旧知を想う
インタビューが終わったのは、だいたい30分くらい後のことだった。
中継終了の合図を見届けて、アナウンサーが天花たちのほうに向きなおる。
「改めまして、ありがとうございました。とても素敵な映像をとらせていただけたと思います」
いかにも大人って感じの笑顔。
つまり、営業スマイル。
空花は気づいてないのだろう。明らかに天狗になって、訊かれてないことまで言い出している始末だ。ぼそぼそと、けれど長々と話す声に、さすがのアナウンサーも口の端を痙攣させている。
まぁ、天花には関係ないことだ。もう義務は果たしたのだから。
立ち上がる天花に、アナウンサーは素早く視線を移した。
「あの、もうお帰りですか?」
「いえ、山梨校の学長に用がありまして。とはいえ、この教室からはそろそろお暇しようかと」
出口へつま先を向ける天花の動きは淀みない。有無を言わせる間もなく去ろうとする彼女を、アナウンサーの声が辛うじて引き留めた。
「あの、お待ちを! お渡ししたいものがありまして」
その背後から近づいてくるのは、さっき撮影していたカメラマンたちだ。ただし、持っているのはカメラではない。
「こちら、ささやかですがお礼です」
差し出してきたのは、綺麗に包まれた小さな封筒。2人それぞれに、ということらしい。
「「ありがとうございます」」
両手で受け取り一礼する天花の横で、空花はノータイムでポケットに突っ込んでいた。そのままカバンをひっつかみ、我先にと出て行ってしまう。
ここは姉の無礼を詫びるべきなのだろうか。
まばたき1つ。
否と結論づけるには、むしろ長すぎるくらいの間だ。
そもそも他人の無礼である。なのに、なぜ天花が代わりに詫びねばならないのか。
そんな思考の隙間にも、天花のほほえみは崩れない。
黒いだけの瞳に、アナウンサーの姿がまた映り込んだ。
「あの、実は天花さんにはもう1つご用意させていただいておりまして――」
ガサリ、と乾いた音。
差し出されたものに、さすがの天花もわずかに目を見開いた。
白地に紫模様の紙袋だ。側面は市松。正面にはロゴ。
定番のお土産をさげて、アナウンサーは屈託ない笑みを浮かべた。
「遠方はるばる、とのことですので。特別に」
かたや、放課後ノータイムで現地入りできる生徒。
かたや、午後の授業を犠牲に県外から来た生徒。
コンプライアンスの塊である。
その公正さに、天花はやわらかく笑みを浮かべた。
「お心遣い、深く感謝いたします。甘い物が好きなので嬉しいです」
テレビ局の撤収。
原状回復。
すべて終わったのは、30分ほど経った頃だった。
というより、たった1つの無駄に大きくて多機能な机と椅子。あれを動かすのが大変だっただけで、他はわりと早かった。あの無駄(中略)机と椅子に、キャスターがあっただけマシというものだ。
案内役の教師が背中を丸めた。
「すいません、手伝わせてしまって」
「いえ、お気になさらず。使っておいて片づけを押しつける――そんな非常識なこと、とてもとても」
それより、と。
教壇に載せていた荷物をとり、天花は教師を振り返った。
「こちらの学長室。案内お願いします。領収書、出したいので」
東京校より古めかしい造りの廊下を抜け、たどり着いたのは職員室の隣。間取りはこの校舎が、まだ普通の高校だったころの名残である。
案内役の教師が、軋んでいそうな引き戸をノックした。
「失礼します。高嶺天花を案内いたしました」
「通しなさい」
しわがれた声。
思いの外すんなり開いた引き戸の中は、こざっぱりしていた。
よく言えばミニマリスト。悪く言えばスカスカ。それでも、重要書類は学長机にしまっているんだろう。
その机に、天花は1枚の領収書を静かに置いた。それはもう、指の先まで優雅すぎるほどに。
「交通費はそちらの経費とのことで。領収書でございます」
「うん、確かに………………ぃッ⁉」
スーツに包まれた肩が跳ねる。
