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109 翡翠姫 Ⅺ



 「ティアラ様っ!!」



 悲鳴にも似た叫びを上げ続けるアンネの声は、微笑むティアラに届いてはいた。

 だが、それに返すだけの力が入らなかった。



 「ハハハッ。僕とアンネちゃんの相瀬を邪魔しようとするから・・・思わず刺しちゃったじゃないか」



 愉快に口を歪める、もう一人の兵士。

 首を切り離された兵士と全く同じ、歪な笑みで語るその兵士。


 絶命した兵士から『乗り換えた』、その正体はアンネが対峙していた悪魔。

 狂気に満ちたその瞳は間違いようがない。


 憑依。つまりは兵士には何の罪もない。

 だが、それに気を配れるだけの余裕などアンネにはない。



 「・・黙れ」



 地を這うようなアンネの声。

 それと共に、けたたましく鳴り響く、鈴の音。



 「ッんぐ」



 その瞬間、悪魔は胸を押さえた。


 ドンと殴られたような鼓動が、心臓に衝撃を与えた。

 それと同時に目眩にふらつき、絡むような咳が漏れた。



 「な、に・・・ッ」



 兵士・・、悪魔の口からはタールのように真っ黒の溢れ漏れた。

 更に、それを追うように耳や目、鼻など、あらゆる箇所から同様の黒い血が溢れた。





 「ティアラっ」



 そこに、離れていた距離を一瞬で詰め、滑り込むようにティアラの傍にゼウスがやってきた。

 息を切らしながらも、即座に状態の把握をしようとティアラに触れた。



 「先生っ!ティアラ様がっ!崩壊が止まらなんです!!魔力を送っても送っても、送った先から魔力が抜けていっちゃうんですっ!!先生っティアラ様を助けてっ」


 「・・っ。・・ティアラ自身の魔力が希薄すぎて、他者の魔力を留められないんだ・・・っ。・・『黄金獅子ノ咆哮(レグルスロア)』の影響下でもこの程度の回復量かっ・・・・」



 怒りにも似た焦燥に歪む表情を見て、アンネの不安が増す。

 篭る力を下唇に集約させ血が滴った。だが、抱き寄せる力を少しでも強めようものなら、脆く崩れそうなティアラの身体。割れ物以上の繊細さを意識して支える事しかできなかった。



 「アンヌ!引きますわよ!」



 空から声が降ってくる。

 見上げれば、そこにはいつの間にか黒竜の背にミルが立っていた。


 ゼウスが生んだ一瞬の隙に動いたらしいミル。

 だが、簡単にそれを許さないとばかりに、急激に育った樹木が天高く幹と枝を伸ばし、ミルを捕らえんと向かっている。



 「逃すわけ無いでしょ!!」


 「新参者の魔女が、図に乗るんじゃありませんわ!!」



 大鎌を脇に抱え、地面に手を着くグレースの鋭い目に、ミルは返すように宝石の眼を向けた。


 ミルに睨まれた先から樹木は、黄金に変わり、動きを鈍らせた。


 だが、それで終わらない。

 樹木は黄金の侵食よりも早く成長し、真っ直ぐミルに向かった。



 「っ――」



 それでも、捕らえることは叶わず、ミルの脇腹を僅かに抉っただけ。

 思わず苦悶の息が漏れたが、樹木はそこで完全に黄金に変わった。



 「・・ハハ、満身創痍じゃないか」


 「・・・その姿でよく言いますわね」



 そして、ミルの背後に軽やかに着地したのは、兵士の皮をかぶった悪魔。

 息も切れ切れに、咳と共に血を吐く姿。軽薄な笑みが余計に痛ましい。



 「待ちなさい!!」


 「尻の青い小娘。いずれ、お礼に伺いますわ」


 「っ――――」



 冷たく見下すミルは、グレースに向かい笏を振るった。

 その瞬間、地面と共にグレースがクレーターに沈んだ。



 「レオンハート!・・本日はこのあたりでお暇いたしますわ。・・手ぶらとは、不本意ではありますが・・仕方ありません。陛下直々に言われ、急拵えの準備不足でしたもの。だから次は、スズーラ本国にてお待ちしておりますわ。今度こそ存分のおもてなしを準備しておりますので、楽しんで頂けると思いますわ」


