僕のものではない温もり
カインは木のドアを見つめていた。消えようとしないその感覚の中に、迷い込んだまま。
手が胸を押さえていた。感じているものを押し返そうとするように。目を閉じて、ゆっくりと何度か息をした。
(忘れるな、カイン。やるべきことを)
息が入って出るたびに、ドアだけでなく、村全体が遠ざかっていった。
何にも誰にも囲まれていない感覚だけが残った。
その侵食するような感情が少しずつ引いていき、カインが瞼を開けると、ドアが大きくなったように見えた。
(ここにいてどのくらい経ったんだろう)
視線をドアに定めた。
(帰る準備をする間にも、もっと失っていく)
腕がゆっくりと上がり、ドアに手をかけた。
(迷っている余裕はない)
押し開けると同時に、ホタルがコハルと話す声が隙間から耳に入ってきた。
カインが入って後ろのドアを閉めると、木が当たる音が鳴った。
「お兄ちゃん!」
ホタルがすぐに気づいて、こちらへ向かって跳んできた。
「ママがね、お兄ちゃんの一番好きなもの作ったんだよ!」
小さな手がカインの指を三本包んで、机の方へ引っ張った。
その小さな腕に力などなかったのに、体はついていかずにいられなかった。
「ちょうどよかった、息子。座って。もう盛りつけるから」
カインは答えなかった。答えたくなかったのか、答えられなかったのか、自分でも分からなかった。
ホタルが自分の席まで連れていった——クマが守っている、小さくて背の高い椅子。
ホタルが両腕を上げた。カインが抱き上げて、ぬいぐるみの隣に座らせた。
ナタンと過ごしたあの日々の習慣で、自然と体が動いていた。
コハルが皿を並べ始める間、カインはカゲヤの席へ向かった。
座ると、机の一点を見つめた。あの塩辛いスープの香りだけが届いていた。
ホタルの目がコハルを追っていた。真ん中に何かが置かれた瞬間、目が輝いた。
指でそれを差して、笑顔になった。
「食べていい、食べていい、ママ!?」
その声でカインが顔を上げると、見たことのないものが皿の上にあった。
黄白色のゼリーのようなもの。茶色の点がいくつか飾られている。
「最後のお楽しみよ、坊や」コハルが微笑みながら答えた。
「うぅ……」
ホタルの小さなぷくれ顔の後、全員が手を合わせた。コハルがカインもすでに覚えた祈りを唱えた。
「世界のマナに感謝する。命の循環に。去るものは戻り、終わるものは再び始まる」
手が離れると、ホタルはデザートを見つめながらいつもより速く食べ始めた。
コハルが近づいて、ゆっくり食べさせながらそのペースを落ち着かせた。
「何をしに出たの、息子?」
カインはゆっくりと飲み込んだ。麦が喉を通っていく感覚があった。
「シラミネと話していました」
コハルの顔に笑みが浮かんだ。
「また話せるようになってよかった。あなたがいない間、ずっと寂しがっていたんだよ」
その笑みが少しずつ薄れた。
「何度かここにも来てくれて……あの時は……」
コハルが言葉を止めた。
「奥さんはお元気?」
カインが野菜で喉を詰まらせた。
(結婚してたのか)
ホタルが笑った。コハルがカインに大丈夫か聞いた。
水を飲んでうなずいてから答えた。
「その……話はしませんでした」
(全然知らなかった)
「聞いてあげて、カゲヤ。友達でしょう」
コハルが小さな娘への食事を終えた。
「少し心配していたの。関係は良くなったみたいだけど、最初はムスビガリの後でとても険しかったから」
(また分からない言葉)
「分かりました。聞いてみます」
ホタルはカインがスープを飲み終えるのを待ちきれない様子で、コハルがデザートを少し切った。
「ゆっくり食べなさい、坊や」
「は〜い、ママ!」
「はい、息子にも」
カインは切り分けられた一切れを見た。
「ありがとうございます」
(ホタルが好きなものって言った時、魚だといいなと思ってた)
スプーンで一口切り取って口に入れた。噛むと、少し硬いのにふしぎと柔らかい食感だった。
(……甘い)
デザートがほどけていく。歯の間で蜂蜜に包まれた干し柿の小さなかけらが弾けた。
(甘すぎる。甘いものは得意じゃない)
