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風の神話  作者: 夢育美
エルダ・スティル
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六話 風を視るもの

※サブタイトルを修正しました

 『風船かざふね』で空へ漕ぎ出したルマルスは、一意に南の街道を目指して飛んでいた。

 おそらくあの男は、既に「黒い男たち」と出会ってしまっているだろう。

 何とか男を救い出す巧い方法は無いだろうか。

 だが、そんな考えは杞憂に終わった。

 ただ一人、男は疾風のような身ごなしで街道をひた走っていたからだ。


 風に乗って音も無く男の背後にまわったルマルスは、近付きながら男に叫ぶ。

「乗ってくれ!」

 男はすぐに状況を理解すると、左手を差し出しながら焦る気持ちで叫び返した。

「急いでくれ! ミシュアが危ない!!」

 ルマルスもすぐに言葉の意図する所を見抜き、表情が険しくなる。

 ぐぃと力任せに男を引き上げて自分の後ろに放り上げた。

 見た目の華奢な感じからは信じられない力だ。


「身を小さくして掴まっていてくれ」

 それだけ言うと竜骨の翼を大きく広げ、屋敷とは違う方向に船首を向けた。

 男は顔を上げて何か言いかけたが、ルマルスの真剣な表情には、風船の扱いを知らぬ男などには思いも寄らない、最善の策がある事を感じさせた。

「“竜風たつかぜ”に乗って、高度を上げる」


 ルマルスにははっきりと上昇気流が見えていた。

 風は上空ほど速い。

 地上では様々な遮蔽物に阻まれる風も、空の上ほど自由であるからだ。

 風船は自ら進む力は殆ど持っていない。

 速く進む為には、速い流れの風に乗る必要がある。


 突如、地上から吹き上げる風の圧力が増した。

 上昇気流で風船の高度が見る間に上がっていく。

 下からの強い風を受けた『竜骨翼』は、広げた中心部が盛り上がって見えるほどに風の力を一心に受け止めていた。

 やがて、ふっと宙に浮くような感覚の後、今度はすべり落ちるように館の方向に向かって一気に進み始めた。


 風と共に進んでいる為、風を切る音は全く聞こえないが、流れていく風景がその速さを感じさせる。

 ルマルスは『竜骨翼』の両翼を絞って、船体に殆ど密着させるように、出来るだけ抵抗を無くしていた。

 まさに、空に作られた透明な滑り台を、一気に落ちながら進んでいるような速さだった。

 もっともルマルスにはその台がはっきりと見えていたのだが。


 男は言葉を無くし、やや青ざめた表情をしていた。

 これが伝説のエル・オンなのか。

 音も無く飛翔するこの船だけでも、本国にとっては十分価値のあるものに違いない。

 だが、本国の狙いは違う。間違いなく、少女の持つあの石だ。

 そしてそれは、少女の存命には関係が無い。


 町の中央が目の前に迫っていた。しかしそこで男とルマルスは、もっとも不安をかき立てられる光景を見た。

 中央広場に折り重なるように倒れている住民の姿。

 少女がいる筈の、屋敷までは間も無くだ。



 姿を見せない何者かに呼びかけたが何の返答も無い。

 ピクリとも動かない白い糸のような風は、相変わらず静かに揺らめくだけだ。

 ミシュアは諦めずにもう一度呼び掛けた。

「そこにいるのが誰かは分かりませんが、オーマであるこのミシュアに用があるのなら、出てきて顔をお見せなさい」


 その声にも、何も応えるものは無かった。

 もう一度声を出そうとした瞬間、正面の林の中に、突如紫黒色の甲冑を纏った男が二人姿を現した。

