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風の神話  作者: 夢育美
エルダ・スティル
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五話 光剣

※サブタイトルを修正しました

R-15な残酷描写が少しあります。

「仕方ない。

 同胞の誼みで敢えて剣は抜かずに済ませようと思ったが、そうも言ってはおれないようだ。

 覚悟はいいな……」


 それまではいくら激しく動いても、表情を変えなかった男の目が、獲物を捕らえた獣のように鋭いものに変わった。

 背後の気配に気を配り、すばやく周囲を一瞥すると腰の長剣に手を掛ける。

 それまで間断なく繰り出されていた剣撃が、一瞬の間止んだ。

 男はその隙を見逃さなかった。

 半歩踏み出しながら膝を落とし、伸び上がる力と踏み込みとの勢いを乗せて、正面の兵士に抜き様の剣を放った。


 キィン!


 甲高い響きを残して、剣勢に圧された兵士が直線的に後方に飛ばされた。

 鈍い響きと共に地面に倒れた兵士の脇から、赤黒い液体が滲み出してきている。

 鎧と鎧の継ぎ目を狙って正確に放たれた男の刃は、紫黒曜石の継ぎ手を細かな破片の煌めきに変えつつ、兵士の脇腹から肋骨ごと断ち切っていた。

 凄まじい剣勢であった。


 男の飛び込んだ囲みの両脇の兵が降りおろす剣撃が、左右同時に襲って来た。

 しかし、またしても男の反撃の方が早かった。

 放った剣を手前に引き戻しつつ体勢を落とし、左からの剣撃を受け流す。

 と同時に下から振り上げるように右からの剣を受け、一刀のもとに相手の剣を断ち切った。


 男の使う剣は、ただの紫黒曜石から削り出された剣ではない。

 「光剣」と呼ばれる、将校クラスだけが帯刀を許された、オリハルコン(精神感応石)を握りと心材に使用した、特別な剣である。


 刀身が透ける程の薄刃で、一見頼りない細身の両刃剣。だが使われている素材のお陰で、他の剣とは比較にならない切れ味と強靱さを発揮する。

 闘志、殺気、剣勢。様々に表現される攻撃する者の意思。それらに感応することで、オリハルコンは極めて高い周波数の振動波を発生させる。


 目には見えない振動は、剣身の表面、中でも薄く尖った刃の周囲を覆うように発生する。

 脆い石剣や只の削剣であれば、触れるだけで刀身を折ることが出来る。

 だが、その威力を差し引いたとしても、男の剣撃は圧倒的な破壊力を持っていた。

 男がそれだけ優れた剣士である証しであった。


 倒れた兵士を飛び越えて、間髪を入れずに突進する。

 しかし開いている筈の囲みには、既に別な兵士が立ち塞がっていた。

「なるほど、そう簡単では無さそうだな」

 男の剣勢に呑まれたのか、兵士たちは再び距離を保って回りを取り囲むように、攻撃のタイミングをうかがっている。


 一つ息を吐き、落ち着いて周りを見渡した。

 その中に先程の部隊長の姿は無い。

 それどころか、この場には「光剣」を持っているはずの手練れは一人も居ないことに気付いた。


 なんという言う失策か。


「足止めという訳か」

 男の表情に、今度こそ苦々しい焦りが浮かんだ。



 屋敷を出たルマルスは、直ぐに屋敷裏の湖に向かった。

 そこには、彼ら『風見かぜみ』だけに使う事の出来る『風船かざふね』がある。

 『風船』は舟と言っても形はまるで船らしくない。

 二枚の扇形の、薄くて強靭な板を要の部分で止め合わせ、そこに細長い船形の胴体を付けたような形をしている。

 両刃の斧の柄の短いものに似ていると言って良い代物だ。


 風見はこの風船で空を飛ぶ。

 空を流れる、風と言う大きな河を、この舟でもって自由に航行することができるのだ。

 それも、風見の「風を見る」特殊な能力と、『風船』の二枚の羽根にあたる、『竜骨翼』が無ければできない事であった。


 『竜骨翼』は文字通りに竜が死んで残した骨から作られた翼のことである。

 今はもうすっかり見る事も無くなったが、その昔、今よりも人と人外の生き物が近しい間柄であった時分、空は竜族のものだった。


 長く伸びた角と、二枚の巨大な翼を持つ大トカゲに似た姿は、人間たちから見れば余りにも異形であった。

 彼らは人間がこの大陸に現れる以前から、ゆったりとここで暮らしていた。


 その姿と裏腹にとてもおとなしく、人間に対しても寛容であった。

 その為彼らは徐々に住む世界を追われ、ついには、大陸の中央北部に東西に横たわる山岳地帯に最後の永住の地を求めた。

 長くその姿は人間に認められる事も無く、伝説上の存在になっていた。


 エル・オンの民は、この優しい竜族たちと長く良好な関係を保っていた。

 お互いに争いを好まず、自然と親しい生活を営む所で、共感した為だろう。

