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風の神話  作者: 夢育美
エルダ・スティル
8/19

七話 風船飛来

※サブタイトルを修正しました

 ルマルスは屋敷を通り過ぎ、裏の湖の辺に着地していた。

 そこには、既に「生命の風」が止まっている、数名の若者の亡骸があった。

 ルマルスが『風船かざふね』で飛び立つ前に、見張りを頼んだ若者たちに違いなかった。

 彼らは自分が殺したようなものだ、苦渋に満ちた表情で、一人一人のまぶたを閉じてやりながら、両手を胸の前で組ませた。

「母なる風に帰り、再び我らのもとへ……」

 一人に一言ずつ、御魂送りの言葉を掛ける。


 風の民は、死ねば肉体は塵へ返るが、魂は風になると信じられていた。

 風は全ての始まりの象徴であり、返る所でもあった。

 送りの儀を済ませるとすぐに考えを切り替えて、ミシュアとあの男の二人をどうやって助け出そうかと思案し始めた。


 風船に同時に3人乗せて飛ぶ事は不可能ではない。

 不可能ではないが、それにはかなり条件が限られてしまう。

 少なくとも今の時点では、二人以上は乗せて飛ぶ事はできない。

 だが、ミシュアだけを乗せて飛ぶ事は、あの娘自身がそれを嫌って許さないだろう。


 あの男と二人でなら……ミシュアに二人乗りの風船を扱えるだろうか。

 おそらく無理だろう。空中でバランスを取る事が、かなり難しくなる。

 一人では比較的楽な操舵も、同乗者が居るとなると全く別である。

 その上ミシュアは、風船の操舵を苦手としていた。

 何か、何か方法は無いのか。


 ルマルスは一心に思案し続けた。時折頬をすり抜けていく、森から吹く風を感じながら、残された可能性を探していた。

 そんな時、彼は風が変わった事に気がついた。

 反射的に見上げた空に、先ほどまでとは異なった風の潮流が見える。


「こんな時に嵐が来るのか。いや、まてよ……」

 彼の両目が熱っぽい光を帯び始めた。名案が浮かんだのである。

 急がねばならないのと、機会を誤ると取り返しのつかない方法ではあったが、その策が最善に思えた。

「一か八かに賭けるしかないか。だが、やってやれないことは無いな」

 ルマルスはそれを探す為に、空を見上げた。



 屋敷の前では元部隊長を含む親衛隊5人と、少女を庇うように立つ男が膠着状態のまま様子を窺っていた。

 互いに相手の実力が分かっているだけに、迂闊には仕掛けられない。

 だが、二人にとって条件は不利だった。殆どの住民が、彼等に押さえられているからだ。

 このままではいずれ、残った風見や住民を盾にして、少女を渡すように要求して来るだろう。


 時間は無かった。

 男は相手が5人なら、何とかなると考えていた。

 先程放った“閃光撃”は周りにいた住民の身を案じて、威力を抑えていた。

 いかに相手が親衛隊の装備を身に着けていても、男の渾身の一撃ならば、甲冑ごと相手を寸断出来るだろう。

 奴等が卑怯な手を使う前に、決着を着ける。


 そう決めて狙いを定めた時、意外にも少女が男の腕を引いた。

「いけません。彼等は自分の意志では無く、戦わされているだけです。

 あなたが相手にすべきは、正面の男だけです」

「戦わされているだって? つまり、他の4人は操られていると言う事か?」

「難しいことは分かりませんが、彼等の風は何の色も持ちません。

 巧く言えないのですが、正面の男と同じ色になるのです」


 二人が小声でやりとりしている間にも、「光剣」持ちの包囲は徐々に完成しつつあった。

「同じ色になる? 奴が何か考えると、他の4人も同じ考えを持つ、と言う事か?」

「はい。そう考えて良いと思います。

 屋敷の裏で私を待ち伏せていた時、彼等はみな細く白い糸のような風が漂うだけでした。

 ですが今は、正面の男の感情に合わせて、風の色も変化します」

「傀儡だというのか。見掛け通りの手を使う」


 男は一瞬目を細めて、左右の兵士達に目をやった。

 最初から感じていた異常さは、やはり気のせいでは無かったのだ。狙うは正面の奴一人。

 刀の柄に手を掛け、元部隊長に狙いを付ける。

 飛び込み切りでは、左右の兵を盾にされる恐れがある。

 チャンスは一度と飛び出そうとしたその時、目の前の姿が煙の様にかき消えてしまった。

 そして、次の瞬間には、一人の女性の喉元に剣を当てて、男の方を睨んでいた。


「おぉーっと、そこまでですよ少佐。

 あなたの強さは十分承知しているつもりです。

 正面切ってやるほど私も無謀じゃない。油断しましたねぇ。くっくっく……」

 しまった、ためらっていた間が命取りになったか。

 男は己を嘲笑っている元部隊長を、憎らしげに見詰めた。


 ふと気がつくと、男の左腕を押さえたままの、少女が震えている。

「ごめんなさい。私のせいで……」

「気にするな、君のせいじゃない。

 しかし、奴め、何時の間にあんな所まで。動く気配すら無かったぞ」

「あの男、何か変です。

 私は恐ろしい……あの男から確かに感情の風は感じるのに、生命の風は全く流れていません」


「生命の風? 奴は死んでいると言う事か?」

「いえ、そうではないと思います。他の4人からは、確かに生命の風も感じるのです。

 ただ、あの男には感情だけしか無いようで……」

 そう言えば思い当たる節がある。

 まんまとおびき出された時も、奴は何時の間にか消えていた。

 そして、ここへ戻って屋敷を襲っていた。いくら何でも早過ぎはしないか?


