核に宿る記憶
(なぜ俺はいつも同じことをするんだ)
カインはベッドに腰かけ、窓の外で一羽の鳥が枝の巣に降り立つのを眺めていた。
(自制できなかっただけじゃない。意識まで失った。大吾が担いで連れ帰ったはずだ)
(コハルが見ていたはずだ……心配させた。怪我して帰らないと約束したのに)
カインはカゲヤの手を見つめた。
(この体を危険にさらす権利が俺にあるのか。この家族を巻き込んで)
体中に痛みが走っていた。特に脚が。
(全部間違えてる。この体の生命力を削って、あの家族を心配させて……それでもまだ帰り方が分からない。帰れるかどうかすら)
(いっそ……やめてもいいんじゃないか)
(このままでいることを、受け入れてもいいんじゃないか)
カインは指輪のなくなった指を押さえた。じわじわと力を込めていった。
……
自分に与えた痛みが、カインを一気にベッドから立ち上がらせた。
(何を考えてるんだ! 帰らなければならない。ナタンに付き添うと約束した。ダイランは今頃、自分を責めているはずだ)
うなじに手をやった。ゴムのない感触。
(エラーラにまだお礼を言っていない。あのゴムのこと)
カインは服を着て、部屋の鏡の前に立った。
(お前は難しい体を残してくれたな、カゲヤ。エラーラだったらお前で床を拭いてたぞ)
視線が、何かを訴えかけるような緑の瞳に止まった。
(ちゃんとやる。お前の家族を巻き込まない。ここにはいられないけれど)
ドアに近づくと、コハルが朝食を作る音が聞こえてきた。
(これ以上ややこしくならなければいいが)
カインは部屋を出て階段を下りた。
大吾の姿はなかった。コハルが何人分かの料理を作っていた。
何を言えばいいか分からずに立っていると、大吾が自分を連れずに狩りへ出たのだと悟った。
コハルがカゲヤの気配に気づいた。
「よく眠れた、カゲヤ?」
振り返らずに、手を動かし続けながら。
「はい、よく眠れました。選抜が今頃始まってると思うので、また後で」
「しばらく狩りには行かせない」
コハルは言った。
野菜を切る手つきが少し荒くなった。
「まだ完全に回復していないと分かったから」
カインが彼女の方へ一歩踏み出したが、何かを言いかけて止まった。
(当然だ。あんなことをした後、他に何を期待できる)
「分かりました」
背を向けてもう一度上がろうとしたとき、コハルが振り返った。
「朝ごはん、まだかかるよ、カゲヤ。お風呂に入るか休んでいて。できたら声をかけるから、一緒に食べましょう」
「ありがとうございます」
カインは答えてから上がり、浴室へ向かった。
中で気づいた。体の小さな切り傷がきれいになっていた。擦り傷を負った手も。
(コハルが、俺が意識を失っている間に)
湯船の紋様に近づき、何度か触れた。まずマナを指先に纏わせてから。
(全然反応しない! ホタルは簡単そうに見せてたのに)
だんだん強く押しつけていった。そのうち拳になり、叩き始めた。
(この体が弱くて、ネサリのようにマナが使えないなら、どうやってここから出る)
拳を空中で止めて、目を閉じた。
(待て……試せることがある)
急いでブーツとコートを手に取り、玄関へ向かった。
コハルが包丁を調理台に置いて、カゲヤのそばへ来た。
「どこへ行くの!?」
「少し外の空気を吸いたいだけです。村の外には出ません。約束します」
コハルの顔が強張り、片手を握り締めた。
「大丈夫です。もう心配させません」
息子の目を見て、コハルは力を抜いた。
「遅くならないで。ご飯が冷めるから」
カインはドアを開け、朝食には戻ると約束してから出た。
真っ直ぐ井戸へ向かった。歩みがだんだん速くなった。
(見つからなかったら? 今のところ、これしか思いついていない)
井戸に着いて、あたりを見回した。
(自分を騙している……今日の狩りに行った可能性の方が高い)
視線が何度も村の出口の方へ逃げた。
数分後、シラミネが桶を持って井戸の方へ歩いてくるのが見えた。
(よし! やっと必要なことが起きた。落ち着け、カイン。できるだけ自然に)
シラミネは下を向いて歩いていた。近づいたところで、カインが呼んだ。
「シラミネ、狩りに行かなかったのか」
質問のつもりが、感情が先に出て、言い切ってしまった。
「ああ、アサヒ。もう大丈夫か?」
シラミネは顔を上げた。
「それより聞きたいことがあって……」
シラミネのトーンがいつもより沈んでいるのに気づいて、カインは言葉を止めた。
