守りたがりの、死にたがり
猟犬が、いや、猟犬の格好をした者が、ぎょろりと優人に目を向けた。
彼の拳を、間一髪で止めた優人を見て。
「今のを止めるとはな、小僧」
「警戒してただけですよ」
実際、止められたのは奇跡だ。今だって、拳をガードした手は痺れたまま。
「猟犬、じゃないですよね」
探るように声を落とし、臨戦態勢。虚勢を張る優人に彼は舌打ちを返す。
「警戒してた、とか言ったな。なんで分かった」
ねっとりとした問いかけに、優人は薄く笑う。
「秘密です」
東京中の猟犬を把握している天花が、敬礼しようとしなかったから――なんて。
「そうか、死ね」
言い終わる前に、拳。
ひとつひとつが重いくせに、速い。急所を守るので精一杯だ。
「天花、逃げ……っ」
当たれば骨が砕け。
「弱ぇなぁ!」
つながるのを待たずに次の衝撃。
中等部でも訓練していた。 当然、対感染者の殴り合いを想定したことだって。
なのに。
顔への拳。かわしながら辺りを見渡す。天花の姿はない。
「なに笑ってやがる!」
心臓ねらい。
腕、は盾にするには心もとない。少し動かすだけで骨の摩擦音が響く。
血しぶき。
ぼとり、それなりに質量があるなにかが転がる音。
てん、と転がった腕を――――優人は踏み潰す。
血のしたたる手刀をはらい、顔を上げた。
「切断された傷がすぐに癒えるのは、断面どうしを合わせたとき。それくらい知ってますよ――――本当に」
黒いアスファルトが、赤黒く染まっていく。断面から血管が、千切れた断面の相方を探して思い思いに蠢く。
となりの血管と無理矢理くっつくもの。
諦めて垂れ下がり、流れるままに血を落とすもの。
皮膚も蠢くのは、傷口をふさぐためだろう。だが重力に逆らえず、増えた分を意味もなく風に遊ばせているだけだ。
犯罪感染者の額には脂汗。さっきまで優人をなぶっていたとは思えない。ふるえる左手がどうにか剣の柄をにぎる。抜刀――――できない。
「なん、で……! 抜けろ、抜けろよっ、なんで抜けないんだよ!」
「あなたを持ち主だと認めてないからじゃないですか」
「ふ、ざけんな……! そんな、不思議剣が……あって、たまるか……っ」
適当に返す優人に、痛みをこらえながら返す犯罪感染者。ガクガクふるえる足であとずさり、けれどバランスが崩れる。
遠く、サイレンの音に優人は視線を向けた。どうせ相手は満身創痍。そして戦意喪失。ほんの一秒目をそらしたところで、なんの問題もない。
それに、すべての意識を。感染者の聴覚を。腰を抜かした男に集中している。どんなわずかな空気のゆらぎも身じろぎも、すべて把握するために。
「本物の執闘医がいらっしゃるみたいですよ」
実際、視線を戻してもなにも変化ない。喘ぐのに合わせて、どう見ても複製としか思えないチョーカーのチャームがふるえるだけだ。
日替わりの、感染者にしか分からない香り。
日替わりの、感染者にしか分からない音。
紙幣の偽造防止と同じ。見た目だけで複製されないように。黒十字開発局の技術の賜物だ。
頸動脈に指を添わせつつ、優人はそのチャームに触れる。白い双翼をはやした、黒い十字架。黒十字の紋章を。
「これ、つくったんですか?」
膝をついて、あくまで頸動脈に指先を当てながら。男の目に恐怖が浮かんでいるのは死の予感からか、それとも目の前の男子高校生が、人の腕を手刀で切り落として平然としているからか。
「んなわけ、ねーだろ……!」
むしろ、意味のある言葉で返事できたことを褒めるべきだ。
ゆっくり、意識が五感から思考へと注がれていく。
チョーカーを作ったわけではない。なら、やはり本物か。なら、どこで手に入れた? 横流し――――鹵獲――――強奪――――――――そういえば。
この近くで、猟犬が行方不明に
腹部に衝撃。
続いて熱。
遅れて痛み。
それが、それが刹那に凝縮されていた。
思考が、途切れる。
口から、空気と熱い血が溢れ出す。
優人の腹部に。
男の手首から先が、文字どおり埋め込まれていた。
五指が這いずり回る感触。体の奥で血管が千切れる。筋線維が断たれる。神経が絡まる。小骨が折れる。内臓が潰れる。およそ人生で味わう「痛い」を、一瞬に凝縮したような。それが何百、何千、何万、何億にも連なって途切れない。
なのに。優人の心は落ち着いていた。
殺されかけた覚えはないのに、どこか妙な懐かしさ。
やっと、これで――――
ずいぶんと短い走馬灯の中、修羅道が帚木慶の名を呼ぶ。
蛍の三つ編みがふわりとゆれる。
守人が制御装置ごしに耳を押さえる。
学長の鋭い視線が向けられる。
右手が数えきれないほどに血濡れる。
天花が微笑む。
瀬戸が軽口を叩く。
つぐみの言葉が響く。
『猟犬二人が行方不明、続報はないって話ね』
「――――っ」
死んでる、場合じゃない。
重いまぶたをこじ開ける優人に、男は少し目を見開いたようだった。が、そこにあるのはわずかな驚き。死にかけの虫が足掻くのを、殺虫剤片手に観察する人間のような。
反撃されるとは思ってない者の顔。
だから、つけいる隙となる。
視界はかすみ、暗くなっていく。だが、これだけ近ければ頸動脈の位置など丸わかりだ。
春の昼間なのに、真冬のような寒さに手がふるえる。だが、そんなもの関係ない。
『ごきげんよう』
『私は天花。以後お見知りおきを』
『天使みたいで、いいと思う。優人の外見』
『理由なんて必要ない。強いて言えば、正しい人だと思ったから』
『例えば誰かのために怒って、見て見ぬふりはしないくらいに』
『うん。忘れない。絶対』
『優人』
『私……頑張った……頑張ってるから……! ずっと、ずーっと……、頑張ってきて……!』
『……努力家なんて、初めて言われた』
行かせない。
こいつを、天花の元へなど。
半分だけでも、天花が襲われる可能性を摘めるなら。
「…………っ!」
せめて。せめて、相打ちに――――




