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風の神話  作者: 夢育美
エルダ・スティル
5/19

四話 葛藤

※サブタイトルを修正しました

1キュビエ=1.5m位です。

 男の行く先に、黒紫色の甲冑に身を包んだ「黒い悪魔」たちの姿が浮かび上がった。無気味な程に静かだが、力強いリズムが足の裏を伝わって来る。

 清廉なまでに訓練の行き届いた本国の精鋭が、統一された意思のもと刻一刻と男の目の前に迫って来た。


 男は先程までの一時的な怒りを押し止め、極めて冷静で戦術的な思考を巡らせていた。

 いかな手段が最も効果的であるのか、唯その一点のみに絞って思索を繰り返していた。徐々に近付いてくる兵士たちの動きをよく観察する。


 ふと、男は目の前の兵士たちに言い知れない違和感を覚えた。

 統制された動きそのものは、精鋭部隊であるところを反映しているのだが、それにしても。

 あまりにも動きが統一され過ぎているように感じたのだ。


 良く訓練された部隊は、極めて統制の取れた動きをする為に、全体で一つの生き物のように振る舞う事もある。

 だが、彼らの動きはまるで、一人の動きを全員にコピーしたかのような、寸分違わぬ動きをしていたのだった。


 男の脳裏を、不吉なモノが過った。以前に確か、こんな動きをしていた部隊を見たような記憶がある。

 それは何処でだったのか、必死に思い出そうとしたのだが、あまり興味が無かったのか、余程の過去での話しだったのか、思い出すことは出来なかった。

 暫く男が考え込んでいる間にも、静かに、確実に目の前まで兵士たちは近付いていた。


 突然に彼らの動きは止まった。

 男の目の前、20キュビエ程のところで進軍を止めて、ピクリとも動かずに攻撃姿勢のままで待機してしまった。

 それまで続いていた行軍の低い地鳴りが止み、そよ吹く風の音さえも聞こえるほどの静寂が訪れた。


 男は部隊の先頭の一人を見詰めていた。なまじの光は飲み込んでしまうような、黒紫色に鈍く輝く甲冑と盾。

 握りから剣先までを一本の紫黒曜石から削り出した、肉厚で弾力のある長剣。

 いずれの装備も、東章ニ駆団の装備に間違いは無い。自分に与えられ指揮を任された部隊の標準装備であった。


 しかし腑に落ちない点があった。彼らはいずれも良く訓練された、優秀な軍人たちである。

 だからこそ、上官の命令には絶対服従の筈だ。

 男がこの町を再び訪れる際に、自分が戻るまでは待機するように命じた。

 その命令は絶対のものであった筈だ。

 だが、彼らは男の連絡を待たずに進軍して来た。これをどう考えるべきなのか。


 緊張で張り詰めた心を洗うかのように、涼やかな風が男の頬を通り過ぎた。

 目の前の誰一人として、先程から動くものはいなかった。

 じっと押し殺した不自然静けさで、無気味な威圧感だけを男に向けていた。


 このままでは埒が明かないな。

 そう考えた男が先に動いた。思い出したようにゆっくりと一歩ずつ前に進む。

 だが、一度停止した部隊は、石の固まりのように動こうとせず、男が近付いていく様をじっと見ているだけだった。

 そして、男は先頭の兵士の目の前まで歩み進んだ。


「これは一体どういう事か」

 極めて落ちついた、しかし厳しい語気を含んだ物言いで男はそう尋ねた。

「……」

 だが、その問いに対して返されたものは、全くの無言であった。

 目の前で上官が詰問しているにも関らず、兵士はやや俯き加減の顔を上げようとせず、微動だにしない片膝の状態のままで黙していた。

 男は多少の苛立ちを交えながら、再び詰問した。


「三度は聞かぬぞ。何故私の帰りを待たずに進軍を開始したのだ?」

 再びの男の問いは、沈黙をもって返答された。

 だが今度は、僅かではあるが変化があった。部隊中央の一人の兵士がゆっくりと顔を上げたのである。

 しかし、その口元は微かな笑みを浮かべていた。


 この男は部隊長であった。5人の「光剣」使いの一人であり、万が一の時の指示を与えていたはずだ。

