“Court” on the Setheater Stage
先に反応を見せたのは瀬戸だった。
「飛火入……って、Hotaru Tobiiri のことか?」
無駄に英語っぽい発音で英語圏の表記に直した彼に、遅れて天花の目がほんの少しだけ見開かれた。
「それ、つぐみが言ってた?」
その反応に、今度は優人の目が一瞬見開かれる番だった。
つぐみ。
全国を探せば、同じ名前の人などいくらでも見つかるだろう。別に珍しい名前というわけでもないだろうから。
けれど、これは。
あの女子――――優人に蛍を殺させた女子と、同じ名前だ。
なぜ、その名を天花が。
去年、というかつい一カ月前まで隣県の分校だったのに。
――――いや。
接点ならある。
去年の学生論文コンテスト。二人とも受賞者だったはずだ。つぐみは表彰式に行かなかったようだけど、その前のプレゼン選考会でならどうか。
すれ違うくらい、あったんじゃないか。
あるいは自由な時間に言葉を交わしたり。
そうでなくとも、互いの発表を聞くくらいは――――
優人の手が震えた。
もし彼がまだ本を持っていたら、きっと机に落ちるどころでは済まなかっただろう。
今にも折れそうな首、正確には喉元がわずかに動く。首元でチョーカーのチャーム、白翼の黒い十字架が揺れて微かな音を奏でた。桜を模した香りがほのかに広がる。
なぜ。
なぜ、星垂つぐみが。
なぜ、飛火入とびいり蛍ほたるの名前を出した。
なぜ、天花は「飛火入とびいり蛍ほたる」に反応しなかった。
なぜ、天花は「Hotaru Tobiiri 」でようやく反応したのか。
なぜ。
――――もしかしたら。
白道優人は、とんでもない思い違いをしているんじゃ――――
斜め後ろから、ドアの開閉音が遠慮がちに響いた。
入ってきたのは、ひとりの女子だった。
何より目立つのは、ふたつの制御装置だろう。
顔の下半分を隠すのは黒いマスク、のような見た目の嗅覚制御装置。
両耳を頭から押さえつけるのは黒いヘッドフォン、にしか見えない聴覚制御装置。
チョーカーも赤いリストバンドも、制御装置つきの生徒なら当然のものでしかない。
だが優人の目は。
別のものに吸いよせられてしまう。
それはリボンだった。
茶色い三つ編みハーフアップに、ひっそりと置かれたひとつのリボン。
あの女子がつけ始めてから1年も経ってないのに、もう色褪せている。
静かに、優人は目をそらす。
怒りも、憎しみも、悲しさもない。
ただ、目をそらしただけだ。
今では嗅ぎ慣れてしまった、むせ返るほどの血のにおいを。
今では感じ慣れてしまった、血と体液の温度を。
今では触り慣れてしまった、ぐちゃぐちゃな内蔵の手触りを。
知ってしまった時のことが、急に頭に浮かんだだけだ。
思い出して、思い出して――――それだけのこと。
この手が蛍を惨殺していた、その瞬間を思い出しただけのことだ。
そんな彼の脳内を知るよしもないが、
「『親友堕とし』」
誰かが口火を切った。
それが始まりの合図だった。
「星垂、つぐみ……!」
「まだ生きてたのかよ」
「よく顔を出せるよね、仲間を狂わせたくせに」
「ってか、まだ制御装置つけてんの? それも両方」
「感染したの、夏休みって聞いたけど」
罵倒。侮蔑。陰口。向けられる悪意と責める視線の数々に、彼女は足を止めない。普通に歩いて普通に着席する。彼女の学籍番号が貼られた席に。
だが。
歩いていたのは彼女だけではない。
歩みだしたのは天花だった。
もっとも声高に罵っていた集団、お揃いのチョーカーをつけた生徒たちへ。迷いなど一切ない。
音もなく立ち止まり、微笑みを人形のようなものに変えた。
「ごきげんよう」
たったそれだけで初対面の集団を沸かせるのだからすごい。さすがは特待生といったところか。
「あの子、なにかした?」
あの子、のところで天花は黒い瞳でつぐみを見やって、セリフの最後に首を傾けた。濡れ羽色のツインテールが、動きにあわせてさらりと動く。
そんな特待生に「なにかって」と集団は顔を見合わせて、次の瞬間には矢継ぎ早に吠える。
「あいつ、猟犬候補生の論文をパクったんです!」
「スポンサー賞の手柄もひとり占めでっ」
「高嶺さんも近づかないほうがいいですよ!」
ヤラセ、などでは断じてない。