 驚いているミシュアには少しも構わず、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。

 確かにそこには、つい先程まで男達の気配どころか何も無かった筈だ。


 そこに一瞬後に現れるとは。只ならぬ気配を感じ、思わず身を固くした。

 やがて、左の林からも3人の男たちが現れた。

 今度は現れる時の様子がはっきりと見えた。

 それまで揺らめいているだけの風と見えたものが、突如形を変えて人の姿になったのだ。

 所々が揺れながら膨らんで太さを増し、甲冑に身を包んだ男の姿になった。

 この男たちも無表情のまま、ミシュアに向かって歩いて来た。


「先程のお客様の仲間ではないようですね。

 あなた方の纏う風は、冷たく、殺意に満ちています。

 それに、どうやら私自身に用がある訳では無いようですね」

 ミシュアの一言で、一瞬男たちの動きが止まった。

 風見かぜみの持つ力の一端に触れ、それまで訓練して隠す事を覚えて来た心が、ほんの少し揺り動かされてしまったからだ。


 5人は殆ど同時に再び動きはじめた。

 ミシュアはすぐに裏口を閉めると、屋敷の中に引き篭った。

 内側から閂を掛け、急いで表の入り口に向かう。

 案の定、外側の閂を外す音がしていたが、間一髪内側から掛ける閂が間に合った。

 続いて食卓を動かして、扉に押し付けるようにした後、休む間もなく今度は裏口の扉の前に大きめの棚を移動させて防壁とした。


 外から入って来られる場所は、これで全て無くした筈である。

 だが、このままではミシュアも外には出られない。

 彼らの目的がミシュアの持つ「地星ちせい」にあるのは間違い無い。

 先程の様子からして、既に幾人かの民たちは命を落としているに違いない。


 このまま自分がここに留まることは、守るべき全員の命を危険に曝す事になるのではないか。

 先代からオーマを受け継ぐ際に、風見の持つ地星の力は人の安らかな未来の為に使うものだと教えられた。

 その地星自身が民の恐怖の原因となるのは間違いであろう。

 では、素直にこの地星、豊穣を意味する名を持つ「ファティエ」を渡してしまって良いものだろうか。


 思惑を巡らしている間に、外が騒がしくなった。屋敷の中に押入ろうとしているに違いなかった。

 だが、この屋敷に使われているマフ(網樹)の材は、繊維が複雑に絡み合っていて弾力性に富み、かなり切れる剣であっても破砕するのは容易ではない。

 その上非常に燃えにくく、火を射掛けられたとしてもかなりの時間耐えられるだろう。

 力で押入ることは難しい筈だ。


 その間に次の行動を考えなくては、そう思っていた時、屋敷の外からミシュアに呼び掛ける声が聞こえて来た。

「まったく、お察っしのいい事には感服しますが、我々としては貰う物だけ貰えれば構わない訳でしてねぇ。

 そのまま篭っておられても、いずれ出て来てもらう事になりますよ」


 ねとつきそうな嫌らしい喋り方。口調が妙に丁寧なのがより一層の不安を煽る。

 やはり彼らの狙いは地星にあるようだ。

「まぁ、もう既に何人かの方からは、お譲り頂いているんですよ。

 尤も、“快く”承知頂いた訳ではありませんがねぇ」

 吐き気が込み上げて来る。

 人間の持つ最も嫌らしい感情が、扉の僅かな隙間から屋敷内に侵入して来る。


 ミシュアは口元を押さえながら、外の気配を読む事に集中した。

 一つ、二つ、三つ……既に4つの地星が呼び掛けに応えない。

