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ネテリア  作者: Netheria
22/44

他人の名の重み

カインはシャツを着終えるところだった。




「一週間後にまた診させていただきます、アサヒさん」カツラギはドアを開けながら言った。




「たった三日で、核がこれほど回復するとは——驚きました」




「それでも、無理はしないように。体はまだ弱い」




(まだ、か。カゲヤがろくに鍛えもしない怠け者だったということは分かった)




カインは体を伸ばした。「そう長くはかかりません」




「焦らないで。目が覚めただけでも、奇跡なんですから」




少し考えてから口を開いた。「何があったんですか」




カツラギは誤魔化すように咳払いをした。




「何があったか、私には分からない。傷を治しただけです」




カインは腹の傷跡に触れた。指先がその輪郭をたどる。




(どうせ知っても、戻る手がかりにはならない)




「分かりました。問題ありません」




カツラギは部屋を出ようとして、出がけに振り返った。「聖花道に行ってから、随分変わりましたね、アサヒさん」




「そうですか。気づきませんでした」




カインはわずかに体を強張らせた。「……そんなに変わりましたか」




老医師は笑いながら遠ざかった。




(答えてくれ)




カツラギの足音が一階に降り、コハルに別れを告げた。




「カゲヤ、水を汲んできて。あなたのお姉さんと私、お風呂に入るから」コハルはドアを閉めながら言った。




(この寒さで?ホタルが凍えてしまう)




「はい、今行きます」




寒さを思って厚手の服を着込んだ。階段を下りると、コハルが家の掃除をしていた。




「桶に水を入れておいて。みんなで入るから。お父さんが今日帰ってくる」




カインは苦しげな表情で彼女を見た。(この人たちは寒さに免疫でもあるのか。この体ではちゃんと感じる)




「分かりました」




玄関には木の桶が二つ置いてあった。




(今日あのネサリが帰ってくる……緊張している、のか?)




桶を手に取り、外へ出た。




(聖花道——ということは、やはりここはネテリアだ。カゲヤが行っていたのは確かだが、生徒としてかどうかは分からない)




朝の凍てついた風が服に突き刺さる。雪の上には足跡が点々と続き、村に人影は少なかった。




(聖花道に戻れれば、ゲートまで半日もかからない。ようやく使える情報が手に入った)




(うまくやれば、逃げる必要すらないかもしれない)




カインの表情から笑みが消えた。(あいつらは俺を見て何と言う?俺だと分かるだろうか?この体で、あの人たちと生きていけるだろうか?)




足が止まった。(この家族はどうなる?)




桶を一つ下ろし, 自分の頬を叩いた。




(迷うな、カイン)




歩き続け、井戸の前で立ち止まった。




「なんで場所が分かったんだ」と小声で吐き捨てた。




若い男が腕を上げながら近づいてきた。




「アサヒ」




カインは敵意のこもった目で振り向いた。相手は驚いた様子だった。




「どうした、なんで不機嫌なんだ?」




(今はそういう気分じゃない)




