夙夜夢寐
「帚木慶。さっそくだが、君は死んだ」
病室の中、長髪の男は起きたばかりの少年にそう告げた。
少年に向けられた最初の言葉。少なくとも、少年の記憶の中では。
少年の肌は色素を忘れたかのように白く、体は骨の形が浮き出るほど。ふたつの制御装置は黒く、白い少年の儚さを際立たせていた。
男の腕章には、白い双翼を生やした黒い十字架の刺繍。着ているのは黒い軍服だが、ところどころにオーダーメイドの加工が入り込んでいる。金瞳の瞳孔は細く、底知れぬ風格を感じずにはいられない。ホルスターの小型光線銃はいいとして、腰の剣。机に置かれた、短距離用の銃。間違いなく近距離戦闘タイプだ。ならば黒い長髪は、きっと強さの証なのだろう。
それほどの人物の断言に、白い少年はとまどうように瞳をふるわせた。ちょうど何かの宝石のような、そんな淡い青緑の瞳だ。
混乱する少年に、男は修羅道独歩と名乗る。
そして告げたのは、ほんの数刻前のいきさつだ。
今朝がた、帚木家は爆破された。
住んでいたのは二人。
男子中学生の帚木慶と、その母親である帚木愛。ちなみに愛は離婚しており、帚木は旧姓である。
なお元夫の徒花勇気は四葩製薬の研究員だったが、数カ月前に死亡。テロに巻き込まれたとのことだ。
帚木愛・帚木慶はともに非感染者。
の、はずだった。
なのに。
「俺が駆けつけたときには……感染していた」
そう。
少年のリストバンドは。
殺生病感染者だと示す赤が浮かんでいた。
「駆けつけたときには、君のお母さんは感染していた。もっと言えば……」
そこで男は目を歪める。
数秒の沈黙。だが、意を決したかのように彼は少年の瞳を見据えた。細かった瞳孔がさらに細まっていった。
糸ほどに細くなったところで、彼は再び口を開いた。
「落ち着いて聞いてほしい。……君を、殺しかけていた。だから、執闘医である俺が殺した。……犯罪感染者であることは変わらないから」
つまり。
少年は母に殺されかけ。
母は正義の名のもとに殺され。
母を殺した者は今、少年の目の前に。
泣き叫んでも、発狂しても、暴れてもおかしくないレベルの話。
だが。
「落ち着いて、と言ったのは俺だが……、ずいぶんと大人しいな」
少年は泣き叫ばなかった。発狂しなかった。暴れなかった。
ただ、白いまぶたをふるわせた。
「――――混乱する話ってわけじゃありません。理解もできています。ただ」
きつく、きつく。
まぶたを閉じて。
布団をにぎりしめた。
布が破け、白い綿が布団からまろびでた。
こわごわと目を開け、うなだれたまま少年は唇をふるわせた。
「ないんです、記憶が。――――自分がだれなのかも、母のことも、今こうして話せている理由も。――――ぜんぶ、分からない」
記憶喪失。
そのことに、男は息をつまらせた。あの風格に満ちた瞳ですら小刻みに震えて。
だが、それも一瞬のこと。
「そうか、ならある意味ちょうどいいかもしれないな」
そう言うや否や、スマホを取り出して何やら操作。そして耳に当てた。
「修羅道だ。至急、戸籍を用意してくれ。15歳男子、出身は東京。他の情報はこっちで詰める」
おそろしく手際のいい裏工作。それまでに、どれほどの戸籍を捏造したというのか。
電話を切り、彼は少年に向き直った。
「君には、新しい戸籍と名前を与えよう。もしこれが帚木家だけを狙ったものなら、君はまた狙われるかもしれないから」
縦長の瞳孔に、男は気遣いの色をともす。けれど少年は己の体を抱えてふるえた。その顔は白を通り越して青白かった。
「……殺して、ください」
ふるえる声は小さく、けれど芯は通っていた。
「なにも、分からない。なにも、思い出せないんです……なのに……いえ、そうでなくても、誰かを犠牲にしてまで、生きていたくありません……!」
それは、あまりにも残酷な願い。
男はよろけるように後ずさった。
目を歪め、固く閉じ、歯ぎしりし、拳を固く握りしめ――――
やがて諦めたようにまぶたを開けた。
抜銃。
ホルスターから引き抜いた光線銃を、少年の眉間につきつける。
「死にたいなら、俺が責任をもって殺してやろう」
