目覚め
「化物」
何度そう言われただろう。
「お前なんか、産まなきゃよかった」
数えきれない。
徒花家なんて嫌いだ。
父さんの目が言ってた。お前は、徒花慶は本当に自分の子なのかと。
母さんはいつも殴ってきた。お前が似てないせいで、私が責められるって。
真っ白な髪も、淡い青緑の瞳も、風が吹けば飛びそうな白い体も。全部、全部どっちにも似てないから。
帚木慶になったのは小学四年生のときだっけ。帚木愛に戻った母さんは泣き崩れて。指と真っ黒な前髪の間からにらみつけてきた。
「母、さん」
手をのばしても、
「近づくんじゃないよ、化物! お前の、お前のせいで…………っ」
冷たく振りはわれた。
ボクのせいで、離婚になったんだって。
カプセルがないと、心が落ち着かないんだって。
それからずっと、殴られるか蹴られるかだ。いいことなんてない。
春なんてきらいだ。花粉のせいで母さんの機嫌が悪くなるから。
夏なんてきらいだ。暑いのに母さんが「みっともない」って半袖をぜんぶ捨てたから。
秋なんてきらいだ。落ち葉の音に母さんがイライラするから。
冬なんてきらいだ。母さんがつくった傷とあざが痛くなるから。
だから、初詣とか七夕とかじゃいつも。
言っちゃいけないことをお願いしてた。
今年の七夕も、きっとそうなると思ってた。
「嫌あぁぁぁぁぁぁぁ!」
母さんの叫び声がした。七夕の朝だ。
手首を押さえて慄く母さんを見つけた。そのリストバンドは、赤————。
なんで。昨日の夜までは、確かに青だった。それなのに、なんで急に。感染者なんていなかった。家には誰も来なかった。だから感染なんてするはずない。それなのに。
なんで、母さんが殺戮病に————!
足が震える。喉がひりつく。目を背けたいのに、そらせない。そんなボクの前で、母さんはふとつぶやいた。
「ころさなきゃ」
それは、ある意味正解だった。
殺生病。誰かを殺さなければ、生きられない病気。そんな残酷な病にかかってしまったのだから。
目が合った。
「ころせば、いきられる」
……なにを、言って……
理解する間なんてなかった。
お腹に「何か」。
見下ろす。
埋まってた。
母さんの手が。
制服を破って、ボクのお腹に。
……なんで、痛みに気づかなかったんだろう。だって、こんなに熱くて気持ち悪くて響いて痛いのに。
「やめ……っ」
叫ぼうとしても、喉なんてすぐに血でいっぱいになる。出てくるのは言葉じゃなくて音だ。大量に、とても熱い血をつれて。
内臓をかき混ぜていた手が止まった、と思ったら上へ。痛いところがどんどん広がっていく。心臓の動きは速い? 遅い?
ぷちっ
……はじける音が、体の奥で響いた。
世界が、暗くなっていく。最後に誰かと目が合った気がした。
あふれ出す液体。なにかが血と混ざる。——世界が、近づく。視覚触覚嗅覚味覚聴覚、どれもが鋭くなっていく。
そしてものすごい音。まぶたの裏から光と熱。
まぶしい。
知らない天井。知らない蛍光灯。知らないベッド。知らないカーテン。
けど、何を着ているのかは分かる。
「このマーク……黒十字学園の……! しかも高等部、執闘科……?」
リィン。
首元から、聞き慣れない音。
???
なんとなく触って。
「この形……黒十字……?」
指先が冷えてふるえているのが分かる。
だって、黒十字のマークを首につけているのは。
猟犬の人か、猟犬候補生の人くらいで。
手首を見る、それだけの動作にいったいどれだけ時間をかけただろう。
その色に。
今度は全身から熱が引いていく。
「……違う。違うよ。こんな色じゃない。だって、青でしょ」
否定の言葉なら、いくらでも出てくるのに。
青にもどってくれない。
頭から、迫ってくる母さんの姿が離れない。あのとき、母さんのリストバンドは。
『ころさなきゃ』
赤、だったけど。
それに何より。
「……赤じゃないのに」
なんで、こんなに違和感がないんだろう。ボクが、殺生病感染者だってことに。
誰かを殺すなんて……!
