第87話:秘匿の陣営、蠢く冷徹
深々とした霧が立ち込め、切り立った険しい岩山に囲まれた秘境の地に、ブランゼル王国の極秘野営地は存在していた。
岩山に挟まれた薄暗く狭小な細道を、一匹の騎馬が息を荒げて駆け抜けていく。
人目に付くことなどまずない隠蔽された敷地内には、頑丈に組み上げられた三棟の木造建物が佇んでいた。
その中で最も大きな建物の最奥の一室――重厚な椅子に深々と身を預けていたのは、魔将軍プレアデスであった。
「プレアデス様! 偵察の兵より急報が入りました!」
報告に飛び込んできた兵士へ、プレアデスは冷やかだが射抜くような鋭い視線を向けた。
「……それで?」
「はっ! 先の報告通り、奴らはクラウディッツ渓谷に向かい、港町を発った模様です!」
「間違いない情報だな?」
「はいっ! 確実にクラウディッツ渓谷の方向へ向かっております!」
「よし、下がってよい。ご苦労だった」
プレアデスが短く告げると、兵士は恭しく一礼して退出した。それと入れ違いに、落ち着いた足取りで参謀が入室してくる。
「全てプレアデス様の思惑通りに事が運んでおりますね」
参謀が薄く笑みを浮かべた。
「しかし……このような秘境にブランゼル王国の野営地が存在していたとはな。ここは一体どういう場所なのだ?」
プレアデスが尋ねる。
「はい。元々は我が王国の軍隊が遠征拠点として設営したものでございます。現在では訓練施設として年に数回使われる程度に過ぎません」
「年に数回……周辺の住民には広く知られている場所なのか?」
「滅多なことはございません。ここを知る者は王国でもごく一部。ブランゼル王国軍、そして王家のみに伝えられる極秘中の極秘拠点でございます」
「そうか。ならばここを本陣とし、引き続き奴らの動向を追わせろ。くれぐれも勘づかれぬよう、密やかにな」
「かしこまりました。しかし……プレアデス様にしては、今回はやけに慎重でいらっしゃいますね」
参謀が探るような視線を向けた。
「ふん。相手はあの『フォース・エレメント』の一角だぞ? 現にアイゼンは奴の魔術の前に討ち取られたのだろう?」
「左様でございますが……我らに勝機はございますでしょうか?」
「当然だ。奴が得意とするような古代の極大魔術は、一言二言の詠唱で発動できるような甘い代物ではない」
プレアデスは冷徹に言い放つ。
「クラウディッツ渓谷は目と鼻の先……ここで気配を消し、奴らの隙を精緻に探れば、必ずや確実な勝機が訪れる」
「恐れ入りました。流石はプレアデス様でございます」
参謀は深く頷き、ふと思いついたように言葉を重ねた。
「しかし……あのチャリオットを操る4人の手先ですが……未だあの港町に留まっているようで」
プレアデスの瞳が一層険しく光る。
「ん……? 何が言いたい?」
「報告によれば、奴らは港町にチャリオットを持ち込んでいないご様子。叩くのであれば無防備な今こそ好機かと……」
参謀が頭を下げて具申する。
「だからと言って、ここからわざわざ兵を割いて向かわせたところでスムーズに事が運ぶと思うか? 仮に私が自ら出向いたとしても、あそこにはヴァレリアと……あの『黄金の光』を宿したガキがいる」
「……っ」
「今の段階で勝率の低い賭けに出る必要など微塵もない。ここに十分な戦力を集中させ、迫り来る敵を確実に仕留めるのだ」
「ははっ! 実に見事な御采配、感服いたしました!」
「まあ……ヴァレリアたちの側に対しては、アイゼンから引き継いだ精霊工学の防具……あの装甲があれば黄金の光を防ぎ切れることは既に実証済みだ」
プレアデスは優雅に脚を組み替える。
「バロールの奴が新兵器を開発したと聞く。あいつはあいつで、ヴァレリアたちの動向を独自に探っているはずだ。今こそブランゼル王国には盤石な信頼が必要となる。仲間を信じ、我々は己の与えられた役に徹する……兵たちにもそう徹底させておけ」
「ははーっ! 直ちに全軍に徹底させます!」
参謀は深々と一礼すると、素早く部屋を後にした。
「ふふふ……デイルめ。次はどう動く……?」
プレアデスはその美しい容姿に冷ややかな微笑を浮かべ、静かに呟いた。
切り立った岩山と深い霧に守られた秘匿の拠点。
そこでは、迫り来るデイルたちを呑み込もうとする冷酷な計略が、着々と形を成しつつあった。




