第20話:黄金の覚醒と、魔将軍の業火
十五人の討伐隊に守られた村人たちが、生き延びるために港町ブラントンへと続く街道を必死に進んでいく。その張り詰めた集団の中に、一人、あまりにも場違いな空気を纏った者が紛れ込んでいた。
身体のラインを強調するような、妖艶な黒いドレスに身を包んだ美女――ヴァレリアだった。
「ラムスさん……正直、今回の任務は楽勝じゃないっすかね」
街道の先を見据えながら、若い討伐隊の一人が緊張をほぐすようにラムス隊長に話しかけた。
「おい、まだ気を抜くな」
ラムスは厳しく嗜めつつも、周囲に敵の気配がないことに安堵の息を漏らす。
「でも、まあ……そうだな。このまま何事もなく、ブラントンまで安全に届けるぞ」
その会話をすぐ後ろで聞いていたヴァレリアの薄紅色の唇が、不敵に吊り上がった。
「ふふふ……そんなわけにいかないわよ、間抜けな戦士たち」
彼女は周囲に聞こえないほどの小声で妖しく呟く。
「私が国を飛び出してまで生贄を拒むのよ? ただ逃げるだけなんて論外。……あなたが本物かどうか、ここで見せてもらうわ……」
ヴァレリアが、鋭い視線をトリスタンに向けた。
その時であった。
「うおぉぉぉ!」
街道を挟む草むらの影から、狂声を上げて鉄の鎧を着た兵士たちが飛び出してきた。ブランゼル王国の軍隊だった。
「敵襲ッ!」
咄嗟に反応したラムスともう一人の討伐隊員が、凄まじい速さで剣を突き出し、襲いかかってきた四人の兵士を一瞬で斬り捨てた。
「斥候か……!? いや、まずい!」
ラムスが顔を上げると、街道を見下ろす小高い丘の上に、黒圧々と陣を敷くブランゼル王国軍の本体が姿を現した。
「討伐隊はこっちに回れ! 敵を食い止めるぞ!」
ラムスが大きく手を挙げると、屈強な戦士たちが一斉に集結する。ラムスは振り返り、叫んだ。
「おい! クリストフ、トリスタン! お前らが村人を誘導して先に行け! ここは俺たちが食い止める!」
「わかった! ラムス、無事でいろよ!」
クリストフが叫び返し、トリスタンと共に村人たちの先頭へと走る。
背後からは、討伐隊の面々が次々と追ってくる王国兵を斬り捨て、防波堤となって戦う金属音が響いていた。しかし、数の暴力に押し切られ、数人の兵士が脇をすり抜けてトリスタンたちの方へと肉薄していく。
必死に走るトリスタンのすぐ後ろ、鋭い足音が迫った。一人の兵士が完全に間合いを捉え、トリスタンの背中に向けて剣を大きく振りかぶる。
「トリスタン! 後ろだッ!」
並走していたクリストフの引き裂くような怒号が飛んだ。
「――っ!」
トリスタンが咄嗟に後ろを振り返る。その瞬間、トリスタン自身も無意識のうちに、背中のロングボウと矢が目いっぱい引き絞られていた。稽古で身体に叩き込んだ、母カトリーナの、そしてクリストフの早撃ちの技術。
「え……?」
襲いかかった兵士が驚愕の声を漏らすより早く、放たれた矢は風を裂き、寸分の狂いもなく兵士の眉間を深く貫いた。
「よくやった!」
クリストフは思わず満面の笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締め、横から襲いかかってきた二人の兵士を大剣の一閃で一瞬にして叩き斬った。
必死に走る村人たち。しかし、怯える女性や子供、足の悪い年寄りたちの速度はあまりにも遅く、敵の追撃の手は緩まない。
トリスタンは走りながら瞬時に二本の矢を番え、迫る二人の兵士を正確に射抜いた。さらに前方から立ちはだかった兵士に対し、左手にロングボウを持ったまま、下の右手で腰のロングソードを抜いた。
鋭い踏み込み。右手二本で柄をがっしりと握り直した「半身」の構えから、凄まじいリーチの突きが放たれる。
ズブシュッ!
刃は兵士の厚い胸当てを貫通し、心臓を貫いた。
「はぁぁッ!」
トリスタンは右手二本の怪力でロングソードを兵士の胸から一気に引き抜くと、返す刀で、もう一人の兵士が振り下ろした剣を力任せに弾き飛ばした。ガラ空きになった胴体を、流れるような横一文字の斬撃が深く切り裂く。
「す、すごい……本当に僕にできてる……!」
自身の成長にトリスタンが目を見開いた、その時だった。
――ズウゥゥゥゥン!!!
