ふるえ
とはいえ天花だって、ハンバーグが洋食ということくらい知っている。
「別にお箸じゃなくても」
カトラリーを使えば、右手なんて最低限のナイフ捌きだけでいいのだから。
瀬戸が「そういえば」と切り出したのは、食堂を出てしばらく経ったころだった。
「この後は講堂集合だっけ? たしか、猟犬候補生もだったよな」
「うん。自由席」
だから人の流れも一方通行だ。そうと決まっているわけじゃないのに、黒い夏服の生徒で流れができている。猟犬候補生もいるのは、彼ら専用の食堂も通り過ぎたから。それでも受験教室が違った人も含めて、天花の知らない顔ばかりだ。
「どうしたよ、天さま。ユウでも探してんのか?」
「? 別に私は」
言葉が途切れる。
ここは廊下。なんの変哲もない、ただの廊下だ。
上級生フロアとはいえ、学園の敷地なら四月のうちに踏破した。廊下も教室も、1年生フロアと変わらないのは確認済みである。
だから面白みなんてない。変わるものがあるとすれば、窓から見える街の景色と空模様くらいだろう。ここは外の銃声も入らない。
なのに、なぜ天花は辺りを見渡していたのか。
知り合いがいたとしても、それで合否が決まるわけじゃないのに。
講堂を広く感じるのは、全校生徒を集めたわけじゃないからだろう。執闘科の1年生全員より、ここにいる人数は少ないように天花の目に映って仕方がない。
そのせいか、モニターからの声もずっとよく通る。
「執闘医の使命はただひとつ、罪なき命の保護だ。だからこそ、善良なる一般市民の方々をお守りすることが最優先となる」
修羅道医長の言葉は淀みない。
しかもいい感じのところで程よく間をおいて、ゆったりと天花たちを見渡すのだ。おかげで瀬戸ですら、真顔でモニターを見て微動だにしない。
「未来まで見据え、より多くの命を守ること。これが何を置いても最優先されると胸に刻むように」
締めくくりの言葉を、天花が忘れることはない。
それは手に入れた記憶力の所為でしかないが、そうでなかったとしたら。
忘れていただろうか。
NO SIGNAL――信号ナシ。
司会の教師によるアナウンスで、背の高い執闘医が壇上にあがる。さすがに天花の位置からでは、顔の造形など分かりようもないが。かろうじて分かることといえば、パソコンか何かを持っているらしいということだけ。
「それでは、実技試験のルールを説明する」
マイクいらずの声を張り上げ、彼は手元の端末をいじり始めた。
ややあって、黒一色に無機質な文字だったモニターが白く光る。
「試験内容は模擬回診だ。受験者4、執闘医1で1グループとなり、実際に街を回診してもらう。なお、グループ分けは受験票記載のとおりだ」
モニターに出るのは執闘医の名前だ。どれも下位三位の面々で、権天使多めである。
試験総監督らしき教師は一同を見渡し、
「こちらで安全と判断した犯罪感染者を、これから街に放つ」
聞き捨てならないことを言ってのけた。
――――――犯罪感染者を、放し飼い?
「そんな、こと」
今は沈黙すべき時間、そう分かっていても声がもれてしまう。
躊躇なく殴りかかってくる腕。
飛び散った鮮血。
のしかかる重みと、生温かく汗ばんだ皮膚。
あの荒く湿度の高い息遣い。
あんなのが、解き放たれてしまったら――――――!
四方からも、疑いと拒絶の声は途切れない。
青いリストバンドの上級生が眉をひそめ、顔を見合せ、ささやき合う。
「街に被害が出たら…………!」
「試験考えたやつ、馬鹿だろ!」
「あいつらに性善説なんて、通じるわけない」
何も言わなかった非感染者生徒なんて、瀬戸くらいなものだろう。
それでも両手は固く握られ、拳は小刻みに震えている。燃えるような瞳だって、ただでさえ細い瞳孔が糸みたいに引き絞られていた。
黙ったままの猟犬候補生たちも、壇上から顔を背けている。いや、黙っているという表現すら生易しすぎるか。
圧倒的なまでの拒絶。
それを、壇上の教師は
「――――――やかましい」
呟きひとつで一蹴した。
息を詰める面々を見渡し、言い放つ。
「今文句を言った者、反論を頭に少しでも浮かべた者――――――貴様らは失格だ。即刻立ち去れ。学園生徒ならば、後で退学届を提出しておくように」
空気が凍る、なんてもんじゃない。
今度こそ、誰もが言葉を失っていた。
それほどの衝撃。天花でさえ意味するところを思い出すのに数秒かけてしまうほど、宣告は理解から遠いところにあった。
底冷えしゆく講堂に、ひぐらしの羽音が虚しく響く。人の世の沈黙を破ったのは
「――――――というのは冗談だが」
どこか無感情な声だった。
「犯罪感染者を放つというのは本当だ。彼らの半数には『感染させられた善良なる一般市民の方々』を演じてもらう」
モニターの半分に青背景の人の姿が映る。
無害そうな顔を頑張って浮かべているのだろう。だが天花の目には、薄っぺらい仮面にしか映らない。
今さら何をしたところで、彼らは所詮
「もう半分は」
壇上の声が天花の思考を割った。
「『犯罪感染者』だ」
モニターのもう半分をうめるのは、赤背景の人の顔。こちらは開き直ったのか、いかにも悪そうな顔である。
「14時からの3時間で、グループごとに回診をしてもらう。あくまで実務試験なので、天使や大天使になったつもりで取り組むように。なお、本科目の報告レポートは明日の正午〆切となるから忘れないこと」
…………つまり、「感染させられた善良なる一般市民の方々」を助けて「犯罪感染者」を無力化する試験。
現職の猟犬を駆り出せば、きっと本来の仕事が回らなくなるやつだ。だからこその大抜擢。
頭でどうにか理解して――――――それだけだ。
納得などできるものか。
遠くで教師の声が響いた。
「以上で概要説明を終了とする。各自受験票を確認後、グループの指定場所に向かうように。ちなみに、指定場所は受験票のQRコードから見ることができる」
「井上グループ…………瀬戸は?」
読み取って、天花は瀬戸へ視線を投げた。
「え、あー」
右手のスマホから顔を上げ、瀬戸は左手でVサインをつくる。
「俺もだ。指定場所は校門前らしい」




