消耗の代償
「カゲヤ!」
カインが弓を手に猪へと真っ直ぐ駆け出すのを見て、大吾の叫びが漏れた。
カゲヤの体が震えていた。骨の奥まで食い込もうとするような感覚だった。
(止まるな、カイン。全部無視しろ)
猪が力強いうなり声を上げ、背に沿って走る剛毛が逆立った。その音が木々に跳ね返り、枝を覆っていた白い層を振るい落とした。
近づいてから、カインは獣の大きさを測った——大吾とほぼ同じくらいある。回り込もうとしたが、猪はカインを見失わなかった。
(突進にだけ気をつければいい)
マナを纏わせないまま矢を放った。硬い皮膚に弾かれた。怒った獣が突進の構えを取った——カインが待っていたのはそれだった。
止まらずに木々へ向かって走り続けた。
猪が一直線に突っ込んできた。踏み込むたびに小さな氷の結晶が地面に生まれた。
牙から滲む白みがかったマナが、突進とともに霞のように広がった。
追いつかれる寸前、カインは幹を蹴って跳び、片手剣を抜きながら刃にかすかな緑色のマナを纏わせた。
衝突が最初の木を粉砕した。空中でカインは跳んで背中へ着地し、片手で毛皮を掴んだ。獣が放つ凄まじい冷気が直接手に伝わった。
叫びながら刃を突き立てた。猪が激しく反応し、絶え間ない突進で木々を破壊しながら暴れ回った。
飛んでくる木片を避けるため体を伏せると、全身が一気に冷えた。
獣が止まり、背を何度も丸めながら不規則に跳ね上がり始めた。
カインは全力で毛皮と剣の柄にしがみついた。左手の指が、獣から滲み出る凍てついたマナで感覚を失っていった。
猪が激しく身をよじった瞬間、カインは掴みきれずに弾き飛ばされ、数メートル先の空中を飛んで地面に二度叩きつけられた。
最後の衝撃で肺から空気が絞り出され、地面を引きずられた。
息を取り戻そうともがきながら、獣を目で探した。見つけた瞬間、ぼやけた輪郭が銀色の猪のそれに重なった。
ヴォイド・ストライダーを貫いた瞬間の記憶、そしてヴェルへと共に落ちていった記憶が重なって、恐怖が膨らみ——それが深い怒りへと変わった。
右手を握った。片手剣の柄が手の中にあった。
獣が前脚を地面に叩きつけ、カインへ向かって突進を始めた。
カゲヤの核に残った全てのマナを総動員し、全身へ流し込んで、素早く立ち上がった。
跳び上がって躱した。紙一重だった。頭を下に向けながら、猪が別の木に激突するのを見下ろした。着地した瞬間、技の反動で全身に深い痛みが走った。
動物が身を翻す中、体が強張るのをうめきながら感じた。
(この体は何も耐えられない)
猪は再び突進しなかった。脚を広げ、牙からマナが消えた。
数秒後、カインの周囲の地面が小さな円を描きながら凍り始めた。その円から小さな氷の尖端が顔を出すのに気づいて目を見開いた。
後ろへ跳んだ。凍てついた円から氷の杭が突き出るのを、驚きで見つめた。
本能が、串刺しの死から救っていた。
(まさか。ここの獣も属性が使えるのか?)
地面は凍り続け、瞬く間に周囲を囲んだ。
(マナが尽きた……もう他に手はない)
杭が出た瞬間、カインは足元に小さな爆発を起こして跳び上がった。
速度は凄まじく、制御は粗かった——想定より高く飛び上がった。脚が振動し、即座に感覚を失った。
時間を無駄にせず、さらにマナを絞り出しながら猪へ真っ直ぐ向かった。片手剣が先ほどより強く輝いた。
その瞬間、意識が薄れ始めた。
目が閉じるのを止められなかった。体が落ちていくのを感じた。顔の横を風が勢いよく通り過ぎた。
落下は柔らかい衝撃で止まった。体が何か固いものに包まれ、柔らかい毛皮に覆われた。
反応できた時には、大吾の腕の中にいた。視界に入ってくる枝の間で、猪が遠ざかっていった。
大吾は太い枝の上に止まった。地面からかなりの高さがある。大吾はカインを真剣な目で見ていたが、一言も発しなかった。
自分が羽織っていた毛皮を脱いで、息子の体にかけた。
カインが何かを言おうとした時には、大吾はすでに獣へ向かって跳び出していた。
走りながら獣へ近づいた。表情はなかった。猪が攻撃を再開し、次々と氷の杭を生み出した。大吾はそれを難なく躱した。
反応しているのではなかった。どこに出るか分かっていた。
獣から数メートルの距離になった瞬間、猪が突進の構えを取った。
大吾はどっしりと地に足をつけ、衝突した瞬間、片手で猪の鼻面を掴み、もう一方の手で牙を握った。
