旋律の届く夜
大吾が解体場への道を先に歩いた。
その大きな背中と幅広い肩が、大吾が作業していた板の横にいるイワカミをカインから完全に隠していた。
ひげ面の男は笑いながら刃物を一本手に取り、大吾の方へ歩き始めた。
「こいつは切れない。すぐ戻る、アサヒ」
イワカミは大吾の横を通りながら、道具を持ち上げて見せた。
大吾はわずかに唸って、歩みを止めずにうなずいた。カインはイワカミが投げた視線に気づいた。深いひげの中でも隠せていない笑みが添えられていた。
横目で送ってから、大吾の後について板まで来た。
頭領は刃物を手に取り、鹿の皮を剥がす作業を続けた。その巨体に似合わない精密さだった。
刃が滑る音だけが聞こえた。
(この人は何でも張り詰めさせるのが好きだな)
丸くなって叱られるのを待つカゲヤの姿を頭の中で作ってみた。
作業を観察し続けた。大吾がわざと見せるように体を向けていることには気づかなかった。
皮を完全に剥がし終えると、板の上に広げた。
「その梁に張って、スクレーパーを取って鞣しの下処理を始めろ」
大吾が指差した道具を目で追い、無言で作業に入った。
皮の内側を上にして、残った肉と脂と血をスクレーパーで取り始めた。
すぐに気づいた。大吾がほとんど綺麗にしてあった。
(残りほぼない……俺の手を必要としていない。ただ見せびらかしているだけだ)
手際よく、大吾は内臓を取り出して残りの体を鉤にかけた。
「もう終わったか」
集中し始めた矢先に突然声をかけられ、カインの体が反応した。
「もう少しです」
いつもの唸りを漏らして、大吾は今度は鹿を部位ごとに分ける作業に戻った。
二人の間の沈黙がまた戻った。
「捕食者が増えている。ダンジョンで亀裂が起きたはずだ」
大吾がそれを伝えてきたことに、カインは一瞬目を細めた。情報の内容と同じくらい、口にしたこと自体が意外だった。
(やはり普通じゃなかった)
「明日で流星の最終日だ。それでも家から離れるな」
(流星……確かマエナが、ネサリは月に三週あると説明してくれた。一週目が黎明、二週目が流星……三週目が思い出せない)
「村の中でシラミネと一緒にいるだけです」
(俺たちはあの任務を、奴らが新しい週を始める日に合わせて計画した。どの週の最終日も、誰も働かないはずだ)
「シラミネか。邪魔をするな。あいつは前に進まなければならない」
「遊びに行くわけじゃない。上達のための助言をしています」
大吾がゆっくりと刃物を置いて、カインの方を向き、一歩踏み出した。
「上達?まさかあの技を教えているのか」
近づいてくるのを見てカインは目を開けた。一歩引きたい衝動が走った。
(あの技……その言い方。知っている)
しかし瞬きをしてから、真っ直ぐ目を見返した。
「はい、教えています」
「やめろ」
「今し方、あいつには前に進む必要があると言ったばかりでしょう」
「あれでは前に進まない」
「それはあなたには分からない。あいつに必要なものかもしれない」
大吾がもう一歩踏み出し、構えが固くなった。
「命令した。もう教えるな」
「では、猪を片腕で止めれば上達できると伝えます。あなたを真似ればいいだけですから」
(どうしたんだ俺は。なぜ熱くなっている)
「ふざけるのをやめろ、カゲヤ」
その台詞をまた聞いて、カインは舌を鳴らした。
「師匠ごっこがしたければ?」
「俺に逆らっているのか」
「まさか、頭領。俺はただ自分の知っていることを練習するだけです。誰かが見たとしても、教えていることにはなりません」
大吾の表情が一気に引き締まった。
「この村でガイリャクシャの技を二度と使うな」
大吾が使ったトーンが、その言葉の重みをカインに伝えた。意味は分からなくても。
姿勢と表情には敵意があった。しかし大吾がカインを見る目には——カゲヤが映っているその瞳には——それが彼に向けられたものではないことが分かった。
(あの目……俺がなぜ反応したか、分かっているはずだと言っている)
カインは視線を保てずに逸らした。
「もうしません……ただ、村の外で訓練することは許してください」