 彼らは空を、エル・オンは地上を主な生活の場としていた事も、好都合であった。互いに足りないものを補い合って生活していた。


 その為、エル・オンにだけは竜族の持つ飛翔能力の秘密を明かされていた。

 彼らはその力を利用する術を学び、竜族の協力を得て『風船』を完成させたのである。


 『風船』の両翼にあたる扇形の板『竜骨翼』は、竜族の肩甲骨を加工したものである。

 竜族はこの部分に飛翔に必要な「風力」を集めて、宙に浮かび上がる。

 翼の羽ばたきは、推進力や方向を変える為にだけ使用され、宙に浮かぶ力は大気の流れである風の力を利用したものだった。

 風見たちはこの『竜骨翼』の「風力」を集める力を利用して、特に重い風の流れ、海で例えるなら潮流にあたるものに乗って空に漕ぎ出すのである。


 ルマルスは湖に着くと、水中に沈めてあった『風船』を引き上げた。

 乳白色に輝く船体は舟には見えずに、何か大きな揺り篭のようにも見える、かなり異質な乗り物であった。

 畳んであった両翼を広げて、しばらくの間乾くのを待った。

 『竜骨翼』は水に浸ける事で厚みと可塑性を増し、丸めて船体に収納することができる。

 それは水から出すと短時間で乾燥し、元の硬さと鋼を越える弾力を取り戻すのだ。


 飛べるようになるまでほんの一時ではあるが、屋敷の方を見やって遠い日の思い出を胸に浮かべていた。

 ミシュアとともに過ごした子供時代の楽しかった思い出。

 あの頃は毎日が楽しかった。

 早くから風見としての修行を余儀なくされていたが、二人でやればそれもまた楽しいものだった。


 風を自由に見ることが出来るようになった頃には、既にミシュアはオーマとしての素質を見いだされて、彼女だけ特別な生活を必要とした。

 その頃には、ルマルス自身にもはっきりとした目的が生まれていた。

 風を見る事にかけては並外れた才能を持つミシュアが不得意な事、風に乗る事で誰よりも優れた風見になる。

 それがルマルスの目標であり、望みであった。

 事実、ルマルスは今や誰よりも優れた『風船』の漕ぎ手となっていた。


 ミシュアの焦る気持ちも、男を助けたいと言う気持ちも分かる。

 だが戦う術を持たなかったエル・オンにとって、戦地へ赴く事はすなわち今生の別れを意味した。

 それが分かっていて、ミシュア本人を行かせる事など出来よう筈も無い。

 彼女はオーマである以上に、ルマルスにとっては何物にも変え難い大事な妹なのだ。


 自分が行けば、万が一にも無事に客人を救い出して逃げ果せるかもしれないが、ミシュアではその可能性は万に一つも無い。

 ミシュアでは二人乗りの風船を操れぬだろう。

 二人で一緒に『風船』に乗って、空を漕いでまわった時のことが思い出された。

 あの思い出は、彼にとってかけがえの無いものだ。

 自分が守ろうとしているものはあの思い出なのか。いや、自分が守らなければいけないのはオーマであるミシュアなのだ。


 遠くを見ていた眼差しに、焦点が戻った。

 美しいが刃物の如き鋭い険しさを持った瞳に力が宿る。

 さぁ、準備は出来た。



 ミシュアはいまだに迷っていた。

 ルマルスは自分に任せろと言って去った。だが、このまま彼を置いて去ってもいいのか?

 一向に消えない胸騒ぎは、自分が行かない限り解消されない気がする。

 ミシュアの後継たる、次のオーマになるべき人物は見つかっていない。


 これはすなわち自分がまだオーマであり続けると言う事だ。先代は言っていた。

 「新しき母」が見つかる時は、自らが役目を終える時なのだと。

 やはり自分はあの男の元へ行くべきなのだ。それがオーマとしての自分にとっても正しい選択の筈だ。


 ミシュアは決心して屋敷を出ようとした。

 しかし扉には外から閂が掛けられ、開けられなかった。

 声を上げて外にいる筈の誰かを呼ぼうとしたが、ふと思い止まって声を出すのを止めた。

 理由が何であれオーマである自分が、民を置き去りにするような行動をとっていいものだろうか。

 また、その事を自ら知らしめるような行動は取るべきではない。

 出来るだけ誰にも見つからずに、この場から抜け出さなければならない。


 そっと気付かれぬように、台所にある裏口にまわった。

 裏口には閂は掛かっておらず、何の抵抗も無く外へ出る事が出来た。

 屋敷の裏側は鬱蒼とした森に隣接しており、誰か見張りに立っている者がいるのかと思ったが、そんな者もいなかった。


 ふと、不安な気持ちが襲って来た。ルマルスのことだ、表に閂を掛けるくらいなら、裏口をこうして放っておくだろうか。

 少なくとも誰かを見張りにするくらいのことはやる筈だ。

 自分を屋敷から出さない為の行動なら、裏口を見逃す筈は無い。

 しかし森はひっそりと静まり返り、誰の姿も無かった。

 そよ吹く風の、梢を渡る葉摺れの音が聞こえて来る。

 

