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風の神話  作者: 夢育美
エルダ・スティル
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三話 襲撃

※サブタイトルを修正しました

 エルダ。


 その名前にも男は聞き覚えがあった。

 ということは、この玉石が、目の前の少女の胸元にあるこの玉石こそが『エルダ・スティル』と言う事になるのか。

 持つ者をこの世の覇者となすという、伝説の賢者の石。それがこの少女の持つ玉石だというのか。ならば、本国の狙いはこれか。


 男の顔が、非常に厳しいものとなった。今まで抱いていた疑問、それが氷解した瞬間に、今度は新たな疑惑が生じてしまった為だ。

 本国がここを侵略する目的が賢者の石だというのならば、過剰に思える武力投入も分からないではない。


 伝説が真実であれば、その価値は計り知れないものだろう。

 だが、ただの伝説で軍が、すなわち国家が動くだろうか。それは考えられない。では、軍は既に賢者の石の存在と、その効果を知っているという事になる。

 男の頭に先程の少女の言葉、『「古の風」を止める力をもつ』という一言がまざまざとよみがえってきた。「古の風」、時を止めるという事か?

「その通りです」


 静かだが、はっきりとした少女の声が響いた。

「私たちが先代から受け継ぐ『地星』は、受け継ぐ事によって『風見』自身の『古の風』を止める事が出来ます。

 もちろん、本人が望まなければその力を発揮することはありませんが、自らの老いを止める事の出来る力を望まない者もいないでしょう。

 あなたのお考えの通り、今までに何度かこの玉石のことを知ってここへやって来ようとした方が居たようです。

 しかし伝説に僅かに残るだけの手がかりでは、この町まではたどり着けなかったでしょう。

 そのために、今までは私たちは何者にも脅かされることなく、平和に暮らして来ました。

 ですが、今度はどうやら私たちもただでは済まないかもしれません。あなたのお心は有り難いのですが、私たちは全員でここを離れようと思います」


 少女の言葉は、堂々として覚悟に満ちたものだった。

 祖先からの遺産を守らなければならない覚悟、自分を信じて頼ってくれる多くの仲間たちを守らなければならない覚悟。

 そして、『地星』の持つ特殊な能力を、私利私欲の為に使わせないようにしなければならない覚悟。


 男は、目の前の美しい少女を見詰めながら、一つの決意を胸に抱いていた。

 自分なら、彼らを安全に逃がしてやることができる。今回の作戦の、全指揮権を持っている自分なら、彼らを安全に逃がすだけの時間を稼ぐ位のことは出来るだろう。

 それが自分が彼らにしてやる事の出来る、せめてもの贖罪だと思えるのだ。

 己の不老不死を願うあまり、穏やかに隠れ住む人々を殺めてまで力を望むような国王を頂いた、母国を持つ自分にとっては。



 男がその決意を口に出そうとしたまさにその時、建物の扉を開けて駆け込んでくる足音があった。

「ミシュア! 南の街道から、甲冑に身を包んだたくさんの男たちがやって来るぞ!」

 飛び込んで来たのは、少女よりも少しは年上のようだが、まだ成人はしていないだろうと思える、女性のような美しい顔立ちの若者だった。


「彼らの風は猛々しく、黒い色に満ちていた。きっと悪いものをもたらすに違いない。もう準備は出来ている、早くここから去ろう」

 若者は真剣に、追い立てるような口調でそう言った。

「まさか、もう本体が攻め込んで来たというのか? 私はまだ何も指示を出していない、そんな筈はあり得ない!」


 拳を握り締めてすっくと立ち上がった男の顔には、驚きと、苦々しい感情を押し殺す表情と、プライドを傷つけられた怒りの表情が表れていた。

「私の指示を待たずに動き出すとは……君たちはここで待っていてくれ、すぐに彼らを止めて来よう!」

 そう言って部屋を飛び出そうとした男の手を、追いすがるようにして少女が止めた。


 彼女は今にも泣き出しそうな潤んだ目で、小さく、しかしはっきりと言った。

「行ってはなりません。戻れば、あなたを亡き者にする良い口実となりましょう。

 ここは忍んで、私たちと共に逃げて下さい。

 あなたにも……分かっているのではありませんか?」


 最後の言葉は、男にはとても重く響いた。

 自分が考えていること、怒りと焦りで綯交ぜになった感情の渦の中で、それでも取るべき行動として選んだ道を、この少女は見抜いてしまっているのだ。

 男は振り返って、少女の瞳をじっと見た。その表情には、諦めとも怒りとも違う、母にすがる幼子のような表情があった。


「それでも、私は行かなくてはならない。これは、私自身の問題なのだ」

 それだけを自分自身に言い聞かせるように言うと、そっと少女の両手を振りほどいて男は外へ出ていった。

 そこには死が待ち構えているだろうという事を、覚悟しながら。



 閉ざされたほの暗い空間で、一面に広がる光の壁。岩の壁以外には光るものは存在しない。

 床も、壁も、綺麗に仕上げられた乳白色の瑪瑙のごとき艶やかさだ。

 正面には磨き上げられた、大理石に似た巨大な一枚岩がある。

 そこには部屋の中とは異質な、明るい外の風景が映し出されていた。


