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風の神話  作者: 夢育美
光の帝国
14/19

四話 光都潜入

※サブタイトルを修正しました

 巡礼者が行商人を当て身で気絶させて、何やらごそごそとやっている様を、遥か上空の高みから見物している者がいた。

 薄くしなやかな両翼を凧のように広げて、盆地から吹き上げて来るゆるやかな風の流れを受け、一点に静止したように浮んでいる。

 その姿を地上から見上げれば、空の青に溶け込んでしまいそうな灰青色の皮膚に、二点だけ異色な燃えるような瞳をしている。

 目の後ろから伸びた螺旋状の双角と、長く伸びた鉤爪、鞭のようにしなやかで長い尾と、その姿は明らかに人のものでは無い。


 彼の者、この大陸の監視者にして太古よりのエル・オンの盟友、竜族の一人に他ならなかった。

 しかしその姿はまだ若々しく、巨躯と呼ぶには痩身で身軽そうな姿であった。

 ミシュアたち『風見かぜみ』の前に現れ、危機を救った竜族と同じ仲間には見えない。

 それもその筈で、彼らは竜族の中でも特に飛翔力に勝れた一族、『りゅう』と呼ばれる一族だった。


 天空を主な活動の拠点としている竜族たちも、伝説に名を残し人間の前に姿を現す事のある主族以外に、数種の亜族が存在していた。

 しかし彼らはその数が少なく、特に竜族以外との接触を好まない為、その存在が人に知られることは殆ど無かった。


 流族は遥か上空を流れる気流の流れ、天空の河に住む小数の竜族だった。

 普通の竜たちが地上で休む代わりに、彼らは空の河に身を浮かべて休み、他の竜が地上の岩山を踏みしめて天を仰ぐ代わりに、気流に腰掛けて地上を覗き見る。

 一生の殆どを、天空で過ごす存在、それが流族であった。

 そのうちの一人が、風の民の町からずっと、一人の男を空から追って付いて来ていた。


 男の行く先は母国である南の大国バイス。

 その目的ははっきりしていないが、少なくとも穏やかなものではないらしい。それを察して、上空から監視を続けているのである。

 流族に見られている事に気付かないまま、男は森を抜けて岩山を越え、バイスに進入する方法を窺っていた。

 どこから手に入れたのか、巡礼者の格好をして誰か通り掛かるのを待っていたようだった。


 天空から眺める竜には、男が何をしようとしているのか、さっぱり分からなかった。

 男の事だけではない。大抵の人間の考えている事は、竜族には理解する事が難しかった。

 竜族は争いを好まない。

 それは一部の人間にも言える事で、彼らと古くから付き合いのある風の民は、あまり争う事をしない。

 だから彼らの考え方はよく分かるし、二つの異種族は友好な関係を続けている。


 男の行為は、竜から見れば理解しがたい行動だった。手を差し伸べてくれた相手に、危害を加えたからだ。

 自らが危険に曝された訳でもないのに、相手を傷つけたのだ。それが何の為であるのか、それも竜には理解できなかった。

 人間は人間を食するのだろうか。竜は自分に理解出来る範囲で、考察を繰り返していた。

 他の動物たちは、じっと動かずに待ち伏せしたり、怪我をした振りをして近付いた相手を捕食する事がある。

 今の男の行動は、まさにそう見えた。


 竜が考えあぐねていると、男は行商人の服を剥ぎ取りはじめた。あぁなるほど、やっぱりあの男はあの人間を食べるつもりなのだな。

 妙な納得の仕方をした竜だったが、彼の余計な心配事、どうせなら若くて柔らかそうな人間を選べばよいのに、を余所に、男は黙々と作業を続けた。

 男は牛車を街道の端に寄せ、じっと別の行商人が通り掛かるのを待っていた。少なくとも上から見ている竜にはそう見えた。

 それにしても奇妙な事をする人間だ、と竜は思っていた。


 男はわざわざ牛車の車輪を片方外してしまい、折角の乗り物を動かなくしてしまったのだ。

 歩いて行くより、乗って行く方が楽なのだと、滅多に地上に降りない”流”の自分にも分かっていた。

 いや、足を使って移動する機会が少ないからこそ、その大変さが想像出来る。

 歩いて行きたいにしても、何も壊す必要は無い筈だ。

 それに男は、先程からじっと動かない。何をどうするつもりなのか。



 バイスの東の入り口に、手配書が配信されてきた。その内容を見た時、警備に就いていた者たちは驚きを隠せなかった。

 警備兵は通常4名で、二交代制で監視を行っている。バイスの住民権を持つものには、個人情報(ID)を識別できる装身具が渡されていた。

 男性には腕輪や指輪、女性には首飾りやイヤリングの形のもので、固有の振動数を持つ黄水晶が填め込まれている。


 街の入り口や街道上の関所に限らず、身分を紹介する為には相手の指輪に警備兵が触れるだけでいい。

