181 翁たちの感傷
騒がしい葬儀から明けて、翌日。
城内の湖畔に伸びる桟橋。
その傍を彩る生垣、それを剪定していたマルスは額の汗を拭うと同時に立ち上がり、屈んでいた腰を労わるように軽く叩いた。
見上げた空は憎らしい程に快晴で、それを写す水面もこの城に漂う重い空気とは裏腹に、宝飾品よりも煌びやかに輝いていた。
「マルス兄」
かけられた声に反応し、マルスは振り返った。
「相変わらず美しいですね」
「・・エラルド様。・・・お褒めの言葉、主に変わり感謝致します」
「辞めてください。いつものように気安くしてくださいよ」
その言葉にマルスはエラルドの背後を見た。
少し離れてはいるが、バレーヌフェザーの正装をした側近たちが控えている。
「・・ご容赦を」
「・・まぁ・・そうですよね」
二人は互いに苦い顔で笑いあった。
「・・それにしても、本当に見事ですね」
視線を少し遠くに投げると目の前の美しい光景が何一つ遮るものなく視界に入ってくる。
さらに、少し視線を落とすと、水際には生垣から落ちた花弁が水面に浮かび、それもまた美しい光景に色を添えていた。
「・・マルス兄は報告に行ったのですか?」
「・・いえ、これからです。・・・エラルド様も、大丈夫ですかな?」
マルスの気遣いに頷いて答えるエラルドの表情は少しばかり苦いもの。
ジキルドと幼い頃から親しかったのはエラルドだけでなく、この翁も・・寧ろレオンハート大公家に出仕する分、エラルドよりもマルスの方が関わりは深かったはずだ。
「・・・・・ジキルドは、ゼウロスと私の後ろをいつも着いて回って来て、私にとっても、可愛い弟でした。・・マルス兄もでしょう?」
「そうですなぁ・・。お身体も弱かったですし、問題児のゼウロス様よりも、ある意味、目を離せないお方でしたな」
「そうでしたね・・」
二人の瞳に映るのは、まだ幼い頃のジキルド。
自分たちよりも年下で、いつでも守るべき弟分だったはずなのに、気づけば自分たちよりも老けて、先に旅立ってしまった。
かつての友の、大切な弟。
勝手にそんな友の代わりに見守ってきたつもりだったが、その役目を十全に果たせたのか、答えなどわからないまま、今、感傷に紛れたわだかまりを感じていた。
「・・・エラルド様。・・ジキルド様は、安らかに招かれましたでしょうか」
「・・えぇ。至上の調に揺られて、穏やかに導かれましたよ」
「そうですか・・。それは・・よかった」
言葉以上の感情を見せず、二人は口を噤んでしばらくの間、そのまま、水面に浮かぶ花弁を眺めた。
「・・最初、ゼウスが大公位を継がないと聞いたときは驚きました」
「ジキルド様も驚いておられました。・・お三方だけで内密に事を勧めていたそうですから」
視線を彷徨わせる事もなく、只々花弁の動向だけを見つめ、寂しげな感情を優しい表情の中に滲ませて言葉を交わした。
「当時、マーリンが持ってきた治験の話・・。新薬を持ち込まれる事自体はよくある事ですし、『医』に関する事ならば我が家以上に都合のいい所はないでしょう。・・ですが、当時、既にマーリンは錬金術師として、地位も名誉も得ていました。都合がいいとはいえ、態々、我が家を頼る必要などなかったはずです」
「担がれましたね」
「えぇ。恥ずかしながら。存分に利用されました」
苦笑を零すエラルドだが、そこに苦い感情などはない。
寧ろ、良き思い出を懐かしむようだった。
「・・法に裁かれない大公家にも『戒律』はあります」
「『大公家の呪いを解く事、之、固く禁ず』でしたか」
「・・正確には大公家直系のみで、分家は寧ろ『呪い』の治療が推奨されておりますし、外に出た者たちも同様です。・・更に細かく言うと禁じられているのは『三代』。『現大公』は当然として、その代行を行える『先代』、そしてそれを継ぐ『次代』。そんな三世代を絶対とした『戒律』です」
五大公が抱える『呪い』は『祝福』と一体のもの。
『呪い』自体は言ってしまえば各家に遺伝的に継がれる障害。
レオンハートであれば完治は難しくとも、治療次第では『呪い』を押しとどめる事は出来る。
だが、それは同時に、副次的に与えられた、『魔力(祝福)』さえも失くすということ。
それ故、大抵の者たちは、己が命よりも、世界最高峰の大公家としての誇りを取る。
しかしそれは、美談でも、高尚な理由でもなく、悪足掻きにも似た、せめてもの『呪い』への反抗だった。
「私の元へマーリンが治験の話を持ってきたのは、ゼウスとアークが同世代ではないと承認されたすぐ後でした」
「あれには私共も驚きました。ゼウス様はグレース様から逃げ続けておりましたが、それも時間の問題だと思って深刻には考えておりませんでした。ですが、次代にアークリフト様を指名された際には、グレース様はおろか、ゼウス様は誰とも後継を残される気がないのかと家人一同、頭を抱えたものです」
