第59話:交錯する思惑、白銀の再会
しんしんと雪が降り積もる、ブラッドラインの町の片隅。
その少し薄暗い酒場の二階の一室で、二人の若き男が静かに酒を酌み交わしていた。
片方の男は、頑丈な胸当てに、動きやすさを重視した革の脛当てを身に纏っている。腰に下げた鞘の柄には、美しい輝きを放つ極上の詠唱石が施されており、それが一目で名剣と分かる見事な剣であった。
かつて少年だったエルムは、今や精悍な顔つきをした立派な青年へと成長を遂げていた。幼き日にイゾルデから貰ったスカバード・ベルトは、成長の過程でとうに擦り切れ、すでに捨ててしまっている。光り輝くミスリルの鎖帷子も、身体が大きくなって着られなくなり、旅の資金のためにとっくに売ってしまっていた。エルムは器に注がれた強い酒を、無造作に煽る。
そのテーブルの向かいには、エルムとちょうど同じくらいの年に見える、理知的な顔立ちをしたローブ姿の青年が座り、同じように静かに酒を飲んでいた。
青年――デイルの脳裏に、かつて剣に宿った古の英雄、アルドの魂が、直接強い思念で語り掛けてくる。
『――それで、デイル。その“運命の羅針盤”というのは、一体どこにあるんだい?』
ローブを纏った魔法使いデイルは、小さく首を振った。
「……ブランゼル王国の国王の手に渡った。そこまでの足取りは掴んだが、それ以上の詳細までは分からない」
『もうひとつ、あるのだろう?』
アルドの突然の問い掛けに、エルムが驚いて声を上げた。
「え? もうひとつあるのか? “運命の羅針盤”が?」
『そうだ。むしろ、俺たちが真に警戒しなけりゃならないのは、そっちのほうさ』
アルドの重々しい思念が、デイルを通じて場に緊張をもたらす。
「……ヴァルガス、か」
酒を一口含んだデイルがぽつりと呟いたその名に、向かいのエルムは持っていた酒を吹き出しそうになり、激しく むせた。
「ヴ、ヴァルガスだって!? 」
『そもそも、この俺を宿した剣や、あの忌まわしき“黒本”を作った技術の源流こそが、奴だからな』
アルドの思念が脳裏で淡々と答え、さらに言葉を継ぐ。
『それは、精霊工学における最大の禁忌。――精霊世界の生物、すなわち“精霊”と直接言葉を交わせるという、断絶された禁断の技術だ』
「精霊? 僕たちの精霊術の源となる……あの、世界の理そのものである精霊かい?」
エルムが身を乗り出して尋ねると、向かいのデイルは器をテーブルに置き、静かに語り始めた。
「本来であれば、呪文の詠唱や、触媒を使った厳格な儀式による“契約”でのみ、その奇跡の力を一時的に借り受けることができる。しかし……もし、その精霊と、我々と同じ自然言語で、対等に直接会話ができるとなれば――世界のパワーバランスが完全にひっくり返る」
デイルは残った酒を一気に飲み干した。
「え、ええ……? そんな狂ったことが、本当に可能なのか?」
「さあな……本当にそこにいる存在が、高潔な“精霊”かどうかは、俺にもわからない。だが――」
デイルの言葉に、一瞬で鋭い殺気が混じる。
「俺が知っているのは、俺とかつての仲間が、全てを懸けて次元の彼方に追放したはずの“あの男”の魂もまた、その精霊世界に潜んでいるかもしれないということだ」
そう言ったデイルの瞳が、ギラリと猛禽類のような鋭い輝きを放った。
その圧倒的な魔力気配に思わず息を呑むエルムだったが、すぐに手元の酒を飲み干すと、空になった器を事も無げにドンとテーブルに置いた。
「そもそも、精霊っていうのは言葉を話せるものなのかい?」
エルムが、デイルの顔を真っ直ぐに見据えて尋ねる。
「おそらく、純粋な精霊には無理だろう。そもそも精霊世界の生物は、この世界の理など全てを超越していて、その思考の次元すらこちらの世界のレベルとは違いすぎる高みにいる。……しかし、あの低俗な男の魂――もともと、こちらの人間だった意識と会話するだけなら、容易いはずだ。世に蔓延る忌々しい黒本や、各地で暴れている魔将軍……あれらの超越した規格外の力が、”その男との対話”からもたらされたものなのかどうか、俺は突き止めたいんだ」
デイルは真剣な眼差しでエルムを見つめる。
その重い空気を感じ取ったエルムは、警戒しながら注意深く辺りを見回した。酒場の一階からは喧騒が聞こえるが、壁に耳を立てている者がいないとも限らない。
「よし……とりあえず、この話はここまでにして場所を移そう。あまり大声で話す内容じゃない。誰がどこで聞いているか分からないからね……」
「そうだな。ここを出よう」
デイルが短く頷くと、二人は手早く会計を済ませ、寒風が吹き抜ける店の外へと出た。
「エルム!!」
店の一歩外に出るなり、雪のなかを駆け寄ってきた若い女性の声に呼び止められ、エルムはびっくりして振り返った。
「サ……サヤ!? まさか! なんでサヤがこんなところにいるんだ!?」
驚愕のあまり硬直するエルムの胸元に、サヤは迷うことなく一直線に飛び込み、その身体を強く抱きしめた。
エルムはそのサヤを拒むことなく、ごく当然のように、愛おしさを込めて優しく包み込むように彼女を受け止める。
「エルム……おっきくなったね」
サヤは、以前よりも一回りも二回りも逞しく成長したエルムの胸の厚みと感触を、抱きついたまま愛しそうに確かめた。
「サヤ……よく僕だって気づいたね?」
「私は……ほら、目が見えないから。でも、エルムの気配は、あの頃のエルムのままだよ。すぐに分かったわ」
「そうか……」
エルムは愛おしそうに微笑み、腕のなかのサヤを見つめた。
「エルム、久しぶりだな」
背後から響いた野太く低い声に、エルムは再び肩を跳ね上がらせた。
「カイエンさんまで!? 一体どうして……!」
「――そちらの方は?」
カイエンが、エルムの後ろに静かに佇むローブ姿の青年へと、隻眼の鋭い視線を向けた。
「ああ、紹介するよ。彼はデイル。……これでも、とんでもなく凄腕の魔法使いなんだよ」
エルムは、かつての信頼できる仲間たちの集結に、今日一番の満面の笑みを浮かべて答えた。
紹介されたデイルは、カイエンとサヤに対し、旅の魔法使いらしく深々と頭を下げて丁寧にお辞儀をする。
しんしんと雪が降り積もるブラッドラインの街頭。
かつて世界を救った英雄、そしてかつての戦いを終わらせた伝説の戦士たち。四人は白銀の世界のなかで、運命的な再会と、新たなる出会いを果たすのだった。




