記憶
満開の桜並木。
枝を伸ばして向かいの桜木と花を重ね合うから、天然のアーチにすら見える。天花が感嘆するのもうなずける。
しっかし、と瀬戸が優人に視線を送ってきた。
「天さまはまぁいいとして、ユウはなんでそんな珍しげなんだよ。ツグなんて、あんな堂々としてんのに」
「別に、そんな珍しげなんて――この辺の桜を見るのは今日が初めてってだけだよ。この前まで咲いてなかったし、学園に来たのは去年の夏だったから」
これは隠さなくてもいいことだ。どうせ編入の時期など、普通に調べるだけで充分バレる。あえて隠すほうが不自然というものだろう。そんなことで怪しまれると面倒だ。
ふーん、と呟く瀬戸。少し離れたところで踏切が、ゆっくり閉じていくのが見えた。同時につぐみが立ち止まる。
「ん、どーしたよツグ」
かけられた声に、金色の瞳が決まり悪くそらされる。
そういえば瀬戸も、天花と同じく移籍組だったっけ。別の分校から東京校に来た生徒。なら知らなくて当然か。
「つぐみは耳がよすぎるんだ。だから制御装置の効果が最大でも、大きい音や強いにおいは苦手ってわけ」
「へー。じゃあ五感がよかったんだな、感染前から」
などと話しているうちに、電車は過ぎ去ったらしい。ひとあし早く踏切手前にいた天花が、近づく三人を見つけて手を振ってきた。
「電車、なんと五車両! さすがは都会」
ここへ来て初めて見せる無邪気さに、つぐみの目元も柔らかくなる。
「これでも少ないほうよ。朝と夕方には七車両に増えるんだから。」
マジかよ、と目を剥いたのは瀬戸だ。
「話に聞いちゃいたけど、やっぱ人多いんだな。だから電車も長いし」
コツン、と足元の金属を蹴りとばす。
「機関銃の弾やら戦車の跡やらが残ってんのか」
先端の潰れたそれは、何の抵抗もできずに道路を転がって見えなくなる。うしろから近づいていた車が四人を追い越して、新しい跡をまた刻んだ。
「あら、まだ残ってたのね。この辺はもう片付けられたと思ってたけど」
少し目を見開いたのはつぐみだ。
「あの辺から流れてきたのかしら」
指差すのは離れたところのビルだ。ただし、正確には崩れかけている。
「うわ、ひでーな。爆弾か?」
「ええ、今も執闘医のみなさんが頑張ってくださってるらしいわ。この町も、そのお陰で落ち着いたんだから。商店街もあるのよ」
商店街、という単語に目を輝かせているのは天花だ。
「寮の近くの?」
まあ、当然知っているか。なにしろ学園と寮をつなぐ道中にあるのだから。
「そうだよ。あそこは回診も充実しているから、この町でも屈指の」
言葉が止まる。
黒服の大人が三人、こちらに来たからだ。
一人は腰に剣。具体的には高周波ブレード。
残りはそれに加え、銃を二丁も装備している。とはいえ実弾銃は片方。――まぁ、もう片方がえげつないのだが。
四人の目に緊張が走る。
そして。
優人は。
天下は。
つぐみは。
瀬戸は。
そろって敬礼した。
「お、新入生か?」
口火を切ったのは、剣しか持っていない大人だった。首もとで優人たちとおそろいのチョーカーが揺れ、淡い音と香りがはじける。
「こら、職務中だぞ。回診中なら基本、猟犬の単独行動は未登録感染者を感知したときのみ……もう忘れたのか?」
「いーじゃないすか、先輩。……待ってその制服、もしかして天花ちゃん? あの?」
背後からの制止などまるで無視。「まったく、井上の言うことは聞くのに……君らはこういう大人になるなよー」と、諦めに満ちた声が虚しく響いた。
期待にあふれた眼差しに、天花は微笑んだまま会釈する。
「特待生、高嶺天花と申します。以後お見知りおきを、常時さん」
「おー、よろしく……って」
そこで、常時さんと呼ばれたほうはピシリと固まる。
「あれ、初対面だよね。なんで俺の名前……。幹部でもないのに」
「黒十字東京支部のホームページを見ました。そこで執闘医の一覧を眺めたので覚えています、執闘医・猟犬、階級・力天使・常時明男さん」
そして残る二人へ、順番に目を合わせていく。
まずは、さっき常時を注意していた方だ。
「執闘医、階級・権天使。忠実律さん」
ぎょっとする忠実をおいて、今度は自販機よりずっと背が高そうな方に向き直る。
「執闘医、階級・主天使。井上《いのうえ》麗王さん」
執闘医三人組と別れて、最初に沈黙を破ったのは瀬戸だった。
もう路地は抜けて、商店街を歩いていたところだ。