「我々もですよ。歳が離れていたが為に、最終的には承認されましたが、一時はゼウスの乱心を疑い、排除する流れまであったのですから」
思い出し、呆れるような声で互いに笑いあった二人だが、笑みこそ消えたわけではなく、それでも、何処か笑みが消えたように二人の中に寂しげな、乾いた表情を写した。
「ですが、そのおかげで・・ジキルド様は、これほど長く生きることができました」
「・・そう、ですね」
三代の戒律『三代継権』。
先代、今代、次代。絶対に欠ける事の許されない三代。
それ故に、大公家の本家筋はその戒律を破らぬよう、『呪いと祝福』を捨てることはない。
もちろん、大公家としてのプライドもある。だが、命と天秤にかけて、皆が皆、プライドだけでその選択を出来るわけではない。
だが、そもそも、選択肢すら最初からないのであれば、大公家の人間としての誇りにその身を委ねることができる。・・いや、委ねるしかない。
しかし、それを逆手に取り、ゼウスたち三人は賭けに出た。
賭けと言っても単純なもの、ただ単に、ジキルドへの治験を進めただけ。
アークとゼウスが別の世代だと認められた以上、三代継権には抵触しない。
だが、皆、気づいていたかもしれないが、敢えて見ていなかった盲点のような抜け道。
それを、レオンハートが。
寿命が最も短く、三代継権のきっかけとなった一族が・・それをする。
「在位半日の大公などゼウス様だけでしょうな」
ジキルドの時間は、子供たちが望んだもの。
本来、大公位を継ぐべきゼウスは、父の為・・・そう、父の為。公位を弟アークリフトに喜々とし――――断腸の思いで譲ることを決めた。
それをアークは渋々・・いや間違った、兄姉に異を唱えられず――――喜んでそれを受け入れた。
とまぁ冗談はさておき・・。
ゼウスは大公位を必要としないほどの功績を多く立て、地位を得た。
外にも多くの居場所を作り、大公位に収まる事を惜しまれる程の立場となっていた。
マーリンは錬金術師として、多くの実績と成果を上げ、多くの名声と羨望を集めた。
その中でも特に薬師としての成果は大きく、『医』の王たるバレーヌフェザーでさえ無碍にできぬだけの立場を得て、更にはその間からずっと一つの医薬研究を続けていた。
そしてアークは、幼少の頃より、ゼウスと共に大公位を継ぐための勉学や訓練に邁進してきた。
周りにそれを告げる事はなかったが、本来次男であるアークが負うべきではないものを、自由という代償を払ってまでアークは兄と姉の計画に賛同した。
三者三様。だがそれは唯一人・・父、ジキルドの為の計画だった。
いつからそれを計画していたのかはわからない。
少なくとも、アークがゼウスと並んで後継者教育を受け始めた幼少の頃にはその計画は進んでいた筈だ。
では、マーリンが水爆などというご禁制に触れた時は?
ゼウスが世界中を放浪していたのは?
全てが、何か計算の内だとは思わない。
何せレオンハートだ。
だが、全てが考えなしだとも言えないだろう。
本来短い筈のレオンハートの寿命では得られない機会。
それが奇跡的に与えられた。
チャンス。手段。能力。・・そして時間。
ジキルドの子等はその機会を得て、ジキルドの為、全力を注いだ。
それは見ようによっては自己犠牲の自己満足だという人もいるだろう。
だが、それがレオンハート。
世界一有名な家族狂いの一族。
「ですが・・最も長命だったレオンハートは、ジキルド様だったでしょうね」
二人が浮かべる表情は様々な感情が入り乱れたもの。
だが、それでも、何処か優しげな雰囲気を見せるのは、そこにある感情の大半が優しさに満ちたものだからだろう。
「そして・・最も愛に溢れたレオンハートもまた、ジキルド様でしょう」
「えぇ。間違いなく」
静かに消えるように沈む花弁に何を想ったか。
二人は水面に消える花弁を見つめ呟きあった。
「・・・ゼウロスは喜んでいるでしょうか」
「・・・・・」
返事を期待したものではないエラルドの呟きだが、マルスはそれに答えることはできなかった。
勝手に見守ると誓いを立てたが・・蓋を開ければ、本当に見守るだけしかできなかったと悔いて、ゼウロスの気持ちを想像することも怖くてできなかった。
そこに近づく足音。
その足音が近づくと共に、エラルドの従者たちが揃って傅き、その音に二人は振り向いた。
「お前たち二人が揃っていると、何やら悪巧みでもしているのかと思ってしまうな」
誂うような笑みを浮かべやって来たのはジャニア。
だが、誂うような笑みの中に、懐かしさと、少しばかりの不安が滲ませてるあたり、過去の経験から染み付いたものがあるのだろう。
ジャニアの姿を見て、マルスは傅こうと膝を折りかけたが、それをジャニアが手で制し、ソロソロと姿勢を戻した。
「ジャニア・・いつまでも古い話を持ち出さないでくれよ」
