二話 エル・オン
※サブタイトルを修正しました
多少 R-15成分を含みます。
「長旅でお疲れでしょう。こんなものしかありませんが」
少女に案内された男が着いたところは、あまり立派とは言えない木造の建物の中だった。
それでもこの町では大きな建物であり、町の北端に位置していることから、何か重要な意味を持つのだろうと思われた。
男は差し出された器の中の、白く澄んだ液体を不思議そうに見詰めた。
こんなものは見た事も無かったが、客として出されたものを断るのは非礼に当たると思い、思い切って一気に喉の奥に流しこんだ。
冷たく冷えてはいたが、不思議と喉に引っ掛かるような感じも無く、染み渡っていくように飲み干してしまった。
かすかに甘い感じはしたが、何だか殆ど味の無い飲み物であった。だが、不思議と喉の乾きは癒され、マントのせいで暑く感じられていた空気が心地好いものに変った。
目の前の少女が、その年齢に見合ったあどけない表情でくすくす笑っていた。どうも複雑な表情をしていたようである。
「“カプナム”は初めてですか? それを飲むと身体の熱を下げてくれるのです。あなたは南からいらしたのですね?」
改めて少女を見ると、実に美しい顔立ちの少女であった。ふわふわした腰まで伸びた栗毛に、白い肌。薄いブルーの瞳に切れ長の眉。外で見たときとは違って、可憐という表現がぴったりあてはまる。
先程までの落ちついて威厳に満ちた感じはすでに無かった。
「あぁ、カプナムというのですか。不思議な飲み物だ。初めて飲みましたよ」
男は自然と口調が丁寧なものになっているのに気がついて、思わず苦笑した。
目の前にいるのは少女なのだ。少なくとも今は、ただの少女に見える。男は口に出して聞きたかった言葉を思い切って言ってみた。
「きみが、族長なのか?」
その言葉を聞いて、今度は少女のほうが苦笑していた。
「“族長”だなんて、古めかしい言葉を使われなくとも分かります。私は『風見』の一人で、必要な時には皆の相談役をしています。族長というのは程遠いです」
少女はくすくすと笑いながらも、楽しそうにそう言った。
男は耳たぶが熱くなるのを感じた。
彼らの暮らしぶりから、無意識とはいえもう何百年も昔の、過去の時代の住民と相対しているつもりになっていてた自分を恥じたからだ。
「いや、失礼した。どうも君達のことは良く分からないので……」
本当に済まなそうな男の様子を見て、少女は一際優しく微笑み返した。
「ミシュアと呼んでください。私たちの生活を見て驚かれたでしょう? 南の方なら無理はありませんね」
少女は今度は男の前に、何種類かの野菜と薄切りした獣肉らしきものを、明るい桃色のソースで和えたもの、それともう一杯のカプナムを持ってきた。
それを男の前に並べて、さぁどうぞお食べなさいという風に男の正面に座った。
別に腹が減っている訳では無かったが、自分の国では見た事の無い料理と、不思議な感じのする飲み物をもう一度飲みたくなって、遠慮なく持て成しを受けた。
最初に口を付けたカプナムは、今度は冷たく冷えてはいなかった。だが、染み渡るような喉越しは変わりなく、暖かな感じがした。
野菜と獣肉の料理は少しピリッとした辛味が効いており、なかなかの味だった。
肉には独特の香りがあり、何だかアマドリに似ているな……と思った。
アマドリとは男の国で、慶事の際に食されることの多い珍しい魚の名前だ。手に入れるのが困難な、高級な食材の一つであった。
少女は男が一頻り食べ終わるのを見届けると、先程と同じことを男に尋ねた。
男は再び思案に暮れてしまった。果たして、真実をこの少女に告げたものかどうか。
その表情を読み取ったのか、少女は外で見せたような威厳を持った表情に戻って言った。
「あなたの国が、ここを攻めに来るのですね」
はっきりとした口調で言う少女に、男は驚きを隠せなかった。自分は何も言ってはいない、しかし、この少女にはそれが分かるというのか。これが『風見』の力だというのか。
「驚かせてしまったようですね。ですが、これが私たち風の民である『エル・オン』だけが生まれ持った性質なのです」
少女は伏し目がちにそう言った。今までの笑顔とは異なった、やや寂しそうな笑顔が、何故か男の心に響いた。
『エル・オン』
