182 地下と空
薄暗く、黴臭い、石造りの地下牢。
その中、猿轡のせいで呻き声しか洩らせないにも関わらず、絶望に満ちた悲鳴がそこに響き渡っていた。
「どうだ。何か話す気になったか?」
騎士は抑揚のない声で淡々と問う。
あまりに淡々として冷淡な声は、威圧感すらなく、只々冷たく研ぎ澄まされた抜き身の刃のような鋭さだけを突きつけていた。
「・・ふぐっ・・ぅ、ぐ・・・・」
それを突きつけられた男・・・。
彼は、涙や涎――その他、汗だけでなく、身体中から体液を垂れ流したまま、椅子に身じろぐことさえできず、拘束されている。・・・そんな男の四肢は既にもうない。
「・・・そうか。話す気にはまだなれないか――――」
「――――っ!?あギャァァァっぁぁぁぁっァァァ!!!!」
「っ!ぅぐっ・・・」
耳をつんざめくような悲鳴は四肢を失った目の前の男のものではない。
騎士と男、向き合う二人と同じ一室。
少し離れてはいても、男から嫌でも見れる位置に男同様、服を剥ぎ取られた裸の男が椅子に拘束されている。
その男は、まだ四肢は残されているが、それが余計に・・・凄惨な状態を維持することとなっている。
今も、悲鳴を上げた男の足が先程よりも数センチ短くなるよう、ゆっくり・・・錆びた鋸が動いている。
それを行う騎士にも、指示をした騎士にも、何の感情もなく、救いなどない。
自分自身の身体への暴力には、それがどんなものであれ、口を噤み続けた男だが、今は、その時以上の痛みに気が狂いかけていた。
自分が・・目の前の仲間を苦しめている。
そんな間接的な刃が襲いかかる。
それでも、口を噤み続ける。
自死は出来ない。
何度もしようとしたが、嘲笑うように、容易く生かされ、死にたいと心より願い乞う程の地獄を味わされている。
男が自負する鋼の精神も、最早、崩壊寸前だった。
『陸将っ!!陸将ですっ!!――――陸将からの命令ですっ!!』
その時、男の張り詰めていた糸が、あまりにも無碍に断ち切られた。
男がギリギリの中でも守り続けた沈黙。
それを、男とは違う牢から響く声が、一瞬で無駄なものにした。
自身の痛みも、目の前で自分に代わって痛めつけられる仲間の痛みも、何の意味もないものになった。
「・・・ぁ・・あ、あ・・・」
「アラン様は本当に優秀ですね・・・」
虚ろとなったように放心して声を漏らす男。
そして、言葉と裏腹に、頭を抱えるようにして賞賛を口にする騎士。
騎士の表情はようやく感情を見せたが、その感情は決して洗練された騎士に似つかわしくない・・・純然たる戸惑い。
それからすぐに錆びて軋む牢の音と共に、ホクホクと満足気なアランが騎士を引き連れてやって来た。
心なしかアランの後ろの騎士に覇気がないが・・見て見ぬふりをするのが優しさだろう。
「全く・・ミルも謀略ばかり練る前に自身の足元にも目を向けてほしいよ」
アランは手を何やら拭いながら呆れた声で入ってくると、迷いなく四肢を失った男の前までやって来た。
糸が切れたような男はそんなアランの気配に顔を上げるが、そこには焦点の定まらない目がアランに向くだけ。
しかし、アランはそれを気にした様子もなく優しく微笑む笑みを男に向け、ふと男とは別方向に拘束されているもう一人の男へと視線を向けた。
ドスッ
「っ!?」
「な!?」
「アラン様!?」
そして、何の戸惑いもなく腕を振り、ナイフを少し離れた所にいた男の額に投げ、命中させた。
悲鳴を上げる間もなく絶命する程に的確に射抜かれた男に、騎士はもちろん、四肢を失った男も自失を忘れて息を呑むように目を剥いた。
「まだ、正気を失うには早いよ?あっちのバカは捨て駒で碌な情報を持ってな買ったんだから」
男の呼吸が自然と浅いものになる。
目の前の少年としか思えないアランが無邪気に告げる言葉が、歴戦の騎士などよりもよほど恐怖心が沸く。
「次の捕虜、連れてきて。続きを始めようか」
淡々と、目の前で人を殺した事にも、何も感じるものがないかのように告げるアランは男にとって形容しがたい程の化物にしか思えない。
それも、戦場でもなんでもなく、寧ろ目を覆いたくなるような拷問の惨状にありながら、それでも何一つ思うことなく。
アランはそんな男の恐怖に怯えた目を受け、ようやく表情を変えた。
だが、それは表情などと言えぬ程に冷徹で能面のようなもの。
「・・・何か思い違いをしているようだけど、お前たちが手を出したのは魔術師の王だぞ。そんな俺達が捕虜ごときに心を砕くとは思わないほうがいい。もういっそのこと実験材料に出来たならばそれなりに慈悲や愛情もあったかもしれないけど、残念ながら禁じられているからね。何の価値もないお前たちにかける心情はないよ。・・精々精一杯、価値を示しなよ。守られるべき一線など無いと思ってね」
