一話 異邦のまれ人
※サブタイトルを修正しました
それはまだ、人が人以外の知性ある生き物と生活圏を共にし、時に語らい、時に笑いあっていた頃。
島と呼ぶにはあまりに巨大な、大陸と呼ぶには小さな島があった。
その中央付近の小さな町に、一人の男がふらりとやってきた。
男は旅の途中と言う風では無く、連れも無く只一人で、荷物も持たずに現れた。男は真っ黒でつばの無い先折れ帽子に、表がまた真っ黒で、裏地が緋色の長いマントを着込んでいた。
何か目的があると言う感じでは無く、市を覗いたり、遊んでいる子供達を眺めたり、時折考え込むように立ち止まったり。物珍しさ故の不躾な視線を受けながら、町中を歩き回っていた。
時々は住民に話しかけたりしていたので、何処から来たのかは分からないが、同じ大陸に住む者であるらしかった。
住民達は皆おおらかで、見知らぬ男がうろうろしていても特に見咎める訳でも無く、笑顔で挨拶などしながら黙って男のすることを観察していた。
男は夜になると何処かに姿を消してしまったが、朝になるとまた戻ってきた。しばらくそんな事を繰り返していたが、ある日忽然と姿を消してしまった。
住民達は心配したが、来た時のようにふらりと出て行ったのだろう、と言うことで落ち着いた。
何日か経って男は、黒光りのする一振りの剣を持って現れた。住民達は皆ほっとしたが、男の持ってきた物を訝しくも思っていた。
皆何事かと囁きあいながら、遠巻きに男がする事を見ていた。男は町の中心であり、市の開かれている最も賑やかな場所に立ち止まった。
やがて一人の若者が思い切って男に近づき、それは何であるのかを男に尋ねた。
「これは“神”である」
男は驚くほど良く通る、澄んだ声でそう言った。しかし、それを聞いた若者は不思議そうな顔をして、再び男に尋ねた。“神”とは何であるのか、と。
男は一瞬表情を曇らせたが、前よりもはっきりと、大きな声で言った。
「“神”は我々をお作りになった創造主である。我々は総べて神の子供なのだ」
若者は更に尋ねた。あなたが持っているものはどう見ても剣に見えるが、それが人を作ったというのか?
周りの住民達も若者の言うことに同調して、何やら言い合っていた。男は剣を大きく振り上げ、切っ先を天に向けて更に言った。
「この剣には、我々の“神”の力が宿っている。見よ!」
そう叫んで男は振りかざした剣を、力の限り地面に向かって振り下ろした。
鋭い剣先が、鈍い光を弧に描きながら、地面に打ち付けられる。
その途端、鋭く弾かれるような音では無く、短く風を切り裂く音の後に、耳を劈くばかりの轟音がとどろいた。
◇
皆一様に驚き、畏れ、目を被った。黒光りする剣は、その尋常ならざる力を持ってして、男の目の前の大地を二つに裂いたのだった。
立ち上る土煙の中、再び目を開けた人々の前には、地面を走る黒々とした亀裂と、その始点に立って悠々とした表情で剣を伴って立つ男の姿があった。
轟音と共に地面を裂いた亀裂は長く伸びて、そのまま町の中央にあった井戸と、側にあった荷車を真っ二つに裂いてしまっていた。
住民達は一様に驚き、皆黙り込んでしまった。男に話しかけていた若者も、その表情から色を無くして慌てて躙り下がった。
男には住民達の反応が意外であった。驚き騒ぐのかと思えば、静かに黙り込んでしまっている。
驚きの表情はあるが、怒りや畏れは無い。どちらかといえば、男のほうが虚を衝かれた感じであった。
男の役目は斥候であった。この町から山一つ挟んだ所まで領地を拡大してきた、大陸の中央南部に広がる強大な軍事国家の将校の一人であるのだ。
この町を力で制圧するのが得策か、あるいは話し合いによる平和的な合併が可能なのかを見極めに来たのだ。
だが、正直男は驚いていた。あまりにも自分が暮らしている国家とは、暮らし向きが異なっていたからである。
この町の住民達は、素朴で、ゆったりとしており、およそ100年以上昔に本国が捨て去ってしまった、不便な時代の暮らし方をしているのだ。