この名前には聞き覚えがあった。男がまだ少年の頃に、よく祖母から寝物語に聞かせてもらったお伽話に出てきた名前だ。
彼らは風の民。風を知り、風を見ることが出来、風を友として風に乗る。伝説の中だけの、実在しない妖精のような存在だと思っていた。
その彼らが、今目の前にいる可憐な少女だというのか。お伽話の中で英雄を助けて空を飛び、竜に挑み、タイタンを打ち負かす伝説の一族が、彼女とこの町に住む住民だというのか。
男には俄には信じられなかった。
今まで自分の見てきた彼らの生活は、およそ平和そのもので、何処にも戦いに関するものは無かった。住民達は皆親切で人懐こかったが、空も飛んではいなかったし、別に普通と変るところは無かった。
いや、変っているといえば、確かに自分達の概念から言えば、彼らは十分変っていたかもしれない。だが、それは生活習慣の違いで、お伽話の中のようなことは何一つ無かった。
「私たち『風見』は、中でもとりわけ強く風の民としての力を有しています。あなたの思っているような、伝説のエル・オンと言ってもいいかもしれません」
男の表情にぎくりとしたものが混じった。やはり、少女には自分が考えている事が分かるのか。
これがエル・オンの能力だというのなら。本国の目的はこの土地では無く、彼ら自身なのかも知れない。男は迂闊にも余計なことを考えてしまってハッとした。
少女は少し寂しげな表情のまま見詰めていたが、男の驚いた表情に応えるかの様に、静かに言葉を続けた。
「ですが、私以外の『風見』も含めた他の住民には、あなたが心配しているような能力はありません。
相手の感情が、色と言う形で見えているに過ぎません。
怒っているのか、悲しんでいるのか、その程度のことしか分からないのです」
どうやらこの少女には隠し事はできないらしい。ならいっその事、全てを話してしまったほうが良いだろう。男はそう決意した。
「私は君の言う通りに、この町へは尖兵として派遣された。目的は軍事力の調査と、ここへの侵攻の際のルートの確保だった」
男は険しい顔つきになって、少女にではなくこの町の代表者としての彼女に自分の目的を告げた。
「私はこの町に暫く滞在し、軍事的には何等驚異となるようなものでは無い事を本国に報告した。
だが、本国の出した結論は『この町を速やかに占領せよ』と言うものだった。今でも、なぜそんな事をする必要があるのか分からない。ただ……」
男はそこで言葉を切り、少女の瞳をじっと見詰めた。先程の態度で、自分の言おうとしている事は、既にこの少女には伝わっている筈だ。
「それだけで、このような町にわざわざ『光剣』を含む、兵士30人以上を寄越すでしょうか?」
男の表情は、もはや驚愕から畏れへと変わっていた。確かに、本国がこの度の作戦で男の指揮下に置いた兵士には、「光剣」を装備した5名を含む32人だ。
光剣とは男の所持している特別な剣だ。非常に脆く折れやすいが、薄く鋭利な加工によって、光を透過する為に光剣と呼ばれる。
扱うのに特殊な技能を必要とするので、帯刀を許される兵士は彼ら自身が特別な存在だ。小さな町の制圧程度で複数人派兵されることはあり得ない。
男にとっても腑に落ちないのは、まさにその点であった。何の軍事力も持たない町を一つ占領するのに、光剣持ちが6人。
その目的が無抵抗な住民を虐殺する事や、金品の略奪でないことは明らかだ。
しかし、このような少女が軍略に長けているとは思えない。ましてや、平和そのものな生活を送っている住民たちである。
一体何故この少女に、自分と同じ疑問を持つ事が出来たのか。また、それだけの知識は何処から来ているのか。
男の中に、この少女、と言うよりは風見と言うものに対する、純粋な興味が沸き上がってきた。
男が何かを言いかけようとした時、それを制するように先に少女が口を開いた。
「ごめんなさい。先に言って置くべきでしたね。私はあなたが思っているような、少女では無いのです。実際には、あなたよりもずっと年上です」
あぁ、それでか。男の脳裏を、初めて少女に相対した時の、威厳に満ちた姿が過った。
少女の言葉が本当なら、落ち着いた態度も、一言で住民たちをなだめてしまった事も理解できる。
しかし、この少女が見かけ通りでないとするなら、それは一体どういう事なのか聞いてみたい気持ちに駆られた。
