第60話:蘇る息吹、拳を交わした先に
プラウデンの山間に佇む、鋼鉄の要塞。
重低音の駆動音を周囲の静寂に響かせながら、美貌の少女ヴァレリアが運転するチャリオット『ヴリトラ』が、ゆっくりと正面の門へと近づいていく。
助手席のフリントが手元の魔導装置のスイッチを入れると、重厚な鋼鉄の扉がギギギと音を立てて左右に開かれた。
それと同時にヴリトラのスライドドアが滑らかに開き、後部座席からクリストフとトリスタンが手際よく降りてくる。二人はまるでヴリトラを要塞の敷地内へと先導するかのように、速度を落として進む愛車の前を肩を並べて歩き出した。
「……ん? なんだあ?」
敷地内へと足を踏み入れた瞬間、クリストフが前方に不穏な人影を察知し、警戒混じりの声を上げた。
そこに佇んでいたのは、見事な縫製の修道服に身を包んだ、屈強だが無駄のない引き締まった体躯を持つ見知らぬ男だった。
「こいつ……どこから入り込みやがった?」
クリストフは要塞の防衛のために男をつまみ出そうと、即座に距離を詰めてその男の肩をガシッと掴む。
しかし次の瞬間、パシッと肉の爆ぜる小気味良い音が響いた。
その男は電光石火の身のこなしでクリストフの腕をくるりと回転させ、逆にその肘をガッチリと掴んで関節を固定してみせたのだ。
「なにっ!?」
不意を突かれたクリストフだったが、驚きながらも即座に身体を強引に反転させて腕の拘束を外す。そして、その遠心力を乗せたまま、男の顔面をめがけて鋭い裏拳を放った。
すっ、と男は紙一重で身を沈め、風を切り裂く裏拳を難なく躱す。さらに沈み込んだ勢いのまま、クリストフの腹部を手の平でぽんと押し、お互いの距離をとった。
まともに腹を押されたクリストフだったが、体勢を崩すことなく、しっかりと地面を踏み締めて重心を落とし、即座に次の一撃へ備えて構えを取る。
その男もまた、クリストフが一筋縄ではいかない本物の強者だと瞬時に察知したのだろう。その瞳に鋭い光を宿し、本格的な武術の構えへと移行した。
二人の間に一触即発の緊迫した空気が流れた、その時――。
「わあ! わあ! わあ! 何やってんだ、お前ら!? やめろ! ストップだ、マルコ! クリストフ!」
要塞の奥から、バレルが血相を変えて両手を大きく振りながら飛び込んできた。
「マルコぉ?」
クリストフが拍子抜けしたような素っ頓狂な声を上げる。
「――初めてお目にかかります、クリストフさん」
構えを解いた男――マルコは、穏やかな笑みを浮かべ、深々と丁寧にお辞儀をした。
「まずは、皆様の留守中に黙ってお邪魔してしまった無礼をお許しください。本当にすみませんでした」
「そ、そんな! こっちこそ、事情も聞かずにいきなり掴みかかっちまってすまなかった。申し訳ない!」
相手の誠実な態度に、クリストフもバツが悪そうに深く頭を下げた。
「驚かせて悪かったな。このマルコはな、各地で捕虜となった難民や奴隷たちを解放する活動をしている男なんだよ」
バレルが二人の間に割って入り、胸を張ってマルコを紹介する。
「マルコさんは、一体どのようなご用件でこちらにいらっしゃったんでしょうか?」
トリスタンが、不思議そうに尋ねた。
「各地で行き場を失った人々を、広大なプリコーグの村で受け入れていたのですがね。それも、そろそろ手狭になってきそうだったのです」
マルコはにこやかに語りかける。
「どこかに次の候補地がないかとバレルさんに相談したところ、この場所を教えていただきまして……それで事前に見学に参りました。いや、本当に住みやすそうで素晴らしい場所ですね」
「そういうことでな……。プリコーグの腕の良い職人たちにも手伝ってもらって、このプラウデンで崩れたままになっている建物も、綺麗に修復していこうかと思うんだが……いいかい、フリント?」
バレルが、ヴリトラの助手席側から回ってきたフリントへと視線を向けた。
「え? 俺ですか……!?」
突然話を振られ、フリントは驚いてバレルを見つめる。
「だって、ここは元々お前の故郷だろ? よそ者に使わせてはダメかい?」
「と、とんでもないです! ここが、困っているたくさんの人たちに使われて、それで一度死んでしまった町がまた生き返るなんて……僕にとっては願ってもないことです! ぜひ! ぜひ、お願いします!」
フリントは感激のあまり、その表情を大きく輝かせた。
「しかし……クリストフさん。本当に強いですね」マルコが感心したようにクリストフを見た。「あのまま戦いを続けていたら、本当にこちらが危なかったかもしれない。剣だけでなく、徒手格闘の技術も相当に鍛えられているのですか?」
「そりゃ、こっちのセリフだよ! まあ……武器が使えないような、いざって時のために鍛えてるだけさ。でもお前こそ、何でまた素手なんかで戦ってるんだ? 武器を持つより素手の方が強い奴らがいるとは聞いてたが、実際に手合わせしたのは今日が初めてだぜ」
「私の仕える教義では、血を流す武器の使用が禁じられているのです。実はある理由で、かつて私はその戒律を破り、破戒僧として流浪の旅をしていましたが……いまは、お陰様で聖者として認めていただけるようになりました」
「へえ……聖者か! 立派な徳を積んだ人だったんだな。とにかく、こうやってお前みたいな奴と知り合えてよかったよ」
クリストフは屈託のない笑みを浮かべ、大きな手を差し出した。
「そんな、俺なんて、そんな大そうな者じゃないですよ。こちらこそ、よろしくお願いします、クリストフさん」
マルコは謙遜しながらも、しっかりと、その差し出された手を力強く握り返した。
その時、要塞の門の外から、大勢のポロットたちを引き連れたバルドが賑やかに入ってきた。
「バレルさん! 作業を始めてもいいですか!?」
「おう! ちょうど今、フリントから許可が出たところだ、やってくれ! すまないな、よろしく頼む!」
「いや、いいですって! 今日もしっかりやりますんで、任せてください!」
すっかり自分の役割に自信を持ったバルドは、ポロットたちを率いて、なんとも頼もしい背中を見せながら作業へと向かっていった。
失われたプラウデンの町が、新たな人々を包み込む温かい街へと生まれ変わるために。今、確かな最初の一歩が踏み出されようとしていた。




