旧知の仲
けれど。
覚えているかぎりの姉の言葉を思い出し、天花は目を伏せた。
つぐみも、鞄の取っ手が悲鳴をあげるほどにきつく握りこんでいる。
「シスコン? それこそありえないわね。話したことはあるけど、あの人天花の名前すら間違えてたし」
「たぶん、改名したから」
擁護したいわけじゃない。
けれど、理由は天花の口をついて出る。
「読み方、変えた」
歩く四人を、別の生徒が追いこしていく。多少の水たまりなら踏み抜き上等なのか、地面など見ようともしない。
優人が天花を引き寄せる——直後、薄っぺらい音を立てて水しぶきが飛んだ。天花の足すれすれに落ちて、けれど靴を汚しはしない。
ありがとう、と視線を合わせる天花に優人はただ淡く笑みを浮かべる。
同じだ。
誕生日祝いのお礼を言ったときの表情と。
もちろん、よく見れば細かい差分はあるけれど。それでも、醸し出される雰囲気はあのときを想わせてくれる。
そんな傍らの二人を置いて、補足するのは瀬戸だった。
「去年までは『てんか』読みだったんだよ。けど東京校に移るついでに『てんげ』読みにしたらしくて」
「よく通ったわね……。キラキラネームってわけでもないのに」
嘆息するつぐみに、瀬戸は「あー」と頭をかいた。指の動きに合わせて、あざやかな赤い髪がわしゃわしゃと乱れていく。
「なんかフリーパスだったって聞いたぜ。なんでも、黒十字学園の特待生なら問題ないだろうとか」
改名でフリーパス。
あまりにも無茶苦茶で荒唐無稽。けれど「黒十字学園の特待生だから」というパワーワードに、つぐみも「なるほどね」とつぶやいた。
「そりゃ問題なく通るわよね」
「なんでだよ……ハッ、まさか賄r」
「しばくわよ」
こぼして、つぐみは耳を塞ぐ。
なんのことはない。あと数メートルくらいのところで遮断機がおりはじめただけだ。
迫り来る電車の音に、優人がつぐみの方を見た。そして瀬戸の方も。
「改名が難しいのは犯罪防止——けど天花は罪の対極にいるからね」
短くて、けれど本質をつく言葉。
電車はうなりをあげて目の前を横切り、音を道連れに去っていく。ぼんやりと眺めるだけの天花をおいて、瀬戸が上がった遮断機をくぐり抜けた。
「ふーん、そんな裏事情が……。やっぱ面倒だなこの国」
面倒。
たしかにそうかもしれない。
けれど、と天花は辺りを見渡す。
アスファルトの戦闘痕なんて、どれも風化していそうなものばかりだ。少なくとも一年、なんなら五年以上たっているのが平均かもしれない。
いくら耳を澄ませても、銃声の音すら聞こえない。ときおり乾いた音は響くけれど、あれは畑の鳥避けだ。いくら鳥は騙せても、天花の耳はごまかせない。
それに、最近ではテロの話も聞かないのだから。今だってパトロール中の執闘医たちが見えるだけで、そのメンバーの階級も下位三位ばかりだ。つまり、人員など割かなくてもということ。
きっと、着実にこの国は平和になってきている。
犯罪者を取り締まるしくみが、まだ生きているから。
殺生病関係なら全国どこでも黒十字が黙ってないし、そうでないとしても警察組織はまだ現役だ。
いろんな手続きが面倒なのも、平和のためを思ってこそ。改名ひとつとっても、許可が下りにくいおかげで名前を頼りに捜査できるのだから。
そんな手続きを、ことごとく簡単にしてしまえるのだから。
「黒十字、すごくいい」
「「「いや、脈絡!」」」
他二人とツッコんで、瀬戸が軽く頭をおさえた。
「まぁ言いたいことは分かるけどさ。アレだろ? そんな面倒にフリーパス出せるなんて特待生スゲー、それをゴリ押しできるほどの信頼度で黒十字スゲーって」
そういえば、なんだかんだで天花と一番つきあいが長いのは瀬戸なのだ。改めて思い知らされる天花の傍ら、つぐみと優人が二人を見比べていた。
「天花、あなたよく一呼吸の間にそこまで考えられるわね。なんなら他の人より割と浅めなのに」
「それを察する瀬戸もすごいよ。さすが、旧知の仲なだけあるね」
旧知の仲。
なんとなく、天花はつぐみのほうを見てしまう。
4月の作戦会議で、瀬戸とつぐみは遭っているはずだ。高嶺空花——ある意味、いちばんの古い知り合いに。
あの日から態度が変わった素振りは、天花が分かる範囲では見当たらない。
それでも、ある事ない事吹き込まれた可能性は否定できない。だって、相手はあの高嶺空花なのだから。
………………どのみち実害はないから、天花としてはなんでもいいのだが。
それにしても、なぜ天花にまで日時を送ってきたのだろう。天花の役割はもう終わったというのに。




