三話 バイス
※サブタイトルを修正しました
その国は延々と続く巨岩の山並みに周囲を囲まれ、盆地の中央に街が形成されていた。街の中程に向かう程建物の密度が高く、発展の歴史を思わせる。
街の周辺は山のように巨大な岩山と接しており、外側をぐるりと一周するには人の足で二十日は掛かった。
岩山の外側に建物は無く、周囲は岩と砂ばかりの荒れ地に変わり、やがて切り立った巨大な山岳に突き当たる。
山稜はわずかに三ヶ所のみ峠があり、そこが唯一、盆地の中と外を繋ぐ街道となっていた。
この地を初めて訪れる者がいれば、街を取り囲む切り立った岩盤をくぐって、最初に目に入る異様な光景に立ち止まるに違いない。
ぐるりと自然の城壁に囲まれたその中心に、艶の無い黒紫色の外観を持つ、巨大な建造物が群れ立つ姿を目にする事になるからだ。
この街、或いは都市と呼ぶにふさわしいこの場所が、別名「光の帝国」と呼ばれる『バイス』の、唯一にして絶対の中央都市、バイスである。
大洋に浮かぶ少大陸、アトランティリアの中央よりやや南東に位置するこの都市は、東西と南からの流通の拠点であった。
古くから流通の要となる土地であったが、ある時に有力な商隊の護衛団が拠点を構えた事が、国家の始まりと伝えられている。
早くから軍事国家として発展し、強大な軍事力を有するようになったのは、比較的近年の事である。
その光の帝国を、巨岩の並ぶ山並みの一角から、見下ろす男の姿があった。
男は遥かに距離があるにも関らず、全身を岩の間から出さないように、顔と手の一部のみで都市を眺めていた。
強い警戒を抱いているせいだが、男が警戒する相手とは、それ程に油断ならない相手だった。
それに、何やら常に見られている感じがして堪らなかった。
手には男の掌で包んだらすっぽり納まってしまいそうな、卵形の艶の無い黒い石があった。
男は石の縦に長い方の片側を左目に当てて、微動だにせず都市を眺めていた。
この石はその名を『遠見石』という。
特殊な磨き方をした蛍光石のまわりを、オリハルコンで包み込んだ、バイスの博識と呼ばれる技術者が作り出した『神具』の一つである。
精神感応石であるオリハルコンを使う事で、蛍光石内を通る光の屈折率を使用者の意志に従って変化させ、遠くにある物を目の前にあるかのように見せる、便利な道具だった。
当然、オリハルコンに感応出来ない者には、ただの真っ黒い石でしかない。
男の視線の先には光帝の居城がある。一際背の高い、中央よりやや北寄りの建造物がそれだ。
その中腹辺りに、茸の傘のように張り出した空中庭園があるのが、遠目にもはっきりと分かる。
一体どういう法則で保たれているのか、極めて不安定に見えるそれは、空に浮かぶ小島のように異彩を放っていた。
その一角だけは他と異なり、緑の木々や草花、水面の煌めきや小動物の姿が目に映る。
中央には白亜の天蓋に覆われた、乳炭石の玉座があった。
そこに座る事が出来るのは光帝ただ一人だが、先程からその姿は無く、黒褐色に黄色の斑紋を持つ、嘴が珊瑚色の小鳥が数匹、何を怖れる事もなく跳ねまわっているだけだった。
男は遠見石を下ろして懐に仕舞うと、岩影にどっかり腰を下ろし、両の腕を組んで何やら思案をはじめていた。
男は何者にも臆する事の無い、バイスの支配階級で少佐と呼ばれる人物だ。だがある理由から、現在自分の身に危険が及んでいると考えていた。
その為、正面から本国には入らず、いったん目立たぬように内情を観察していた訳だ。
一見しただけでは、何等変わりの無い様子に見える。
だが、男の目は一部の階級にしか分かるはずも無い、王宮に関しての変化を捕らえていた。
常に影のように付き従うのが務めのはずの、親衛隊員の姿が見えないのである。
訓練された者にのみ見分けられるやり方で、常に光帝に付き従い、身を潜めているはずの親衛隊は、常に光帝の側にいる。
だが、将校である男にもその姿を捉えられないということは……
男は思案していたのを止めると、静かに岩山を下り始めた。
◇
バイスへ至るには三本の街道がある。
東西の街道は比較的整備されているが、くねくねと曲がった街道で、バイスとそのまわりの町や村、他の都市国家との交易用街道として使われていた。
