第42話:藍色に染まる丘、二人の少年
夕闇に染まるプラウデンの街並みは、どこか厳かで、そして酷く静かだった。
バルド率いるポロットたちの驚異的な作業によって、散乱していた瓦礫や長年の汚れは一旦きれいになり、ポロットたちは浄化されている。大仕事を終えたバルドは、明日の出発に備えて要塞内の宿泊施設を借り、一足先に泥のように眠りについていた。
静まり返る、茜色と紫の混ざり合う街並みを、フリントとトリスタンの二人が並んで歩いていた。
壊れた建物の隙間を吹き抜ける夜風が、二人の髪を優しく揺らす。
「すごいね……道がこんなに綺麗になるなんて。建物はまだ崩れたままだ。だけど……昔のプラウデンが、どれだけ美しい町だったかっていうのは、これを見てるだけでもよくわかるよ」
トリスタンが、隣を歩くフリントに穏やかな笑みを向けた。
だが、フリントは複雑な心境だった。
邪魔な瓦礫が撤去され、かつての美しい故郷の面影がほんの少しだけ戻ってきてくれたことは、確かに嬉しい。しかし、景色が昔の姿を取り戻せば取り戻すほど、かつてこの場所で笑い合っていた家族や友人との思い出が鮮明に蘇り、あの幸せな日々が二度と戻らないという冷酷な現実に、胸を強く締め付けられるのであった。
二人は無言のまま歩を進め、やがて街を一望できる小高い丘へと辿り着いた。
そこにある古びた建物の石段に、フリントが吸い寄せられるように腰を掛ける。トリスタンも彼の心情を察するように、隣にそっと腰を下ろした。
そこからは、どこまでも連なる山々とプラウデンの全景が広がっていた。
空は夕闇の赤やオレンジ、そして夜の藍色が溶け合う、幻想的なグラデーションを描き出している。
「……以前は、この場所が好きでね」
フリントは遠くを見つめたまま、ぽつりと言葉を零した。
「毎日、ここに座っては、この風景を眺めてたんだ……。今日はどんな一日だったな、明日は何をして遊ぼうかなって、そんなことばかり考えながらさ」
フリントの瞳が、沈みゆく夕日の光を浴びてキラキラと輝く。
しかし、その美しい風景を見つめる彼の瞳から、堪えきれなくなった一筋の切ない涙が溢れ、頬を静かに伝い落ちた。
トリスタンは、フリントのその横顔を見て、胸が痛むような思いがした。かけるべき言葉が見つからず、とても今、隣にいる親友の聖域に踏み込むような真似はできなかった。ただ静かに、その悲しみに寄り添うことしかできない。
フリントは慌てて袖で涙を拭うと、決まり悪そうに苦笑した。
「……ごめんな、トリスタン。一人で感傷にふけっちゃって」
トリスタンはゆっくりと首を振った。
「ううん、仕方ないよ。僕だって、失った者の痛みはわかる。忘れろと言われたって、忘れられるわけがないんだから」
そう言うと、トリスタンもまた、フリントと同じように遠い空を見つめた。
「トリスタンも……まだ、お母さんのことを思い出したりするかい?」
フリントの問いに、トリスタンは「ふふふ」と小さく声を立てて笑った。
「忘れることなんか、絶対に出来ないよ。……でもね、いつまでも僕がメソメソと悲しんでいたら、『いい加減にしなさい!』って、あの世からすっ飛んできて怒られちゃうからさ。僕のお母さんは、そういう激しい人だったんだ」
「あはは、そうなんだ」
想像して、トリスタンとフリントは顔を見合わせて小さく笑った。少しだけ、冷えていた空気が和らぐ。
フリントはふと思い出したように、ずっと気になっていた疑問を口にした。
「そういえばさ……トリスタンは、クリストフとは何で知り合ったの?」
「ミランダさんからの紹介さ」
「え? あの『出会いと別れの酒場』の、ミランダさんから?」
「そうだよ」
トリスタンはどこか懐かしむように目を細めた。
「『あいつは僕のお母さんの、昔の恋人だから、一度会って欲しい』ってミランダさんに言われて、それでクリストフに会いに行ったんだ」
「ええっ!? じゃ、じゃあ……クリストフが、トリスタンのお父さんってこと……!?」
驚きのあまり、フリントは思わず声を荒げて立ち上がりそうになった。
だが、トリスタンは慌てる風でもなく、穏やかな表情のまま答えた。
「いや……お父さんかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「え……?」
「クリストフは、クリストフだからね。僕は、今のぶっきらぼうだけど優しいクリストフが好きなんだ」
「そう、なのか……」
フリントはその答えの深さに圧倒されながら、再び風景の方を向いて静かに頷いた。
「クリストフが、いつか自分から『話したい』って思ったら、その時に話してくれればいい。僕は血が繋がっていようがいまいが、どっちであっても構わないからさ」
「うん、そうだね」
フリントはトリスタンの横顔を見て、心からの敬意を込めて優しく微笑んだ。
しばらく沈黙が流れた後、トリスタンが少し声を潜めて尋ねてきた。
「ねえ、フリント……フリントは、ヴァレリアのことを、どう思う?」
「え? ヴァレリア?」
突然の刺のある美女の話題に、フリントは少し面食らった。
「うーん、どうなんだろう……。いつもつっけんどんな感じだし、何を考えているのかよくわからないな。でも、赤本の呪文を最高位まで使いこなせるのは、仲間としてこれ以上なく頼もしいとは思うけど……」
「実はさ……」
トリスタンは自分の掌を見つめながら、声を落とした。
「あのヴァレリアも、僕と同じ『黄金の光』が出せるんだ」
「ええっ!? ヴァレリアも、君と同じ光を……!?」
フリントは今日一番の驚愕の目をトリスタンに向けた。あの不思議な、奇跡を起こす癒やしと加護の光を、あの冷徹な魔術師も持っているというのか。
「うん。……いまだに、この黄金の光が一体何なのか、僕自身にもわからないままだしね」
トリスタンは、じっと自分の掌を見つめ、指を握ったり開いたりした。その瞳には、自身の宿命に対するかすかな不安が滲んでいる。
そんな親友の手に、フリントは自分の手をそっと重ねた。
「いや、その黄金の光は、君の命も助けたし、現に俺の命だって何度も救ってくれた。きっと、悪いものじゃない。悪い事じゃないんだよ、トリスタン。今は、それだけで十分じゃないか?」
フリントの濁りのない真っ直ぐな言葉と優しい微笑みに、トリスタンは一瞬目を見張り、それからゆっくりと表情を弛ませた。
「……フリント」
「ん?」
「君と一緒にいれて、本当に良かったよ」
「……俺もだよ、トリスタン」
二人はそれ以上言葉を交わさず、肩を並べたまま、静かに前を見据えた。
夕闇のオレンジは完全に消え去り、空は深い藍色へと移り変わっていく。美しく切ないグラデーションが夜の闇に溶けていくのを、二人はいつまでも、いつまでも眺めていた。