 部隊長はゆっくりと立ち上がり、両手で顔を覆っていた甲を脱ぎ去った。


 そこに現れた顔は、甲の下の顔は男の知った顔では無かった。

 いや、全く知らぬ顔と言う訳では無く、以前に何処かで会っている気がした。

 しかし、その顔は男が指揮を任されてた、東章ニ駆団の部隊長の顔では無い。

「はじめましてですかな? こうして直に顔を会わせるのは」


 甲を取った男は、不遜な表情で上官を上目遣いで見ていた。目の前の部隊長は中肉中背、男より頭一つ背が低い。

 相手の両目の奥底を、心中の真実をどうにかして盗み見てやろうという、いやに親しげで、それでいて抜け目の無い視線だった。


 男は、極力心中の苛立ちを気付かせぬように注意しながら、ゆっくりと抑えた口調で目の前の不遜な態度の部隊長に問い質した。

「お前は東章のニ駆団隊長ではない。

 一体何者だ? なんの目的があってここにいる」

 問われた男には、その質問がなされるのは然も当然と言ったような余裕の表情が浮かんでいた。


 そして、それに対する答えも既に準備されていた。

「さて、それはあなたが知る必要の無い事でしょう。

 それに、今頃その理由を知ったところで、どうなるものでもありますまい」


 それまで微動だにしなかった紫玉の兵士たちが、物音一つ立てずに男を取り囲むように布陣していた。

 腰の長剣を抜き構えて、何時でも攻撃の出来る体勢のまま沈黙していた。

 一体いつのまに囲まれたというのだ。

 動こうとする気配すら感じさせなかったというのに。それとも、それ程にも私は冷静で無かったと言う事か。

 そんな男の思惑などお構いなしに、危機的状況である事を告げる一つの言葉が紡ぎ出されて耳に届いた。

「それでは、ごきげんよう」



 ミシュアの胸中は、抑えきれない泡立つような焦りと不安で一杯になっていた。

 先程から呼び掛けられている事も気付かず、ただひたすら出て行った男の事が気になっていた。

「……ミシュア! もう此処を去らねばならない。早く支度をするんだ」

 ふと我に返った彼女の目の前に、『碧眼のルマルス』の怒ったような困ったような真剣な表情があった。


 彼はミシュアがオーマとしての役割に付く前から、同じ風見であったミシュアのことを妹のように、あるいはそれ以上に大事に思って来た。

 そして、まだ歳若い彼女が先代のオーマにその力を見いだされた時より、常にミシュアの良き相談役、良き兄となって彼女を支えて来た。


 そんな彼だからこそ、今のミシュアのただならぬ心中を良く理解していた。

 あまり感情を表に出さずに、常に平穏な心中であるように訓練されてきた彼女の、初めてと言っていい程の動揺と焦り。

 もしこのままの彼女を外に出す事があれば、その心の動揺は住民たちを不安と恐怖に追い込んでしまう。その事を彼は良く分かっていた。


 ルマルスは、ミシュアの持つ「地星ちせい」に劣らぬほどの深い色の碧い瞳で、愛すべきオーマである「少女」を見詰めた。

 真直ぐに、たった一つの目的を思い出させる為に、柔らかな、しかし揺るぎ無い瞳でミシュアを見詰めた。

 お前のなすべき事は全ての風の民を安全に正しき地へ導く事なのだと。


「ルマルス、あの方を放っては置けません」

 意外にもミシュアの言葉はルマルスの期待を裏切るものだった。

 心の動揺を隠そうとはせず、必死のと言うよりは悲壮に近い表情を浮かべ、しがみ付く様にして答えていた。


 意外であった。全くルマルスには意外だった。


 ミシュアは幼い頃から風見として力を発揮し、良い意味で「大人びた」少女であった。

 両親は幼い頃に亡くしてしまっていたが、養父母にも良く懐き、聞き分けの良い子供であった。

 と言うよりは、何事にもあまり執着する子供では無かった。

 それが彼にとっては心配ごとの一つであり、あるいはオーマとなる者の資質なのかもしれないと思っていた。


 初めてミシュアが彼の家にやって来た時、彼は一目でミシュアを気に入ってしまった。それ程可愛らしい少女だった。

 だが、物静かで感情を表さない彼女は、何処となく人形のような気がしていた。

