第9話:鋼鉄の門、崩落の朝
春の陽気が凍てついた大地を緩め、雪解け水が泥を洗う季節。
フリントを含む三人の奴隷は、守衛の背中を追って採掘場から一段上の、小高い崖の上へと連行されていた。
「この大きな岩だ。雪解けのせいでここまで滑ってきやがった。下に落ちると下の連中が死んで作業が止まる。お前らでどかしとけ」
守衛は面倒そうにそれだけ告げると、タバコを吹かしながらさっさと崖下へ戻っていった。
「まったく、こんなデカい岩を三人でなんて……。まあいい、このままだと確かに俺たちの仲間の頭上に落ちるからな。やるか」
奴隷たちが岩に手をかけたその時、フリントが鋭い声で止めた。
「ちょっと待ってくれ」
「え? 何かあるのか?」
「……こいつは、好都合だ。いいか、少し耳を貸せ」
三人は監視の目を盗み、岩の影で密やかな話し合いを持った。
この一年半、フリントは地道に情報を集積し続けてきた。守衛たちの休暇の周期、入れ替わりのタイミング、そして彼らがこぼす愚痴の端々から、組織の「綻び」を見つけ出していたのだ。
守衛たちのスケジュール管理は杜撰を極めていた。交代制の人数配分には、日によって極端な偏りがある。さらに、月に一度は必ず視察に訪れていた魔将軍の足が、ここ数か月はパタリと途絶えていた。
その日の深夜。トリスタン、フリント、そして数人の中心メンバーが暗がりに集まった。
「今晩から数えて、五度目の朝だ。いいな? 失敗は許されない。この日しかないんだ。文字通り、一生に一度のチャンスだ」
フリントの声は低く、だが熱く、仲間たちの胸を打つ。
「絶対に、失敗はできない。失敗すれば残るのは死だけだ。準備を怠るな」
集まった奴隷たちは緊張に唾を飲み込み、力強く頷いた。ついに、この時がやってきたのだ。
彼らは持ち場へ戻り、すれ違いざまに指で小さく「三角」を作り、決行の日を慎重に、確実に伝播させていった。
そして――ついに運命の朝が訪れた。
奴隷たちは、作業用を装いつつ、つるはしや角材を隠し持ち、それぞれの持ち場に身を潜めた。
交代の時間。夜勤を終えた守衛たちが次々と帰路につき、代わりに入ってきたのは、フリントの予測通り、たったの五人だった。
静まり返った採掘場に足を踏み入れた守衛たちは、異様な気配に眉をひそめる。
「なんだぁ? どこに隠れた! 出てこいオラァ!!」
パシーン! と乾いた鞭の音が空を打つ。それが、反撃の銅鑼となった。
「おりゃああああ!!」
一斉に隠れていた奴隷たちが、雪崩を打って守衛たちに突進した。
「な、なんだ!? お前ら、正気か!? うわあぁぁ!」
守衛たちは必死に鞭で応戦しようとするが、三十人を超える奴隷たちの濁流の前には無力だった。つるはしが振り下ろされ、角材が唸る。あえなく五人の守衛は滅多打ちに遭い、その場に崩れ落ちた。
「鍵だ! 鍵を奪え!」
奴隷の一人が守衛の腰から重い鉄鍵を奪い取り、鋼鉄製のゲートへと走る。
ガチャン、という鈍い音と共に大きな門がゆっくりと開かれた。その中心で、16歳になったトリスタンが三本の腕を大きく振り、声を限りに叫んだ。
「門が開いたぞ! 今がチャンスだ! みんな、ここを逃げるんだ!」
もはや、計画を知っていた仲間かどうかなど関係なかった。絶望の底にいた百人近い奴隷全員が、自由の光が差し込む門に向かって殺到した。
「こんなに、呆気なく……。今までの地獄は何だったんだ?」
一人の奴隷が呆然と呟く。だが、その歓喜を打ち砕くように、遠方の街道から無数の鉄靴の音が響いてきた。
駆けつけた増援の兵隊たちが、影となって迫る。
しかし、一度解き放たれた奴隷たちの勢いは、もはや誰にも止められなかった。
自由という名の渇望に突き動かされた百人の群れは、襲いかかる兵隊たちを飲み込まんとする巨大なうねりとなって、荒野へと飛び出した。