 何か変だ、静か過ぎはしないか。

 既に皆の移動の準備は出来ていると言っていた。

 おそらく屋敷の前の、町の中央に続く道標の辺りに集まっている筈だ。

 その喧騒が、ここまで聞こえて来てもおかしくは無い筈だ。

 屋敷の前の広場に意識を集中する。様々な色の風が見えているが、暗い青や濁った赤、黒に近い色などばかりだ。皆不安を感じているに違いない。


 ミシュアは更に意識を鋭くした。

 普段でも意識しないと感じ取れない程の、微かな風の流れをも逃すまいと、全身の感覚を外に向けて開いた。

 押し殺したような暗い蒼い色の風が、町の中央の方から流れて来ていた。

 これは強い恐怖の感情だ。

 何かがあった、それは間違いの無い事だった。しかしそれよりも気になる風を捉えていた。


 森の木々の間を細く白い糸のような風が流れているのが分かった。

 いや、この場合“流れている”と言うのは正しく無い。

 細く白い糸は、ゆらゆらと揺らめくようにその場に漂うだけで、流れてはいなかった。

 ミシュアもこんな風を見るのは初めてだった。


 風とはすなわち万物の流れ。

 流れずに漂っている風など、本来は無いものだ。

 細く頼りなげに、吹く風に任されたようにその場に留まっていた。

 正面の樹の影に2本、左の方に2本の同じような糸があった。あれは一体何なのだろう、そう思った矢先、風の向きが変わった。


 その瞬間、ミシュアの感覚は確かに他と間違えようの無い「恐ろしいもの」に気が付いた。

 血の臭いがする。

 森を抜けて来る豊穣の匂いに、微かに血の臭いが混じっているのだ。

 それは間違い無く、白い糸に見える見慣れぬ風の方向から来ていた。


「そこにいるのは誰です。隠れても私には分かります」

 一つずつの間を置きながら、ゆっくりとしっかりした声で見えない誰かに向かって呼び掛けた。

 誰かいるのは間違い無い、しかし、それはこの街の民ではない。

 彼らの風なら、誰であろうと一目で分かる。

 では、あそこにいるのは……



 男はかなり焦れていた。

 遠巻きのまま仕掛けて来ない兵士たちもそうだが、この場にいない、部隊長に成りすましていた男や「光剣」持ちの動向が気になる。


 男は苦々しい気持ちで自らの浅はかさをなじった。

 初めから本国の狙いはこの町にある、いや、ミシュアと言う少女の持つ『エルダ・スティル』であった筈だ。

 ならば私は、まんまと此処までおびき出されに来たようなものだ。

 奴がことさら挑発してみせたのもその為か。


 本国の精鋭20名弱。

 足留めにしては随分と危険な相手だが、そう言っている余裕は既に無い。

 奴の姿を見失ってかなりの時間が過ぎている。

 このままでは館にいる少女が危ない。


 男は決断を迫られていた。

 出来る事なら、これ以上の同胞への攻撃は行いたくない。

 避けられぬとしても、最小限の手傷でこの場を切り抜けるつもりでいた。

 だが、事は一刻を争うのだ。

「悪く思うな」


 小さく呟いた男の構えが変わった。

 抜き身の剣を再び鞘に収めて、腰の位置で水平に構える。

 肩幅より広く足を開いて重心を落とし、全精神力を鞘に添えた左手と、柄を握る右掌に集中した。


 男の放つ強烈な殺気が一瞬緩んだその隙を、回りの兵士たちは見逃さなかった。

 前後左右から同時に、剣撃が男に向けられた。

 が、その剣撃が届くより早く、水平に構えられた剣が一瞬閃いた。


 凄まじい威力の衝撃波が、男の身体を中心に輪を描いて外に放たれた。

 閃光となった衝撃波は甲冑をすり抜け、直接兵士たちの生身に衝撃を伝える。

 男を取り囲んでいた数十人は、たちまち地に倒れ伏し、それきり動かなくなった。


 一瞬悲しそうな表情をした男は、その身を甲冑で包んでいるとは思えない程の、疾風のごとき速度でもと来た道を走り出した。

 男はただ一つのことだけを強く念じていた。

 どうか、間に合ってくれ、と。

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