膝を曲げ、ブーツが土を削りながら、突進を止めた。
喉の奥から唸りを上げながら、大吾は獣の頭を回し、地面へ叩きつけた。
猪が立ち上がれないよう、膝を頭へ強く押しつけた。獣は地面でもがくだけだった。
斧を持ち上げ、風を纏わせた。凝縮された深い緑色の刃が生まれ、閉じ込められた風がその形を保ったまま回転した。
両手で、計算された激しい一振りを放ち、首を両断した。
切断は地面にまで達し、前方へ二メートルの長い亀裂と数センチの深さの溝を刻んだ。
攻撃の風が解放され、カインのいる場所まで届いた。腕で顔を覆った。
腕を下ろすと、大吾が近づいてくるのが見えた。
(分かった、カゲヤ。なぜお前が怖がるのか。マナで体を強化していないのに、その力は途方もない)
(それに引き換え、俺は……何もできなかった)
脚の感覚の麻痺は引かなかった。
(ただこの体に、限界以上を要求しただけだ)
大吾が枝へ跳んできた。
「具合はどうだ」
(息が切れている。疲れ果てた)
「悔しい。あの猪は俺のだった」
「ふざけるな、カゲヤ」
大吾の表情は変わらなかった。だがその声音には怒りがあった。
「マナが尽きた状態で無理に使う代償は分かっているだろう」
カインは視線を逸らした。
「分かってる」
(お前が思う以上に)
「戻ったら、なぜあんな戦い方をしたか説明してもらう」
大吾が抱えようとして近づくと、カインは手を伸ばした。なぜそうしたのか自分でも分からなかった。
あの高さから下りられないことは分かっていた。マナを限界まで使い、完全に消耗していた。
弱いと思われたくなかった。自分の足で戻れないことを認めたくなかった。そう自分に言い聞かせようとしていた。
「……下りるのだけ、手を貸してくれ」
大吾は無言で息子を抱え上げ、地面へ降りた。歩き始めると、カインは毛皮を返そうとした。
大吾は何も言わずに受け取り、出発する前に自分で羽織った。
カインは頭領が猪を村へ運ぶ準備をするのを眺めた。まず牙を外して別々に、布に包んで保管した——布はじわじわと凍っていった。
胴体を縄で縛った。それ自体はもう冷気を発していなかった。
視界の端がぼやけ、かすかに揺れていた。
大吾が猪の胴体の準備を終えた。
「戻るぞ」
カインはうなずだけで、後に続いた。
帰路を歩くにつれ、一歩ごとに体が傾くような感覚があり、呼吸も乱れてきた。
「アサヒ!」
イワカミの声が、大吾が猪を引きずる音だけだった静寂に割り込んだ。
ひげ面の男が走ってきた。
「みんなもう村にいるぞ!」
巨大な猪の胴体を見て、足が止まった。
「お前のことはいつまで経っても心配にならないな」笑いながら言った。
何も言わずに縄をイワカミへ渡して背を向けた。イワカミが戸惑った顔で見ていると——
その時、カインが地面に倒れた。
大吾は身を屈めて息子を毛皮で包み、抱き上げた。
「戻るぞ、イワカミ」
イワカミはもう一度猪を一瞥して内心で文句を言ったが、命令に従った。
猪の巨大な体を引きずりながら、大吾が刻むペースを乱さなかった。二人は森を出た。村の大きな輪郭が見えた瞬間、イワカミがほっと息をついた。
村に入ると大吾が先を行った。
「すぐ戻る」
「気にするな、アサヒ。帰る前に終わらせておく」
「カツラギのところへ行ってくれ。俺の家へ来るよう伝えてくれ」
「今すぐ行く」イワカミは縄を放して答えた。
大吾の足は止まらなかった。好奇の視線とひそひそ声が、家に着くまで後をついてきた。
コハルは鼻歌を歌いながら野菜を切っていた。夫のブーツの独特の音とドアが開く音を聞き分けた。
「早かったね、料理がまだできてない」
包丁を置いて振り返った。
「狩りはどうだった?」
カゲヤを大吾の腕の中に見つけた瞬間、顔が変わった。二人のもとへ駆け寄った。
「カゲヤ!何があったの?」
大吾は階段へと向かい続けた。
「下りてきたら話す」
コハルは部屋まで追いかけ、大吾がカゲヤを寝かせて毛皮をかけるのを見守った。
二人は廊下へ出た。
「腕に傷があったのはなぜ?」
「選抜のとき、クロサワとの組み手でできた」
「あの子とやらせたの?クロサワの方がカゲヤより強いって知ってるでしょ。信じられない。だから帰ってきたときあんな様子だったのね」
大吾が階段を下り始めた。
「カゲヤが勝った。しかも一発の蹴りで」
