一夜
「さて、と」
もう21時になる頃合いだろう。
今からなんて、ケーキはおろか食事すら危険信号。生活習慣の乱れ待ったなしである。
そんなことを考えながら天花は、
ケーキの箱を取り出し、
皿とカトラリーを並べ、
ついでに紅茶を入れた。
小さめの正方形ケーキだった。3分もあれば食べ終えてしまうだろう。
だが、それが3つ。しかも、どれも種類が違っている。
三者三様の香りは、けれど互いを邪魔しない。むしろ互いを引き立て合い、食欲をそそる。
そして、なんといっても見た目。
刺繍かと思えるほどに繊細な模様が、どのケーキにも描かれているのだ。それも、色づかいから柄まですべてケーキごとに。
「これが、都会のケーキ……!」
うっとりと呟き、天花はスマホを取り出した。そして写真を撮っていく。
行儀が悪いのは承知の上。だが、カメラなど持っていない。
それに、いくら忘れることがないとしても。
バースデーソングは垂れ流して。
バースデーメッセージと一緒にループ再生。
天花のためだけに買われたフルーツケーキは、ほんのりと甘い。
見える景色に脳内フィルターをかければ、もうそこは立派なパーティー会場だ。
瀬戸がいつもみたいに片手を上げる。
「これでまたひとつ、大人になったな!」
つぐみが胸元に手を当てる。
「私、あなたに絶対ついてくから!」
そして優人が、不器用ながらも顔をやわらげる。
「何があっても、君のことは忘れない。だから、祝わせて」
そこで瀬戸が、優人の頭を軽く小突く。
「おいおい、俺のことも忘れんなよ?」
隣でつぐみも「私のこともよ」と口を曲げる。
「それに、また忘れる前提なんて。あなた、もう一生分の物忘れ経験したわよね」
そんな声を聴きながらのチーズケーキは、すっきりとした味わい。
三人の姿を想いながらのチョコレートケーキには、確かな苦み。
そのひと口を咀嚼して、角砂糖入りの紅茶でただ流し込む。
夜中にケーキ。
結論から言えば、それで何か問題があったわけではなかった。
夜が遅いなりに筋トレでカロリーは使ったし、睡眠時間も確保した。
勉強だって登校前に課題さえ終わらせれば、天花の場合はそれで万事解決なのだ。
無駄に高性能な海馬のせいで。
茜差す教室にチャイムの音が響き渡る。
放課。
クラスメイトが帰り出す時間だ。
いつもなら。
「天花さん、きのう大丈夫だった?」
「早退したんだもんね、心配したよー」
「6時間目の授業、教えようか?」
「いや、俺が!」
「は? 男子は引っ込んでなさいよ!」
「何だとこのフェミニズム過激派!」
「うっさいわよモラハラ野郎!」
とんでもない人だかりだ。寄ってたかって天花の机を囲むから、圧迫感があることこの上ない。というか軽く身の危険すら感じてしまう。
これは――あのセリフを使うべき時か。
「やめて! 私のために喧嘩しないで!」
「喧嘩じゃなくて、みんな天花さんのためを思ってるんだよ」
ひとりの弁明に、あんなにいがみ合っていた人だかりが一斉に同意しはじめる。天花なら聞き分けられる、なんて本気で思っているのだろうか。いくら特待生だからって、豊聡耳ではないというのに。
というか――――――天花のため?
天花のこめかみが細かく震える。
――――――六秒だ。
「休んでたぶん、教えてあげようと思って」
黙り続ければ、この感情は収まるのだから。
「授業を受けてても分かんなくなりかけたし、いくら天花さんでもあれは……ねぇ」
黙り続ければ、この感情は
「そうそう。それにほら、そろそろ他の人とも仲良くした方がいいと思うし」
黙り続ければ
「だって星垂と『白い悪魔』でしょ? 聖くんはともかく」
「いや聖だって金魚のフンだろ」
黙
バンッ
天花の手が、机を叩いていた。
さすがに言葉を失う人だかりに、天花はほほえみを保ったまま告げる。
「お気遣いはありがとう。でも先約がある」
ひとりが、辛うじてといった様子で声を震わせた。
「せ、先約って」
誰、と問うつもりだったのだろう。どうせ三人までは絞れたのだろうけれど、逆に言えば三択。その程度の絞り込みだ。
その答え合わせは――天花ではなかった。
「天花」
涼やかに名前を呼んで、優人がノートを軽く振っていた。黒十字基礎学。今日のカリキュラムにない教科だ。
そして、天花がきのう受け損ねた授業。
つまり、どういうことか。
人だかりの何人かが鋭く叫ぶ。要は友達は選べ・よりによって白い悪魔なんて、とのことらしい。
優人の目も氷点下になってきてるけど、
「友達、選んで優人とつぐみ。選考基準は色々。たとえば陰口、言わないこととか。瀬戸も同じで、だから仲良し」
天花に言われた言葉だ。誰を指してのことでも、天花が答えずして誰が答えるというのか。
「天花はすごいよ」
優人のつぶやきを拾ったのは、廊下を歩いているときだった。
「あんなに囲まれて、それでも自分の意見を通せるなんて」
吐息を含んではいるけれど、そこに負の感情なんてない。
「? 優人もそんな感じ。ほら、入学式の日とか」
思い出そうと思えば、天花はいつでも思い出せる。
それは記憶力のせいでもあるけれど、もしそんなものがなくても。
「いや、あれは」
白いまつげがふるえる。
「……正直、あのときは分からなかった。なんで声をあげたのか、なんて」
夕日が廊下に差し込む。
それだけで廊下の窓側は光の道になる。
優人を見ようとすれば目が焦がれるのは、光の道を歩いているからか。
四角く切り取られた場所で、優人は心臓のあたりを指先で触れた。
「でも、今なら分かるよ。陰口とかいじめとか、僕はそういうのが許せないんだ」
あの下にあるのはそう、彼の心臓。生きている、ひとりの人間なのだという証。透き通るような肌の下、今も赤い血が流れている。
「だから、もし立場が逆なら」
陶器細工のような指に力がこもる。熱を感じさせない瞳が、まっすぐ天花をとらえた。
「天花、君を責めていた」
絶対零度の瞳。
白い悪魔と呼ばれる者の瞳。
それを天花は、トルマリンのようだと思ってしまう。月並みな感想だけれど、間違いだと認めたくない。
それに。
「……………………ありがとう」
彼の瞳は、他の誰かの目とは違う。
天花を「特待生・高嶺天花」として見ていない。
あくまで対等、そう見てくれている。
だから、せめてあと数㎝だけ。
彼に近づいてもいいのだろうか。




