第32話:天空の来訪者と職人の瞳
その日は朝から、プリコーグの村が独特の活気に包まれていた。村の長老を筆頭に、ゴドリックや開拓民たちが、今か今かと空を見上げながら村の中央広場に集まっている。トリスタンたちもその人だかりの隅で、張り詰めた面持ちで待機していた。
やがて、頭上の雲が激しく引き裂かれた。
ゴォォォ……と大気を激しく震わせ、猛烈な突風を巻き起こしながら、太陽の光を遮るほどの巨大な影がゆっくりと降下してくる。
「嘘、だろ……」
フリントは、目の前に起きている光景に目を見開いたまま固まった。
風に煽られながら、声も出せないほどの衝撃が全身を突き抜ける。空を征く巨大な船体、精霊工学の常識を遥かに超越した推進器の唸り。それはまぎれもなく、歴史の闇に消えたはずの「飛空艇」そのものだった。
ギギギ、と重厚な作動音を響かせ、船底から突き出たがっしりとした4つの着陸脚が、力強く地面を踏みしめる。地響きと共に、巨大な船が大地へと降り立った。
静寂が戻ると同時に、船体側面から重いタラップが下ろされる。そこからまず、作業着に身を包んだ大柄な技師――バレルが姿を現し、その後を追うように活気のある青年、バルドが続いて降りてきた。
「よく来たなぁ、バレル。待っていたぞ」
長老が温かい笑みを浮かべて歩み寄り、バレルとがっちりと握手を交わす。
「お久しぶりです、長老。今回も頼まれた物資はきっちり積んできましたよ」
バレルが爽やかに応じる横で、バルドが周囲を見回し、一人の男を見つけて顔を輝かせた。
「兄貴――っ!」
「おう、元気そうだな、バルド!」
駆け寄ってきたバルドを、ゴドリックが豪快に受け止め、二人は互いの肩をがっしりと抱き合って背中を叩き合った。
「いやあ、兄貴が突然いなくなっちゃうから、俺は本当に寂しかったんですよ?」
バルドがしみじみと当時を振り返りながら、恨めしそうに口を尖らせる。
「ははは、またそんなことを言っているのか、お前は。もういいだろ? お前の方こそ、飛空艇の乗組員としてあちこちで大活躍してるそうじゃないか。噂は聞いてるぞ?」
「だって、ずるいですよ! 突如として『俺は愛するエイダと一緒にこの村に残る!』なんて言い出して、一人だけ先に抜け駆けして幸せになるんだから……」
「おいおい、まだ根に持ってるのかよ。それより、今夜はまた俺の家に来い。旅の話をたっぷり聞かせてくれよな」
「あら、私も呼んでよ? ゴドリック」
鈴を転がすような、だが気品に満ちた声が響いた。
いつの間にか船のタラップを降りてきていた、周囲の埃っぽい空気にはおよそ不釣り合いな、見事な真っ赤なドレスを身にまとった貴婦人――イゾルデが、扇子を片手に優雅に声をかけた。
「おぉ、奥方! お久しぶりです! もちろんですとも、ぜひ我が家へ! 妻のエイダも喜びます。新しく生まれた私の娘の顔も、ぜひ見に来てください!」
「ええ、楽しみにしているわ」
イゾルデは満足そうに微笑むと、ゴドリックの案内に従って、バルドと共に歩き始めた。
――その道すがらだった。
イゾルデの歩む動線と、群衆の隅に佇んでいたヴァレリアの視線が、一瞬だけ、真っ直ぐに交差した。
お互いに、突き刺すような冷たい視線を横目に投げ合う。しかし、どちらからも声をかけることはなく、まるで最初から存在しないかのように、一瞬ですれ違っていった。隣にいたトリスタンが思わず息を呑むほどの、肌を刺すような一瞬の沈黙だった。
一方、広場の中央では、長老がバレルへとクリストフを連れて向き合っていた。
「バレル。こちらがお前さんに紹介したかったクリストフさんだ。どうやら、精霊工学のことでお前さんの助けを借りたいらしいのだよ」
「え? 俺にですか?」
バレルが不思議そうにクリストフの方を見る。クリストフはニヤリと笑うと、自分の後ろでガチガチに緊張して縮こまっていたフリントの背中を、ポンと前へ押し出した。
「は、は初めまして……っ!」
フリントは裏返りそうな声で挨拶すると、バレルが差し出した手を、まるで聖遺物に触れるかのように両手でがっしりと握り返した。
「フリントです! プラウデンで精霊工学を学んでいました! よ、よろしくお願いします……!」
「ああ、初めまして。俺はバレルだ。そんなに緊張しなくていいよ。……で? 一体何の話なんだい?」
バレルの気さくな問いかけに、フリントは意を決して、これまで胸に秘めてきた過酷な経緯を、一気に、だが丁寧に説明し始めた。
故郷であるプラウデンが、魔将軍グライフェンによって容赦なく滅ぼされたこと。グライフェンがプラウデンの優秀な技術者たちを無理やり要塞に連れ去り、恐るべきチャリオットを開発させていること。
そして、自分も古代のシャシーを掘り起こし、対抗するための車両『レヴァルト-D8』を作り上げようとしているが、アンカー・プロセッサーの不安定さや、世界的な魔法電池の枯渇により、完全に開発が頓挫していること――。
「ふーん……。なるほどね、それで俺に知恵を借りに来たわけか……」
話し終えたフリントを見つめ、バレルは顎に手を当てて静かに呟いた。
「以前、俺の師匠であるプロメから、古のロンカ帝国が遺した自走兵器『チャリオット』の話は聞いたことがあったが……まさか、その古い遺産を掘り起こして、本気で戦おうなんて考えている無茶な奴がいるとはな……」
バレルはそこまで言うと、それ以上は何も言わず、ぷいっと背を向けて、そのまま飛空艇の中へと戻っていってしまった。
「うん? どうしたんだ? お前、何かあいつの機嫌を損ねるようなこと言ったか?」
クリストフが怪訝そうにフリントの顔を見る。
「いえ、そんな風には見えなかったんですけど……」
フリントはすっかり落ち込み、首を傾げるしかなかった。やはり、いきなり現れた余所者の世迷言だとあしらわれてしまったのだろうか。
だが、数分と経たないうちに、船のタラップから足音が響いた。
見上げると、そこには大きな工具や測定器が詰まっているであろう重そうなリュックを背負ったバレルが、足早に降りてくるところだった。
バレルは唖然とするフリントの前に立つと、にっと不敵な笑みを浮かべた。
「じゃ、行こうか」
「え……?」フリントはきょとんとして声を漏らす。
「なんだよ、その顔は。俺にお前の『レヴァルト-D8』を見せてくれるんじゃないのか?」
バレルはリュックの紐を締め直しながら、職人のギラついた目をフリントに向けた。
「ここまで面白い話を振っておいて、現物を見せてくれないなんて無しだぞ。もしお前が嫌がったって、俺は無理やりにでも見に行くからな」
ぶっきらぼうだが、その言葉の裏にある、技術者としての圧倒的な熱量。
フリントの顔に、みるみるうちに希望の光が戻っていく。
「いえ! ぜひ!! お願いします!!!」
フリントはこれ以上ないほど深々と、嬉しそうに頭を下げた。
こうして、トリスタン、クリストフ、ヴァレリア、そしてフリントの4人の一行は、心強い「天空の技師」バレルを仲間に加え、あの未完成のレヴァルトが眠る山の村の倉庫を目指して、再び力強く歩みを進めていくのだった。