「大丈夫か? 今日の狩りに行かなかったのと関係してるのか?」
シラミネがため息をついた。
「相変わらず早いな、アサヒ。クロサワと当たって、負けた。言うまでもないだろう」
(五番手め。戦いのレベルは似たようなものでも、あのでかい耳のやつはマナの量が多い。それだけで決まる勝負なら結果は見えてる)
カインは目を逸らしながら、頭の中で答えを予測しつつ問いかけた。
「なぜいつも負けるんだ」
シラミネがゆっくりと顔を向けた。
「なぜ? あいつのマナとの繋がりが俺たちより強い。冗談か、アサヒ」
「冗談じゃない。繋がりが強いってどういう意味だ」
「絶対冗談だろ」
「違う。冗談じゃない。マナはいくらでも鍛えられる」
シラミネは自分の尖った耳を指で示した。
「努力は生まれ持った才能には勝てない!」
カインは瞬きをして目を開けた。予想外の答えだった。
(だから五番手は昨日あの仕草を……)
「それは出発点であって、ゴールじゃない」
「聖花道に行って強くなったから、そんなことが言えるのか」
カインはマナをうっすら纏わせた腕をシラミネに向けて伸ばした。
何も言わずに指を広げ、マナを指の間で動かし始めた。
指全体が、腕のマナをその場所に集めるとわずかに明るくなった。
「口だけじゃない。俺自身がやってきたことだ」
シラミネが黙って見ている間、カインはもう片方の手を耳に当てて、輪郭を確かめた。
感じていた通りだと分かって、かすかに笑った。
耳はそんなに長くない。
シラミネと大して変わらないくらいだ。
「それが絶対の法則なら、なぜ昨日俺が勝てたんだ」
シラミネの目が、カゲヤの耳に当てられた手と、指の間でかすかに揺れる鈍い緑色のマナの間を行き来した。
「それが聖花道で教えることなのか。俺にも学べると思うか?」
「努力すれば。一朝一夕にはいかないけど」
マナが手から散った。
「やり方を教えられる。後は自分次第だ」
シラミネが少し近づきながら、笑顔になった。
「嫌いじゃないぞ、この新しいお前。戻ってきてから、もっと自信を持って話すようになった。あの新しい友達のおかげか?」
カインはシラミネの笑顔とトーンの奥に何かを感じた。
嫉妬、だろうか。
それでもダイランとエラーラを思い出して笑みが浮かんだ。
「違う。あいつらは俺に訓練させたくなかった」
「え? それは……ずいぶんおかしいな」
カインは手で右目を覆った。
(おかしいのは、あいつらがあんなに俺のことを心配してたことだ)
シラミネがカゲヤのしぐさを観察した。
「そのポーズも持ち帰ってきたのか」
カインの唇の端がかすかに動きかけた。手を下ろしながら。
「ただの……癖だ」
「いいな。神秘的に見える」
シラミネが笑いながら真似した。カインも笑い返したが、それを見るのは少し落ち着かなかった。
「はいはい、分かった。もうやめてくれ。それより、シラミネ、頼みたいことがあって」
「何でも聞く、アサヒ」
カインは湯船の紋様を押していた指を立てた。
(今はこっちの方が先だ)
「信じてもらえないかもしれないが……マナを属性に変換するのが難しくなってる」
「はははっ、またそのネタか、アサヒ」
(カゲヤ! 誰もお前を本気にしなかったんだな)
「本気で言ってる。あの件から……ずっとうまくいかない。新しい訓練の仕方が邪魔してるのかもしれない」
シラミネの顔が変わった。好奇心だけでなく、心配の色が出た。
「待ってくれ。冗談じゃないのか? そんなことが起きるなんて聞いたことない。アサヒ、何があったんだ」
カインは目を逸らした。
「それは関係ない。なぜできなくなったのか知りたい」
シラミネは腕を組んで、カゲヤの状況を考えた。
「マナの操作は抜きにして……聖花道でどのくらいまで進んでた?」
(段階があるのか! 操作と変換だけだと思ってた。属性のマナの操作すらできないのに……)
「操作も……できない」
カインの声がほとんど口から出なかった。
「何だって」
カインがわずかに唸った。顔が強張った。
「基礎を忘れた」
「お前が? 基礎を忘れた、お前が? 信じられない」
「本気で言ってる。内側の……流れに集中しすぎた」
「内側の流れって、俺に教えてくれた技のことか? でもアサヒ、お前は響導の息吹をずっと使ってたじゃないか」
(響導の息吹……)
「使ってた。今はできない」
カゲヤの顔に浮かんだ戸惑いと、こちらを見ようとしない様子を見て、シラミネは信じることにした。