 中央にある『情報石』からIDを照合して、瞬時に必要な内容を網膜投影によって表示するからだ。

 その為、ID登録されている「バイスの住人」であるならば、身元確認はほんの数秒で済んでしまう。


 また、各施設への出入りの際に、安全設備の有るゲートを通れば、IDが記録されて、手配リストに載っている人物なら警報が発せられる。

 余程の要注意人物で無ければ、手配書を直接配信する必要は無く、手配書の内容にしても、IDを記載するだけで十分な仕組みが完成しているのだ。

 にもかかわらず、今回配信されて来た手配書は手配者の顔写真が付いていた。しかも手配者とは、東章ニ駆団の団長である少佐だった。


 少佐という地位にある人物が、手配者リストに載ること自体が珍しかった。

 通常、高位に属する軍人が犯罪を犯した場合、光帝直属の親衛隊が軍警察として罰する事になる。

 事が公になる前に、更迭、粛正を行うのである。軍事国家であるバイスにとって、軍規の乱れは致命傷になりかねない。

 南部の軍事バランスを保つ組織は、公正にして絶対でなければならない。


 その意味からも、速やかに秘密理に処理されるのが通常だった。

 それが、末端まで不祥事が伝わる事を承知の上で、手配書という形で配信されている事、それ自体が事の火急さを物語っていた。

 しかし、わざわざ顔写真を貼付しているのは何故なのか。その点を大いに不思議がる警備兵たちであった。


 そろそろ午後の陽射しも暮れかかり、四方を山脈に囲まれるバイスの周辺には、長く尖った陰が伸びるようになって来た。

 季節的に旅行者はそれ程多くないので、日が沈み切る頃には街道を行く旅人の姿は殆ど無くなってしまう。

 おそらく、本日最後の通過者と思われる行商人が二組、牛車に乗ってゆっくりとやって来た。

 先を行くのは多くの乾し魚、穀類などを積んだ牛車で、その後からかなり遅れて布地を積んだ車が来た。


 もう2時間もすれば、すっかり影になったバイスの街並、その別名を象徴するような「光の帝国」としての威風堂々とした姿が浮かぶだろう。

 警備兵たちは、その瞬間が好きだった。

 影の先が街を覆うのが合図であったかのように、漆黒の街並みの輪郭が、薄墨を引いた夜の空に浮かび上がる。

 それは昼に見る姿とは全く異なり、夜を照らす月明かりのような優しい姿だった。


 街並みを構成する建物の大部分は、紫黒曜石で出来ている。この石は特定の振動数に反応して、自ら青白い光を発する。

 その光は結晶の周辺ほど強く発生する為に、建物の輪郭を浮かび上がらせるように光るのだ。

 不夜城と呼ぶにはあまりに控え目で、しかし広大な砂漠で旅人が迷わぬ道標となるには十分な、星の光を集めたかのような美しい眩惑光だった。


 もう間も無くその姿が現れる。早く何事も無くここを通過して欲しいものだ、そう願う警備兵たちの前に、先の牛車が到着した。

「ご苦労様です。やぁ、何とか日暮れまでに街に入れそうですな」

「今日は良い天気で助かりました。雨になると、折角の乾し魚が駄目になってしまいます」

「本当に。さて、身分証を出して貰えますかな?」


 御者台の男が指輪をしていないのを見て、警備兵はバイスに住民権を持たない、外からの行商者だと判断した。

 そのような者には、通行証とでも言うべき身分証明を発行して、通行の際に確認するようになっている。

 男は懐をごそごそとやって、半透明の小さな石片を取り出した。

 右肩の部分が型抜きされたように欠けており、複雑に切れ込みが入っている横長の石片だった。


 蛍光石を薄く加工して、黄水晶を埋め込んだ石片は、右肩の切れ込みで地域、職業、男女などの属性を表していて、読み取り装置で機械的に処理されている。

 黄水晶には通行の記録、公共施設への出入りの記録などが保存されていて、一種の通行証の役割を担っていた。

 石片を手にとった警備兵は、照合装置の読取り面に石片を置いて、網膜スクリーンに映し出された身元を確認した。

 行商人で、西部山脈の麓の村出身。バイスへの出入りの記録は5年以上問題なし。

 安心して石片を手渡しながら、どうぞと言おうとした時、スクリーンの下方に警告表示を見付けた。


「荷台にどなたか、乗せておられるのですか?」

「あぁ、巡礼帰りの教主様が街道沿いで倒れておられたので、乗せて差し上げたのですが」

 行商人は後ろを向いて、荷台の後ろに凭れるように座っている、巡礼者の格好をした男を示した。

 行商人は何気なく、自分は良い事をしたのだから、何か誉め言葉くらい掛けられるだろうと、兵士の言葉を待っていた。

 しかし、その表情は何かに気付いたように途端に硬くなり、急速に視線の鋭さを増していった。

 浮ついたような、期待感に溢れた心が、冷えて縮んでいく程に鋭くなる視線だ。


「……後ろの荷を改めさせて貰います。よろしいですね?」