語る声は重々しく、どこか哀し気だ。目を閉じ、深呼吸し、彼は引き金を――――引かない。それどころか、銃をおろしてしまう。
「だが、その前に協力してくれないか」
ホルスターに銃をしまい、最高階級の彼は名無しの少年に跪いた。
「君の家を爆破した奴らは、まだ見つかっていない。これが帚木家を狙ったものか、あるいは連続爆破テロの幕開けか――――証拠がすべて燃え尽きた今、真相を突き止めるには君の記憶が必要かもしれないんだ。それに」
はらりと黒髪が肩から垂れ下がった。顔を歪め、彼は激情を抑えつける声音で続けた。
「できれば、殺生病感染者を殺したくはない」
道具として。
エゴイズムを満たすために。
言い訳めいた綺麗事に、少年は静かに白いシーツを握りしめた。強くなりすぎた握力にシワは深くなり、破ける音まで聞こえた始末だ。
白道優人。それが、少年の新しい名だった。
殺生病感染者の力は誰かを傷つけるためにあらず。
罪のない人々のために使え。
生きるために殺さなきゃならなくても、せめて痛みを感じさせないように。
結んだ約束を胸に殺した最初の人は、どうしようもない死刑囚だったという。
黒いマスクにも見える、嗅覚制御装置。
黒いヘッドホンのような聴覚制御装置。
首には黒いチョーカー。黒十字の技術が詰まったそれは、黒十字の監督下にある殺生病感染者だという証である。
そんなアイテムを身に着けた優人は翌日、黒十字学園の中等部にいた。白い彼に視線が集まって、なぜか逃げ出したい衝動に駆られて白いまつげが震えた。テストを解く間も、合間の休憩時間も。
流れが変わったのは、ある女子が笑いかけたからだろう。
「あ、あの……」
遠慮がちな声と金色の三つ編みを、今でも優人は思い出せる。茶色い瞳の彼女は、その名を飛火入蛍といった。
「もし、よかったら、なんだけど……その、このあと……い、一緒に勉強会、とか……えっと、私の友達、もいる……んだけど」
いじらしい小さな動きに合わせて、2本の三つ編みが蛍光灯の明かりにきらきらと輝くようだった。身じろぎで生まれた風に、リボンがふんわりとそよぐ。
願ってもない誘い。
「――ありがとう」
――けど。
静かに、身体の奥が冷えたような錯覚があった。
編入初日で、隠してはいるけど記憶喪失。しかも、他と違うこんな見た目の自分が勉強会に混ざってしまったら。
「――迷惑、じゃ」
空気が揺れた。
答えたのは蛍ではなかった。
「嫌なら誘ってないっての。そうだろ、蛍」
フレンドリーな男子。クラスの中じゃいちばん鍛えていそうだな、というのは初見の感想だ。たぶんルームメイトだから同席したいという彼は、草陰守人という名前だった。
その勉強会はもともと、蛍と彼女の親友とで開く予定だったらしい。先に来ていた蛍の親友、金色の瞳の女子が不審そうに眉を寄せた。
蛍と話し込む姿に、優人が背を向けたのは言うまでもない。
自分なんて。
「待ちなさいよ」
腕が掴まれた。
意志の強さを感じさせる目が、優人をとらえて離さない。
「私は星垂つぐみ。あなたたち、蛍の招待なんでしょ。なら追い出す理由なんてないわよ」
勉強会、というのは名ばかりだったかもしれない。テスト範囲を勉強していたのは優人と守人だけで、女子2人はなにやら盛り上がっていた。聞けば、論文コンテストのプレゼン対策なのだという。
守人は英語が苦手らしい。いわく、海外は壊滅状態なんだからやる意味ないだろとのこと。
それに、とつけ加えたのは修羅道独歩のことだ。なんでも、連合軍の艦隊をたった一人で退かせたのだという。文字どおり海を走って、砲弾を細切れにして、しまいには先頭の船に乗り込んで。
そのときの動画がネットで出回っているから、外人はビビッて近づきもしないという。
だが。
つぐみは修羅道独歩の名に顔をしかめていた。彼のことは嫌いなのだと言って。
「あの人、髪を染めてるじゃない。最高階級の執闘医がそんなことするなんて、まるで黒十字は黒髪でなければいけないって言ってるようなものだわ」
考えてもみなかった。
というより、気づかなかった。上品な香でもまとっているかのようではあったけれど、そういう人工的な香りなんてなかったから。跪かれたときだって、髪の付け根まで見たわけではない。