「そうか。大変だな。しかも父親には言えないし」
「ああ。がっかりさせたくない」
カインが横目でシラミネを見た。言葉が本心から来ているのが表情に出ていた。
(待て……なぜ「がっかりさせたくない」と言った)
「分かった。助けるよ、アサヒ。ナイシンカを見せてくれ」
(何が起きてる? なぜそんなことを)
カインは答えなかった。
シラミネがカゲヤに近づいた。
「大丈夫か?」
「あ……うん、何でもない」
カインが頭を振った。
「どうすればいい?」
「どれだけ操れてるか確かめるために、ナイシンカを見せてくれ」
「お前がやってくれた方がいい。俺には何が間違ってるか見た方が分かりやすい」
「それはそうかもな」
シラミネが手を伸ばして、掌を空へ向けた。
そう時間もかからず小さな炎が生まれた。風に揺られて揺れている。
(ナイシンカとは属性を生み出すことか。マナを一点に集中させる感覚は分かる。分からないのは変換の仕方だ)
カインは顔をほとんどシラミネの手に近づけるくらい寄せた。その炎から目が離せない。
(掌と繋がっていない……ということは核からマナを流すのと、体から流すのが違うのか)
「アサヒ、ちょっと緊張するんだが」
シラミネが後ずさりして炎を消した。
「何か分かったか?」
(あまり収穫はなかった)
カインが目を閉じた。
(ネリコもノブヒラも、属性は一つだけだった)
「それで?」
シラミネが言った。
しばらくしてから、カインは目を開けてシラミネを見た。
「属性はどうやって起動する?」
「それが何の役に立つんだ、アサヒ」
「後で教える技のために」
シラミネが少し首を傾けた。
「待てよ。俺のを直す話じゃなかったのか?」
「ただもらうつもりはない、シラミネ。クロサワに勝てるようにしたい」
シラミネの目が開いた。
「本当に勝てると思うか?」
「もちろん。ただ時間はかかる。定期的に練習しないといけない」
「いいな、アサヒ。その技というのは、さっき指の間でマナを動かしてたやつか?」
「それだ」
カインは自分の手へ視線を落とした。
「でも属性の生み出し方が分からないと教えられない」
シラミネがカゲヤの手を見た。
「……確かにそうだな」
(助かった……この世のすべてに感謝だ。シラミネ、後でちゃんと教えるから許してくれ)
「俺のナイシンカの起動の仕方は……どう説明するか。核が熱くなって、それを広がるに任せる感じだ」
シラミネがもう一度手を動かして、小さな炎を作った。
「それから、解放したい場所へマナを持っていって……それだけ」
「え?」
(待て、それだけなのか)
「つまり、属性を感じるだけということか」
「そう」
シラミネが不思議そうに言った。
「他のやり方を知らない」
「少し……待ってくれ」
カインが背を向けた。
(感じるだけ、だと!? それじゃ何も分からない……いや待て、感じる?)
自分の手を見て、指を開いたり閉じたりした。
(俺たちはまずマナを吸収して体と融合させて、それから流して、動かして、凝縮させることを学ぶ)
(俺が覚えたのは、自分の技のために一気に解放すること)
シラミネの方へ向き直った。
「感じると言ったとき……核から始まるんだろう?」
シラミネが首を傾けた。
「他にどこから始まるんだ」
「なるほど。変換は核の中でして、そこから流す」
「変換というより……マナが属性と繋がるに任せる感じだ。風ではやり方が違うのか?」
「……似てる」
(全く分からない)
シラミネが二歩近づいた。
「それで? どう教えるか分かったか?」
「ああ……それで十分だ」
教え始める前に、コハルへの約束を思い出した。
「でも今じゃない。帰らないといけないから、後で教える」
シラミネが不満そうにため息をついた。
「お母さんの朝ごはんは外せないもんな。まあ確かに、俺も家の水汲みで来たんだった」
桶を手に取って井戸へ向かった。
「忘れるなよ、アサヒ」
「忘れない。昼飯の後にここで」
カインは歩き出した。急いで戻らなければ。
(部屋に戻ったら試してみる。カゲヤの属性を制御できれば、帰るための一歩に近づく)
そのうちマナのことが頭から消えた。
ただ帰りたかった。
コハルの朝ごはんが冷める前に食べたかった。
歩みが走りに変わった。口元にわずかな笑みが浮かんだ。
玄関に着いた瞬間、ぴたりと止まった。
(なぜだ。なぜあんなに帰りたかったんだ)
心臓のあたりに手を当てた。
(またこれだ)
(俺のものじゃない何かを、感じている)