 風船で飛んで来た自分でさえ、かなりの距離があった。

 ましてや、奴等は徒歩以外での移動手段は、用意して来ていない筈だ。男の知る限りでは。

 目に見えている姿は、実態では無いということなのか。

 しかし、そんなことが可能なのか? 男が考えている間にも、元部隊長の嘲るような笑い声が続いていた。

「できるだけ無駄な抵抗は止めて下さいよ。

 あなた自身にも生きていてもらわなきゃ、困りますからねぇ。

 生きてさえいればいいんですがね」



「そろそろか……」

 空の一点を見上げたまま、じっとしていたルマルスの口から、呟くような言葉がこぼれた。

 嵐の予兆は今や、はっきりと雲の変化として捉えられるまでになっていた。

 南東の方向から、灰色の重い空気の流れが地上に向かって吹き降ろし始めた。

 前線に生じる低温の空気層が、下降気流となって地上に叩き付けられている。

 ルマルスの目は確実に、暖められた地上の風と、それに覆い被さるように吹き下ろす下降気流、そしてそれに反発するように渦を巻く上昇気流を捉えていた。


 あの重たい空気に押し上げられている上昇気流、あれを捕まえる事ができれば、3人乗った風船でも楽に飛べる筈だ。

 だが、機を誤ると、風船にとっての大敵が襲って来る。それだけは避けなくてはならなかった。

 待ちに待っていた風が来た。生暖かい湿った重い風だ。

 舵紐を引き絞って、風力を両翼の付け根に集中させる。

 風船はふわりと浮かび上がって、風に流されるようにすっと斜め後ろに流れた。


 ここからがルマルスの腕の見せ所だ。

 林の間を駆け抜けながら、木々の幹によって分かたれていく風の流れ。

 あるものは細く、あるものは太く、いったん分かれ、また一つになりながら、地上を駆け抜ける。

 風船を操るには、これらの細かな風の流れを巧く見切って、自分の望む風だけを捕まえる必要がある。

 この点に於いて、ルマルスは誰よりも優れた勘の持ち主だった。


 風船の操舵は、いったん空中に舞い上がってさえしまえば、然して難しくない。

 上空の風ほど流れが太く、安定しているからだ。

 風船を乗りこなす最初の難関は、地上付近を流れる緩やかで気まぐれな風を捕まえて、自分の望む方向へ進む事だ。

 ルマルスはこの難関を、いともあっさりと越えてしまった。まさに生まれ付いての漕ぎ手であった訳だ。


 あっという間に風船は宙に舞い上がった。

 普段より重い風の所為もあるが、それにも増して彼の気迫が風を呼び込んでいるようだ。

 彼は高度を上げ過ぎないように注意しながら、森を抜けて兵士達の斜め後ろから、一気に二人をさらって逃げるつもりだった。

 他の全員をこの場に残していく事も気掛かりではあるが、男の言っていた、「狙いはミシュアの持つ地星にある」と言う言葉を信じていた。

 恐らく、奴等はルマルス達を追って来るだろう。その間に、皆が逃げてくれれば良い。


 空が灰色に変わり始めた。

 もはや誰が見ても、天候の変化は知ることができる。

 陽は厚い雲に覆われ、吹く風は上空から地上へ吹き降ろす、生暖かい湿った風になっていた。

 木々の間を巧みにすり抜けながら、ルマルスの意識は屋敷の方に集中していた。

 屋敷前では、ミシュア達と奴等の、息詰まるような攻防が繰り広げられているに違いなかった。

 その感覚は風として、ルマルスにも伝わってきていた。


 大きく迂回しながら、反対側に回り込んだ頃だった。

 林の中に紫黒色に光る、背の低い塔のような物体があった。その回りを囲むように、同じ色の甲冑をつけた兵士の姿も見える。

「なんだあれは。あんなもの、見た事も無いな……」

 距離がある為か、木々の間を音も無く滑るように飛ぶ姿が、彼らには見えていないようだった。

 ルマルスも気にはなったが、今は一刻を争っていた。


 見つからなかったのを幸いに、屋敷に向かって大きく曲がった。

 森を抜けてからが勝負だ。

 十分加速していないとな……そう思いながらも、目前に迫った『敵』に近づくにつれ、背中が冷えていくのを感じていた。



 相変わらずニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、元部隊長は男と少女を眺めていた。

 今の状況を楽しんでいるかのようだ。

 人質の為に、二人が抵抗できないのをいい事に、自らの優越感に浸りきっているのだ。

「さぁ、そろそろ終わりにしましょうかねぇ。

 私としましても、早いところ国へ帰って、楽しみたいですからねぇ」


 恐らく元部隊長の受けているのは直命だろう。

 本来光帝の警護に当たっている筈の、彼らが直接出向いているからにはその筈である。

 またそれだけに、見返りも大きい筈だ。見事目的を果たせば、昇格は間違い無いだろう。それ以外の恩賞も待っているようだった。

 殆ど手に入れたも同然の、武勲による昇格と栄誉。

 それら目の前の欲望の為に、元部隊長は斜め後ろから風のように飛んで来る風船に、気付きもしなかった。


 それは突然視界を過り、今のは何であったのか認識する前に、屋敷の入り口で捕縛されるのを待っているだけの可哀想な獲物、少女と少佐をさらって飛び去ってしまった。

 ほんの一瞬の出来事だった。


 暫くは何が起きたのか、全く理解できなかった。

 だが、事象を理解した瞬間、元部隊長の顔色が一気に火のような色に変った。

「おぉ、おのれぇー!!」

 そして次の瞬間、元部隊長の姿はかき消す様に消えていた。

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