南の街道は最も広くて直線的だったが、軍が出撃する際に使われる軍事街道で、有事の際には優先的に使われる。
その為に監視の目も厳しく、常駐する守備兵の数も多い。普段の物資や人々の行き来も多いが、忍び込むにはリスクの高い街道と言えた。
バイスの東側には、山を挟んで広大で豊かな草原地帯が広がり、いくつかの町や村や、小国があった。
逆に西側には深く豊かな森が広がり、やはりいくつかの小国と集落があったが、広大な山脈で遮られていた。
その為、東側の国々が西側の森林帯に行く為には、どうしてもバイスを通る街道を使うのが近くて安全であった。
東と西の街道の拠点として、大陸の南半分にある国家間の拠点として、バイスには自然と人と物、あるいは情報が集まっていた。
そのおかげでこの国は潤い、また発展して来た。
しかし、バイス自身は巨大な軍事国家であり、自国では物資の生産能力を殆ど持っていなかった。
バイスの成立は比較的新しいとされ、建国後200年を越えない、アトランティリアでは新参国家だった。
大陸南部が東と西に巨大な山脈で頒たれ、残った中央地域を周辺国間で奪いあった結果、どの国にも属さなかった、一つの戦闘集団が支配権を獲得した結果だ。
彼らの戦闘術はすさまじく、小競合い程度の戦闘しか経験していなかった南部小国では全く歯が立たなかった。
また、彼らの持つ独特の戦力もバイスの成立に大きく寄与していた。
「オリハルコン」と呼ばれる、人の意志に反応して様々な効果を生み出す輝石の扱いは、他を圧倒していた。
オリハルコンは、当時の南部国家には知られていなかったものである。何故彼らだけが、オリハルコンを活用する術を持っていたか、それは謎であった。
成立の過程による為か、その後もバイスは自国で生産力を持とうとせず、また、交易による利益を独占する事もなかった。
周辺国家間の軍事的バランスを調整したり、公正で安全な交易地を提供する事で、大陸南部の中心国家となっていった。
大陸南部地域は、南海を越えて侵略行為を繰り返す「海族」の脅威にさらされていた。
また、西部の森林地帯に住み、恐怖と不安をまき散らす「夜族」と呼ばれる異形の者たちもあった。
バイスはこれら脅威となる敵の侵入を阻み、南部の他国家の安全を図り、各国に傭兵団を派遣していた。
しかしそれら軍事力に寄る収入は全体の1/4に過ぎず、収入の中心はバイス市内で行われる経済活動にあった。
市内で売買される商品には、取引に応じて一定の税金が掛かる。但しその税率は微々たるもので、取引の安全性と公正さに十分見合う額であった。
南部の商人は、バイスでの商取引を好んだ。通行税や関税の類いをいっさい必要としなかった為だ。
他の街では街に商品を持ち込む際の持ち込み税、いわゆる関税が掛けられる場合が一般的だった。
持ち込んだ商品が売れる、売れないに関わらず一定の税金を徴収されが、バイスは関税を必要としない為、大きな市場を形成していた。
バイスは軍事国家であったが、支配者と言う程は支配権を行使しない、微妙な独立国家になっていた。
はっきりしているのは、大陸南部の軍事・経済の中心はバイスであるという事だった。
都市としてのバイスの中央は、光帝の居城と四つに組織された軍関係者の居住区である。
更に商店、公共施設、宿泊施設などが取り巻くように配置されていた。
ただし、光帝の居城の真北に当たる部分だけは別で、一部張り出した山脈から続く森林地帯が残され、親衛隊の居住区、兵器工場などがあった。
生産活動を行わないバイスの唯一の生産物は、兵器であった。目立たない為一般には知られていないが、一部の者たちにとっては公然の秘密だ。
表向きのバイスは活気のある宿場町のようなものであり、交易者にとって必要の無い限り、最強を誇る軍事力と向き合う必要も、気にする必要も無い街になっていた。
ただ一ヶ所、外から来る人間にとっては、入りたくても入れない場所があり、バイスの国教とされている『レリアス教』の教会区への立ち入りは、許可されていなかった。
もっとも、改宗して信者となれば別である。