 それは、4人の風見が彼らに殺された事を意味していた。

 想像するまでも無く、屋敷の前には無残にも地星をえぐり取られた風見たちの亡骸が横たわっているのだろう。

 ミシュアにとっては、堪え難い悲しみの感情が激しい風となって吹き出しそうだった。


 外で脅えている民たちは、風見が次々と殺されていく様を目の当たりにして、どれ程の不安と恐怖と、そして悲しみを覚えたのであろうか。

 このまま自分が篭り続ければ、更なる犠牲を出す事になる。

 それは容易に想像出来る。屋敷の外でミシュアを待ち受けているのは、そういう男たちなのだ。


 もはや決断するしか無い。彼らが何故地星を欲するのか、その理由は分からないが、これ以上の犠牲を出す訳にはいかないだろう。

 それがオーマとして正しい事かどうかそれは分からない。

 果たしてエル・オンが全ての地星を失ってしまっても、エル・オンとして存在していられるのかどうか。

 ミシュアは扉の前で跪くと、胸の地星の位置に両手を重ね合わせ、亡き先代のオーマの魂に呼び掛けた。

 どうか私たちを正しき道へお導き下さい。

 それから静かに立ち上がり、正面の扉に掛けられた閂をゆっくりと外した。



 エル・オンの町から遥か北、大陸中央部の山岳地帯。

 僅かな低木と、お花畑が広がるだけの、岩だらけの高地帯に、一つ、また一つと異形の姿が現れはじめた。

 あるものは岩組の間から、あるものは天空から。


 人の身の丈の優に倍もある細長い身体に、腰まで伸びた螺旋状の双角。

 長く伸びた尾は先端に向かって細長く、身体と同じくらい長い。

 大きな体躯を支える両の脚はずんぐりと逞しく、短めの両腕とは対照的だ。

 背中に折り畳まれた両翼は薄いが強靭で、広げるとかなりの大きさがあった。

 身体の色は様々で、赤みの強い茶色から焦げ茶のような色、深い青色のもの、萌え出す緑のような明るい色。

 原色で染められたものは居ないが、一同に集まると鮮やかだった。


 彼らこそは、悠遠の時よりこの大陸を見守りし種族。

 大空を生活の場とし、かつて大陸全土を席捲していた古の竜族である。

 今や人の踏み入らぬ土地で、僅かに生き延びているだけの彼らだが、決して滅びへの道を歩んでいる訳ではない。

 彼らが歴史の表舞台から姿を消したのは、一つの重要な目的があった為である。

 その真実については語られることは無く、『風の民』と呼ばれる一族の、その中でも僅かな者たちしか知らぬ事だった。


 最後に空から降りて来た一つの影を中心に、現れた全ての竜族が集まり始めた。

 互いにじっと押し黙ったまま、視線を交わし合っている。

 彼らに音声を発しての会話、言葉は必要なかった。

 他種族と交流する場合には、必要に応じて流暢に言葉を駆使したが、彼らの間では言葉を用いず、専ら精神感応によって「会話」を行っていた。

 それというのも、生活の場の殆どを空に置く彼らには、音声による意思の伝達では障害が多く、自然と精神感応による伝達方が発達したからであった。

 最後に舞い降りて来た、一番大きな体躯を持つ竜が切り出した。


「『エルダの鍵』が解かれようとしている……彼の言った通りになったな」

「もうそれ程の時が過ぎたか……つい昨日の事のように思い出されるのだがな」

「人にとっては、悠久と言っても良い時が過ぎている……彼の力にも限界があったと言う事だよ」

「やれやれ、難儀な事だ……」


「盟友との起請だ、反故にする訳にも行くまい……それにしても、あれに手を出すとは、何処の馬鹿者なのか……自らが手にしようとする力、それが何であるのか、知ろうともしない」