突如、大地が引き裂かれるような強烈な縦揺れが襲った。あまりの衝撃に、街道を走っていた村人や兵士たちが、一斉に悲鳴を上げて地面へと転がった。
「なんだ? 何が起きた!?」
砂煙の向こうから、人間の数倍はあるかという巨大な黒い影がゆっくりと姿を現した。その異形の怪物は、無数の巨大なトゲがついた禍々しい鉄球を、やすやすと大地へと振り下ろし、叩きつけていたのだ。
凄まじい衝撃波が走り、地面に転がっていた村人たちがさらにバウンドして宙に浮き、再び地面へと叩きつけられる。
「なんだこいつは……!? めちゃくちゃだ、人間業じゃねえ!」
「……魔将軍、ザハークだ!」
満身創痍のラムス隊長が、恐怖に震える声で叫んだ。
「怯むな! 撃てぇッ!」
ラムスの号令に合わせ、弓持ちの討伐隊員たちが、一斉にザハークに向けて無数の矢を放った。しかし、それらはザハークの強固な皮膚に当たった瞬間、無残にもすべて弾かれ、パキパキと折れて地に落ちた。傷一つ、つけることはできない。
「ふん……羽虫どもが」
ザハークが不気味に顎を鳴らす。その喉の奥に、見る者を絶望させる禍々しい紅蓮の炎が渦巻いた。
ゴオォォォォッ!!!
ザハークの口から放たれたのは、一瞬で視界を真っ赤に染め上げる猛烈な火炎の奔流だった。
「ぐわぁぁぁぁぁッ!?」
一瞬だった。激しい爆炎と共に、討伐隊の十人が声も上げられずに焼き尽くされ、灰へと変わる。咄嗟に横へと飛び退いたラムス隊長も、片足が激しく焼け焦げ、地面に転がって悶絶した。
「く……くそっ、なんてこった……!」
「ラムス!」
クリストフが叫び、倒れたラムスを救うために猛然と駆け寄る。
「クリストフ! 危ない!」
トリスタンもまた、クリストフの背中を追って必死に走った。
しかし、無慈悲なザハークの喉の奥に、再び二発目の業火が渦巻く。
(だめだ……もう、間に合わない……!)
全員が死を覚悟し、炎が放たれたその瞬間――。
ドクン、とトリスタンの心臓が大きく跳ね上がった。
「――みんなに、触らせないッ!!」
トリスタンの叫びと共に、彼の身体から、目を開けていられないほどの凄絶な【黄金の光】が爆発的に解き放たれた。光の奔流はトリスタンの身体を包み込み、迫り来るザハークの『地獄の業火』を、まるでモーセの海割りのように真っ二つに裂いて左右へと激しく弾き飛ばしたのだ。
「……な、なんだと!?」
初めて魔将軍ザハークの顔に、驚愕と狼狽の色が浮かぶ。
「クリストフ……ここは僕に任せて」
黄金の光を全身から立ち昇らせ、神々しいまでの威圧感を放ちながら、トリスタンが静かに言った。その瞳には、かつて奴隷だった少年の面影はなく、村人たちの命運を背負う戦士の覚悟が宿っていた。
「これが、僕の役割なんだ……!」
「おい! トリスタン! 待て! 行ってはダメだ!」
クリストフの必死の制止も耳に入らない。トリスタンは右手二本でロングソードを握り締め、黄金の閃光となってザハークに向かって全力で突っ込んだ。
「ぐおおぉぉぉぉぉ!!! 貴様ぁぁッ!!」
「はぁぁぁぁぁッ!!!」
トリスタンの小さな身体と、ザハークの巨大な影が激突した瞬間、世界は再び強烈な黄金の光に包まれた。
直後、鼓膜を破らんばかりの、地鳴りのような凄絶な断末魔が戦場一帯に響き渡る。
やがて……、眩い黄金の光がゆっくりと収まっていった。
光が完全に消え去った街道の中心――そこには、全身を内側から焼き焦がされ、煙を上げながら物言わぬ巨躯を横たえる、魔将軍ザハークの無残な死体が転がっていた。
「ま、まさか……あのザハーク様が、人間に討たれたというのか……!?」
丘の上で戦況を見ていたブランゼル王国の指揮官が、恐怖に歯をガタガタと震わせた。魔将軍という絶対的な盾を失った彼らに、もう戦う気力など残されていなかった。
「全軍退却ッ! 退け! 退けぇいッ!」
蜘蛛の子を散らすように、ブランゼル王国の兵士たちは一目散に逃げ帰っていった。
戦場の喧騒が去り、静まり返る街道。
その一部始終を、離れた場所からじっと見届けていた黒いドレスの美女――ヴァレリアは、妖艶な笑みをその端正な顔に浮かべた。
「ふふふ……確かに彼は『本物』だったようね。期待以上だわ」
ザハークは倒した。しかし、討伐隊の多くが帰らぬ人となり、生き残った者たちも深い傷を負った。
息を荒くするトリスタン、片足を失ったラムスを抱えるクリストフ。負傷した討伐隊の生き残りと村人たちは、互いに傷ついた体を引きずるように支え合いながら、重い足取りで、それでも生き延びた奇跡を噛み締めながら、目的地の港町ブラントンへと向かって歩き始めるのであった。




