そして、4人になっていく。
天花が離れたのは、どうやら着替えるためだったらしい。聞けば、たまたま予備を持ってきていたのだという。
「入学式、ほつれた制服で出たくないから」
黒十字学園は全国に分校がある。
だからこういう大型行事のときは、主役となる学年の全国首席がいる分校を本会場と設定するのが慣例だ。生徒代表挨拶も来賓が来るのもその分校。この間の中等部卒業式は天花のいた分校から中継が入った。まぁ、全教科満点の特待生なのだから当然だが。
だから今回は東京校が本会場になるだろう。
誰もがそう思っていた。
のだが。
天花は代表じゃなかった。
代表挨拶をしたのは高嶺空花という女子だ。
ジャガイモのような顔に眼鏡がめりこんでいた。
白い制服は、西洋の男性貴族のようなデザインに変えられていた。
「……以上をもちまして、代表挨拶とさせていただきます。新入生代表、内務科特待生・高嶺空花」
結びはそれだけだった。「内務科特待生」と強調する低く濁った声と、東京校学長の肩がわずかに揺れたことが優人の印象に残っている。
そんなわけだから天花が放課後、嫌味な顔のクラスメイトに囲まれるのは必然だったのかもしれない。
「空花さんって、天花さんの双子でしょ」
決めつけるような響きの問いに、天花がうなずいて「私が妹」と答えたのがはじまりだったのだろう。
「すごいね、お姉さん! 内務科って、執闘科より頭いいとこじゃん」
「でもなんで天花さんも内務科に行かなかったの? 論文、大賞まで取ったんでしょ?」
「もしかして、内務科には入れるけど特待生は無理レベルとか?」
「えー、じゃあ出涸らしってこと?」
他のクラスメイトのほとんどは見て見ぬふり。
つぐみは、猟犬候補生たちからの謝罪を捌いている。
瀬戸にいたっては「おーおー、始まった始まった」と高みの見物を決め込んでいるしまつだ。
太陽は高く昇って、気温も朝より高い。好き勝手言っている連中も言葉に熱がこもって、盛り上がっては笑い声を立てている。熱心というか、夢中らしい。たとえば、優人がすぐ近くまで迫ったのに気づかないくらいに。
「……で、レベルを落としてまで特待生にしがみついている……と」
「驚いたよ、こんなにレベルが低いなんて」
優人の感想に、天花の方を見ていた1人が相槌を打った。
「だよな……って」
ひ、と怯える音。白い悪魔、と不名誉な二つ名を口にするクラスメイトに、さっきまで天花を馬鹿にしていた生徒たちが優人の方を見た。
ひとり、またひとりと後ずさっていくから、天花との間に道ができる。我先にといった様子の足音と衣擦れの音があけた空間、その先で天花は
微笑んでいた。人形のように。
――――平気な、わけ。
白いまつげがふるえる。瞼の動くまま優人は目を閉じ、また開けた。
最初に目に入ったのは人形を思わせる天花。
顔を上げれば、怯えを隠せずとも嘲笑うような顔の面々。横のほうで、誰かが馬鹿にした音の笑いを立てた。
「やっぱり、白い悪魔だって本当は」
その代弁者気取りを優人は流し目で睨む。
「誤解しているみたいだから言うけど、ぼくは別に天花のレベルが低いとは思っていない。思うわけがない」
野太くはないものの、声は少しずつ低くなっていく。
「自分たちのことを棚に上げて天花を見下している、その程度の精神レベルに驚いたっていうだけ。一緒にしないでくれるかな」
蜘蛛の子を散らすようだった。あとに残ったのは、優人の他には天花だけ。去っていく面々に笑顔で手を振る様子は相変わらずである。
教室の、廊下の、外のざわめき。
命からがら、といった息遣い。
近づいて来る拍手と足音。
「やるじゃん、ユウ」
瞳孔を細めてにやついているのは瀬戸だ。つぐみも遠慮がちについてきている。こちらは拍手までしてないものの、優人を怖がっている様子というわけではない。
手を止め、瀬戸はどこまでも軽い仕草で優人に赤い瞳を向けた。
「さすが、俺の派手髪仲間」
「派手髪……って」