「・・閣下、お言葉ですが、私も、閣下の兄上も、いつも巻き込まれる側の被害者です」
「ん・・マルス兄?」
「ハハッ。国家認定庭師家の当主も、国内有数有力の公爵家当主も、大公家相手では分が悪かったか」
不本意を隠すことなく見せるエラルドと、そんなエラルドを余所に笑みを見せ合う二人。
そこにある雰囲気は知らない者が見ても、いつかの情景を描かせるもの。
それも、この場にはいない・・亡き人影さえも見えるようで、かつて同じ時代を過ごした想い出を垣間見るようだった。
「ですが、共に苦労を共有し絆を結んだ為、過分ではありますが、今尚、ありがたい事に、公爵様からは、友と呼んで頂けております」
「・・あの人も、立場上、気安い友人などほとんど居ないだろうからな。今後も良くしてくれ」
「過分ながら、私は、彼の生涯の友人でありたいと思っております」
「それはそれは、心強いな」
同じ時代を生き、一時代を築いた世代。
今や老躯となり、その栄光は過去のものだが、今この時。
共に同じ青春を彩った戦友を悼むには、あまりに相応しい思い出があるだろう。
「ジャニアは、参加しなかったんだな」
「退位したとはいえ、私がいては邪魔だろうからな。エラルドも同じだろう?」
「まぁ・・レオンハートを差し置いてまで出張るような真似はしたくないしな」
現在、城内では、一ヶ月遅れで六花祭の褒賞を与えている最中。
国の祭事でもある六花祭は開催地や主催者によって内容や雰囲気は異なるものの、六花祭自体への貢献は一貫して国への貢献とされ、その中でも特出した貢献者たちにはそれ相応の褒賞が与えられる。
その役目を果たすのが、主催者となる王家や五大公家。
今回の場合、開催地を統治するレオンハートの役目。
そこに他の五大公家の者や王家の者がいては、周囲の方が戸惑ってしまう。
「ルリア嬢はどうした?」
「ルリィは、フィリアちゃんの傍についている」
「そうか・・」
ジャニアの険しく浮かんだ眉間の皺は言外に心情を表している。
フィリアはいつもの事ながら、意識を失うと共に熱を出し寝込んだ。
幸いにも、今この城には『聖法王』という医にこれ以上ないほどに長けた者たちがいたおかげで、今朝方に熱も引けたが、倦怠感もまだ抜けきれず、万全とは言い難く、絶対安静状態だった。
「・・・閣下は、姫様に恐れを抱かれましたか?」
「ハハ・・・、正直、レオンハートの規格外と割り切るには・・あまりに脅威だ。『涙』という、神聖視される程の『名』を舐めていた。・・だが、同時にミルが固執する理由も察した」
「・・サバトも動き出しましたからね」
ジャニアのみならず、エラルドとマルスの眉間にも皺が深くなった。
「『饗宴』・・悪魔と契る、魔女至上主義の狂信者どもか・・・。エラルド、フリードは大丈夫か?」
「出血量は多かったが、外傷自体は見た目ほど酷くはない、傷跡も残らないだろう・・・だが、それよりも深刻なのは、魔力の方。魔力暴走と枯渇を併発している。・・正直、戦場などの過酷で特異な状況下でしか見たことのない症状だ。・・・フリード君の意識はまだ戻ってないから確かな事は言えないが、相手は『枝持ち』か『果実喰らい』だろう。それも複数」
「一国の軍を相手取るような奴らを、たった一人でとは・・実に、将来有望な次期『魔導王』だな」
「とはいえ、そいつらをフリード君がどうしたのかは本人の意識が戻るまでわからない。排除、もしくは撃退したのならばいいが、相手が相手だ。いくらフリード君とはいえ難しいだろう。・・ならば、そいつらは、自らの意思で退いた可能性が高い。何か思惑があると断定したほうがいいだろう」
軍国、ミル・・ミミが毒を飲むことになったのは同国の貴族が原因だった。
そして・・そこに、更なる敵。
フィリアがその中心にいる為、相対すのはレオンハート。
だが、天下のレオンハートとはいえ、事は一つの家で抱える域を遥かに超えている。
それ故にジャニアたちは険しい表情で今後の対策を頭の中で模索した。
「姫様はモテモテですな」
「・・呑気ですね。マルス兄は」
マルスは、軽い拍子で笑みを見せたが、レオンハートに長らく仕えるマルスにとってレオンハートの子等はティーファ同様、可愛い孫のような存在だ。
内心は言葉ほど穏やかではない。
「・・・これはレオンハートだけの問題ではない」
そう言ってジャニアが真剣な視線を向けるのは、現バレーヌフェザー大公。エラルド。
「・・フィリア嬢だけでなく、ルシア嬢・・それに他の五大公家。そして、我が王家。六家が同じ世代に生まれ、それぞれが規格外の才をもった六花と呼ばれる世代。・・・建国・・千年以来の時代。・・決して穏やかな時代にはならんと思っていたが、思った以上に大きな波乱があるのかもしれん」
ジャニアの言葉は重さと焦りを滲ませていた。




