれない!」
と思っていただけましたら……!
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引き続き、波乱の第7話もお楽しみに!