瀬戸に悪気なんてない、そんなことは優人にも何となく分かる。それでも、無意識のうちに彼の指先は真っ白な髪をつまんでいた。そんな優人を、天花は微笑んだまま見つめながら首を傾げた。
「天使みたいで、いいと思う。優人の外見」
言っているそばから濡羽色のツインテールがはらりと風に揺れる。誰かが開けたままの窓から流れ込むのは本物の桜の香り。天花は、瀬戸は香りに気づいただろうか。嗅覚制御装置をつけたつぐみは。
音もなく目を閉じる優人の横で、つぐみの瞳が天花をそっと映した。微笑む天花を見て、彼女は言いにくそうに口を開く。
「あの、高……天花。その……、ごめんなさい。さっき、何もできなくて」
「気にしてない」
気を使った、というわけではないだろう。表情も言い方も通常運転なのだから。
優人が目を開けたときには、塩らしさなどつぐみの顔からなくなっていた。
「ところで、今朝のことだけど。もしかして、心当たりって」
「姉」
ずいぶんと簡潔な答え合わせだ。瀬戸も目を丸くしている。
「前から末っ子タイプだと思ってたけど、お姉さんがいたとはな。しかも双子なんて。なんで黙ってたんだ?」
「必要ないから。けど」
人形のような微笑みは変わらない。制服の内ポケットからスマホを取り出して、天花は窓へと視線を送った。
「今回は協力してもらう」
「そ、そうか……」
目を丸くした瀬戸が、ふと彼女のスマホに目をとめる。
「にしても天さま、スマホケースかえたのか? 前は飾り気のないクリアケースだったのに」
「前の、劣化した」
と答えて内ポケットにしまうスマホは、どう見てもクリアケースとは縁遠い。淡いピンクを貴重とした、かわいい系のものである。
そう、クリアケースとは縁遠い。
瀬戸も同じことを思ったのだろう。
「いや、でも意外っていうか」
「劣化した」
有無を言わさぬ笑顔。
「いいんじゃないかしら」
フォローを入れたのはつぐみだ。
「ゆめかわって感じでかわいいし、合ってると思うわよ」
確かに、優人が見ても悪趣味といったレベルではない。一歩まちがえれば子どもっぽかったりゴテゴテな印象を与えたりしそうなものなのに、そんなものは一切感じないのだから不思議だ。
まじまじと見つめる優人を、つぐみの金瞳が映しだした。
「ね、白道くん」
同意を求める声。普通ならここでうなずき、そのかわいらしさを大なり小なり誉めるところなのだろう。
だが、優人はうなずかない。
「ぼくの審美眼は絶対ってわけじゃないけど」
代わりにそう前置きしてから、ゆったりと天花に視線を戻す。
「悪趣味だとは思わないよ」
言われた天花は得意気だ。微笑みをいっそう深め、「作った甲斐があった」などと、とんでもないことをさらりと言って。
どこを、どの瞬間を切り取っても上品な仕草でスマホをいちどしまう。
そうやってから、優人とつぐみを交互に見た。
「優人。つぐみ。私のお友達になって」
鈴を転がすような声が教室中に響いて、壁にぶつかり跳ね返る。
何人かの生徒が、こぞってこちらに不躾な視線をくれる気配。遠巻きにざわつく声が、ここまではっきりと聞こえてくる。
それほどのことなのだ。特待生のほうから「友達になって」と声をかけてくるのは。
優人にすら、その特別さが分かる。
――――――――――だからこそ。
つぐみも優人と同じ意見だったらしい。
「気持ちは嬉しいわ。……けど」
はらり、軽く腕をまくる。そしてリストバンドを見せつけるように手首をかかげた。
赤に染まって久しいリストバンドを。
「このとおり、私も白道くんも殺生病感染者よ。友達、なんて。今はよくても、いつか……」
声はだんだん小さくなって、最後のほうなど最早ささやきだ。なのに、こんなにも重い。
教室は、決して湿度が高いわけじゃない。窓から入り込む風は、温かく乾いている感触。余分な水分は外で蒸発して、そのまま置き去りだ。
なのにここだけ。この空間だけが妙に湿っぽい。
そんな嫌な湿気を、見物していた瀬戸が片手で払う。