対照的に、天花はどこまでも落ち着いたままだ。
「どうしました?」
「どうしたもこうしたもあるかっ」
受け取ったばかりの領収書を、学長は机に叩きつけた。指の隙間から、仲良く並んだ0が垣間見える。
「なんだ、このふざけた金額はっ」
「タクシー代です」
間髪入れずに答える天花に、学長は領収書を握りつぶす。
「鈍行で来るとかあっただろうが! というか、まさか東京校から乗ったのか?」
「乗り換えと到着後、待ち時間を省きたかったので。5時間目まで受けて、昇降口から乗りました」
もう領収書は、学長の手元でぐしゃぐしゃになっていた。会社名と、桁がひとつ多そうな金額が歪んで見える。
その金額は、
「7万2千円だぞ!」
悲鳴に近い怒鳴り声で叫ばれた。
「こんなの払えるか、たかが1人の生徒にっ」
天花はほほえみを崩さない。
ただ、目が音もなく据わるだけで。
「交通費、文句をいわずそちら持ち。こっちの学長には二言があるんですね」
そして、真に室内の空気が凍る。
「私は東京校の特待生で、あなたは山梨校の学長。山梨校は、東京校に泥を塗るおつもりで?」
反論はない。
そのことに、天花は小さく息をつく。仕切り直しだ。
「インタビューの教室、ひとつだけすごい机がありました。あれ、いくらしたんです?」
学長室を出た天花の手には、真新しい茶封筒。紙幣5枚ぶんの厚みが、今は心地いい。
とりあえず紙袋の中に入れ、天花は辺りを見渡した。
もしも。
もしも、インタビュー会場がテレビ局なら。
天花は山梨まで来ただろうか。
たまにすれ違う生徒たちが、天花を二度見しては立ち止まる。
見たこともない人。
そうでなければ、見覚えがある人。
今の天花にとってはこの分校の人との関係など、知り合いかそうでないかの二択みたいなものだ。2人ほど例外はいるが。
なんとなく、天花の目が内務科の人を捉えては離していく。白い制服が目印だ。
内務科に行くと聞いた。
他県に出るつもりがない、とも。
放課後の時間つぶしに、いつもつきあってくれた人。
――――――鉢合わせるなんて偶然、あるはずが
「天花?」
変わらない声がした。
聡明さを感じさせる声。
名前を呼ばれただけなのに、懐かしい感情が天花の胸に溢れ出す。
ひと呼吸。
ゆったり、声の主の方を向く。
確信が、確定に変わった。
「悟」
1人の男子がそこにいた。
端正な顔立ちは、覚えているより少しだけ大人びたかもしれない。
白い制服は整っていて、けれど一般生徒のそれだ。そのことに、天花はただ六秒黙る。
その六秒の間に、悟は天花のそばに来る。
「えー、久しぶりじゃん。元気だった? ってか……色々変わった? 髪型とか、それに表情も。前なんか無表情がデフォだったのに」
「……心機一転。悟は相変わらずみたいで」
なんとなく歩き始めたのは、悟が先を行きはじめたからだ。横並びというには、わずかに斜め前を歩かれているのも変わらない。そのくせ、天花のことをちゃんと見ているのも。
だから、天花の口も止まらない。
「実は腹黒なとことか」
「一発目にそれ言う天花には負けるよ」
「私に話しかけてくるとことか」
「話が合う人は珍しくて。IQが20低い人とは会話が成立しない、なんていうけどさ」
「やっぱドS……頭がいいこと自覚済みなとことか」
「特待生サマに言われるなんて光栄だ」
――――――そう。
彼は、特待生じゃない。
ほほえみは剥がれない。それでも天花の目は伏せられ、逸らされ、悟の制服を視界から消し去る。
「――――――テストで手を抜くところとか」
肩がぶつかった。
悟が、立ち止まっていた。
「……………………いや、ちゃんと全力d」
「そんなわけない」
ほほえみは、剥がれていた。
表情筋の動かし方も、定位置も、ちゃんと覚えている。
ただ、剥がれたことに天花が気づいてないだけで。
「だったら――――全力の悟が、なんで特待生になってないのっ? 今も、中等部のときだって!」