 兵士の言葉は事務的で抑揚が無く、語尾の一つ一つを強調するようにはっきりとした口調で告げられた。

 態度が豹変した事に、御者台の男が身を竦めて、あたりを窺うように見回した。

「あ、あの、何か……」

「巡礼者は、途中で乗せて来たのですね?」

「はい、そ、それは間違いないです。あの、この御方が何か……」


 言い掛けた行商人の言葉は、早足で荷台の反対側に向かった、もう一人の警備兵の動きに遮られた。

 兵士は長柄の槍をしっかりと懐に構えて、油断ない視線を荷台の上の巡礼者に向けていた。

 只ならない雰囲気を感じて、行商人が転げるように飛び降りて、詰め所小屋の中に駆け込んだ。

 おずおずとした態度で、扉の脇から外のやり取りを見ている。


「もし、教主様、失礼ですが、お顔を上げて頂けませんか?」

 小屋を背にしている方の兵士が、緊張した声色で巡礼者姿の男に声を掛けた。

 しかし巡礼者は眠っているようにじっとして動かず、かといって息を殺しているような緊張感も感じられなかった。

 一つ息を吐いて、兵士はそっと手を伸ばし、巡礼者を揺り起こそうとした。

「長旅でお疲れの所すみません。お顔を拝見させて頂けないでしょうか」


 揺すっている内に、被っていたフードがずれて顔が見えるようになった。念の為、持っている投像機で巡礼者の顔を写して、中央の情報石に照合した。

 未登録のようだったが、逆にそれは手配者ではなく、過去の犯罪歴も無い事を示していた。それを見て安心したように口元が綻む。

 バイスの住民の中でも、レリアス教の教主たちは特別な存在だ。一部の高位の軍属と同様に、必要以上の個人情報は紹介されないし、登録もされない。


「だいぶお疲れのようで、良くお休みになっておられる。おい、この方は大丈夫だ、門を開けてくれ」

 荷台に向かって槍を構えていた兵士も緊張感が解けたのか、ほっとした表情で槍を下ろすと、閉じている門を開ける為に詰め所小屋に向かった。

 中の男に確認できたので通過しても良い旨と、ここへ来る途中で他に誰かに会わなかったのかと尋ねる声が聞こえて来た。


 ちょうど門が開かれようとしている時に、かなり後方からやって来たもう一台の牛車が到着した。

 御者台の男は人の良さそうな笑顔を浮かべて、詰め所小屋の前で車を停めた。

「おやぁ、先程の方じゃないですか。何かあったんですか?」

 後から来た男は、前方の門の前で牛車に乗り込む男の姿を見止めると、旧知に出会った時のような親しげな声を掛けた。

「あぁ、あなたは先程の……車も直ったようですなぁ。私は、見ての通り、ちょっと……」


 男はバツが悪そうに語尾を口篭りながら、警備兵の方をちらりと見やった。後から来た男はそれで理解したらしく、軽く頷きながら警備兵に向かって声を掛けた。

「何かあったみたいですね」

 既に門はすっかり開いて、前の男は荷台に干し魚と巡礼者を乗せて、ゆっくりと通過していった。

 警備兵の一人は小屋の中で、その後ろ姿をモニターと見比べながら目で追っていた。


「いえ、大した事じゃないんですよ。

 中央から手配書が回って来たんですが……今回は珍しく顔写真付きでしてね。

 ちょっと確認に手間取ってしまっただけです」

 困ったような笑顔で近付いて来る警備兵に、男は腕輪をした左腕を差し出して、バイスの住民である事を示した。

 警備兵もその腕輪に軽く触れて、すぐに男の身分紹介を済ませた。

「最近越されて来たばかりですね。元は『翠の海』に住んでいたのですか。こちらへは、仕事の都合で?」


「えぇ、まぁそれもありますが、エルメス様のご加護を頂きたいと思いまして。

 バイスは暮らしやすい街でありがたいですよ。これもあなたがたのお陰です」

 男は深々と丁寧に頭を下げた。頭を下げる挨拶の風習は、間違いなく「翠の海」付近の出身者のもので、警備兵の緊張は若干和らいだ。

「いやいや。ところで、前に通っていかれた方とはお知りあいなのですか?」


 質問した警備兵の目が少しだけ鋭くなって、何かを警戒している雰囲気が戻って来た。

 目の前の男の身元確認が出来たとはいえ、先に通過していった行商人との関係が気になる。それには十分な理由があった。

 手配書の顔写真と先程の行商人、そして巡礼の教主の二人とも別人であった。それは間違い無い。

 しかし、気になる事があった。巡礼中とはいえ、教主なら立派なバイスの住人である。IDを記録している装身具を身に着けている筈なのだ。


 レリアス教の教主ならば、たいていはその身に纏うローブに刺繍されている模様の仲に、ID情報を含む黄水晶が縫い付けられている。

 その為、ローブがそのまま個人の身分証明にもなる。先の巡礼者はローブを纏っていた。

 つまり教主としての身分を持った相手だったが、IDは『不明』あるいは『該当無し』となっており、その為に寝ていると分かっている相手の素顔を、敢えて確認する必要があったのだ。