 「アンネちゃーん。またねぇ。今度は二人っきりでいっぱい遊ぼうねぇ」



 ゼウスもアンネも奥歯を鳴らしたが、向ける視線は一瞬の鋭い眼光の一瞥のみ。


 今は、それに構う暇はない。



 最後に満身創痍とは思えぬ程に見事なカテーシーを見せたミルを乗せ、黒竜は遠く空に消えていく。


 それを背に、ゼウスたちは何もできなかった。






 「――――二人共っ、ティアラちゃんは!?」



 そこに駆け寄ってきたのは黒衣の魔女、グレース。

 ミルの放った魔術は効果が切れたのか、それともグレース自身が自分で破ったのか。

 ともかく、土汚れ程度で無傷のグレースは一瞬のうちに駆けつけてくれた。



 「・・ダメだ。アンネに持たせていた『命運之輝石(ビジュウェルド)』は、特に殺傷効果の高い『群青珊瑚(キュアノス・スコルピオス)』だ・・。魔力の回復より、消失の方が早い・・っ」


 「・・私のっ、せいですっ」


 「間違わない!・・いい?これはあの悪魔がやった事。そこだけは間違ってはダメ」



 俯き、無言でコクコクと頷くアンネに微笑むが、彼女の中には罪悪感が疼くだろうと、グレースは苦々しさを少し滲ませた。



 「・・ゼウス、これ。エリクシール」



 グレースはローブを捲くり、腰の鞄から2本の小さなガラス瓶を出し、ゼウスに差し出した。


 ゼウスはそれを受け取り手早く先端を折ると、ティアラの口元に当て、中身を流し込んだ。

 そして、コクリと小さく喉が動いたのを確認して、口元から離すと、残った中身を直接傷口にかけた。


 粘度の高い液体は、流れ落ちずにティアラの傷口に吸い込まれるように浸透するが、大きな変化は現れない。


 しばし、三人とも無言でティアラを見つめたが、そこに浮かぶのは悲壮に歪んだ表情だけ。



 「・・・っ、ダメかっ。・・・自己治癒能力に依存するエリクシールじゃ、今のティアラには意味がないか・・・せめて、エリクサーなら・・」


 「・・ごめんなさい。エリクサーは、持ってない・・・」


 「わかってる。・・あんな劣化が早く、取り扱いが難しい薬を常備しているのはマーリンくらいだ」


 「こんな事ならマーリンちゃんの所に寄ってくるべきだった・・。せめて、エーテルだけでも貰ってくれば・・」



 ティアラの身体は、もう輪郭すら滲むように砂状に零れていた。


 もはや、手は無い。


 それでも三人は足掻いた。



 アンネは魔力を送り続けた。少しでもティアラに浸透するように、薄めたり、広げたり。思いつく限り、僅かでも、工夫を重ねて。


 ゼウスは、もう一本のエリクシールに、魔術を展開し、効果を高めようと苦心し、徐々に光を纏う液体を都度傷口に落とす。


 グレースは、ティアラの妖精としての特性に賭けて、魔法でティアラの周囲に草花を生み出し、青々としたベットを作った。



 だが、それらは何一つ、足がかりにすら成り得なかった。



 「ティアラ様!」


 「ティアラ!」


 「ティアラちゃん!」



 呼びかけの声も遠く、反応も薄い。

 それでも、ティアラの耳には届いていた。


 日溜まりに微睡むように心地よく。

 痛みも苦しみもない、穏やかさ。


 そこに耳を掠める自分を呼ぶ声。


 愛を囁くような、愛に溢れた、自分の名前。




 そして、愛おしい泣き声。



 「うぐっ!?」


 「――っ!?・・アンネ!!」




 「・・・これは・・リーシャ?」



 「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」



 空から降り注ぐ赤子の泣き声。


 見上げた先に見えるのは数人のセイレーン。

 腕を大きく羽ばたかせ、こちらに向かい飛んでくる。


 その先頭を逝くセイレーンの胸には布に包まれた荷物が首から下げられていた。



 「――――っ」



 頭を抱えるように耳を押さえるグレースが大鎌を構え、ティアラたちを庇うように立った。


 その背後でアンネは頭を抱えて、意識を手放さいのがやっとの様子だった。



 「・・待て」



 脂汗を浮かべ、頭が割れそうな程の痛みを堪え、庇い立つグレースの前に腕が伸ばされた。

 それを視線で追えば、穏やかで、でも何処か悲しみに満ちた表情のゼウスが、空に視線を投げたままグレースを制していた。