「あなたは正直に話して下さいました。今度は私がお話しする番ですね。では最初に、私達『風見』のことからお話ししましょう。ずいぶん興味をお持ちのようですから」
最後の一言をいいながら、少女はにっこりと笑った。男も敵わないなと言うような照れ笑いをして、二人の間にあった張り詰めた空気が、ほんの少しだけ優しいものになった。
◇
「私たちエル・オンが、どうして風の民と呼ばれるのかは、大体ご存じのことと思います。
昔ながらの伝承と、そう大して食い違いはありません。ですが、それはあくまでも伝承の時代の、私たちの祖先の話なのです」
少女は今の自分たちのことを、ゆっくりと語り始めた。
伝説で言われている程の力は既に失われている。
殆どの者たちは、風を見て天候の変化を知ったり、人や動物の感情の変化を知る程度である。
天気の変化や人、動物の感情の変化などは、専門職であればさしたる苦もなく知ることが出来る。それが風見の特徴とは考えられない。
「ですがごく偶に、風の民と呼ばれていた頃のような、強い力を持つ者たちが現れるのです。それがどういった理由によるものか、私にも分かりません」
少女のような存在は一つの時代に数人ずつ存在し、エル・オンを導き、祖先の英知を伝える役目があった。
少女はそこでいったん言葉を切り、男の顔を正面から見た。だが、視線は男の遥か遠くを見据えているような表情だった。
何かを思い出しているように見えた。言葉を紡ぎ出そうにも、その思い出に遮られてしまい、言葉がなかなか出てこないでいるようだった。
男は少女の苦悶の表情を見て、自分の興味本意が彼女を苦しめているのだと思った。
「無理に話すことはないのだ。済まない、言いたくないことは話さなくて構わない」
男の思いがけない優しい言葉に、少女は数瞬戸惑うような表情を見せたが、すぐに愛らしい笑顔に戻った。
「あなたのせいではありません。私ったら、いつまで経っても泣き虫が治りませんね。オーマとしては恥ずかしいです」
男には、“オーマ”という言葉に特別な意味があるのだということは分かっていた。そして、この少女がオーマと呼ばれる存在であるという事も。
それがどういう意味かは分からなかったが、その言葉が尊敬を込められたものであることは確かであった。
それから少女は、一時の感情も治まって落ちついた様子に戻り、自分たちの事を更に男に語った。
『風見』とは、文字通りに風を見る能力のことである。
春の野をそよ吹く風、雷鳴轟く中で荒れ狂う暴風、あるいは遥か上空を流れ去っていく季節を運ぶ気流などなど……そんな風を視覚として捉えて、季節の移り変わりや天候などを逸早く予測できる能力だった。
だが普通の風を見ることは、訓練次第でたいていの者には出来る事だ。エル・オンであれば難しい事では無い。
彼ら『風見』がそう呼ばれて特別な尊敬を集めるのは、彼らだけに見える『風』が存在したからである。
彼らは物理的な風以外のもの、物体の流れそのものを風として捉える能力に長けていたのだ。
『風見』にとっては、川は水の流れ、すなわち「水の風」であり、炎は「火の風」であった。
また、動物の身体を流れる血液は「生命の風」であり、植物には動物とは違うものだがやはり「生命の風」が流れていた。
光は「輝きの風」で、時間というものすら「古の風」として捉える事が出来た。
その為に彼らは、それぞれの得手不得手に応じて水を見る事を得手とするもの、火を見る事を得手とするもの、「生命の風」を見ることで病気や怪我を治すもの、流れてきた時間、すなわち過去を見るものなどの、様々な能力を持つ者に分かれた。
少女はそんな『風見』たちの中でも、「生命の風」と「古の風」を見る事の出来る特別な存在であった。
『風見』としての能力は代々の世襲制といったものではなく、先代の『風見』にその能力を見いだされたものが、一種の称号として受け継いできたものだ。
特に「古の風」を見ることの出来る『風見』は先代でもただ一人しかなく、少女は特別な存在であった。
そんな彼女を住民達は畏敬の念を込めて“オーマ”と呼んだのであった。
オーマは“偉大な母”を意味する古の言葉であり、「古の風」を見る事の出来る『風見』への称号であったのだ。
少女はその称号と共に、『風見』の代表者としての立場、すなわち一族を教え導くものとしての立場も受け継いだのだった。