それにしては殺気立ちすぎているし、そもそも「親友堕とし」星垂つぐみの名は語り草だ。しかも件の論文コンテストなら、プレゼンのアーカイブがいまだにネットに上がっている。大手動画サイトの学園公式チャンネルだ。
なにより、未来の頂点とさえ言える特待生に、すぐにバレる嘘などついてどうするというのか。
つまり、リアル。
「……ふーん」
さすがの天花も声が低い。
が、それも考え込む刹那だけだった。
「誰をパクったの?」
鈴を転がすような問いの声。
特待生の問いかけに彼らは目をそらし、うつむき、唸り、目を泳がせ、
「っ、猟犬候補生のアイデアをパクったんです!」
異口同音に叫ぶことしかできなかった。
その醜態に天花の目が静かに据わる。もちろん、人形じみた微笑みはキープしたまま。
「私は、アイデアがパクられた人の名前を訊いている」
「それは……っ」
歯を食いしばる音。食い下がって、けれど反論は形にすらならない。
窓の外は絶好の入学式日和。なのに今この教室だけは冬、あるいは梅雨のようですらある。
ひとつ、天花が息を吐いた。口には微笑み。瞳には害虫でも見るような嫌悪感。微笑みを保ったままの唇が、今動く。
「仲間を気取って」
「――――飛火入蛍」
声は天花の後ろからだった。
もとが少ない記憶が、優人の頭の中で浮かんでは沈んでいた。
すばやい動作で振り返る天花に目を合わせ、優人はひとつひとつ伝えていく。
「金髪の三つ編みの女の子だった」
まだ思い出せる、彼女の姿を。
「とても優しくて聡明な人。実質、あの論文の筆頭著者であるくらいにはね」
まだ消えていない、飛火入蛍にまつわる記憶を。
今日みたいに晴れた、今日よりも暑い夏の日だった。
アイデアを出して、ノートにまとめて。つぐみの担当箇所さえ添削する徹底ぶりだった。
だというのに。
「なのに、星垂つぐみが功績をひとり占めした。彼女が、飛火入蛍の名義を消した。――そう、思っていたけど」
他方、上座。
ひとり席に着くつぐみに、瀬戸が堂々と寄り添っていた。赤い瞳で気弱な姿を見下ろして、彼は軽く片手を上げる。
「はじめましてっと。俺は聖瀬戸。瀬戸でいーぜ、よろしくな」
「星垂つぐみ。……別にあなたと仲良くなる気なんて」
「まあまあ、そんな固いこと言わずにさ。アドレス交換しよーぜ、ツグ」
ただでさえ細い瀬戸の瞳孔が、さらに細くなっていく。もう昼間の猫を通り越して、もはや糸だ。
差し出すスマホは学園支給のもの。黒い本体を、赤と黄色の派手なカバーで覆っている。
そんな瀬戸に彼女は――
スマホを開いた。同じく学園支給のもので、こちらは夜空のようなデザインのカバーである。
ロック解除からアプリ操作まで淀みない。そんなつぐみを、瀬戸は引き絞られた瞳孔で見つめて
スマホを奪った。
そのまま片手で、止まることなく操作していく。
もともと学園支給のものだ。つまり機種は二人とも同じ。手際がいいはずである。
「お、これか?」
タップ、そしてスクロール。赤い瞳が文字を追う。そして彼は唇を吊り上げた。片手サイズの画面を天花とその他大勢に向け、深く短く息を吸って。
「ビンゴだ天さま! 学生論文コンテスト、星垂つぐみは共著名義で応募してたっ」
『件名 : 【応募】 黒十字学生論文コンテスト
from : 星垂つぐみ
to : 黒十字学生論文コンテスト
以下の通り論文を応募させていただきます。
題目(英) : Adaptation to Killing Diseases through evolution and the potential of drugs utilizing serum technology
著者 : Tugumi Hoshitaru, Hotaru Tobiiri
添付ファイル Adaptation to Killing Diseases through evolution and the potential of drugs utilizing serum technology.pdf
上記のとおり送らせていただきます。ご確認よろしくお願いします。』
――――つまり。
つまり、それは。
星垂つぐみは、飛火入蛍の名前を残していたということで。
なら、考えられるのは。
賞の運営が、わざと名義を変えたということ――――!




