第10話:黄金の光と黒鉄の将
解き放たれた奴隷たちは、もはや単なる逃亡者の群れではなかった。自由という名の飢えに突き動かされた「濁流」だった。
立ち塞がる数十人の兵士たちは、武装し訓練されていたが、死に物狂いで押し寄せる人間という名の暴力の前に、一人、また一人と沈んでいく。
倒れた兵士から剣や弓を奪った奴隷たちが、今度は武装して反撃を開始した。さらに彼らは新しく連行されてきた奴隷の縄を解き、その勢力を膨れ上がらせていく。次々と援軍が駆けつけるが、死に物狂いの勢いにのる奴隷たちの猛進を止めるには至らない。
「くっ、一旦引け! もっと援軍を呼ぶぞ!」
兵士の一人が恐慌をきたして後退しようとしたその時、背後から巨大な黒い影が立ち塞がった。
「……何をしている?」
「ゾ、ゾルダート様! 奴隷たちが……!」
言い終わる前に、鋭い閃光が走った。ゾルダートの振るった剣が、兵士の首を容赦なくねじ切る。
「逃げようとする者など、我が軍には要らぬ」
魔将軍ゾルダートは、兵士の死体を路傍の石のように踏み越え、怒号渦巻く奴隷たちの群れに向かって躊躇なく歩き出した。
「殺せ! 将軍を倒せ!」
奴隷たちが一斉に襲いかかり、剣やつるはし、角材を打ち付ける。だが、鋼鉄を叩いたような鈍い音が響くだけで、剣は弾かれ、角材は無残に砕け散った。
ゾルダートが重厚な大剣を一閃する。
「――邪魔だ」
たった一振りで、八人近い奴隷たちの胴体が紙細工のように分断され、血飛沫と共に弾け飛んだ。
「奴隷共を押し返せ! 進め!」
将軍の咆哮に、浮き足立っていた兵士たちの勢いが一気にぶり返す。
奴隷たちの足が止まる。しかし、彼らの瞳の炎は消えていない。ここを生き抜けば自由が手に入る。その一念が、恐怖をかろうじて繋ぎ止めていた。
だが、ゾルダートの口が大きく開き、喉の奥で不気味な炎が渦巻いた。
「ゴォォ!」
放たれた業火が、最前線の奴隷たちを一瞬で黒焦げの骸へと変える。絶望的な戦力差に、さすがの死に物狂いの勢いにも陰りが見え始めた、その時だった。
――ゴゴゴゴゴ……!
凄まじい轟音と共に、山肌を削りながら巨大な岩が転がり落ちてきた。あの崖の上でフリントたちが細工をしていた巨岩だ。
それはゾルダートを真正面から捉え、凄まじい土煙を上げて彼を押し潰した。
「位置はばっちりだ!」
斜面を滑り降りてきたのは、土だらけのフリントだった。彼は巨大な岩を見上げ、肩で息をしながら呟く。
「……上手く、やったか?」
その刹那、岩の表面に無数のひびが入った。
「な……なんだと!?」
凄まじい衝撃音と共に岩が真っ二つに割れ、中から無傷に近いゾルダートが土埃を払って現れた。
「やってくれたな、小僧。――死ねい!」
ゾルダートの剛剣が、呆然と立ち尽くすフリントに向かって振り下ろされる。
「フリントォ!」
割って入ったのは、トリスタンだった。彼がフリントを庇うように両腕を突き出した瞬間、その体がかつてないほどの黄金の光に包まれた。
キンッ、と硬質な音が響き、ゾルダートの剣がまるで目に見えない壁に当たったかのように弾け飛ぶ。
「ぐおぉぉ……な、なんだこれは!?」
ゾルダートの腕が、触れてもいないのに激しい火傷を負い、無残に焼けただれていた。
「トリスタン……お前……」
光の余波に目を細めながら、フリントが呟く。
「し、知らない……フリント、自分でも分からないんだ!」
トリスタンは自分の手に宿る輝きを恐れるように見つめ、縋るような目で相棒を振り返った。だが、フリントはすぐにその「意味」に気づいた。
「トリスタン! 聞け!! これが……チャンスだ!」
ハッとしたトリスタンは力強く頷くと、黄金の光を纏ったままゾルダートに肉薄した。
「やめろ……来るな! 貴様、何者だぁぁぁ!」
魔将軍の悲痛な叫びは、至近距離で放たれた「無敵の光」に飲み込まれた。
光が収まったとき、そこには物言わぬ黒焦げの塊――ゾルダートの遺体が転がっていた。
「そんな……ゾルダート様が!?」
最強の盾であり矛であった将軍の死に、兵士たちの間に決定的な動揺が広がる。
「行け、行け、行け! この好機を逃すな! 生き延びるんだ!」
フリントの叫びが、再び奴隷たちを熱狂の渦に巻き込んだ。勢いを取り戻した彼らは、戦意を喪失した兵士たちを飲み込み、突き進んでいく。
「トリスタン! お前も早く! 俺たちは生き延びるんだ!」
立ち尽くしていたトリスタンは、己の三つの拳を握り締めると、弾かれたようにフリントの背を追った。
百人の奴隷たちは、自由な明日を求めて、どこまでも続く荒野を駆け抜けていった。