 個人情報を必要以上に開示する必要が無い立場としても、名前や職業は表示される事が普通だ。


「いやぁ、知りあったのはずっと手前の街道でしてね。

 私の車が壊れてしまって、立ち往生していた所にあの方が通り掛かって。

 修理に必要な部品を分けて頂いたんですよ」

「それはそれは。ところで、巡礼中の教主様には会いませんでしたか?」

 兵士は気になっていた核心部分を質問した。今の話しからだと、この商人も街道を向かっていた教主に会っている可能性が高い。

 その時何か変った様子などが無かったか、その点を知ろうとして探りを入れた。

「教主様なら、会いましたよ。というか、最初は私が乗せて差し上げていたんです」


 然して変った事では無いという雰囲気で、商人は話し始めた。

 街道脇で疼くまっている姿を認め、何事かと車を停めて話を聞くと、旅の疲れからか熱の為に足元がフラつき、一歩も歩けないと言う事だった。

 行商人はすぐに教主を乗せて街道を進み始めたが、途中窪みに填まって車輪が外れてしまって立ち往生していた。

 と、そこに前述の干し魚を積んだ車が通りかかった。

 その時には教主も苦しそうにしていたので、先を行く男に事情を話して、乗せて行ってもらった、と言う事らしかった。


「そうそう、忘れていましたが、教主様のお荷物をお預かりしたままでした。

 しまったなぁ、せっかく追いついたのに、渡すのを忘れてしまった」

 男は然も残念そうな表情で、先に行って見えなくなってしまった牛車の姿を目で追っていた。

 しかし男の暢気そうな顔とは裏腹に、兵士二人の表情には急に緊張が走った。

 詰め所小屋にいた兵士が、何やら目配せしながら牛車の反対側にまわった。それを確認しながら、商人の前の兵士が殊更明るい表情を崩さぬように、慎重な面持ちで話しかけた。


「教主様の荷物とは……どのようなものでした?」

 男は質問の意図を理解するのに暫くを要したようで、ぽかんとした表情で兵士を見詰め返したまま黙っていた。

「えぇと……あの、大きめの腰袋が一つだけでしたけど。急いで追いついて、返して差し上げたいのですけど」

 意図を取り違えたのか、理解していなかったのか、男は出発したい旨を伝えた。


 だが、今度は明らかに威嚇の表情を浮かべて、警備兵が槍を構え直した。詰問するような口調で再度男に向かう。

「荷物は後ろの荷台ですね? 中身を検めさせてもらいます」

 後ろにまわっていた兵士が牛車の前方に出て、鎧牛の鼻緒を押さえてしまった。

 自分に槍が向けられた事と、事態の展開が理解できずに、商人は御者台の上で身動きできずにいた。

 僅かばかりの言葉を発するのが精一杯で、一変してしまった警備兵二人の雰囲気に気圧されていた。


「ど、どうぞぉ、お構いなくっ……」

 場違いな言葉など全く気にも止めず、一人が荷台のほうにまわって積み上げてある布地の間を探り始めた。

 程なく腰袋が見つかり、荷台の縁まで引き出したそれは、想像していたものよりずっしりとした重量があり、警備兵の表情はより険しくなった。

 荷台に上がり込んで、袋の口を開く。中に入っていたのは、紫黒曜石の甲冑一式と、特別製の長剣だった。

 ひと目でそれと分かる、将校クラスだけに許されたオリハルコン製の長剣だった。