レリアス教の教会は他の建物と異なり、乳白色の大理石で建造されていた。
レリアス教は最高神である太陽神「ヘリオス」を頂き、光帝がその代弁者を務めると共に教皇でもあるという、多神教で国政に密着したバイス唯一の宗教であった。
最高神ヘリオス以外には、『猛る軍神』アテナイ、『智の光』エルメス、『豊穣の女神』ファシリア、『癒しの沈黙』タナトスなどが代表的な神々だ。
戒律は然程厳しいものでは無く、バイスに居を構える商人たちの殆どは、改宗していた。
レリアス教は、大陸南部に土着であった宗教とは異なった教義を持っていたが、無理に布教する事が無かった為、余計な摩擦は起こさなかった。
◇
鎧牛が牽く牛車に乗って街道をゆっくり進んで来たこの商人も、レリアス教に改宗したばかりの信者だった。
改宗といっても商取引を有利に進めるための、形ばかりのものではあるのだが。
左右に伸びる長い角を重そうに二度振るわせて、鎧牛が一声鳴いた。背中の皮が分厚く、脇腹の辺りで左右に張り出す姿から鎧牛と呼ばれている。
普段はおとなしい性質なのだが、興奮すると角を振りながら突進する迷惑な質の獣でもある。
太く短い足と、低い体躯の為に走る速度が遅いせいで、あまり脅威にはならないのと、力が強く人に馴れる事から、荷車を牽かせるのに向いていた。
商人は、東の海岸付近にある小国でしか産出されない、珍しい顔料を仕入に出掛けて、二週間して戻って来た所だった。
運良く滅多に出ない空色の顔料を手に入れる事が出来た。それに出向いた先の小国では、草蛇の革が思いの外高値で売れた。
これらを元手に西からやって来る、織物商人といい取り引きが出来そうだと、ほくほく顔でいた。
間もなく街の入り口が見え始める丘の手前に差し掛かった所で、道脇で疼くまる巡礼者の姿を見掛けた。
レリアス教の巡礼者を表す、白地に朱の二重縁取りが付いたマントを付けている。
レリアス教の信者には、バイス以外の小国の生まれの者も多い。
彼らは大店の商人だったり、広い農地を持つ農民だったり、生まれた土地から滅多に移動する事なく、生涯を終えるものも少なくない。
定期的に街から街へ移動を行う行商人と違い、そういった普通の信者は年に数回巡礼という形で、バイスにある大主教会を訪れていた。
その為、街道沿いで巡礼者の姿を見掛ける事も少なくなかった。商人は懐も心も暖かだった為、慈悲の心に溢れていた。
そうでなくとも、街道沿いで難儀している者を見かけたら、声を掛けるのが行商する者の流儀である。
牛車を止めて、どうしたのかと巡礼者に尋ねた。
巡礼者はゆっくりと顔を上げて、男から目を離さないように静かに立ち上がった。疼くまっている時は分からなかったが、かなり大柄な男の巡礼者だった。
商人は心の中で舌打ちして、乗せてやるくらい仕方が無いかと考えていた。
立ち上がった男の巡礼者は何も言わず、ただ右手を自分の左胸に当てて深く御辞儀をした。
その時に男の纏っているローブの肩の部分に、刺繍された独特の模様が商人の目に止まった。
その模様は、レリアス教主のものだった。
商人はレリアス教信者となって日が浅かったが、この模様の持つ意味は知っていた。
この巡礼者は、大主教会を治める聖教主の一人で、レリアス教の本教会である大主教会に仕える事を許された、数少ない聖教主さまであるという事実だ。
利に聡く目端が利かなければ、行商人はつとまらない。商人は安心すると同時に、男を乗せる事を幸運だと思い直した。
おそらく何処かの小国の教会まで、請われて出向いた帰りなのだろう。
教主にとって巡礼は、教義の実践の一つである。
自らの足で歩き、太陽や大地、風や水の恵みに絶えず感謝を怠ってはならないとされていた。
聖教主ともなれば、徒歩で巡礼をすることは普通は無い。その点を疑問に思うべきだったのだが、商人は欲目が先に来て気付けなかった。
旅の疲れがでて、体調を崩していたのだろう、そう思って慌てて男の手を取って牛車に乗せようとした。
だがその瞬間、目の前の巡礼者は瞬時に視界から消え失せ、商人の鳩尾に重くて冷たい衝撃が走った。
それきり、商人は気を失ってしまった。




