「真実」
眩しさに優人の目は覚めた。
白い天井。白い蛍光灯。白いベッド。白い服。白い棚。中身がなくなりかけの輸血パック。管は優人の腕に。
棚から、あるいは奥の方から。ツンとした消毒液のにおいが鼻を刺激していることに、彼はようやく気づく。
つまり、ここは。
「病院、か」
あるいは、それに準ずる施設。
「あ、おはよー」
ふらりと現れたのは白衣の大人だ。脇にバインダーを挟んで、片手にはボールペン。知らない人だが、黒十字の紋章を見るに医療班の誰かだろう。
「黒十字医療班の奥居でーす。キミ、自分の名前と所属は言えるかい?」
「白道優人、です。所属は――黒十字学園高等部、東京校です。一年A組で」
記憶は、飛んでない。そのことに優人の肩から力が抜けた。
そんな優人を見下ろして、奥居はバインダーの紙になにやら書いていく。
「自分の名前は言える……、じゃあ、何があったかは覚えてる?」
「下校、していました。ですが道中で、犯罪感染者に襲われ」
声が途切れる。
「っそうだ、天花! あの、高嶺天花はっ」
詰め寄る優人に、奥居は気まずそうに顔をそらした。
体の奥から熱が失せる感覚に、優人の呼吸が止まる。
努力家、という言葉に笑顔を咲かせた。あのときの天花の姿が頭に浮かんで、砕け散るように消えていく。
「嘘、ですよね。だって、天花は特待生でっ」
「……こっちも、嘘だと思いたいさ。……けど……!」
沈黙。
――――相手は犯罪感染者だ。しかも二人。
犯罪感染者の手は、人間の体など好きに壊せてしまう。えぐるも貫くも刺すも斬るも、片手ひとつで事足りる。特に頸動脈なんか、指先ひとつで破壊できる。
相手が非感染者なら、一分もあれば。
どこからか走る音が虚しく響く。
近づいて、
「優人っ!」
飛び出してきた。
その姿に、優人の淡い瞳が見開かれる。
ゴスロリ風にアレンジされた、黒十字学園高等部執闘科の黒い制服。
その服が許されるのは、この世でたった一人だけ。
「天、花……?」
淡い色の唇が、そっと彼女の名を呼んだ。
今にも抱き着かんばかりに走ってくる天花。その前に奥居が立ちはだかる。
「はーい、そこまで。殺生病の感染源は血液のみ、でも針の先くらいだけでも感染するんだから。怪我した直後にさわんないの」
「……でも、着替えて」
食い下がる天花。だが奥居も譲らない。
「変なとこについてるかもでしょーがっ。どうしてもっていうなら手袋ごしにしなさい。専用の、貸してあげるから」
手袋ごしの手は少し冷たかった。
それとも手袋が冷たいのか。
だが、そんなこと。
「天花、生きて……、怪我は?」
「ないよ。優人は?」
「大丈夫、ぼくは感染者だから」
互いの無事を確かめ合い、ふと優人の目が奥居に向く。直前とは打って変わって、その視線は冷たく鋭い。
「奥居さん?」
文字にすれば、高校生が大人を睨んでいるという状態。だが奥居はギクリと肩を硬直させる。暑くもないのに汗がつたい、目はこれでもかというほど泳いでいる。ふいっ、と顔を背け、ふるえた声。
「いや、死んだなんて言ってないし……。それに信じられなかったんだから仕方ないじゃん……無傷で犯罪感染者を生け捕りにする、なんてさ……しかも、猟犬を拉致れるようなのを」
「――――はい?」
聞き返したのも無理はない。
犯罪感染者の強さなら、優人だって知ったばかりだ。
一撃が、それこそ絶死の重さ。しかも命を奪うことに何の躊躇もない。いま優人が生きているのは、優人が殺生病感染者だったからだ。感染者の治癒能力がなければ、今ごろきっと死んでいる。
なのに。
天花が?
非感染者の、天花が?
犯罪感染者を?
固まる優人の耳に、引き気味な奥居の声が入り込んでくる。
「いや、こっちも嘘だと思ったんよ。けど、証拠動画まで出されちゃ疑えないじゃん?」
「動画、ですか?」
ゆっくりと聞き返す優人に答えたのは、奥居ではなかった。ポケットから天花がスマホを出す。
「これ。画質わるいけど」
再生。
………………。
そこに映っていたのは、傘で攻撃をいなす天花だった。
ただしカメラ目線で、ときおり自撮り棒が映りこんでいる。左手で自撮り棒の位置や角度を調整しつつ、右手の傘で軽くあしらっている――――そんな状態だったのだろう。手ブレこそあるものの、どの瞬間を切り取っても変顔でないというおまけつき。
だって、と天花が気まずそうに呟く。こんなときでも微笑みがあるのは変わらない。
「カメラ、ほかになさそうだったから。証拠、ないと実績にならない」
制服は使い物にならないらしく、予備の制服を渡された。いちおう、経費扱いになるらしい。
事情聴取は思ったよりすぐに終わった。
とはいえ気絶している時間が長かったせいか、寮に着いたころには夜になっていた。ちなみに、その日の囚人殺しは施設の中。遅くなるからと、今日の囚人を優人のロッカーごと寮から送ってくれたのだという。
エントランスから紅陽寮へと足を向けたとき。
「速報です」
上ずった、アナウンサーの声が耳に飛び込んできた。
さっきの事件の報道か、と足を止めテレビを見上げる。
空気は張り詰めていた。
「『殺戮病に感染させる薬』が四葩製薬株式会社の研究所で開発されていたことが明らかになりました」
ロビーから日常会話が消えていく。誰もが壁のテレビに釘付けになっていた。
けれど、優人はそれに気づかない。
「同研究所は昨年七月、違法薬物の製造が明らかになったことから閉鎖され――――」
「元研究員の徒花勇気氏の手記が発見されたため――――」
知っている。
徒花勇気。その男は。
帚木慶の、父親。
「同手記によると、昨年五月に同氏は薬の開発を知り――――」
ニュースは今、優人が少し見上げた場所で流れている。ロビー中に響き渡る音量で。それなのに音声がどこか遠い。
「密告に巻き込まないよう妻と離婚し、元家族の住所を改ざんし――――」
優人のはらわたが、心臓が、脳が、軋む。はらわたは誰かにかき混ぜられるように。心臓は誰かに撫でられるように。脳はのたうち回るように。
————ころさなきゃ
優人の頭に壊れかけの声が響く。床に散らばるカプセル剤のシート。誰か、女性が真っ黒な髪を振り乱していた。こんな人、優人は知らない。
「追加の情報です。複数の研究員から同じ証言が取れたそうです」
————ころせば、いきられる
「薬は粉末状でカプセルの中に詰めて保存していましたが、いつの間にかデータも現物も破棄されていたとのことです」
知らない。こんな光景、「優人は」知らない。
けれど、彼なら。
帚木慶なら————
世界が、暗転する。