大吾の目が開いて、表情がわずかに変わった。
「何のために」
唾を飲んでから、カインは大吾の目を見返した。
「これ以上迷惑をかけたくない」
それを聞いて、大吾はカゲヤの顔の中にいつものような言い逃れの気配がないか探した。
見えたのは、見覚えのない決意だけだった。無言で板の方へ向き直った。
「他の者に見られるな」
「作業を終わらせろ」
大吾は刃物を手に取りながら言った。
カインは大吾の背中を見てから、梁の皮へ戻り、残りを削り続けた。
(ガイリャクシャ……ヴォイド・ストライダーのことを言っているのか。技の話し方からして、他には考えられない。頭領たちの言葉通りなら「外略者」ということか。なぜ名前が違う)
削りながら、カインの目が大吾へ逸れた。
(あんなトーンは聞いたことがない。シラミネに慎重に探りを入れなければ。カゲヤはこのことを知っていたはずだ)
皮の処理が終わると、大吾へ持っていった。
「これでいいですか」
「乾燥のために張って縛れ。それから戻れ」
「分かりました」
皮を持っていくと、運よく若い狩人が狼の毛皮で同じことをしていた。
(あいつは……土の属性を使っていたやつだ。ミヤマという名前だったと思う)
少し迷ってから離れた干し棚を選び、着いてから皮を確認するふりをしながら、ミヤマのやり方を横目で観察した。
(こいつがいてくれて助かった。どうすればいいかまったく分からなかった)
縛り方を理解してから、同じようにやった。
ミヤマが先に終わって振り返り、カゲヤの存在に気づいた。
「アサヒ?何をしているつもりだ」
(そのトーン……)
「薬草を集めている」
カインは縛る手を止めずに答えた。
「は?」
ミヤマが明らかに苛立ちながら近づいてきた。
「お前はここにいるべきじゃない。狩りに出ていなかったんだから」
「それが何か」
ミヤマの口が開きかけて、カゲヤの態度に閉じた。
「頭領の息子だからって、いつも好き勝手していいわけじゃない」
最後の結び目を終えて立ち上がり、ミヤマに背を向けた。
「許可を取ってくればいいか」
「変わったかと思ったが、見当違いだったかもな。俺は頭領を盾に使えたらいいと思ったことはない」
(そのトーン、従順に振る舞っているが明らかに嫌っている。カゲヤと友人づきあいしていたのも大吾のためだったのは明白だ)
カインはミヤマの方へ向き直り、笑みを浮かべた。
「そんなに羨ましいなら、貸してあげましょうか」
ミヤマは反応できずに、声を上げた。
「選抜で反則をしたくせに、随分と自信満々だな、アサヒ。でも俺たちの中でお前だけがまだムスビガリをしていない」
(それがどう関係する)
「頭領は息子が家の遺産を継ごうとしないことを恥ずかしく思っているんじゃないか」
「俺なら他人の人生にそこまで入り込んでいる自分を恥ずかしく思う」
ミヤマの喉の奥で怒りが詰まる音をカインが聞いた。手を上げた。
「そんなに時間を使って俺の話をしてくれるのはありがたいが、頭領のところへ戻らないといけない」
向き直って歩き始め、ミヤマを苛立たせたまま、表情は変えなかった。
(あいつも結婚してるのか!?この村の人たちはどうなっているんだ)
家に戻ってからも頭の中でそのことが続いた。なぜそんなに急ぐのか理解できなかった。大吾のところへ戻った時もまだ考えていた。
イワカミはすでに戻っていて、もう一頭の鹿を解体していた。
「頼んだことは終わったか」
「ああ……はい」
「遅かったな。何かあったか」
「何もありません」
(話す価値もない)
「よし、次に進もう」
横に立つと、大吾が刃物を渡して、最後の部位ごとの切り分け方を教え始めた。
最初はどこに刃を入れるか分からなかったが、すぐにどこを切るべきか感覚が掴めてきた。
指示だけが、時間とともに続く沈黙を断ち切った。
最後の一切れを切り分け終えて、刃物を置いた。
「持って帰る部位を選べ」
大吾は動かずに言った。
(どれでも同じだが……もし俺の記憶が正しければ)
「これ」
カインは大きめで脂身の少ない一切れを指差した。
「よし」
イワカミがカインの選んだ部位を横目で見て、笑みを浮かべた。