この町で男はあちこちを見て歩いた。だがそれはこの町が所属するはずの国家の、軍事レベルを調査するのが目的で、『古き良き時代』に触れてみたい訳では無かった。
町の中央にある市場では、野菜や果物、見たことの無い動物や魚、男にとっても馴染みのあるものなど、様々な食材が並んでいた。食に関して困窮しているようには見えなかった。
生活に必要な雑貨類も、質素な物ではあるがあちこちで売られていた。住民たちの服装も簡素ではあるが、決して貧しくは見えない。
植物の繊維を使ったもの、動物の皮を使ったもの、見たことの無い素材の物などを巧みに組み合わせて、派手では無いが見た目に鮮やかな服を着ている。
袖口が細く、肩と腰を絞った形の服は、あまり動きやすそうには見えない。男性の服は裾丈が短く、下履きを履いていた。
女性の服は裾が長く、足首が見えるか見えない可程の丈があった。装飾品の類いを身に付ける者は多く、男女に関わらず首飾りと髪留めを使う者が多かった。
住居は木造だ。だが、男の目にはその素材が良く分からなかった。見た事の無い木材だった。質素ではあるが、安定した生活を送っていると思えた。
だが何よりも、男を驚かせた違いがあった。
まず、この町にはおよそ争いというものが見られなかった。ちょっとした些細な言い合いや、子供同士の喧嘩は見られたが、それ以上争いが大きくなることは無く、人々は誰もが穏やかに生活していた。
僅かな期間しか見ていた訳ではないが、それでもここには『争う』という考え方が無いのかもしれない……と思うのには十分であった。
当然ここには、犯罪も無かった。人々は必要以上に欲したりせず、日々に必要なものを、必要なだけ手に入れて暮らしていた。
自分に足りないものは、隣人から分けてもらう事が普通だった。もちろん隣人に対しても惜しみなく与えた。
どちらかといえば質素な暮らし向きに見えるが、決して貧しい訳では無く、必要以上を求めない。そうやって、誰もが過不足無く暮らしていた。
また、ここには階級というものが無いようだった。言い争が大きくなりそうな時に仲裁に入る『風見』と呼ばれる人物が何人かいるだけで、貴族も、司祭も、ましてや王族などというものも無かった。
『風見』たちも何か特定の一族という訳でも無く、年齢も、男女も関係無く様々な人物達だった。
共通するのは彼らが一様に尊敬されており、住民の誰からも大事な存在と思われている事だけであった。
司祭がいないということは、同時に宗教が存在しない事実を告げていた。男の本国では、民族の違う同士で争いを起こす事が良くあった。
それというのも宗教の違いが原因で、それだけに、この町の住民達が宗旨と言うもので縛られていないのを見て、驚きを隠せなかった。
男は“猛る軍神”『アテナイ』を守護にもち、“光帝”『ヘリオス』に仕える身であった。己が主君と女神に仕える事が生き甲斐となっていた自分とは、まったく違う価値観を持つ人々に戸惑っていた。
住民たちは皆勤勉で、知的レベルも決して低くない。子供達は働きながら学んでいた。どうやら風見たちが子供を教え導く存在らしい。
特に、自然に対する知識レベルは膨大で、男の本国で『博識』と呼ばれている人々と同等か、それ以上の知識を持っていた。特に『風見』たちはとび抜けて豊富な知識の持ち主だった。
男が当初ここに来た目的である軍事力に関しては、軍事という言葉をあてはめる対象すらないような状態であった。
武器と呼べる存在が無く、短剣や長剣の類いはあるが、何れも狩猟の為のものであり、『人を傷つける』目的で使用されるものでは無かった。
男の出した結論は、ここは放っておいても構わない、と言うものであった。本国の戦略構想上妨げになるものは何も無く、逆にこの地を手に入れる事でのメリットも殆ど無いと考えられた。
それを報告に本国へ戻った男を待っていた答えは、“速やかに占領せよ”だった。驚きを隠せない男が問うた、何故に対しての明確な答えは無く、男には作戦指揮官としての全権が委任された。