 痛みに堪えるグレースに、その理由を問いただす余裕はなく、ゼウスを見つめることしかできなかった。



 すると、直ぐにセイレーンはすぐ傍まで来て、舞い降りた。


 響く鳴き声は一層威力を増し、意識を保つのも困難な中、ゼウスだけは、それと違う感情で眉根を寄せた。・・今にも泣き出しそうに。


 先頭を進んでいたセイレーンはゼウスの目の前に舞い降りると、ゼウスと視線を合わせた。


 そして、一拍置いて、胸元の包みをゼウスに差し出した。

 そこから永遠と、耳を劈く泣き声が響き続けている。



 「・・・すまなかった」


 「・・いや。・・・ありがとう」



 そのセイレーンの言葉と共に、他のセイレーンたちは膝を付き頭を下げた。


 ゼウスは受け取った包みを広げた。

 そこには、想像通り、金の天使。リーシャが必死に泣き叫んでいた。



 「・・リーシャの望みか?」



 その返答は目礼のみで、十分伝わった。


 ゼウスは再び短く感謝を告げると、セイレーンたちに背を向けた。



 「・・・今回のこと、恨むなら私個人を恨め。レオンハート大公家には遺恨を抱くな」


 「・・・わかっている。・・一族の悲願を無下にするような事は決してしない。・・・それに今回の事は奴・・『沐浴の毒婦』が元凶だろう。・・なれば、恨む先はあんたらじゃない」



 互いにそれ以上言葉を交わす事などないように、動き出した。

 一斉に飛び立ち、砂埃を舞い上がらせた。



 「その御方を頼む」



 最後にその一言だけを残し、飛び去った。




 「テ、ティアっ、ラ、さ、まっ・・・」



 グレースは割れそうな頭の痛みに耐え、背後から聞こえた苦痛の滲んだ声に振り返った。


 その瞬間、痛みすら忘れる程の光景に息を呑んだ。



 淡く儚く光を纏い、光の鱗粉を零す。

 穢れなどなく、周囲を清めるような、清々しさ。


 そこには、もはや瞼さえ開けないほどに憔悴していたティアラが立っていた。


 それは、言葉にできぬ美しさを纏った。

 まるで、伝え聞いた、『月の精』ルーティアを彷彿とさせるような姿で。



 「・・ティアラ」



 その中ゼウスだけは平静でリーシャをティアラに手渡した。

 ・・いや、平静ではなかっただろう。喉が激しく上下に動き、今にも溢れ出しそうな嘆きを噛み殺しているのが、グレースには見て取れたのだから。



 優しく、ふわりとリーシャを抱き上げたティアラは、静かに微笑み、リーシャの額に唇を落とした。


 その姿は、起き上がれず力の入らない先程の彼女の姿より、何故か一層儚く、消え入りそうに見えた。



 「リーシャ様・・」



 そう愛おしく呟く声は、あまりにも穏やかで自然で、涙が溢れそうだ。


 そして、その声は確かな安らぎを与えてくれる。

 泣き叫んでいたリーシャは今はもう静かに、その腕の中で微睡みに沈んでいく。


 泣き叫んでいた影響でヒクつく息さえ、消えゆくように安らかな呼吸を取り戻してゆく。




 曇り空に切れ目が生まれ、陽光が溢れる。

 いつの間にか陽は低く、夕方となっていて、見え始めた空も焼ける様な朱色で複雑に染められている。


 そんな陽光を背に、それでも負けていない輝きを放つティアラとリーシャ。


 だが、ティアラは比喩などではなく透けるように光を纏っていた。



 「・・私の、愛おしい妖精さん」



 ティアラとリーシャが額を触れ合ったと共に光が溢れ、光に包まれた。



 「ティアラ様っ、ティアラ様っ・・・・・母様っ・・・」



 アンネは大粒の涙を永遠と流し叫び、ゼウスは無言でグレースの肩を抱き寄せ、グレースもそれに抵抗もなく導かれゼウスの胸に身を預け、互の震えを慰めあった。



 緋い夕日に生まれた日暈に紛れ、溶けるように光の粒子となったティアラの姿はもうそこにはない。

 残るは残り香のように漂う僅かな光の鱗粉だけ。


 その中、リーシャはまるで風に抱かれるように、静かにゆっくりと高度を下げていき、草花のベットの上にふわりと着陸した。


 静かな寝息で、安らぎに包まれたように眠る、小さな『妖精』。








 ファミリアでは忌み嫌われる妖精。

 だが、世間一般では『可愛い』事や『愛おしい』事の比喩に使われる。



 例えば、愛する我が子に対して。


 




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