「天さま、そーゆーの気にしねーぞ。地元の分校でも赤青関係なく接してたし。ってか」
瞬間、表情が変わる。
それまでの軽さはどこへやら、目には険。暴露計画を立てたときと同じような顔で、拳を握りしめる。
「黒十字は、感染者を救う組織なんだろ。……役割は違っても、感染の有無だけで差別も上下間系もないんじゃねーのかよ……っ!」
「それは……、そう、だけど」
けど、感染者がへりくだる分には。
とでも言いたげな目で、けれどつぐみは言葉を押さえ込んだらしい。
賢明な判断だ。
もし、言ってしまえば。
感染者だから差別されるのは当たり前、そんなひどい意思表示となるのだから。
代わりに彼女は、金の両目に自嘲の陰を落とす。
「……わたしは、不正に見て見ぬふりをした卑怯者よ。そんな『親友堕とし』なんか……、あなたに、ふさわしくない」
最後は消え入るような声だ。感染者の能力を持たずとも、きっと声のふるえは感じ取れるだろう。むしろ、一言一句を違えず聞き取るのが難しいレベルかもしれない。
つぐみはそれきり黙りこんで、静かに顔を伏せる。十字架型の鈴が、今日の音をひっそりと立てた。
顔の下半分を嗅覚制御装置が、耳元を聴覚制御装置がそれぞれ隠すから、表情の全体は見えない。それでも、目元は泣きそうに歪んでいるのが分かる。
天花のせいじゃない。あれはきっと、自戒。
ふと優人は、自分の右手に視線を落とした。
頭のなかで蛍が。
そしてかつてのルームメイトが。
さらに、数えきれない囚人までも。
今まで殺してきた人々の最期の姿が浮かんでは消えていく。
同じ傷をなぞる血の染み、あるいは傷そのものを刻む体。
もれなく血を吐いて、ほとんどが苦痛に顔を歪めきったまま逝っていた。
ああ、でも。
一人だけ、安らかな顔で眠った人がいたな。
忘れられない、忘れないであろう顔。
目を閉じ、優人は天花を見据える。
天花はすでに優人を見ていた。
視線を真っ向から受け止め、優人はただ述べる。
「惨殺、だった」
もう、手はいつもの感触がよみがえって消えない。そんな右手を固く握り、優人は言葉を続ける。
「内臓をぐちゃぐちゃにした。腸は細切れだったし、心臓は握りつぶした。本当はそこまでする必要ないのに、ぼくはいつもそうやって殺してきた。――――蛍も、最初のルームメイトも」
思い出されるのは内臓の色だ。細かい色の違いは種類の差なんだろう。けれど、どれがどれだか分からない程度には混ぜ合わせてしまっていた。
「そんな『白い悪魔』と、きみは仲良くなりたいっていうの?」
つとめて、無感情。震えなど微塵もない声だ。瞳が震えていることなど、ましてや目元が歪んでいるなど。
そんなの、心ある人間のやることだ。
二人分の主張を、天花は遮らなかった。むしろ優人の問いかけ後も、何秒か音を立てなかったくらいだ。そんなことをせずとも、優人からは以上だというのに。
天花は微笑んだまま、そっと胸元に手を当てた。
「二人のこと、よく分かった。その上で」
つぐみを見る。
優人を見る。
混じりけのない眼差しで。
「やっぱり、お友達になってほしい。二人とも」
――なんで。
「どうして――」
呆然と呟く優人に、天花は微笑みを崩さない。瞳のひとつすら揺らぎなく、ただ胸元から手を下ろす。
「理由なんて必要ない。強いて言えば、優しくて正しい人だと思ったから」
そのまま、彼女は視線を合わせていく。
まずはつぐみに。
「例えば実力を認めた上で、特待生にすら忖度なく自分の正論を言えるくらいに」
そして優人に。
「例えば誰かのために怒って、見て見ぬふりはしないくらいに」
それもまた、二人の一面なのだと。
卑怯で残酷な過去を知って、それでもなお。
じわり、つぐみの瞳に涙が浮かぶ。口元は見えないが、少なくとも目元は綻ばせて。
じわり、胸の奥が熱くなる錯覚が優人にもこみ上げてくる。こんなに熱いのはいつ以来か。
「ずるいな、きみは」
小さく呟いて、優人は天花に視線を合わせた。
「そんなふうに言われたら、断れるわけない」