批判しようとして蛍の言葉が止まった。自分の金髪をさわる彼女の手つきに、守人まで何も言えない顔になる。なんとなく、優人も自分の白い髪にふれていた。
「髪色で差別とか、バカみたい」
つぐみが金色の目をゆがめるのが、なぜか頭に残っていた。
それでも帰り道は四人だった。
商店街は活気だって、途中で文房具屋に立ち寄っても怒られない。むしろ大歓迎といったふうだった。
気に入ったのはミント色の表紙のノートだ。いちばんページ数が多かった。
「あら、一冊で足りるの? 授業数、けっこう多いわよ」
「日記にしたくて。――――思い出を忘れたくないから」
編入初日。商店街の思い出はそれだけじゃない。
あの肉屋でコロッケをプレゼントされた。まだ試作段階の、殺生病感染者の味覚でも食べられるもの。
とても温かかった。包みごしのぬくもりと、頭を出す衣から立ち上る湯気が。あのまま、何も考えずかぶりつけていたら。
とはいえ、商店街のにおいは。
肉屋からはこもった油のにおいと、奥から血なまぐささ。
魚屋からは沼っぽさをまとった生臭さ。
八百屋からはシンプルに青臭さ。
行きかう人々の汗のにおい。
この中で何かを食べることなんて。
持ち帰り仕様にすべきだ、そう店主にアドバイスしていたのは守人だった。
そんな守人を。
その後ろでうなずく蛍と、「言われてみれば」と呟くつぐみを。
見て、優人の口からこぼれたのは。
「この四人で、いつか揚げたてを食べたい」
そんなささやかな願いだった。
そして守人は、やっぱりルームメイトだった。荷ほどきを手伝ってくれて、荷物の少なさに驚いていた。
そして当然、「ロッカールーム」でも隣にいてくれた。
「おれたちが殺すのは疑いようのない凶悪犯だ。そういうのを選んでここに並べてんだよ、黒十字は」
ひどい言葉だ。凶悪犯なら殺していいなんて。
けれど、その言葉が背中を押したのも事実であってしまう。
生きるために殺さなきゃならなくても、せめて痛みを感じさせないように。
首を絞めた指の跡は、これ以上ないくらいくっきりとしていた。せめて、殺してしまった命に合掌するしかできなかった。
そう、惨殺じゃなかった。あのときはまだ。
地下から一階へ。階段をのぼりきって、ふと守人がエントランスを眺めた。
「……昨日、七夕だったろ。あそこに大量の竹があったんだよ、今日の朝まで」
なら、きっと学校に行っている間に片づけられたのだろう。寮についた時から竹はおろか、笹の葉の一枚さえ見当たらなかったのだから。
「もう日付は変わっちまったけどさ。お前なら何を願ってたんだろうな」
「――――さぁ?」
それだけしか答えられなかった。
だって、なにかを願うことなんて。
「――――願い事は、口にしたら叶わなくなる」
ふとそんな言葉がこぼれたのは、なぜだったのだろう。
「マジレスかよ。身もふたもないこと言うなって」
そんな返事が、なぜか遠く感じた。
殺すんじゃなくて、殺されたかった。
ただ、楽になりたかった。
きっとそんな願いがその日の夜、聴覚制御装置を外させたのだろう。
日記を書き終えた後だった。メモしたかぎりの情報と、憶えているかぎりの感情をしたためて眠るまでの流れに組み込まれた動き。
些細な音ですら音響爆弾に変わった。
そんな世界に静寂をかぶせたのは守人だった。
聴覚制御装置で優人の耳をおさえ込んで、そのまま脱力するように項垂れていた。
「……頼むから、もうこれ以上……おれに、ルームメイトを殺させないでくれ……!」
あの言葉の裏には何人の命があったんだろう。
きっと、それを尋ねることだって難しくはなかった。それでも選んだのはその未来じゃない。
「約束するよ――守人くんにはぼくを殺させないって。その代わり、守人くんも約束してほしい――もし、ぼくが記憶を失ってしまったら」
商店街の文房具屋で買った何の変哲もない1冊で、だけど白道優人にとってはこれが自分のすべてで。
「――ぜんぶ、忘れてしまったら。そう、なってしまったら――この日記の存在を、『ぼく』に教えてくれるって」
守人なら、託せると思ったから。
託せなくなるなんて、予想もしてなかったから。




