第54話:託されるバトン、それぞれの伝説
ピーティンの広場に、ヴァレリアが運転するヴリトラがゆっくりと滑り込み、静かに停車した。
スライドドアが開くと、真っ先に降りてきたイゾルデが、旅の疲れを微塵も感じさせない優雅な足取りで、巨大な飛空艇のタラップへと歩いていく。
「奥方! よくぞご無事で戻られました!」
留守の間、ずっと飛空艇の周囲を警備していたバルドが、彼女の姿を認めるなり弾かれたように直立不動の敬礼を送った。
「あら? バルド。居眠りもせず、ちゃんと真面目に留守番してたようね。偉いわ」
イゾルデは立ち止まり、唇の端を上げて悪戯っぽく微笑んだ。
「もう……奥方には敵わないなぁ」
バルドは緊張を解き、やれやれと言った顔で頭を掻いた。彼女のこの調子こそが、いつもの日常に戻った証拠だった。
そこへ、後方に停車した重戦車『ティーガー-IV』のハッチが勢いよく開き、中から大急ぎでフリントが飛び出してきた。彼は息を切らせながら、イゾルデのもとへと真っ直ぐに駆け寄ってくる。
「イゾルデさん! 今日は、本当に、本当に、ありがとうございました……!」
フリントはイゾルデの前に立つと、これ以上ないほど丁寧に、深く深くお辞儀をした。
「な、なに? この子。いきなりどうしたの?」
突然の烈烈たる感謝に、イゾルデは少し驚いたように美しい眉を上げ、フリントの顔を覗き込んだ。
「チャリオットは、数百年前のロンカ帝国が遺した失われた技術……。それが、あんな完璧な形で、まるで新品同様の状態で保存されているなんて……! ランドリエは奇跡の施設です! そこに俺たちを導き、扉を開けることができるなんて……。あなたは、やっぱり天空人の正統な――」
フリントがその「血統」の名をすべて言い終わるより前に、イゾルデはそっと、白く柔らかな人差し指をフリントの唇の前に置いた。そして、悪戯を隠すように「しーっ」というポーズをとってみせる。
「君は本当に賢い子ね。あなたの手助けができたこと、私はとても光栄だったわ。その瑞々しく賢い頭脳が、これからもあなた自身の大きな助けになる。……しっかり頑張ってね」
イゾルデは慈愛に満ちた満面の笑みを浮かべると、小さな子供を労わるように、フリントの頭を優しく撫でた。そして、くるりとドレスの裾を翻して踵を返し、優雅な足取りのままタラップを登っていった。
「良かったなぁ、フリント。奥方が人をあんな風に真っ正面から褒めるなんて、滅多にないことなんだぞ?」
呆然と立ち尽くすフリントの背中を、バルドが優しくポンと叩く。
「はい……! はいっ!」
フリントは弾けたような満面の笑みをバルドに返した。
一方、少し離れた場所から、クリストフとバレルがその様子を腕組みしながら静かに眺めていた。
「しっかし……あの女……結局、何者なんだ?」
クリストフが愛機『カタナ』に寄りかかりながら、ぽつりと呟く。
「なんだ? おめえ、知らねえでこれまで一緒に旅してたのか?」
バレルがニヤリと不敵な笑みを浮かべて横目で見た。
「イゾルデはな……あの『ヴェネリア王国』の国を支える、護国卿の一人だよ」
「ええっ!?」
クリストフは驚きのあまり、文字通り体を大きくのけぞらせた。
「聖輝軍を率いて、あの黒本党から王国を力尽くで奪還したっていう、伝説の『シファ・トランシャント・スティングレイ』の……!?」
「おうよ。よく知ってるじゃねえか」
「その後、聖輝軍の幹部とその親友って連中が護国卿となって、今まさにヴェネリア王国を再建中だって噂は聞いてたが……。まさか、あのヴェネリア王国の『親友』ってのが、あの人なのか!?」
「だから、そう言ったろ? 巷じゃ伝説扱いだがな……まぁ、実際の国づくり(再建)にゃあ、裏で色々と泥臭い苦労があるみたいだけどよ」
バレルは再び腕組みをし、遠い目をして答えた。そんなバレルの横顔を見て、クリストフがフッと不敵な笑みを返す。
「でも、そう言うお前だって、あの狡猾な大魔術師ヴァルガスを討伐したっていう、伝説の『絶魔の猟犬』――カイエンの親友なんだろ?」
「わっはっはっは! 勘弁してくれ、大袈裟だなぁ! 自分で聞くとむず痒いわ!」
バレルは豪快に笑い飛ばしながらも、気恥ずかしそうに首を振った。
だが、その笑い声が止んだとき――バレルの顔から不意に陽気さが消え、真剣な光がその瞳に宿った。バレルは一歩踏み出し、クリストフの硬い肩を強く、力強く掴んだ。
「……なぁ、クリストフ。いま、この世界は、その黒本党の問題やら、新たなブランゼル王国の脅威やら、様々なデカい危機を抱え込んでやがる」
「ああ……」
「特にだ。あのイカれたブランゼル王国の問題に対して、国境を越えてまともに動けてんのは――今、ここにいるお前らだけなんだよ。俺たちや護国卿は、過去の歴史を片付けるだけの『古い伝説』だ。だがな、いま現在の世界のど真ん中で、今まさに命を張って活躍してるのは、お前らなんだよ」
バレルは掴んでいた手を離すと、信頼を込めてクリストフの胸をポンッと拳で叩いた。
「世界を代表して……なんて大層なことは言わねえがよ。――この世界のこれからは、しっかり頼んだぜ?」
その言葉をすぐ傍らで静かに聞いていたトリスタンが、決意を秘めた目で深く、深く頷いた。バレルはそれに気づくと、頼もしそうに目を細め、トリスタンに向けて温かい微笑みを返した。
「おう、任せとけ、バレル。……今日は、本当にありがとうな」
クリストフがいつになく引き締まった声で答える。
「じゃあな、お前ら! 達者でやれよ!」
みんなに見送られながら、バレルとバルドが飛空艇のタラップを軽快に登り、奥へと消えていった。
やがて、重厚な魔導エンジンの駆動音が響き渡り、周囲の木々を激しく揺らす突風を巻き起こしながら、巨大な飛空艇は空の彼方へと瞬く間に消え去っていった。
静寂を取り戻したピーティンの広場。
そこに取り残された少年たちの前には、夕陽を浴びて鈍く、しかし力強く輝く4台のチャリオット――新しき愛機たちが、これからの過酷な運命を共にするために、堂々と並び立っていた。




