第7話:凍土に燃える拳
邂逅から六か月の月日が流れた。採掘場に、極寒の真冬が訪れる。
吹き荒れる雪の中、奴隷たちには毛布の一枚も与えられない。朝、氷のように冷たくなった仲間の遺体を運び出すのは日常の光景となった。しかし、凍死者の数を上回る勢いで、各地から新たな奴隷たちが補充されていく。
想像を絶する過酷な状況に、精神を病み、半狂乱になる者が後を絶たない。そんな地獄の中で、14歳のトリスタンはただ一点を見つめ、雪を噛むようにして歯を食いしばっていた。
一日でも多く生き延びること。いつか訪れるはずの「その時」のために。
ある日の夕暮れ、凍てつく空気を切り裂くように守衛の不吉な声が響いた。
「えー、今日は三人分の食料が足りない。“いつものやつ”をやるぞ!」
それは、この採掘場で行われる非道な「間引き」の合図だった。
守衛がランダムに三人を指名し、指名された者がさらに戦う相手を指名する。素手による殺し合いを行い、敗者が「不要な一食分」として処理されるのだ。
「じゃあ……お前と、お前。そして……お前だ」
守衛が最後に指さした先には、あの顔に傷のある、いかつい長髪の男が立っていた。
第一、第二試合と、血を血で洗う凄惨な光景が続く。目を潰し、喉を突き、一方が動かなくなるまで続けられる泥沼の殺戮。死体はあの腐敗臭漂う大穴へと放り込まれていく。
そして始まった第三試合。長髪の男は、獲物を定める蛇のような粘着質な視線をトリスタンに向けた。
「へへへ……お前を殺せる時が来るとはな。最高だぜ」
愉悦に顔を歪める男に対し、トリスタンは低い姿勢でじりじりと間合いを詰める。
「どぉりゃあ!」
男の鋭い前蹴りがトリスタンの腹部にめり込んだ。
「ぐはっ!」
激痛に悶絶し、トリスタンは血反吐を吐いて地面を転がる。男は容赦なく、倒れた少年の体に何度も硬いブーツを叩きつけた。
「ああ……あいつ、終わったな」
周囲で見守る奴隷たちが絶望に目を逸らした、その時だった。
トリスタンの「三本の腕」が、男の足にしがみついた。
「くそっ、離せ! このクソガキ!」
男が殴りつけようと拳を振り上げた瞬間、トリスタンの“もう一本の右手”がその手首をガッチリと掴んで止めた。
「こ……この!」
男はバランスを崩し、片足でぴょんぴょんと跳ねる。その隙を見逃さず、トリスタンは左手で男の右手を、下の右手で男の左手を、それぞれ掴み取った。
「この野郎! 離せぇ!」
自由を奪われ、必死に振りほどこうとする男。だが、トリスタンの本能が覚醒する。
――バキッ!
骨の軋む嫌な音と共に、自由な「上の右拳」が男の顎を正確に撃ち抜いた。
血しぶきを吐く男。トリスタンは両手を封じたまま、空いた一本の腕で、一心不乱に男の顔面を殴り続けた。
ついに男が力なく崩れ落ちると、トリスタンは馬乗りになり、三つの拳を雨あられのように叩きつける。
「あああああぁぁぁ!」
絶叫と共に打ち下ろされる乱打。やがて男が事切れても、トリスタンの拳は止まらなかった。
「やっぱり、あいつは化け物だ……」
「三本の腕で殴り殺すなんて、恐ろしい……」
静まり返った場内に、奴隷たちの怯えた囁きが広がる。
大粒の涙を流しながら立ち上がったトリスタンの肩に、フリントがそっと手を掛けた。だが、トリスタンはその手を激しく振り払う。
「お前も……僕のことを化け物だって思ってるんだろ!」
声を荒げるトリスタンを、フリントは真っ直ぐに見つめ返した。
「勘違いするな」
「え……?」
「俺はいま、決心を固めたんだ」
フリントの瞳には、絶望ではなく、確かな理知の光が宿っていた。
「何の……決心だよ」
「俺たちはここから脱出する。……お前を連れてな」
トリスタンが呆然とする中、フリントは言葉を継ぐ。
「ここを出るのは並大抵の覚悟じゃ無理だ。でも、さっきの戦いを見て確信したんだ。お前のその三本の腕、そしてその執念があれば、俺はここから逃げ出せる。……俺を信じてくれるか? トリスタン」
トリスタンは、溢れる涙を拭いもせず、フリントの目を真っ直ぐに見つめた。そして、差し出されたその手を、今度はしっかりと握り返した。
真冬の積もり行く雪さえも解かすような、二人の少年の熱い情熱が、暗い採掘場の片隅で静かに燃え上がっていた。