 それが兄として接するうちに、次第に彼女もルマルスや彼の両親に打ち解けはじめ、少女らしい笑顔を取り戻していった。

 それでも、そうした笑顔を見せるのはごく親しい人にだけで、彼女はなかなか他人に打ち解けようとはしなかった。


 そんな彼女が、会ったばかりの見ず知らずの男に、これ程の執着を見せるというのは、正直、ルマルスは男としての嫉妬に近い感情すら抱いていた。

「お願いです、あなたは皆を率いて此処から逃げて下さい。

 私はあの方を何とか逃がして差し上げたいのです」

 ミシュアの瞳に、もはや先程までの迷いの色は無かった。

 明確に自らの意志として、あの男を救いたい、あの男の役に立ちたい、という思いが宿っていた。


「ミシュア、君はオーマなんだ。

 君が皆を率いなくて、正しき道へ導けると思うのか?」

「あなたなら大丈夫です、ルマルス。

 あなたの碧眼であれば、ありとあらゆる風の善し悪しを立ち所に見抜けましょう。

 お願いします、私に代わり皆を安全な地へ導いて下さい」


「……それはオーマとして言っているのか?」

 この一言は、ルマルスにとっての賭けであった。

 彼女の真意を知りたいと思う一方、彼女にオーマである事の自覚を促す事で、思い止まらせる事ができるのではないか、という賭けであった。

 その返事如何では、無理にでもミシュアを連れて逃げる気であった。

 だが、彼女の出した答えは違った。


「我が侭ですよね。こんなことは許されない事なのも分かっているつもりです。

 でも、あの方を助けなければいけないような気がするんです。

 お願いです兄さま、ただ一度の我が侭をお聞き届け下さい」

 妹としての頼みだった。ミシュアは妹として兄であるルマルスに我が侭を言っているのだ。


 彼女の言う通りにルマルスにとって、ミシュアから我が侭を言われたのはこれが初めてだった。

 それは兄としては嬉しくもあり、一人の男としては辛い我が侭だった。

 ルマルスはミシュアを心底愛おしく思っていた。

 一族の代表者として、常に自分を隠して過ごして来たミシュア。

 しかし、自分の前では昔のままの、幼くて弱い「妹」なのだ。

 大事な妹の願い、自分が叶えずに誰が叶えてやれるだろう。


 外が俄に騒がしくなって来た。この町を捨てる準備の出来た者たちが、他の風見に率いられて屋敷の回りに終結しはじめているのだ。

 皆は今にも現れるであろうオーマの姿を待ち焦がれている。時間はあまり残されていない。


「私が行こう」

 突然立ち上がったルマルスが、入り口の方を振り向きざまにそう言った。

 敢えてミシュアとは目を合わせないように、するりと立ち上がると、そのまま戸口に向かった。

 驚いて彼を追おうとしたミシュアだが、一瞬早く外に出たルマルスは、外から頑丈な閂を掛けてミシュアが出られないようにしてしまった。


「私の我が侭を許しておくれ」

 ルマルスは静かに扉の前で呟いた後、近くにいた数人の若者に二言三言指示を与えた。

 それから移動の準備が済み、オーマの指示を待つだけになっている風見たちに、先に移動を始めるように指示して屋敷の裏にある湖に向かった。



 彼は「光帝」と呼ばれていた。

 何代も続いた皇帝家において、代々の皇帝は神格化されており、太陽神である『ヘリオス』と同一視されて来たからだ。


 そんな彼には固有の名前など無かった。

 いや、この国の全ての人民には固有の名前は無かった。

 高度に分極化した軍事国家となった果て、全ては細かな階級として表現される。

 その為個人を識別する名前は必要でなくなったのだ。

 ただ、階級の呼称と所属を表す番号のみが個人の識別に使われていた。

 よって彼も「光帝」でしかなく、彼の先代であった叔父も「光帝」と呼ばれていた。


 ただ、呼び掛けられる時には神の名である「ヘリオス」と呼ばれる事が多かった。

 それ故自分のことはヘリオスなのだと思っていた。

 今、目の前の画面に彼にとって最も忌むべき男の姿があった。


 男の階級は少佐。正確には征東聖章駆哨兵団少佐。彼にとっては、自分に絶対の服従を誓っている将校の一人にすぎない。