 その風景を黙って見つめる男がただ一人。同じように磨き上げられた削り出しの長椅子に腰掛けて、薄く笑った表情で目の前の画面を見つめていた。

 左手には、翡翠色の薄作りの杯を持っているが、中身は殆ど減っていない。あまり口を付けておらず、画面に集中していた証しである。

 彼は全身を紺色の薄衣に包まれ、腰の周りに目の覚める程碧い厚手の衣を、肩からは浅黄色の薄手のローブをまとっていた。


 一瞬、風景の中から激しい光が漏れた。彼の燃えるような紅い髪が、揺らめくように浮かび上がって、消える。

 意志の強さを示す厚い唇が、真横に強く結ばれている。既にそこに笑みは無かった。

 やがて彼は、ゆっくりとした動作で、横たえていた身を起こした。

 表情は硬くつまらなそうだ。しかし彼の胸中は、かつて感じたことが無い程に高鳴っていた。


 彼は生まれついての帝王だった。

 物心ついた時には目に入る全ての者からかしずかれ、およそ適わない望みなどあろう筈も無かった。

 それゆえ、彼は生まれてこのかた魂の昂ぶりを感じたことなど無かった。

 普通に生まれ落ちたものならば、誰もが出会うであろう壁、困難、絶望、と言った類のものを感じたことすら無かった。


 彼は他人の目から見れば幸せそうで、なんの苦悩も無いように見えた。が、実際には常に退屈してしまっていた。

 望めば立ち所に全てが適ってしまう。そんな生活では、望む事も望まぬ事も、大した違いなど無いように感じた。


 その内に彼は、何か望む事すら退屈でつまらない事だと思うようになった。

 小さな子供が何でも望みが適うと知れば、その欲求は際限無く高まっていく。しかしそれは、「叶わぬ歯痒さ」を知っているからこそである。


 彼の眉根が少しだけ釣り上がった。彼が一番見たかったもの、その姿が画面に現れたからだ。

 一糸乱れぬ紫玉の軍団、「黒い悪魔」と恐れられる歩兵団の進軍に、たった一人で立ち塞がるように現れた男の姿があった。

 漆黒のマントに身を包み、特徴のある先折れ帽を被った背の高い男。帝王である彼が、唯一羨望を覚えた男。


 ほんの少しだけ彼の唇の端が上がった。まるで呟くように、画面の中の男に向かって彼は唱えた。

「その顔がもっと見たい。苦渋に満ちたその表情を、もっと……」

 その時の彼の顔が、奇妙に歪んだような変化を示したことを知るものは、この部屋の中には誰一人存在しなかった。



 オーマの館より彼の男が歩み出て来た。空の彼方を見上げていた全ての視線が、一斉に男のもとに注がれる。

 だが、男はそんな視線など全く気にも止めず、風のような素早さで町の中央を走り抜ける。

 町の外れ、南の街道に向かって駆け抜けていった。


 エル・オンの民の間に、不安と恐怖が徐々に広がり始めていた。家の戸口に立ち、不安げな表情で空の一方を見詰めていた。

 いつもなら町の広場で追いかけっこをして遊んでいる幼子たちも、それぞれの親の背中に隠れるようにしがみ付いていた。


 その方角、南からは彼らにだけ見ることの出来る禍々しい風、これからもたらされる災厄、恐怖といったものを予感させる、「何か」を含んだ風が流れ込んでいた。

 今までにも彼ら風の民は、似たような風を何度も見ていた。


 しかし、今まではその度にその風が町に近づくよりも早く、速やかに驚異の遠く及ばない地へ立ち去っていた。

 風見たちによって逸早くそれらの風は知らされて、自ら町を放棄して来たからだ。エル・オンの歴史は放浪の歴史でもあった。


 だが、今度ばかりは違っていた。風見が風の含む禍々しさを感じられた時には、既に殆どの民も同様にその風を感じとれるほどに黒い風が及んでいたのだ。

 こんなことはかつて無かった。それに、全ての風見たちは更に「恐ろしい」ものを感じていた。


 禍々しい風。風の民にはそれらは普通黒い色として捉えられる。

 晴れた青空に、赤く染まる夕空に、墨を引くがごとく細く、時には太く、長く尾を引くような線として現れる。

 しかしそんな風でも、別の色が混じるのが常であった。

 数本の黒い風の尾に隠れるように、怒りの感情を示す赤、悲しみを示す青などの人間の感情を意味する風が混じる。


 それというのも、この世界の災厄をもたらすものは人間自身であったからだ。

 自然が彼らに与える天変地異は災厄では無く、禍々しいものではない。

 あくまでも自然は彼らを含む全ての生き物に優しく、その前触れを異変の起こるずっと前にいろいろな形で示してくれる。

 それに気付く生命には、自然は常に優しい保護者であり、驚異にはならない。

 悲しいことに多くの人間たちはその術を失って久しいのだが。


 いま風見たちに見えている風は、全くの黒一色の風であった。それも夜の闇のように、一切の光を拒絶する漆黒の闇の色をしていた。

 その風の中に、人の感状は全く混じってなどいなかった。

 ただひたすらに、黒く、禍々しい空の青を食い尽くそうとしているような風の色だった。


 民たちの脳裏には、あの男の着ていた漆黒のマントの色が蘇った。

 あの男はこの風と共に来たのでは無いのか? 誰もがそう考えはじめた時に、不気味な黒い甲冑に身を包んだ男たちが、突然現れた。

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