「南の大国、バイスの愚帝であろう。まったく、我が侭で困り物だ」

「バイスか……人の成すべき事柄を見失って久しい、『永遠の都』だな……まさに幕引き役に相応しいな」


「そう簡単に幕など引かせる訳には行かぬ……オーマの持つ、「ファティエ」だけでも失わずに済めばな」

「ミシュアと言ったか……なかなか利発そうな子供だったな……いやいや、既に子供ではあるまいが」

「久しいの……心を痛めていねば良いが」

「では、そろそろ向かうとしよう」


 やがて彼らは、現れた時と同じようにふわりと宙に浮かぶと、流れるような動きで南に向かって飛び去った。

 後には元の通りに、美しく咲き乱れるお花畑が広がるだけだった。



 屋敷が見えた。

 だが、そこには数人の男たちと、一ヶ所に固まって脅えている住民の姿があった。

 ルマルスは着地の体勢を取ろうと、手にしている舵紐かじひもを戻そうとした。が、その手を男が押し止めた。

「速度を殺さずに、屋敷の入り口の真上を通過してくれ。出来るか?」


 ルマルスはその言葉には答えず、無言で舵紐を引き絞る事で答えた。

 男のやろうとしている事が、彼には瞬時に理解出来たからだ。

 だがその方法は、正直言ってあまり奨められたものでは無かった。

 後ろを振り返って何か言いかけたが、男の表情を見て止めてしまった。何も言う必要は無い、男は十分に理解していた。


 風船は音も無く進む。

 ルマルスは天性の勘で風を読み、風船の高度を屋敷の屋根ぎりぎりの高さまで落とした。

 その時が来た。男は剣の柄に手を掛け、呼吸を整えながら意識を剣に集中した。

 そして、風船が通過する瞬間、屋敷の戸口の真正面目掛けて飛び降りながら、兵に向かって剣撃を放った。

 再び、閃光となった衝撃波が、屋敷を囲む5人の男たちに襲いかかる。

 あたりが一瞬霞むように明るくなり、元に戻った時には戸口を背にして仁王立ちする男の姿があった。


 ちょうどその時に、扉を開けて少女が外に出ようとしていた。

 彼女は扉を開けた途端に強烈な閃光を見て目が眩んだが、元に戻った時には自分の正面に、出ていった筈の男の姿がある事に驚きを隠せなかった。

「あ、あなたは……大丈夫だったのですね」

「遅くなって済まなかった。随分な目に遭ったな」


 男は冷静にあたりの様子を見て、屋敷の前で行われた“虐殺”に胸を痛めた。

「おやおや、意外と早いご帰還ですねぇ。

 さすがは少佐だ、“閃光撃”が使えるとは。

 ですが残念、我々には効きませんよ」

 男の正面にいる兵士から、嫌らしい喋り方と聞き覚えのある声がしている。

 間違い無い、正面にいる兵士は、部隊長に化けていたあの男だ。

 奴め、やはり最初からこちらが狙いだったか。


 男の使った技は、オリハルコンの柄を通して刀身に溜めた気力を、抜き払う勢いにで相手に衝撃波としてぶつける居合の応用技だった。

 紫黒曜石は、硬い上に光学兵器を無効にしてしまう。

 複雑な分子構造の為、レーザー光のような短波長域の光線でも、乱反射させてしまう為だ。

 その為、物理的な攻撃が有効なのだが、距離を取った相手を攻撃する術が無い。

 そこで考案されたのが、人の持つ精神力を増幅し、それを攻撃に利用するという方法だった。


 この大陸には、南部の山岳地帯から産出される、オリハルコンと呼ばれる赤銅色の輝石があった。

 この輝石は、それ自体特別硬い訳でも、美術的価値がある訳でも無かったが、人の精神に感応する性質を持つ事が、目立って変わった特徴だった。

 一種の増幅装置であり、変換装置としても働くのだ。


 そこで、このオリハルコンを心材に使い、硬く弾力のある紫黒曜石を刀身に使った剣が考案されたのだ。

 しかし、この剣を活かせるのは強い精神力の持ち主だけであり、弛まぬ訓練と天分の才無くしては、生かせぬ剣だった。

 しかし男の放った“必殺の一撃”は、彼らには通用しなかった。

 彼らの着けている甲冑は、おそらくオリハルコンを紫黒曜石の内側に融着させた、特別性の甲冑なのだろう。


 そこまで考え及んで、男はやっと彼らの正体に思い当たった。

「そうか、『光帝』直属の親衛隊。

 最新の装備を身に付けていても、不思議は無いな。ただの刺客では無かった訳か」


 少女が男の背中に隠れるように回って、腰のあたりをぎゅぅっと抱きしめていた。

 普段の彼女からすれば似つかわしくない。しかしそれには理由がある。

 先程から男に向けられる、細く鋭い漆黒の風が、今まで見た事も無い余りにも恐ろしい物だったから。

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