スプーンが手から滑って、そのまま床に落ちた。
カインが屈んで、床を見た瞬間、目の前に水滴が一つ落ちた。
その涙がこぼれた理由を、顔の表情は何も語っていなかった。
湿り気が完全に裏切る前に右目に手を当て、素早く拭ってからスプーンを拾った。
椅子に戻ってから、もう一口運んだ。
「気に入った、息子?あなたが好きだったあの梨を使ったの」
カインはゆっくりと噛んだ。
「はい、……懐かしい味がします」
コハルはカゲヤがもう一口食べるのを見て微笑み、それからホタルにも少し追加で切ってあげた。
カインは飲み込んだ。それと同時に、ホタルの歓声が聞こえた。
「ごちそうさまでした」立ち上がりながら言った。
「もう食べないの、息子?」
「後で。シラミネに何を言うか考えておきたいので」
コハルの目が、若者が階段へと向かう後ろ姿を追った。
階段の途中で、カインが上り始める前に一言言った。
「ありがとうございました……デザート」
ホタルが楽しそうに喜ぶ声が、一段ずつ上がるたびに遠ざかっていった。
部屋に入ってドアを閉め、そこに背を預けた。
手を上げて、掌を見た。
(日が経つほど、これが難しくなる。俺は制御を失いかけているのか)
部屋の静寂が体を包んだ。背中が少しずつ下へ滑り始めた。
かかとが反応して後ろへ引き、体を止めた。
(考えるな!)
一気に体を起こして、正面を向いた。
(やるべきことに集中しろ。この体の属性を制御しなければ)
カインは脚を折り曲げてベッドに座った。
(すまない……でも俺にも待ってくれている人がいる)
目を閉じ、この体の核に意識を向けた。シラミネの言葉だけを心がけようとした——力で押さえ込むのではなく、感じること。
何分間かマナを核から体の各部へ流し続けたが、うまくいかなかった。
(マナが体を流れる感覚だけがある。シラミネが言ってたような熱さが感じられない)
カインの足が速く動き始めた。
拳を握り、ベッドを叩こうと目を開けた瞬間、ホタルが湯を満たしていた姿を思い出した。
(待て……あの子はどうやったんだ)
シラミネが言ったことを一つずつ丁寧に思い返していた。そこで、見落としていた何かが止まった。周りのマナと繋がること。
左手を伸ばして浴室の紋様を模倣し、もう片方の手の二本の指を掌へ近づけた。
(俺は自分のマナを外へ向かって押し込もうとしていた……繋げようとしていたんじゃない)
二本の指がかすかに光った。
(ここが俺が技を爆発させる場所だ。でも浴室があのマナだけで動くなら、問題はないはずだ)
マナが散った。
(あの紋様は反応しなかった。何か間違えている)
もう一度目を閉じた。手が下がって脚の上に置かれた。
(力むな。制御しようとするな……ただ感じろ)
呼吸が緩んだ。集中しながら、手がいつの間にか指輪のあるはずの指をなでていた。
カインは胸の辺りから小さな風が生まれているのを感じ始めた。だがすぐには気づかなかった。指輪のない空洞を感じながら何かを探している感覚が、しばらくその風を隠していた。
迷子になっていた深さが少しずつ薄れていった。ゆっくりと目が開き、シャツが静かに揺れているのが映った。
手をそっと離した。属性と繋がった感覚が、カゲヤのことをもう少しだけ伝えてきた。
(感じられる。シラミネが感じると言った熱さとは違う。どちらかというと……涼しさだ。自由を求めているような)
両腕を前に伸ばした。あの風が腕を包むのを感じながら。
(位置は固定されていない……でも俺にはそれができない。やらなければならないことがある)
両手を握り締めると、感覚が消え始めた。
風が薄れていく中で、コハルの声が下から届いた。ホタルをカツラギのところへ連れて行くように。
「分かりました!」
ベッドから立ち上がり、ドアへ向かった。
(後は響導の息吹をシラミネにちゃんと教えてもらうだけだ)
ドアを開けると、最初に目に入ったのはホタルが待っている姿だった。
「準備できてるよ、お兄ちゃん!」
カゲヤの顔に、小さな笑みが生まれた。
「行こう」
二人で下りて、出る前にカインが少し立ち止まった。後ろを向いて片付けをしているコハルの背中を見た。