男にはもう一つの大きな疑問があった。『風見』には、どう見ても子供にしか見えない者や、逆に歳相応に老人のように見える者もいる。
目の前の少女は、少女にしか見えないのに自分より年上だという。
一体何歳なのだろう……そんな疑問が頭から離れなかった。
少女は男のその疑問には、答えるべきかどうか迷っていた。しかし、男の国家がこの町を攻める理由は、おそらく男の疑問にも関わるものだろうと考えていた。
『風見』たちが先代からその称号を受け継ぐ際に、同時に先代から渡される何か。それを狙っているのではないか、と。
「私たちの力は、ある日突然に生じるものではありません。
ですが、『風見』としての称号とある特殊な能力は、先代の『風見』から受け継いだ時から備わります。
『風見』となったものにも当然寿命はあります。その寿命は、個人の能力の高さに比例するといってよく、高い能力者ほど永く生きます。
ただ、特殊な力の場合、その力を使えば使う程、自らの命を削る事になるようです。
しかしやがて寿命は訪れます。その時期は本人にしか分からず、本人にも時期が近づかないと分からないようです。
私たちには、寿命が訪れる前に次代の『風見』を探し出して、その能力の正しい使い道と祖先から伝えられた知恵を教える義務があるのです。
そして、その時に同時に「古の風」を止める力を持つ、『地星』を受け継ぐのです」
少女はそう言って俯き加減になると、すっと立ち上がった。
それから顔を上げないまま、着ていた衣の前をゆっくりとはだけた。男は少女の突飛な行動に面食らったが、徐々に露になる透けるほど白い肢体に、思わず目を奪われそうになった。
やがて、恥ずかしそうに衣をはだける少女の全身が露になった。男の予想していた通りにその姿は美しかったが、それ以上に男の目はある一点に吸い寄せられてしまっていた。
少女の乳房のあいだ、両の乳房の中心から少し下の辺りに、大きな碧い玉石が埋め込まれていたからだった。
よく見るとそれは、皮膚の下に埋まっているようであり、薄く霞がかかって見えた。雪のように白い肌の下を、玉石から六方に放たれた光の線が伸びて、体内に飲まれるように消えていた。
それでも本来の碧い輝きは失われておらず、思わず男はその玉石に触れたい衝動に駆られた。
だが、少女の肌に触れるなどという破廉恥な行為は、男の自尊心に関わるもので、危うい所で自らの衝動を抑える事に成功した。
それと同時に、男の頭の中に少女の美しい肢体と、あらぬ妄想が生じかけたが、目の前の少女の能力を思い出して、慌ててその妄想を追い出した。
気が付くと、俯いたままの少女の頬が赤く染まっている。どうやら男の良からぬ妄想は少女に伝わってしまったようだった。
「こ、これは失礼した! いや、全く面目無い。君があまりにも美しいものだからつい……いや、そうじゃなくて綺麗なのはその玉石で……
す、済まない、君が綺麗じゃないなんて言っている訳ではないんだ! 触ろうとしたのはその玉石にであって、破廉恥な考えは……」
男は今までこのような場面に出くわした事が無かったのか、全く慌てふためいて言い訳をしていた。
耳まで赤くしながらおろおろと視線が宙に舞う姿は、とても面白おかしい光景だった。
少女は思わず顔を上げて、声を出して笑ってしまった。
楽しそうに笑う少女を見て、男も我に返り、何も体裁を繕う必要は無いのだと、今さら言い訳をしても無駄な事なのだと気がついた。
男の面目など、とうに丸潰れという訳だ。
くすくすと笑う少女と違って、男は照れ隠しか机に顔を埋めたまま上げようとしなかった。
暫くそうしていたが、そのうちに少女の笑い声は治まり、代わりに張り詰めた空気のような緊張感が二人の間に訪れた。
「急にこんな事をして驚かれたと思います。もうお顔を上げても大丈夫です。
ご覧になったと思いますが、私の胸の辺りにあった碧い玉石が『地星』と呼ばれるものです。
この玉石には特別な力が込められているのです。
それがいつの時代のことかは分かりませんが、ある時代の『風見』の一人で特に優れた知恵と力を持った者がいました。
私たちはその者の名を、「エルダ」と伝え聞いております。
この玉石は、そのエルダが天の星を落として、その星の欠片から作り上げたと言われています」