沈黙の間、天花は目を輝かせていた。
瀬戸は歩きながら品々を物色していた。
つぐみは重なるにおいと音に、目元をしかめていた。
優人は目を伏せていた。
そんな沈黙を、我先に瀬戸が破ったのである。
「全問正解かよ……ヤバすぎだろ、記憶力」
「すごいわね」
二人の褒め言葉に、天花はまた人形のような笑みになる。
「そんなことない」
「そんなことあるっての。いい加減、自分が天才だってことに気づけ。ユウもそう思うだろ?」
「ぼくは」
足が止まる。
「――――天花。きみは、例えば九ヶ月以上前のことも覚えているの?」
さっきみたいな芸当、相当記憶力がなければ。一覧を「眺めた」だけで、初対面で所属と階級と名前を当てるなど。しかも三人も。
果たして、天花は。
「覚えてる。今は午後一時をちょっとすぎた頃。なら九ヶ月前のこの時間、私は授業を受けてた。『源氏物語』、帚木。」
一瞬、心臓が痛いくらい冷えた心地。
瀬戸の口笛の音も、
「さすが天さま! 俺だって何時間めに受けたかなんて覚えてねーよ」
ちゃかす声も、
「本当だったのね、分校が違っても授業内容は同じって」
驚くつぐみの声も。すべてが遠い。
――――そうだ。
帚木、なんて今は関係ない。白道優人には。
いつの間にか握りしめていた両手をゆるくほどいたとき、ひときわ大きな声が聞こえた。
「おーい、そこの新入生四人! 揚げたてのコロッケはいらんかね? ってか奢りだ持ってけ!」
ふつうのマスクごしに大声で呼び込みながら手を振ってくるのは、肉屋の店主だ。
「ちょうど完成したんだよ、猟犬のみなさんでも食べられるやつが。常時さんのお墨付きだ」
そう言って、返事も待たずに包んでいく。まさに匠の技。
「もちろん、テイクアウトOKだ。だから、嬢ちゃんも寮でおいしく食べられるぞ」
持ってけ、と叫んだわりに手渡す手つきは優しい。優人に、つぐみに手渡して、彼は瀬戸と天花を見比べた。
「見ない顔だな。東京は初めてか?」
何気ない問いかけに、歩み出たのは瀬戸のほうだった。
「俺ら、中等部は地元だったんですよ。だから東京のこと、いろいろ知りたくて。観光地とかここの人のこととか、あと地元裏話的なやつとか」
「そうか、なら地元裏話をひとつ」
言いながら店主は、コロッケを瀬戸に差し出す。
「この商店街は、受け取るのが正義さ! 善意も試食もそのお礼も、受け取ってこそ価値がある! ってことで」
商店街のイメージソングにでもなりそうなことを言いきって、彼は天花にも包みを差し出した。
「遠慮してる嬢ちゃんも、もらってくれ。タダでってので気が引けるなら、お代は感想を教えてくれや」
ついに受け取ってお礼を言う天花に瀬戸も続く。
「サンキュー、おっさん。黒十字の人御用達なら楽しみだぜ。……そういや、常時さんだっけ? その人偉いのか?」
「さあ? 階級は聞いたことないし、その辺は知らんけど。でも、よくこの辺もパトロールしに来てくれるよ」
二種類の新しい香りに、優人は手元のコロッケを眺めた。
包みの香り。
隠しきれない、コロッケの香り。
しかもご丁寧なことに、香りからしてコロッケは二種類。
優人・つぐみの猟犬候補生ペアにはそれぞれ、香りのうすいものを。
天花・瀬戸の非感染者ペアにはそれぞれ、普通のコロッケを。
それにしても、コロッケか。
帰りがけに、四人で。
そのうち一人は、あの頃と同じメンバーで。
それに持ち帰り用の包みまで。
包みから、揚げたての熱がじんわりと伝わる。この様子なら、寮の食堂に着くまでサクサク感はなくならないだろう。とはいえ冷たくはなるだろうから、温かいのを食べたければうまくリベイクする必要があるが。
ふと、天花に目がとまる。
あの様子なら、見たものはすべて記憶していてもおかしくはない。
ならば。
「天花、きみはすべてを覚えていられるの? 例えば音とか香りとか、それこそコロッケの温かさとか」
雲ひとつない青空の下、天花は立ち止まる。微笑みは変わらず、その瞳は揺らがない。
「うん。忘れない。絶対」
なら。
包みを持つ手に伝わる熱も。
二人の間をすり抜ける風も。
瀬戸の乾いた笑い声も。
つぐみが絶句する息づかいも。
白道優人の存在も。
すべて覚えていてくれるということか。
優人の肩から力が抜ける。唇の隙間から小さく相槌がもれて、風にさらわれていく。
決して忘れないというのなら。
「うらやましいな」