 警備兵が中からその長剣を取り出し、頭上に掲げて前方の兵士に見せた。それが合図であるかのように、前方の兵士は詰め所に向かって飛び込んでいった。

「この荷物は、確かに先に行った教主様のものに間違い無いですね?」

 確認の為に行商人に問う。

 万が一間違いであった場合、特権階級にある教主を手配人扱いしたとなれば、咎めを受けないとも限らない。

 事は緊急であり、かつ慎重を要した。


 行商人はようやく事の重要さに気が付いたのか、あわてて首を上下に振った。それから御者台を降りて、荷台の後ろにまわった。

 警備兵の掴んでいる長剣に目をやって、更に驚いた表情で腰袋の中を覗き込もうとする。

「こ、これは……教主様の持ち物にしては、随分と厳ついですねぇ」

 予想もしていなかった間抜けた言葉に、警備兵は虚を衝かれそうになったが、気を取り直して袋の中身を取り出し、確認し始めた。

 予想通りにそれらは全て将校クラスの標準装備品で、本物の教主であるならば必要ない品ばかりだった。


 すぐさま詰め所の裏に走っていき、脚長牛に乗った警備兵が先に通過していった牛車を追って駆けていった。

 小屋の中で本部と通信していた兵士も、緊張した面持ちでそれを見送る。

 一人取り残された商人は、困ったような表情で小屋に近づき、通信機とやり取りしている警備兵に声をかけた。

「あのぉ、私は行っても構わないでしょうか?」

 行商人の声に反応して振り向いた警備兵は、まだそんな所にいたのか? とでもいうような半ば呆れて、半ば憤慨したような顔をしていた。

 その表情に慌てた行商人は、答えを聞くより先に踵を返して、跳ねるようにして牛車に戻っていった。


 間を置かずして、鎧牛に出発する合図を送る。車輪が小石を噛む音が、既に日も落ちかけた街道に響いて、段々遠ざかっていった。

 東の入り口を過ぎた最初の下り坂で、長く伸びた山陰にすっぽりと牛車全体が隠れてしまう程の陰があった。

 行商人はそこで車を止め、御者台から降りて荷台のほうにまわると、教主の置いていったという腰袋と、その上に置き去られたままのオリハルコン製の長剣を手にとった。


 あまりに慌てていたためか、警備兵は荷物をそのままにしてしまっていたのだ。

 行商人は大事なものを見るように暫く中身を手にとって見た後、続いてゆっくりと顔の辺りに手をやり、何度か強く顔を擦った。

 それから首の下の弛みに手を入れると、顔の表面に張りついた「もう一つの顔」を剥がし取った。

 剥がしたあとの所々に汗が浮いていて、表情もこわばっていた。


 行商人であった男が片手で軽々と袋を持ち上げたが、その顔は先ほどまでの行商人とは別人であった。

 本当の顔は少佐。手配書の対象であり、風の民襲撃の際に行方をくらませた将校であった。

 少佐は腰袋を持ち上げて思案していたが、再びそれを荷台に戻すと光剣だけを腰紐に結わえつけて、街の中心部を逸れて郊外を目指した。

 そこには彼の助けとなる人物が居るはずだ。いや、居てくれないと困るなと、過去の出来事を思い出していた。


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