かつては非人道的な人体実験すら当たり前に行っていたこの地の王。
今でこそ忌避されているとはいえ、その事を躊躇するほどの倫理観は育っていない。
その証拠に、今でも尚、その一番の被害者たる獣人との確執は拭いきれていない。
とはいえ、その発言には男もそうだが、騎士たちでさえ引いている。
だが、アランにとっては本当に何も感じ入るものがない。凄惨な拷問でさえ淡々とこなせてしまえるだろうほどに。
――――化物
男の絶望は、猿轡のおかげで言葉にこそならなかったが、男自身には恐怖と共に心の奥底にまで重く響き、いつまでもその心を蝕み続けた。
日だまりに木の陰が揺れる。
フィリアは寝転びながらそれを心地よさ気に浴び、ゆっくりとした時間を感じていた。
「こんなゆっくりしたの、ひさしぶりなきがする・・・」
「そうですね・・」
「ルリィは、あしたかえるんでしょ?」
「えぇ。・・本当来てよかったです。いい思い出がたくさんです」
ベットの上でダダをこねたフィリアに、ルリアが妥協したのは部屋続きの庭園まで。
だが、フィリアはそれでもこれ以上ないほどにその時を満喫していた。
身体が弱いくせに、黙っていることが苦手なフィリア。
体調を崩しベットに常駐していることが多いが、一度そこから踏み出せば、まさに糸の切れた凧。
フィリアの中では熱さえ下がってしまえば、それは回復だと思っている。
一応の安静など、フィリアに出来ようはずがない。
「まだまだ。さいごに、もうひとつおもいでつくろう!」
「・・流星群、ですね」
「そう!!」
フィリアの眩い表情もみず、問うように呟いたルリアはまだ日の高い空を仰いだ。
瞼を閉じていても、溢れるほどに眩い光に満ちた空に、今宵、満天の星空が広がり、そこに無数の星星が駆けるように光の雨を降らせる。
「・・ですが、予測では今宵ではないのでしょう?」
「よそくではね。たしかに、にさんにちさきのよそくがおおいけど、それいじょうに、はやければのよそくでは、きょうがいちばんおおいの。それに、わたくしのよそくもきょうです!きたいしておいて!!」
ガバリと起き上がり目を輝かせて迫るフィリアにルリアは微笑みを浮かべて頷きを返した。
「そう言えば・・ジキルド様は先代大公ではなかったのですね」
「・・うん。おじいさまのえんめいのために、おじさまがかたちだけついで、すぐに、おとうさまがたいこうになったんだって」
再び仰向けに寝転がるフィリアに、少し離れて控えるマリアとミミがそわそわとしているが、フィリアは敢えて見ぬふりをしていて、そんなフィリアにルリアも困ったような苦笑を零す。
「マーリン様の薬のことは一通りこちらに赴く前に目を通して来たつもりでしたが、セイレーンの花の事も、そんな事情があった事も知らず、不勉強でした・・・」
「わたくしも、しったのはさいきんだよ。・・ほんとうなら、あまりほめられないようなことなんだって」
「・・・そうでしょうね。法に縛られない大公家だからこそ戒律は絶対ですから、それを歪めるような事は、例え違反ではないとしても誉められるような事ではないでしょう」
少し難いような表情で空を見つめるフィリアにルリアは何となくその理由を察したが、ルリアの言葉にフィリアは言葉を返さない。
ルリアの想像は正しく、フィリアはその話を聞いた瞬間、感動と衝動に歓喜した。
アークたちの選択はフィリアにとって英雄視してしまうほどに素晴らしいもので、ジキルドへの言い露わらせぬ感動が溢れた。
そして、同時に自分も――――と考えてしまった。
しかし、それは誰に言っても咎められるだけの安直な考えだった。
アークたちの行動は確かな美談として話せるのに、それと同じ事をする考えを口にすれば、否定されるわけではなく、只々それが本当に正しいのか、まるでその道を咎めるかのように誘導されるのだ。
それは、一種の煽動や洗脳にも思えるが、同時に、ルリアの言う通り、決して歪めてはいけないものを守る為でもあった。
そして、フィリアは馬鹿だが、頭は悪くない。
その意味を汲み取れないわけがなかった。
だからこそ、今のように、飲み込めない蟠りをこの頃増えた子供じみた仕草で拗ねるように折り合いをつけていた。
元々自由奔放で我が道を行く問題児ではあったが、意外にも子供らしい姿の少なかったフィリアは、この頃子供らしい素直な感情を見せるようになっていた。
それは周りの大人たちにとって驚きと共に嬉しさをもって歓迎されてはいるが、今のような時は、前のように説く事もできず、只々時を待つようにもどかしく見守っていた。