何か腑に落ちないものを感じながらも、軍事拠点の一つとして重要なのではないか、というもっともらしい答えをくれた友人を安心させる為に、男は再びこの地に戻ってきたのだ。
◇
男の目の前に、一人の少女が進み出た。まだ幼さの残る笑顔とは対照的に、その瞳は深い思慮の光を宿していた。
静まり返ってしまって、男の動向を見つめているだけの住民を代表するかの様に、ゆっくりと男の前まで歩いて行く。
彼女は『風見』の一人で、名を「ミシュア」と言った。
今いる『風見』の中では一番歳若いが、もっとも多くの力を持った、信頼の厚い『風見』であるらしかった。
少女が男に静かに問うた。
あなたのしたことは何であるのか、と。
穏やかな微笑みを崩すことなく、静かだがまっすぐな瞳で男にそう問いかけた。
男は答えに窮していた。自分のしたことが何であるのか、そのような問いかけが返ってくるとは思ってもみなかったからだ。
ましてや、自分の前に進み出たのは少女である。外見は幼く見えるが、この状況で自分の前に出てきたことを考えれば、おそらくは住民の代表格なのであろう。
さて、なんと答えたものか。
男は一つの思索をもってここに戻ってきた。
本国の判断では、この町を戦火に巻き込むのは間違い無い。
しかし、この住民達を見て、その暮らしぶりに触れてみて、それはあまりにも惨いことのように思えた。
彼らはまるで武器というものを持たない。攻められればたちまちのうちに全滅するだろう。
それよりも、本国の兵士達は必ずしも紳士とは言いがたい。
おそらく無抵抗の住民達を相手に、殺戮を楽しむもの、金品を強奪するもの、婦女子に乱暴を働く者たちもいよう。
そのような悲惨なめに遭わせてしまうことが、我らが神アテナイのご意思とは思えない。
考えた末に男の出した答えは、この町の住民全てを、男とまた殆どの本国の兵士達と同じように軍神アテナイに帰依させることだった。
同じ神を頂く信徒同士であれば、彼らを危険な目に遭わせずに済むのではないかと考えた。いかな乱暴な兵士達でも、おいそれとは手を出し難いであろう。
先の男の行動は、自らの信じる神の力を示すことで、住民達に軍神アテナイを信じるに足る神であることを示し、彼らの信仰心を得るためのものであった。
その為男は、あえて暴虐とも見える示威行為に出たのだ。出来るだけ住民に怪我をさせないように、慎重に狙いを定めて。
その行為に対して彼らの問いは、男の全く予想していないものだった。目の前の少女は、黙って男の答えを待っている。
責めるわけでも無いが、静かで落ち着いた眼差しは、男の心を焦らせるには十分であった。彼らにはやはり、我々のような神に対する概念そのものが無いのか。
そんな彼らには、いったいどう説明すればよいのか……正直に全てを説明して平和裏に我が国への吸収を進めることが出来ようか。
じりじりと照り付ける太陽が、男の心までも照り付けている。考えがまとまらない。
喉が乾いてきて、何か喋ろうとしても掠れてしまいそうだった。そうこうしている内に、少女が先に口を開いた。
あなたは何故そのように困惑しているのか。
あなたの行為には何か決意のようなものを感じる。その訳を説明して欲しい。
少女の声はあくまで優しく、甘ったるい感じがあった。しかし、その言わんとしていることは、集団の長としての自覚を持ってのものであった。
しばしの沈黙が流れ、住民の何人からか、“オーマ”と呼び掛ける声が上がった。皆この状況が不安で、どうすれば良いのかが分からないのだ。
少女は男の答えを待たずに振り返ると、片手を上げて沸き上がりかけた声を制した。
「客人の話は、このミシュアが聞きましょう。皆は心配することはありません。驚いたでしょうが、何も恐れることはありません」
その声を合図にして、住民達の間を流れる緊張感が解かれたようだった。皆ほっとした様に表情を和らげ、それぞれの仕事に戻っていった。
後に残された男は、どうしていいのか分からず、ただその場に立ち尽くすだけだった。側には少女ただ一人が残った。