「…………っ」
血のにおいに包まれた気がした。右手が、べっとりと濡れたような錯覚に、内臓がびくびく動くのが分かって口をおおう。
……そういえば、関係ないかもだけどさっきから外が騒がしいような。
言い争う声。
片方はどこかで聞いたような声だ。もう片方を根負けさせたらしく、こっちに来る。
「優人!」
見えた。
黒い軍服を着ていた。振り乱された長めの黒髪。でも女の人だとは思わなかった。がっちりとした体つきっていうのもあるけど、なにより。
「修羅道、執闘医長……? え、本物……?」
ニュースで見たことある。
いくつもの感染者グループを猟犬に引き込んだ、とか。
大きいテロ組織をなんども壊滅させた、とか。
海面を走って外国の軍艦に乗り込んだ、とか。
ぽかんと見上げていたら、医長さんは金色の目を険しくした。そのまま瞳孔が細くなっていく。ただでさえ細かったのに、なんかもう糸みたいだ。
「まさか……、帚木慶のほうか……?」
「え、なんでボクの名前」
会ったこともないのに。なんで、黒十字の偉い人が。
固まるボクをよそに、医長さんは口をおおう。少し目を伏せて、それでもすぐにこっちを見てきた。
「君を保護したのは俺だ。九ヶ月前のことだが、その様子だと」
そこから先は言われなかった。
「……き、九ヶ月前? 」
たぶん、ボクが反応したからだ。
「今日は七夕なんじゃ」
だって、確かにそうだったのに。中学でも笹が少し前から置かれてた。
医長さんが無言でカーテンを開ける音。
ふわり、うすいピンク色が外でゆれる。
桜の、花。
「今日は四月の中旬で、君はその間に高校生になった。……目覚める前で、いちばん最後の記憶はなんだ」
いちばん最後の、記憶。
頭に母さんの姿が浮かぶ。取り乱していた。
「朝、学校に行く前で。母さんが、絶叫してて。殺生病感染者になってて。それで……」
声が、手が。ふるえが止まらない。輸血の管が刺さった方の手で、こわごわとお腹を押さえる。
傷口なんてない。怪我なんか、最初からしてないみたいだ。
でも。
「……ボクを、殺そうとしたみたいです」
あんなこと、言葉にするなんて。
あのぐちゃぐちゃで熱くて痛い時間を。
そうか、と医長さんはつぶやいた。
「なら、『白道優人』の名に覚えはないか」
ハクドウ……? 聞いたことがない。優人って名前なら、さっきこの人が呼んでいたけれど。
「誰、ですか」
ボクの声に医長さんは固く目を閉じて、もう一度開けた。金色の目はどこまでも静かな感じだ。見られるだけで、こんな状況なのに背筋が伸びる。
「白道優人。君に与えた新しい名前だ。君はこの九カ月間、猟犬候補生・白道優人として生きてきた」
……それ、は。
「偽名……、ボクが生きていたら不都合でもあったんですか」
混乱はある。
なのに、なんで医長さんの声はこんなにも頭に染み込むんだろう。
その声で、医長さんは「理解が早いな」と言葉を返してきた。
「あのとき、君の家は爆破された。その時点で犯人の目的は分からなかったが、帚木一家の全滅を狙っていた可能性を考えた。帚木慶の死亡届は提出済みだ。君が生きていると知られたらまた命を狙われるかもしれないと判断したからな」
「そう、ですか」
流れで答えてふと気づく。
その時点で、ということは。
「じゃあ、もう真相は分かったんですか?」
医長さんの肩がゆれた。金色の瞳が細かくふるえて、伏せられて、それでもまたボクを映し出す。
「ああ。君の家を爆破したのは……四葩製薬だ」
引き絞られた瞳孔には少しのゆがみもない。
なんで。
胸のざわつきに医長さんの説明がおおいかぶさる。
「四葩製薬はある薬を開発したらしい。……人を、殺生病にする薬だ。君のお父さんは、それを黒十字に伝えようとしていた。だが殺されて、今度は元家族である君たちも……というわけだ。爆破は証拠を消すため、母の感染は意趣返し……おおかた、薬局を操って処方箋をすり替えたんだろう。詳しいルートは取り調べ待ちだ」
「処方箋……確かに、母さんはカプセルを飲んでましたけど」
じゃあ、あれの中身がすり替わってたとでも?
静かな空間に「それか」と医長さんが呟く声が広がった。
「ありがとう。その情報は、きっと役に立つ」
言葉とは裏腹に、医長さんの顔はどこか暗い。声だってどこか沈んでいる気がする。
「あの…………大丈夫ですか?」
「ん、あぁ。少し約束を思い出してな」
答えて、ボクのリストバンドに目を向ける。
「猟犬候補生とはいえ、君は殺生病感染者だ。つまり、生きるためには誰かを殺さなければならない。一日につき一人だ」
息が止まる。
そうだ。なんで忘れてたんだろう。そんな重大なこと、頭から抜け落ちていいはずないのに。
「殺して、ください」
本心が、あまりにも自然に零れ落ちた。
九カ月間? そんなの。
「なにも、分からない。なにも、思い出せないんです……なのに……いえ、そうでなくても、誰かを犠牲にしてまで、生きていたくありません……!」
布団を握りしめる。たったそれだけの動作で布はいとも簡単に破けて、中から白い綿があふれて床に落ちる。
「…………同じことを言うんだな」
カチャリ、聞き慣れない音。
「九カ月前も、君はそう言っていた」
少し離れたところで、医長さんがボクに銃口を向けていた。
「実弾銃だ。本来、執闘には光線銃を使うが……まぁうまくやるさ、問題ない」
そして破けた布団に目を向けた。なのに眉間を狙ってくる銃口は、ほんの少しもゆらがない。
「君の罪状は器物損壊罪だ」
そして、ゆっくりと引き金が引かれる。
弾が、まっすぐに飛び出して――――