コハルが目を見開いた。驚きの後、信じていないという顔になって台所まで後をついて行き、同じ表情のまま腕を組んで説明を待った。
「弓の試験では風の属性を使わなかった。マナを変換せずに矢全体を包んだ。的に当たっただけじゃない——粉砕した」
コハルがわずかに唇を開いた。
「その時、聖花道での一年が報われたと思った」
「だからクロサワとやらせたの?」
大吾がかすかな表情を見せた——苛立ちとも取れる、抑えたような何かだった。
「あいつが気に入らない。この家は代々、村の頭を担ってきた」
コハルが一瞬だけ笑み、それからもとの表情に戻した。
「それでも、カゲヤがまだ回復中だということは分かってるでしょ」
「確かめる必要があった。言葉で反抗するだけじゃないことを。そしてあの子は勝っただけじゃなかった——別人のように動いた」
コハルの腕がゆっくりとほどけた。
「木刀を投げて注意を引いただけじゃない。距離を詰めて、見たことのない技を使った」
「だから狩りに連れて行くことにした」
「試験だけで、あとは訓練させるって言ってたのに、大吾」
「甘やかし続けるわけにはいかない。あの子には果たすべき義務がある」
二人は黙って見つめ合った。
コハルが何かを言いかけた時、ドアが三回ノックされた。コハルは大吾へ指を一本立ててから、玄関へ向かった。
「カツラギ先生」
「ご機嫌よう、アサヒさん」
老医師が家に入った。
「頭領、すぐ来ました。イワカミから事情は聞いています」
コハルはカツラギに付き添いながら道すがら尋ねた。
「ホタルは?」
「はい、弟子と一緒に勉強させておきました」
大吾は台所で待ちながら自分の手を見ていた。牙の凍てついたマナで、軽い火傷ができていた。
診察が終わると、二人の女性が下りてきた。
「では失礼します、頭領」
「来てくれてありがとう」
「日が少し高くなったら、ホタルちゃんをお返しします」
「助かります」コハルは玄関で見送った。
そのまま大吾のそばへ戻った。
「カツラギ先生が言ってたわ。カゲヤがマナを無理に使ったって。脚にダメージがあって。治療はしてくれたけど、明日まで休めば大丈夫だそうよ」
「でも体力がもう削れてたのよ!どれだけ短くなったか分からない!」
大吾がコハルの両肩を掴んだ。
「落ち着け、コハル。分かってる」
コハルは夫の手を握り、何度か深く息を吸った。
落ち着いたのを確認して、大吾は離れた。
「狩りは問題なく終わった。だが戻る途中、高位の魔物の気配を感じた。氷牙の猪だ」
「え?あの子の生息域はもっと北のはず。こんなに近くにいるのは珍しい」
大吾は窓へ歩いて、村を見下ろした。
「カゲヤに仕留め方を教えようと連れて行ったところ、突然あいつが猪に向かって突進した。村に四人いる狩人の中で、仕留められるのはイワカミと俺だけだ。若い連中は戦えないだけじゃない——生きて帰れない」
コハルは黙って聞いていた。
「カゲヤは一人で戦っただけじゃない。傷まで負わせた」
大吾が妻の方へ振り返った。
「クロサワとの組み手で見た技を、さらに別の次元に持っていっていた。そして武器の纏わせ方が——ガイリャクシャのやり方に非常に近かった」
コハルの顔と体が強張った。
「何かが聖花道でカゲヤを変えた、コハル。戻るべきじゃないかもしれない」
コハルが大吾のそばに寄り、腕に身を預けた。
「その通りね。これ以上何かあってほしくない。どうする、大吾?何があったか、聞けないでいたの」
「俺が話す。カゲヤと話し合う」
コハルが腰で軽くぶつかった。
「厳しくしないでね。これ以上変わってほしくないの。帰ってきてから、どこか遠くなっていく気がして」
「努力する」
妻に口づけをして、大吾は出ていった。
その日は重い普通の空気の中で過ぎた。ホタルが帰ってきて、今日学んだことをコハルに笑顔で話した。
太陽が傾き始め、その琥珀色の光の中で大吾が家へ戻った。
三人でコハルが作ったシチューを食べた。ホタルは母に話したのと同じことを、同じ元気さで父にも話した。
食後、それぞれが眠りへついた。大吾はホタルをベッドへ運び、同じ旋律を鼻歌で歌ってやった——それをホタルにも妻にも教えたのは彼だった。
夜はカインにとって早く過ぎた。鳥が鳴き始めた頃には目が覚めていた。
力を振り絞って体を起こした。体中が抗議した。
窓の外を見ると、空の色がわずかに明るくなっていた。
(少し無茶をしすぎた)