「後で戻ります。シラミネのところへ寄るんですが、今どこに住んでいるか……」
「聞いてなかったの?結婚してから、村の入口近くに引っ越したのよ」
(やっぱり。カゲヤはシラミネが結婚した時、ここにいなかった)
「そうでしたね、話していませんでした。でも聞きます。どの家ですか?」
コハルが最後の皿を拭いて立てかけた。
「入口から入って、右側の二軒目。外に植木鉢があるよ」
「ありがとうございます。後で戻ります」
「遅くならないように」
「はい」
「行ってきまーす、ママ!」
コハルが振り返り、笑顔で二人を見送った。
カインがドアを開けて、ホタルと一緒に出ていった。コハルはドアが閉まるのをじっと見ていた。
「いつも帰っておいで」
風が開いた窓から入ってきた。それからコハルは仕事へと戻った。
外では、ホタルが楽しげな足取りで先を歩いていた。
小さなブーツが一跳びするたびに、雪の上に跡を残した。
カインはその後を覚えながら歩いた。道すがら、あちこちから声がかかった。
「今日は嬉しそうだね、小さなアサヒさん」
「うん!お兄ちゃんが一緒に来てくれたの!」
「今日も勉強頑張る?」
「うん、ばっちり!」
カゲヤへの声もあったが、ホタルが中心なのは誰の目にも明らかだった。
道のりは短かった。カインにとって、一言一言が何かを責め立てるように聞こえた。
ホタルがかなり古い小屋へまっすぐ走っていった。外に木の看板があり、彫られた文字をカインは読めなかった。
「着いたよ、お兄ちゃん!」
「ああ。何時に迎えに来ればいい?」
「来なくていいよ。パパが来るから」
「そうか。じゃあ家で」
「うん!」
カインはその場を離れられなかった。老医師がドアを開けるのを待った。ホタルが中に入るのを確かめたい気持ちが、なぜかあった。
ドアが開いて、ホタルはほぼ駆け込むように入っていった。
「萌えるマナを、アサヒさん」
「ああ、はい、萌えるマナを」
「小さなアサヒさん、今日はとても嬉しそうですね」
身を傾けると、ホタルが巻物のそばに座るところが見えた。
「勉強が好きみたいですね」
カツラギが彼女らしい奇妙な笑い声を立てた。
「見間違えていらっしゃいますよ、見えているものが全てではありません。それより、体の具合はいかがですか」
「ずっとよくなりました」
老医師は笑って、家の中へ向かった。
「それを聞いて安心しました。妹さんは素晴らしい癒し手になるために、一生経命勉強していますよ」
カツラギの体がホタルの姿を隠した。
「頭領がいらっしゃるまで、私が見ています」
微笑んで、老医師は別れを告げた。
「今日という日が、あなたの探すものを与えてくれますように」
ドアがゆっくりと閉まった。カインは向き直り、村の入口へ向かって歩き始めた。
(見えていないんじゃない)
視線が、端に並んでいる小屋へ向いた。
(ただ、もっと難しくなってほしくないだけだ)
皆様、こんにちは。
私の小説に時間を割いて読んでくださり、心から感謝申し上げます。
これまでの26話は、私が過去6ヶ月間書き溜めてきたものです。この物語を皆様と共有し、カインの歩みを読んでくださる方がいることを本当に嬉しく思っています。
ここまでで、ストックしていた原稿をすべて公開し終えました。
そのため、今後の更新ペースは「3〜4日に1話」に変更となります(もちろん、できるだけ早く更新できるよう頑張ります)。仕事と私生活の都合上、執筆に専念することは難しいのですが、更新時間はこれまで通り「17:30」を予定しています。
正確な更新日をお約束できないのは心苦しいのですが、私にとってこの物語は非常に大切なものです。だからこそ、今後のエピソードでも品質を保ち、細部まで丁寧に書き上げていきたいと考えています。
もしこの物語を楽しんでいただけているなら、「ブックマーク」と「評価」をお願いできないでしょうか。皆様からの応援が、私が執筆を続けるための最大の支えになります。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
それでは、次のエピソードでお会いしましょう :)