 だがいつの頃からだろう、彼はこの男を特別な目で見るようになっている自分に気が付いていた。

 どうしてこの男の事がこれ程気になるのか、否、この男の存在がこれ程疎ましく思えるのか、彼には分からなかった。


 男の姿を最初に見掛けたのは、彼がまだ光帝に成り立ての、ほんの子供の頃であった。

 玉座に腰掛けた彼の前に居並ぶ数多の将校たちの中でも、彼の希望に満ちた笑顔は取り分け印象的だった。

 老若取り混ぜて一様に皇帝に傅く中で、皆緊張で強ばった表情をしていたのに、ただ一人あの男だけは輝くような笑顔を自分に向けていた。


 自らの生を、自らの力の総べてを敬愛する光帝「ヘリオス」に捧げる誓いをたてられる。

 その事実で有頂天になっている、彼とはさして歳の変わらぬ男の姿があった。

 その笑顔に初めて出会った時、彼はどう対応して良いのか分からなかった。

 それまで彼に向けられて来た笑顔は、彼の光帝としての地位に向けられて来た、上辺だけの笑顔であった。

 より権力の強い者に敵対の意志が無い事を示す為の、弱々しいだけの笑顔。


 そんな笑顔は不快だった。「不快」と言う感情自体が、彼にとっては大したものでは無かった為、さして気にもしていなかった。

 だから、彼は戸惑っていた。

 それまでに一度たりとも出会った事の無い表情、すなわち感情に困惑していた。

 魅入られたように、まだ少年のあどけなさの残る男の顔から目を背けられなかった。

 彼は意を決した。

 睨みつけてやろう、そう思った。

 満面の笑みを浮かべる男が、どんな顔をするだろう、それを想像する事で、頭の中を占めていたもやもやしたものが追い払われた。


 しかし、彼の目論見はその時に大佐であった初老の男の一挙動で、哀れにも果たされることは無かった。

 光帝の御前で頭を垂れぬとは何事か、あまりにも主に忠実な初老の男の叱責で、少年の顔は下を向いてしまったのだ。


 それきり、彼には反撃の機会は失われてしまった。

 事ある毎に男の姿を探したが、配属されたばかりの新米将校が光帝に謁見する機会など、そうそうある訳では無かった。

 男が余程の武勲でも立てぬ限り、その機会は永遠に訪れないだろう。

 それからの彼は、何とか男と再び見える事は出来ぬだろうか、そんな事ばかり考えて過ごすようになった。


 男は、光帝の期待に応えて数多の武勲を上げた。

 何度か男の姿を見掛ける事もあったが、なかなか正面から向き合う機会も無く、彼の心からの望みは叶えられること無く、月日だけが重ねられて行った。


 突如、目の前の画面の中が慌ただしくなる。

 それまで男を遠巻きにしていた紫玉の兵士たちが、長剣を振りかざして男に襲いかかったからだ。

 意志を持った生き物同士の統一された動きのように、四方から剣撃が降り注ぐ。

 男は腰の剣を抜く事もせずに、最小限の動作で剣撃の隙間をぬって囲いを解こうとしていた。


 しかし、機械のように滑らかに打ち出される剣撃の前に、躱すには限界が来るのは明かだ。

 人外とも言える男の見事な動きと、白石のような無表情が僅かにでも歪む様を見て、彼は満足していた。

 直接会う機会が無くても、あの男の困惑した表情を見ることができるのであればよい。その望みはたった今適えられつつあった。


 男の動きが一瞬鈍ったその瞬間、朱色の一筋が宙に描かれ、男の脇をすり抜けた紫黒色の甲冑に張り付いた。

 男の動きが数瞬止まり、左の頬から細い筋となって滴る朱色が、マントの腰のあたりに地色よりもさらに黒い、飛沫の染みを作った。


 彼は食い入るように画面を見詰めて、男の一挙一動を見逃すまいとしていた。

 突き出された一太刀が男の左頬を掠めた。

 糸のように細く引かれた朱の線が、彼の心を昂ぶらせた。

 さぁ、苦痛の表情が見られるぞ。そう思った時だった。

 彼の期待を裏切るかのように、男はほんの僅かに唇の端を上げた。


 そう、笑ったのだ。

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