大吾がその切れ身を麻布で包んで、使い古した革袋に入れた。
「俺の特権はもらった、イワカミ。残りは村に」
(特権?頭領だからか)
「よい選択だ。ランプはいちばん美味い部位だぞ」
イワカミが大吾を見てからカインへウインクした。
「俺も同じ部位にしようと思っていたところだ」
イワカミのコメントに、自分が解体していた鹿の同じ部位を指す刃物が添えられた。
(あいつにも選ぶ権利があるのか。だとすれば単なる血統の特権ではないのかもしれない)
「残りはくん製小屋へ持っていく、アサヒ」
「任せた」
大吾が首の動きで息子についてくるよう示した。歩き出す前に、イワカミがカインの肩に手を置いた。
「怒っているんじゃない。心配しているんだ」
振り返る間もなく、ひげ面はもう離れていた。同時に大吾がカゲヤを呼んだ。
(ガイリャクシャのことで言ったのか……)
二人でカツラギの小屋へ向かった。まるで待っていたかのように、ノックする前にホタルが飛び出してきて父親の腕へ跳び込んだ。
礼を言ってから、三人で帰路についた。ホタルは大吾の肩の上だった。
家に入ると、ホタルが大吾と同時に頭を下げるのを見て、これも習慣なのだと分かった。
コハルが笑顔で迎えて、近づくと大吾が身を傾けてホタルを妻の腕に渡した。
「持ってきた、コハル」
袋から大きな切れ身を取り出しながら言った。
「まあ、鹿なんて久しぶりね」
「鹿!?」
ホタルの声に、目の輝きが伴った。
「そうよ、あなたのお父さんが持ってきてくれたのよ。あなたの好きなお肉」
「カゲヤが選んだ」
コハルが目を開けて、娘をそっと下に下ろした。
「大吾、でも慣わしが……」
「問題ない。俺の特権を選んだだけだ」
離れたところでカインはその会話を聞いていた。
(ミヤマがあんなに苛立っていた理由が今分かった)
「おっしゃる通りね、夫。でも……」
コハルが囁くために近づいた。
「まさかまた狩りに連れて行くつもりじゃないでしょうね」
大吾がコハルの方へ顔を向けた。
「俺の目の届く範囲に置く。もう自分の役割を担う時だ」
目を閉じて、今日の狩りを振り返った。
「それに、捕食者の数が……」
「後で二人で話しましょう」
コハルが目でホタルを示しながら遮った。
腰で軽くぶつかってから、肉の切れ身を持って離れた。
「夕食が楽しみ」
カインは会話を全部は聞けなかった。二人の反応を観察していると、手が引っ張られた。
「お兄ちゃん、狩りごっこしよう!」
「ああ……行こう」
ホタルが喜んで、カインを自分の部屋まで連れていった。またクマが怪物を狩り、カインが怪物を演じた。
今度は、ずっと自然にできた。
大吾が戻ってから夕食のために下りた。他の狩人たちが選んだ部位を確認して、残りがくん製小屋へ届いたのを見届けてから帰ってきていた。
机にはカインが嫌いなスープの椀が並んでいたが、中央には煮た野菜と鹿肉の何切れかが添えられていた。
コハルがこういう日のためにとっておいたわずかな香辛料の香りが漂っていた。
その隣に、朝作ったデザートの小さな切れ端が置かれていた。
目を輝かせたホタルが、夕食の始まりを告げる祈りのために目を閉じて手を合わせるのがやっとだった。
大吾が祈りを終えると、四人で食べた。コハルとホタルが今日の出来事を話す声が、場を温かくした。
それはホタルの一日を大吾に伝えるためでもあった。
前の日々と違い、カインはより注意を向けた。村の仕組みをもっと知りたかった——ただ内側では、それ以外の何かが引き寄せていた。
食べ終えると、礼を言ってから部屋へ上がった。
横になって、木の天井を見ていた。大吾がホタルを寝かせに行き、コハルが皿を洗い始める音が聞こえてきた。
その短い間に、なぜか持ってきてしまったデザートの一切れをゆっくり取り出した。
大吾がホタルに子守唄を歌い始めた。
口に入れて、ゆっくりと噛みながら、かろうじて聞こえてくるあの旋律を聴いた。
(ただ、この瞬間だけは……)
飲み込んで、目を閉じた。なぜかは分からなかった——肩が、ほんのわずかに軽くなった気がした。