縄のついた桶が水面を叩く音だけが返事になった。




「目が覚めたお祝いを言いたかっただけなのに」男は離れながらぼやいた。




カインは桶をいっぱいにして振り返った。「……ありがとう」




家に戻り、どこに水を捨てるかは体が知っていた。同じことを五度繰り返した。井戸にいる人々を無視して、その会話の間を縫うように行き来しながら。




名字を呼ばれたときだけ、手を上げた。




終わる頃には桶が満ちていた。カインは桶を所定の場所に置き、しばらく水面を見つめた。




「終わりました」家に入りながら言った。




「ありがとう、息子。妹にお風呂の準備をするように伝えておいて」




カインが探しに上がると、ホタルはすでに浴室にいた。




ドアの隙間から湯気が漏れていた。信じられない気持ちで近づいた。




中に入ると、ホタルが鼻歌を歌いながら、あの構造物に温かい湯を注いでいた。




以前目にしたあの紋様が、彼女の指の下で光っていた。湯が満ちると、カゲヤの表情に気がついた。




「見て見て、お兄ちゃん. ホタル、一人でお湯を入れられたよ」




カインはちらりと、二日前に入浴した長椅子の横の壁を見た。同じ紋様があった。




「どうやってやったんだ」




ホタルは目を細めて微笑んだ。「お母さんが教えてくれたの」




「そうか……」




「じゃあ、お兄ちゃんが入れるように出るね」




「うん、お兄ちゃん」ホタルはお湯に手を浸しながら答えた。




廊下ではコハルが上がりきったところだった。「お風呂、もう準備できた?」




カインが答えようとしたが、中からホタルの声が聞こえた。




「うん、お母さん」




「終わったら呼ぶね」




コハルは入ってドアを閉めた。




カインはカゲヤの部屋に戻った。(温かいお湯があったのか)




ため息をついて、少し笑った。(思ってたよりおかしくなかった)




ベッドに胡坐をかいて座った。




(あの紋様はホタルのマナに反応したのか?それともネテリアのマナを使っていたのか?)




(後で試してみよう。もう水風呂は嫌だ)




目を閉じ、集中した。ここ数日続けていることの続き——核のマナを体へ流す訓練だ。痛みがあっても止めなかった。




マナの密度と、それがカゲヤの体にどう作用するかに、少しずつ慣れてきていた。




(このマナの質には嫉妬する。もし最初からこれがあったなら、回復にここまでかからなかった)




(あんなことにはならなかった。ダイランが傷つくことも、エラーラが待ち続けることも)




……




(自分を欺くな、カイン。あれは全部お前の失敗が招いたことだ)




コハルが呼んでいることに気づかなかった。訓練に没入していた。




ドアが三度ノックされてから、彼女が入ってきた。




「お風呂、入れるよ」




カインは驚いて振り向いた。「あ、はい、ありがとうございます」




コハルは不思議そうに彼を見た。「何してるの?」




「いえ……体を、休めていただけです」




「そう……」




「遅くならないでね。隊商、もうそんなに遠くないはずだから」




廊下を歩きながら、ドアを開けたまま出ていった。




(大吾があの隊商と帰ってくるんだろう)




その名前を思い浮かべた瞬間、体に悪寒が走った。(もう泣くな、カゲヤ)




浴室に入ると、湯船は空だった. 何分もかけて動かそうとしたが、蛇口を開けるたびに冷水しか出なかった。




歯を食いしばりながら罵って、最初と同じやり方で体を洗った.




急いで拭いて、服で体をこすりながら温まろうとして、部屋に戻った。




(次こそ絶対に解決する)




手に息を吐きかけていると、外が騒がしくなった。




同じ声が何度も聞こえた——隊商が戻った、と。




カインは窓から覗いた。村の端に大きな荷馬車が近づいてくる。




コハルが廊下を歩き、興奮したホタルの手を引いていた。




「カゲヤ、何してるの?」




急いで二人に合流し、玄関まで続いた。外に出ると、ホタルが玄関先の大きな籠を指差した。




「籠、お兄ちゃん」




コハルは口元を押さえて、静かに笑った。




「相変わらずぼんやりしてる」




カインはつられたように笑った。「考えごとをしていました。すみません」




雪で覆われた小道を歩いた。ホタルが一歩跳ぶたびに、小さな靴の下で光の粒が弾けた。




「何を考えてたの、息子?」




カインはホタルが遊ぶのを見つめ、少し間を置いた。




「聖花道のことを……あそこで過ごした時間を思い出していました」




コハルの表情が変わった。「今はそんなこと、どうでもいい」




(俺には関係ある)




カインは作り笑いを浮かべた。「また戻れるかどうか、ふと気になっただけです」




コハルの歩みが遅くなった。「あれだけのことがあって、そんなことを聞くの?」




「今は話さないでいましょう。いいですか」




そのトーンにカインの足が止まり、無言でうなずくだけだった。




何人ものネサリが同じ方向に向かっていた。村の寒さとは裏腹に、場の空気は温かかった。走り回る子どもたち、籠を抱えながら話す女たち。




隊商が村の端に止まった。皮で屋根を覆った大きな木造の荷馬車が、十人ほどのネサリに囲まれていた。




大吾はその中心にいた。イワカミを連れて。




人々が集まり, 出迎えが始まった。大吾に話しかけるとき, その敬意は明らかに大きかった。




カインはコハルの隣で観察した。(記憶より、ずっと大きい)