「・・ジキルド様は、多くの方々に、とても慕われていた御方だったのですね」
「おじいさまは、『ディーニ』だからね」
「確か、古い精霊語では『愛』の意味もあるのでしたね。・・『愛』を冠するレオンハート・・じゃぁ、フィルと同じですね」
フィリアはルリアの言葉に拗ねたよう仕草をやめて、青く澄んだ空を見つめた。
「・・・同じ」
見上げた空は、青く眩いほどの真昼間の晴天。
その中に気をつけなければわからぬ程に薄らと月が浮かんでいた。
「ねぇルリィ」
「はい」
「ルリィはおおきくなったら、なにをするのかかんがえてる?」
空を見上げ呟くフィリアの声は何処か大人のように感じるトーンだった。
「そうですね・・・。バレーヌフェザーもレオンハート同様、女性が大公位を継ぐことは出来ませんから、何処かに嫁ぐことになるでしょうね」
「いや・・そうじゃなくて」
ふふ、と微笑んだルリアをフィリアは軽く睨んだ。
フィリアの聞きたいことが、そういう事じゃないのをわかってルリアは事実ではあるが、誂いを含めて答えたのだった。
「私は・・・『聖女』になりたいです」
だがルリアはそんな誂いをすぐに引っ込めて、フィリア同様、座ったままだが空を仰いで、静かに呟いた。
「せいじょ?・・ルリィはもうそうよばれてるってきいたよ?」
「はい・・過分なことではありますが、皆様、そう呼んでくださいます。・・ですが、私は聖女ではなく、正確には聖女候補、その、更に見習いでしょう」
「みならい・・」
「フィルは魔女なのでしょう?それと同じです」
魔女とは生まれ持った能力。
魔法が使える者は皆、魔女なのだとフィリアは教わった。
だが、現在、フィリアはグレースより魔女として日々指導を受けている。
確かに、そう思えばフィリアは魔女見習いという立場なのかもしれない。
魔法という才があるとしても、グレースと並べて同じ魔女とは言うには色々と足りていないと、フィリア自身も自覚している。
そして、ルリアの言う聖女もまた同じ。
「生まれ持って『癒し』や『浄化』などの、所謂『聖法』という力を授かりはしましたが、使いこなせているかと問われれば頷くことはできません。・・それに、『聖法』が使えるからと言って、それだけではバレーヌフェザーに『聖女』と認められはしませんから」
レオンハートと同じ五大公家が一つ、バレーヌフェザー。
ファミリアの魔術師、つまりはレオンハートが認めた魔術師は、他所であれば魔導師の称号を得られる。また、その逆に他所で魔術師として認められようとこの地では、その力は一般人にも劣る。
全部が全部そうだとは言わない。
だが、それが通説とされるほどに、誰もが肯定する程の事実でもある。
魔術のレオンハートがそうなのであれば、当然、同じ大公家が治める土地も似たような事があってもおかしくない。
そして、バレーヌフェザーが冠するのは『医』。
つまり、魔女でありながら魔術も学ぶフィリアがそうであるように、バレーヌフェザーにおいて、どんなに優れた『治癒』を行使できようと、医療知識や技術が伴っていなければ『聖女』として認められる事などない。
「何処かに嫁ぐというのは事実です。・・・ですが私は嫁いだとしても生涯『医師』・・いえ、『聖女』であれればと思っています」
ルリアは少し照れたようにフィリアに微笑んだ。
「子供じみた夢ですが」
子供じみたもなにも、二歳の幼女は世間一般では子供以外の何ものではない。
だが、ルリアはそんな子供らしい夢を語るのが恥ずかしいと頬を赤らめる程に普段が年不相応なだけで、夢を語る今の方がよほど等身大だ。
「ユメ・・・」
野球選手。お嫁さん。ヒーロー。ケーキ屋さん。
子供の夢はいつだって自由なもの。
そこにあるのは、純粋な焦がれだけ。
「も、もちろんっ、どなたに嫁ぐことになるかはわかりませんよ!も、もしかしたら・・フィルと・・その・・義理の・・・」
実に子供らしい姿で夢を語るルリア・・・。
その隣で、空を見つめ続けるフィリアは小さく言葉を噛むように咀嚼していた。
「姫様っ!!」
そこに声と共に飛び込んできたのはロクサーヌ。
「あれ?・・ロクサーヌ、きょうは、しきじょうのけいびだったんじゃ――――」
「――――姫様はっ、水馬に乗れますか!?」
間の抜けたフィリアの怠惰な声とはいえ、その言葉を遮るほど焦るロクサーヌは珍しい。
最近ではセクシーで女性の魅力を存分に纏っているロクサーヌが、実に男勝りな勢い。出会った頃の男社会で生き抜くため、色気のなかった頃を思い出す。
「ふぇ?」
そもそもフィリアの近衛であるロクサーヌが一番知っているであろう。
答えは、乗ったこともない。