大吾が苗字を呼び始めた。家族が一組ずつ前に出た。




「兎の毛皮は売れた」大吾は擦り切れた麻袋を渡しながら言った。




「ありがとうございます、アサヒ頭領」




終わると、大吾はイワカミに荷台を開けるよう指示した。




様々な品物——野菜、燕麦や米の袋、その他もろもろが現れ、一言もなく村人たちが列を作った。カインは順番が決まっていることに気づいた。




受け取ったばかりの金で品物を買っていく。値段に文句を言う者もいたが、和やかな空気は崩れなかった。




イワカミは笑いながら説明した。「水霧王国が、街道の魔物増加を理由に値を上げていまして」




「税まで上がらないといいけど」




大吾が女性をなだめた。「仕事が増えるということだ」




「頭領がそう言うなら、大丈夫ですね」




カインは耳を傾けていた。




(水霧……まったく心当たりがない)




(街道の魔物が増えている……ダンジョンで亀裂でも起きたか)




人々が引き揚げるとき、コハルに小さくお辞儀をしていった。




荷台が空になり、残ったのはイワカミと大吾だけになった。そこへがっしりとした女性が近づいた。




「あなた!どうだった?今回の旅、上々だったでしょう?」




「自慢屋のひげ面め」と彼女は笑いながら返した。




「イワカミさん、あなたの分は荷台にあります」大吾はコハルに手招きした。




三人が近づいたとき、ホタルが大吾のもとへ駆け出した。




大吾が抱き上げると、その体の大きさが分かった。小さなホタルが胸元にも届かない。




(化け物みたいに大きい。カゲヤが背が高いのも当然だ。ダイランより大きいくらいだ)




大吾がカゲヤを見た。




「何をしている。籠に入れてしまえ、イワカミが荷車を片付けられん」




カインは近づきながら、体全体に広がる居心地の悪さを感じた。




(またこの感覚だ)




荷台を眺めた。「それで……どれを取ればいいですか」




「いつもの場所に決まってる」




(それが分からないんだ)




荷台に上がった。(どうせだ、ここだろう)




ゆっくりと籠に詰め始め、訂正が入るのを待った。入らなかった。ひっそりと息をついた。




(運よく当たった)




背後で両親の会話が聞こえた。




「コハル、何か変わったことはあったか」




「はい、大吾さん。ホタルが今日、一人でお湯を入れられました」




「難しかったか?」




まだ大吾の腕の中にいるホタルが、にっこりして両手を挙げた。




「ぜんぜん、お父さん。簡単だった」




(お前にはな)




大吾は少しだけ口元を緩め、コハルを見た。




「カゲヤは」




「カツラギ先生が、よく回復しているとおっしゃっていました」




「ならもう頃合いだ」




「まだ早いと思います」




(何の話をしているんだ。無視するな)




大吾はカゲヤをちらりと見た。「魔物が増えている今、待てない。我が家には果たすべき務めがある」




コハルはしばらく黙ってから答えた。




「分かっています、大吾さん。でも、体がまだ……」




(もどかしい)




カインは籠を抱えて近づいた。




「俺は構いません」




コハルが驚いた顔をした。大吾も同じ目でカインを見た。




「待て、カゲヤ、まだお前は——」




「ふざけているのか」大吾は短く言った。




その言葉がカインの肺を打った。まるで二本の手が息を塞いだように。




(この感覚。この居心地の悪さ)




(もうたくさんだ)




「冗談を言った覚えはありません」




大吾の目が大きく開いた。




コハルが夫のそばに寄った。その顔には信じられないという色が浮かんでいた。




「カゲヤ、どうしたの?」




「何でもありません。聞かれたから答えただけです」




「お父さんにその口の利き方はやめなさい!」




コハルのそのボリュームを聞いたのは初めてだった。思わず一歩後ずさりした。




大吾はホタルを妻に渡してからカインに近づいた。




「いつもと同じことをするな」




「明日から始める。失望させるな」




カインは何かに息を詰まらされるような感覚を覚えた。直感のような、内側からの声。何かが謝らせようとしていた。




「しません」

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